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2018/12/18

『不妊手術、旧法巡る対応検証へ 精神科医団体が内部委員会』というニュースと『周産期医療』 国立ハンセン病資料館へ その4

●『療養所』という名の『収容所』

資料館は、残念ながら、展示物の写真をとってはいけない決まりだった。


展示物を一通りみると、重い気持ちになる。こんな近くに施設があったのに、なぜこれほど酷い差別が行われたことに気づかなかったんだろう?と思うからだ。


帰りに、資料館の近くにある『納骨堂』をお参りした。


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●『尊厳回復の碑』

『納骨堂』のそばには、患者さんたちが名誉の回復を願い、建立した『尊厳回復の碑』があった。人としての尊厳を踏みにじられてこの世を去ったのだ。さぞかし無念だったに違いない。思わず手を合わせた。


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帰りは、元来た道を引き返した。


私は、後世に語り継ぐためには、資料館だけでなく、周りの森にも、予算をつけ、手入れをした方がいいと思う。


なぜならこの場所はそもそも、患者さんが病気を療養するような場所ではなかったからだ。


施設が設置されたばかりの頃、国や県が、予算をかけずにできるだけ多くの患者さんを収容しようとしたため、脱走を試みたり、反抗する患者さんが多く、職員は手を焼いたそうだ。


そこで、『懲戒検束規定』という決まりをつくり、患者さんを牢屋に閉じ込めたという。その一方わずかな賃金で、炊事洗濯はもちろんのこと、道路工事や大工仕事、畑仕事をさせたため、怪我をしたり、病気を悪化させた患者さんが大勢いたのだそうだ。


展示室には、その監禁部屋(牢屋)が再現してある。窓がなく真っ暗で高さもほとんどない。まるで犬小屋のような部屋で、備え付けの懐中電灯で照らさないと内部がわからない。ほとんどの見学者は、この部屋の前に来ると、驚いたような表情をしたり無言になる。この監禁部屋(牢屋)を見れば、この施設が、治療のためでなく、隔離・収容のためにつくられたことがわかるからだ。


要するにここは『療養所』という名の『監獄』だったのだ。



資料館からの帰り道、人影もまばらな暗い林の道を歩きながら、私はあの薄暗い牢屋を思い出した。


脱走した患者さんが逃げ出さないように、拘束したのは、このあたりだったんじゃないかと思い急に悲しくなった。


●精神医療は重い腰を上げ、検証を行おうとしている 周産期医療は検証作業を行わないのか

それでも私はこの資料館を訪れて良かったと思う。


私が知らない間に精神科に送られ、医師に逆らったというだけで「精神障害者」にされた理由がわかるからだ。日本の医療には負の側面があり、この頃から変わっていないのだろう。失敗や、不都合なものから、ひたすら目を背けてきたに違いない。


私の被害体験について
成育の『育児心理科』は、なぜ『ベゲタミン』や『エリミン』を外来患者に処方できたのか? 私の副作用報告を握り潰したのは誰なのか? その1

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でも時代が変わった。人権団体や被害者からの突き上げもあり、『日本精神衛生会』がようやく重い腰を上げ検証作業を行う。


ただし『強制不妊手術』は、精神医療だけが行なっていたわけじゃない。むしろ先頭に立ってすすめてきたのは周産期医療に携わる人達だろう。


『市民の人権擁護の会』が『日本精神衛生会』に送付した公開質問書 から一部を引用

強制不妊手術について、手術の犠牲者に対する国の補償問題と考えるのは、あまりも問題を矮小化しています。なぜならば、これは精神障害者に対する差別・偏見を作り出し、わが国の精神保健福祉の貧困さを招き、長期隔離収容、多剤大量処方、過剰な隔離拘束、大量の入院患者死亡という、世界的にも異常な実態を生み出している元凶と言えるからです。

 貴団体は最も歴史のある精神医学関連団体として、精神保健医療福祉の分野の中でもトップレベルの方々によって役員が構成されていることと存じます。しかし、ある理事は運営する精神科病院での違法拘束で損害賠償を命じられ(平成24年11月22日東京高裁判決、その後確定)、また別の理事は「発達障害を含む児童思春期精神疾患の薬物治療ガイドライン」の作成に携わりながら、製薬会社からの寄附を隠して東京都と厚生労働省に虚偽申告したことが当会によって暴かれ、ガイドライン作成メンバーから外されています。

 トップレベルの精神科医ですら問題を起こしていることに象徴されるよう、精神保健指定医の資格不正取得、臨床試験の不正、診療報酬不正請求、詐欺、患者への性的虐待、身体拘束による死亡など、次々と精神科医による不正や犯罪、人権侵害が暴かれ、報道でも度々取り上げられています。精神科医そして精神医学団体自らが生み出してきた差別や偏見に向き合い、公式に謝罪することこそがその連鎖を断ち切る一歩となります。精神障害者に対する差別の原因を世間の無理解や偏見に求めるのではなく、自らの歴史に見出し、障害者差別・抹殺を正当化したナチス精神医学のイデオロギーとの決別を誓い、真摯に反省・謝罪すべき時期が来ています。それこそが真のアンチスティグマとなります。

今年3月に貴団体が開催したフォーラムに登壇した岡田靖雄氏が優生保護法問題について「当然国の責任ですけど、関わった精神科医あるいは産婦人科医の責任でもあります」「問題を検証せずに終わらせてはならない」と発言しましたが、貴団体はこの言葉を受け止め、態度や行動に示すものだと期待しております。つきましては、貴団体に以下を公開質問する次第です。人権週間(12月4~10日)が始まる12月4日までの回答をお願いします。



日本精神衛生会関係者によって優生手術が促進・実施されてきた過去について、またその結果として精神障害や精神障害者に対する差別・偏見を助長してきた責任について検証する予定はないのか。そして歴代の幹部や会員らの責任の所在を明らかにし、公式に謝罪表明する予定はないのか。不要であるとして検討する意思もないのであれば、その理由を回答すること。

         

我が国のナショナルセンター、国立成育医療研究センターは、この問題をどう思っているんだろう?子どもの自己決定権を尊重する『トランジション医療』を行うなら、避けて通れないはずだ。


私は周産期医療だって『日本精神衛生会』と同じように、検証作業を行わないといけないんじゃないかと思う。検証をしようとしないなら、私は信用することなんてできない。



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家庭のイザコザから強制不妊手術を受けさせられた!? 『強制不妊手術』と『トランジション医療』
2018/12/18

『不妊手術、旧法巡る対応検証へ 精神科医団体が内部委員会』というニュースと『周産期医療』 国立ハンセン病資料館へ その3

●入り口に立つ母子遍路 病気を知られず、迫害から家族を守るためには、遍路にならざるを得なかった

資料館の入り口には、お遍路さんの姿をした銅像がある


「なんで、お遍路さんの姿をしているいるんだろう?」と横の看板を目をやり、私はハッとした。


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母子遍路像

ハンセン病回復者の中には、入院前に四国遍路を経験した人が少なくありません。病気を知られず、迫害から家族を守るためには、遍路にならざるを得なかったからです。

わずかな路銀を懐に遍路となった病者は、遍路を持て成す<お接待>にその日、その日の糧を求め、礼所から礼所への旅を続けました。

世界に類を見ないこの悲しい風習は、社会的にはいかに人を、差別や偏見に追いやるものであるか、を示すものでありますが、宗教的には、たとえどんなに肉体がむしばまれ、差別・偏見の下におかれたものであっても、人としての尊厳に変わりはなく、皆救いといって捨てぬ、という弘法大師の広大無辺なご誓願(ちかい)の、今に生きる証なのです。

平成2年、わが国のハンセン病者が辿った苦難の人生を、歴史の事実として世に残すため、多摩全生園大師講を中心に「母子遍路像建立委員会」を結成、同5年11月、全国の人々から寄せられた善意をもとに、この母子遍路像は建立されました。

空を見上げる二人は、いつか必ず訪れるハンセン病の治る時代の到来を、母娘が共に我が家で暮らせる時代の到来を、じっと目を凝らして見つめているのです。

平成9年4月吉日



この解説を読んで私は初めて気づいた。


ハンセン病に対する世間の差別は、それほど強烈だったのだ。


1974年製作された野村芳太郎監督の映画「砂の器」。現在では、「砂の器」が映像化される時には、差別や偏見への配慮から「ハンセン病」を取り上げられなくなったが、過去の作品では取り上げられている
https://www.youtube.com/watch?v=9axACQoRn0E
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なりよりも、私は四国の方々が長い間行っていらした、お接待という風習を、ボランティアみたいなものだと思い込んでいたことを恥ずかしく思った。四国には3回も行っているし、松本清張の小説も読んでいる。それでも気づかないのは、ハンセン病の隔離政策が、私には他人事だったんだろうと痛感させられた。


続く
2018/12/17

『不妊手術、旧法巡る対応検証へ 精神科医団体が内部委員会』というニュースと『周産期医療』 国立ハンセン病資料館へ その2

●ハンセン病と『もののけ姫』

国立ハンセン病資料館は、ハンセン病患者に対する差別や偏見を解消し、名誉を回復するために全国に設立された。東村山にある資料館(「国立ハンセン病療養所多磨全生園」)はその一つ。





私は今まで知らなかったが、あの宮崎駿監督の名作、スタジオジブリの『もののけ姫』には、ハンセン病の患者さんが取り上げられていたそうだ。宮崎さんがハンセン病に関心を持ったのは、全生園の近くに新婚以来ずっと住んでいらしたから。でも、近くに住んでいても20年もの間、一度も足を踏み入れたことがなかったそうだ。





宮崎さんが、内部に立ち入らなかった理由は私もわかる。私も電車を乗り継いで一時間弱のところに住んでいるけれど、今まで一度も行こうと思わなかった。観光がてら、気軽に立ち寄るような場所じゃないと思うからだ。


●『国立ハンセン病療養所多磨全生園』

『国立ハンセン病療養所多磨全生園』の最寄り駅は、JR武蔵野線新秋津駅。地図で調べると、資料館までは2キロちょっとだろうか。私は歩いて行くことにした。


「国立ハンセン病療養所多磨全生園」までのアクセス・交通案内はこちら



駅を過ぎるとすぐに、繁華街から外れ、畑が広がるのどかな風景が広がる。新秋津駅から20分ほどで、『国立ハンセン病療養所多磨全生園』の裏口が見えてきた。


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この入り口は裏口だから、小さな看板をよく見ないと入り口だとわからない。季節の変わり目で小雨がぱらつく天気のためか人影もまばら。本当にこの場所なのだろか、と何度も看板を確かめた。


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裏口のすぐそばには神社がある。治療法がない時代、隔離された生活の中で患者さんたちが、心の拠り所にしていた神社だそうだ。ただ、今は患者さんも高齢化が進み、手入れが行き届いていないようだ。


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神社の先には、元患者さんたちが住んでいる住居棟が続く。プライバシー保護のため、見学者は進入禁止になっている。


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「資料館はこちら」という矢印を頼りに、ひたすら歩く。


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入り口から10分弱で右手に資料館が見えてきた。


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続く
2018/12/17

『不妊手術、旧法巡る対応検証へ 精神科医団体が内部委員会』というニュースと『周産期医療』 国立ハンセン病資料館へ その1

●『日本精神衛生会』が重い腰を上げたのは、批判に耐えきれなくなったから

『日本精神衛生会』が内部委員会立ち上げ、旧優生保護法の下で、障害者らへの不妊手術を行った問題について、検証作業をすすめるというニュースがあった。


もっとも今回の検証作業は、『日本精神衛生会』が自発的に決定した訳じゃない。精神医療の人権の問題に対して、長年取り組んできた人権団体が公開質問書を送ったからだ。ようやく重い腰を上げたのだ。




旧優生保護法(1948~96年)下の障害者らへの不妊手術問題で、精神科医らでつくる「日本精神衛生会」が来年1月にも内部委員会を設置し、旧法を巡る対応の検証を始めることが16日、分かった。旧法は精神科医が本人同意のない不妊手術を申請できると規定。同会も50年代、手術促進の財政措置を国に陳情していた。被害者を救済する法案制定の道筋が整いつつある中、医療側が自らの関わりを調査する動きとして注目される。

人権擁護に関する市民団体の関係者は「手術を推進しようとした側が自ら検証して反省の過程を踏むことが、差別解消の出発点となる」として検証結果を見守る構えだ。



●『強制不妊手術』と日本の『周産期医療』 谷口弥三郎医師は何をしてきたのか?

ところで、この大騒ぎになっている『強制不妊手術』は、精神医療だけでなく周産期医療と関係が深い。





『日本産婦人科医会』の設立者、谷口弥三郎医師は我が国の周産期医療のあり方を象徴していると思う。谷口医師のやってきたことをちょっと調べれば悪い意味で、すごいと思うからだ。何しろ戦前、戦中は「産めよ増やせよ」、戦後はその反対に『強制不妊手術』を推進したそうだから。周産期医療は、出生率と直結するから、政治権力と結びつきやすいんじゃないかと思う。


谷口 弥三郎 ウキペディア

谷口 弥三郎(1883年8月13日 - 1963年8月19日)は、日本の政治家、産婦人科医師、また医学者。日本医師会会長、参議院議員。「不良な子孫の出生を防止する」として、太田典礼、加藤シヅエに一時提携をもちかけながらその影響を排除しつつ、福田昌子等と共に 優生保護法の成立に深く関わった。また、熊本県におけるハンセン病患者隔離政策の中心人物である



●『強制不妊手術』『強制隔離政策』 なぜ内部から、「こんなことはもうやめよう!」「おかしい!」という声が上がらなかったの?

私は、谷口医師が強制不妊だけでなく、熊本県におけるハンセン病患者『強制隔離政策』(終身強制隔離・患者絶滅政策)の中心人物だったと知って驚いた。『強制不妊手術』だけでなく、『ハンセン病患者隔離政策』も、我が国における大きな汚点だろう。その2つの政策を推進するなんてちょっと、どうなんだろう…


私は、『ハンセン病患者隔離政策』は、最低な政策の一つじゃないかと思ってきた。何しろ1980年代に特効薬が登場し、ハンセン病が恐ろしい不治の病じゃなくなっても、強制隔離政策は平成まで延々と続けられてきたのだから。(全国50の新聞紙上に厚生労働大臣名で謝罪広告掲載され、国立ハンセン病療養所等退所者給与金事業開始されたのは、2002年


私は2001年に放送されたニュースで、厚労大臣が患者団体の方々に、頭を深々と下げる姿を今でも覚えている。





松本清張といえば昭和を代表する社会派ミステリーの巨匠。その清張の代表作、『砂の器』は、ハンセン病の差別を取り上げたことで知られる。私はニュースをみるまで、『砂の器』はもう、とっくに終わったんだと思いこんでいた。
患者団体が、何十年もの長きにわたり(隔離政策は実に90年間も続いた)声を上げ続けないと改善されないて。ため息が出た。





●国立ハンセン病資料館 我が国の医学史の汚点、『強制隔離政策』(絶対的終身強制隔離・患者絶滅政策)を体感できる場所

先月、思い立って東村山にある国立ハンセン病資料館を訪れた。


私は『強制不妊手術』の真実を知り、苦い記憶が蘇ったのだろう。障害などない人たちが、精神科に次々送られ、拷問のような「治療」を受けさせられ死んでいったことを知り、トラウマが再燃したようだ。


我が国の医学史に残る汚点、『強制隔離政策』とは、どのようなものだったのか、この目で確かめたいと思った。


続く
2018/12/16

家庭のイザコザから強制不妊手術を受けさせられた!? 『強制不妊手術』と『トランジション医療』

●実態は、精神科医が気にくわない患者に対してデタラメな病名をつけ、デタラメな判定で強制不妊手術をしていた!?

人権週間ということもあり、強制不妊手術のニュースが入ってきている。以下の週刊女性PRIMEが配信した記事は、この問題の本質を端的にあらわしている。





北海道で裁判をしている小島喜久夫さんや、宮城県仙台市の飯塚淳子さん(仮名=70代)を大きく取り上げているからだ。


ネットには、左翼活動家にそそのかされた、と誤解して被害者をバッシングする人もいるから、こういう問題を女性週刊誌が取り上げてくれて嬉しい。


最後までよ〜く読んでみて。


小島さんや飯塚さんは、家庭のイザコザから、精神科に送られ手術を受けさせられたのだ。


しかも、小島さんの裁判を傍聴した人権団体の方によれば、小島さんの入院させられた精神病院はかなり悪質で、「おかしいんじゃないか!」と声を上げる人たちには、ロボトミー手術や強制不妊手術を行い、無理矢理沈黙させていたそうだ。小島さん自身、11歳の男の子が同じ精神科病院でロボトミー手術を受け、術後数日で死亡したことを目撃しているという。「あなたの認識は甘い。小島さんが、実名で国を訴えることができたのは、病院を脱出できたからですよ」と教えてくれた。

イメージとしてはこんな感じ↓



強制不妊手術を知的障害者に対して子どもを産めなくした政策だと考えるのは、実際の姿とは異なります。北海道の文書では「 手術を受けた85%が「精神分裂病」」となっています。

つまり、精神科医が気にくわない患者に対してデタラメな病名をつけ、デタラメな判定で強制不妊手術をしていたというのが実態です。

しかも、肝心なそういう被害者は小島さん以外に声を上げていないのが実情です。ロボトミー手術を受けた人も、精神障害を理由に強制不妊手術を受けた人も、声を上げられないのです。小島さんは精神病院から脱出できたからこそ、ちゃんと今証言できるまで生き長らえているのです。



背筋がゾッとした。


私も騙されるように精神科に連れて行かれた一人だからだ。


もし、入院病棟があったら、電気ショックを受けさせられたかもしれない。


そして被害者は私だけじゃない。今でも精神科では、被害を訴える人たちの声が後をたたない。


本当にその症状は、精神疾患や精神障害なんですか?


今日、明日にも、新しい報道があるときいている。


●日本の小児医療がすすめようとしている、『トランジション医療』では、子供の自己決定権が重視されているのに…

この不妊手術の問題をきっかけに、周産期医療に携わる医療者は、「支援」というものを、再考すべきだと思う。


なぜなら、日本の小児医療がすすめようとしている、「トランジション医療」では、子供の自己決定権が重視されているからだ。


「子供の自己決定権が重視されている」一方で、「親が育てづらいと考えれば、発達障害」などという曖昧な根拠で、子どもに「障害名」をつけるなんて矛盾している。



なぜ支援が「障害名」にすり変わるのかは、少し考えれば誰にでもわかるはずだ。医師を頂点とした医療モデルで行おうとするから、どうしても医療支援になっていくんだろう。


少なくとも、超低出生体重児で生まれた息子の発達は、どの医師よりも親である私や夫の方が、詳しい。


なんでもかんでも「お医者様にお願いする」時代は、すでに終わっただろう。



だからこそ、「トランジション医療」では子供たちに、


自分で勉強しよう!


自分で考えよう!


自分の気持ちを、周りの人たちに伝えてみよう!



と教えているんでしょう?



2017年に国立成育医療研究センターで行われた、トランジション医療に関する、ワークショップの様子

「子どもが自分の病気を知る講習会」 2017.8.3 NHK特報首都圏

小児がんや重い心臓病の中学生や高校生などに、自分の病気を知ってもらい、日々の生活に活かしてもらう講習会が開かれました。

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副作用があるために、薬を飲みたくない子供と、体を心配して薬を飲むようにしかる親とが、喧嘩になる様子が劇で演じられました。どのように解決すればいいのか話し合い、子供からは親以外に病気のことが話せる人が必要だという意見が出ました。

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田中恭子医師(こころの診療部 児童・ 思春期リエゾン診療科診療部長)
「自分でコントロールできるようになる。自分で困ったら、誰かに相談できるようにするとか、そういう力をつけるようになったらいいと、今回このような企画をしました」



《障がい者の苦悩》強制不妊手術の被害者ら、酷な仕打ちに「人生を返して」 週刊女性2018年12月25日号2018/12/15

「親や警察、保健所にだまされ、精神科病院に連れて行かれた。調べると、国が強制しているんだとわかった。なんで国が、私たち障がい者に、子どもをできなくさせようとするんだと思って、泣きました」

「闇に葬り去られては困る」

 12月4日、「被害者の声を伝える院内集会」の壇上で、国を実名で提訴した北海道札幌市の小島喜久夫さん(77)は訴えた。優生保護法のもと、十分な説明や同意がないまま不妊手術を強制された障がい者がいま、全国で声を上げ始めている。

この日に登壇したのは、北海道や宮城県、東京都、兵庫県で訴訟を起こした原告とその家族ら。強制不妊手術の被害者は約2万5000人にもおよぶとされる。

前出の小島さんは養父母に育てられたが、関係が悪化。説明もないまま精神科病院へ連れて行かれ、不妊手術をされた。手術後も、子どものいる人生を思い浮かべると、つらい思いばかりが込み上げてくる。今年1月、提訴のニュースを新聞で知り、妻に打ち明けた。

「私だけではない。手術をされた人は大変な思いをしています。国には謝罪してもらいたい」

宮城県仙台市の飯塚淳子さん(仮名=70代)は、一連の全国訴訟で最も早く提訴した女性だ。中学3年のとき、地域の民生委員が関与し、知的障害ではないのに知的障がい児の施設に入所させられたという。その後、知的障がい児の指導訓練をする「職親」に預けられた。

「職親にバカだと言われ、虐待を受けた。食事のおかわりもできず、服も買ってもらえませんでした」

16歳のとき、説明もないまま、宮城県中央優生保護相談所附属診療所に連れて行かれ、手術された。父親が同意させられたという。

「手術してからは毎日寝込んで、疲れるようになった。このまま闇に葬り去られては困ると思い、声を上げてきました。同じような被害者に名乗り出てほしい」

「人生を返して欲しい」

 佐藤路子さん(仮名=60代)は、知的障害のある佐藤由美さん(仮名=60代)の義姉だ。由美さんは6歳で「精神薄弱」(現在の知的障害)の診断を受け、15歳のとき、医師に「遺伝性精神薄弱」とされ、手術を強制された。

「義妹の場合、手術を受けた台帳が残っていたので提訴しました」(路子さん)

現在、与党のワーキングチームや超党派の議員連盟によって、救済法案の骨子案が出されているが、「知的障がい者の場合は申請が難しい。本人だけでなく、家族の申請もできるようにしてほしい。また、残された家族が被害について知らない場合、被害が埋もれてしまう。国は通知する義務があります」と、申請手続きの問題点を指摘する。

東京都の北三郎さん(仮名=75)は宮城県仙台市出身。母親が亡くなり、家庭の事情で教護院(現在の児童自立支援施設)に入れられた。14歳のとき、施設の職員に連れられ病院へ行き、優生手術を受けさせられた。

「具体的な説明はなし。あとから“子どもをできなくする手術”と聞かされました。ほかに3人が手術を受けていました」

妻には病気で亡くなる数日前、初めて打ち明けた。北さんを責めることもなく“私がいなくなっても食事はとってね”と言い、息を引き取ったそうだ。

「人生を返してほしい。それが無理なら、せめて事実を明らかにしてほしい」

この日、集会に先立ち『優生手術被害者・家族の会』が発足した。メンバーは10人前後。国に謝罪を求め、啓発や相談窓口としても活動する予定だ。国は「当時は適法」の姿勢を崩していない。なぜ手術が進められてきたのか、調査し、実態を解明する責任がある。