2013/11/22

『副籍交流授業』 もう一人のクラスメート

副籍交流授業』について
それは偽善じゃないですか? その1

それは偽善じゃないですか? その2


二年生の時の担任の先生と私は意思疎通が決してうまくいっているわけではなかったけれど、それでも先生は『副籍交流授業』を熱心にしてくれた。


だから私は学校から手紙を今でも大切にとってある。上に指示されたからやっているわけではないだろうと思えたからだ。授業の前に、この絵本もみんなで読んで、もう一人のクラスメートにどうやって接したらいいのか考えたそうだ。


わたしのおとうと、へん…かなあ (児童図書館・文学の部屋)わたしのおとうと、へん…かなあ (児童図書館・文学の部屋)
(2001/09)
マリ=エレーヌ ドルバル

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でも残念ながら、『副籍交流』という言葉をネットで検索してもほとんどヒットする情報が出てこない。


文科省から通達が出ても、あまり知られていないようだ。


○ちゃんのお母さんはとても喜んでいたけれど・・・実施率が低いのは、人手がかかるからだろう。コーディネーターを始め、医師、教員、保護者、クラスメートなど、皆が力を合わせないといけないから、躊躇するのだろう。


アレルギー死亡事故後、市はアレルギーの正しい知識を啓発するための授業を提案し、文科省も賛成している。


ただ私はアレルギーへの理解を深めることは大切だけど、それだけでは足りないと思う。担任の先生をはじめ先生方へのケアも本当は必要だと思うからだ。


教員の多くは人ごとではないはずだ。「もし、自分が担任だったら」と皆、思うだろう。


それに、正しい知識を知っても学校現場は忙しい。医療的ケア児を受け入れる先生の不安はなくならないと思う。


だから私は、校長先生が初めてくれた交流授業のような取り組みが、広まればいいと思う。「文科省から通達が出たから、何かやらないといけない」→「でも、色々とわからないことばかりだし、面倒だからNPOにお願いしようか」じゃなく、試行錯誤しながらすすめて行く方がいいと思う。「心」がなければ上手くいかないと思うからだ。


お便り

ようこそ ○くん!

先週の金曜日、○君をむかえて『副交流授業』を行いました。お配りした特別支援学校からのお手紙をお読みいただいたことと思います。


○君を迎えるにあたり、子供たちに「わたしのおとうとへんかな」という絵本の読み聞かせをし、○ちゃんの写真を見せながら金曜日の4時間目に来ることを話しました。そして「特別なことをしようと思わなくていいよ。みんなが『よく来てくれたね』と優しい気持ちでむかえることができれば、○ちゃんにはわかるよ」と言いました。


前日になると「明日くるんだねー。楽しみ−。」「わくわくするね」という声がきかれうれしく思いました。さらに○ちゃんの好きな車の絵を自由帳にかいたり、折り紙をおったり「黒板に絵をはってむかえたい」と言ったり。自分達できることを一生懸命やろうとする姿がみられ感激しました。


当日は○ちゃんの特別支援学校の話をきいたり、一緒に歌や合奏をしたりしました。休み時間には車いすの周りに集まりくしゃみのまねをして○ちゃんを笑わせていました。


ほんの少しの時間でしたが、○ちゃんはもううすっかり自分達の友達になっていました。○ちゃんを自然に受け入れ、仲良くする姿をみて子供達のやさしさをしみじみ感じました。○ちゃんもしじゅうご機嫌で担任の先生もお母さんも喜んでいらっしゃいました。次回の交流が楽しみです。






2013/11/20

それは偽善じゃないですか? その2

それは偽善じゃないですか? その1 の続き


校長先生との面談からほどなくして、なぜか支援学校と交流がはじまった。ある日「もう一人、クラスメートがいます」というプリントが配られたのだ。


今まで知らなかったが、支援学校に通うお子さんの中には普通学級に籍があるお子さんもいるそうだ。だから交流授業を「副籍交流」と呼ぶらしい。


そんなことは初めて知った。ちなみに教員である夫も知らないという。


文科省のサイトには以下のような記述がある。私が校長先生に訴えたことは文科省の方針でもあったんだ。↓

副籍、支援籍、副学籍について

東京都
(名称)副籍
(定義)
都立特別支援学校小・中学部在籍の児童生徒が、
居住地域の小・中学校に副次的な籍をもち、
直接交流(※1)や間接交流(※2)を通じて、
居住地域とのつながりの維持・継続を図る制度。

※1:小・中学校の学校行事や地域行事等における交流、
小・中学校の学習活動への参加等
※2:学校・学級便りの交換、作品・手紙の交換、地域情報の提供等

(目的)
乳幼児期及び卒業後は地域サービスを受けるなど居住地域とのつながりがあるが、
学齢期でも地域とのつながりを維持・継続することが必要であり、そのための一方策。
両校在籍者の他、教員や保護者への障害理解や相互理解が深まる。
(対象)

原則として都立特別支援学校小中学部在籍者の希望する全員。
直接交流は、
○1 特別支援学校小・中学部在籍者のうち、
校長、保護者、主治医等が協議し実施可能と判断し、
○2 地域指定校と協議し校長の了解が得られ、
○3 交流に関わる送迎や授業中の支援について保護者等の協力が可能な者



いつも支援学校に通っている同級生が支援学校の先生と一緒に授業に参加した。給食をはじめて一緒に食べた時には、息子が配膳係だったそうだ。嬉しそうに私に報告してくれた。クラスの子供達も喜んでいたそうで、今でも続いている。


お便り


私も校長先生がおっしゃるように「差別と区別は違う」と思う。親御さんの中には、寝たきりのお子さんをどうしても普通学級に入れたいとおっしゃる方もおられるようだ。しかし、それがお子さんの将来にプラスになるのか甚だ疑問なのだ。そのために同級生に付き添いをお願いしたり、エレベーターの設置などを求めるのは親のエゴかもしれない。


しかし、何から何まで区別してしまうこともまた、エゴであり、差別と呼ぶべきものかもしれないと思う。生まれた時から小児病棟で過ごす子ども達をはじめて見た時そう思った。怪我をして子どもが小児病棟に入院したことのある親御さんも、「同じ日本にこのような世界があるなんて知らなかった」と言っていた。


子ども達は、障害のあるお子さんと車椅子を抱えて運ぶ大人達の姿を見て、バリアフリーの大切さを自然に学ぶのではないだろうか。障害があるお子さんを抱えたご家族は、気軽に引っ越しなどできず、地域で生きていくしか選択肢がないという。


病気や障害のある方を遠方からお呼びするよりも、得るものが大きいのではないか。私は利益相反の観点から、公立校では、製薬会社が協賛する出前授業には反対だ。


私は今まで公立に通った経験がなかったので公立の良さを知らなかった。とかくメディアは公立学校や先生を批判しがちだけれど、地域に根ざした公立だからこそできる取り組みもある。子ども達に大人の理想を押しつけるのは教育ではないと思う。NPOなどが行う完成された「出前授業」を安易に導入するのでなく、自発的な試みが全国に広まることを願っている。


『副籍交流授業』 もう一人のクラスメート に続く

2013/11/19

それは偽善じゃないですか? その1

小学校に入学して半年がすぎた頃校長先生と面談した。息子は入学当初、算数と国語がついていけないので担任の先生に「宿題を少なくして欲しい」とお願いしたことがあった。そのため、放任主義と勘違いされたようだった。一度校長先生とお話ししようと思った。


私の住んでいる市では発達に遅れがある子供は、入学前に書面で申し入れができる制度がある。幼稚園の担任の先生にすすめられ、副校長先生に書類を持参しお話しさせていただいた。就学時検査の時にも申告したが「問題がない」ということで入学が許可された。


しかし実際に授業がはじまると担任の先生は不安そうだった。超低出生体重児についてお伝えしたほうがいいと思った。


校長先生は、超低出生体重児について全くご存じなかった。しかも「いろいろな不満はあるかもしれないが、今の教育現場はすべてを抱えきれない。4年生ぐらいになっても遅れていたら特別支援学級に行っていただくかもしれない。差別と区別は違うのです」とおっしゃった。


「差別と区別は違う」という言葉には納得したが、正直がっかりした。なぜなら、息子は障害があって発達が遅れているわけではないからだ。これまで何度も訴えてきたのに、またはじめから説明しないといけないのか・・・と思ってしまった。


しかも校長先生は「学校では、障害者の方を理解しようと努力もしています。4年生の授業では、講師として目の見えない方をお招きしました。素晴らしい交流授業でした」とおっしゃるのだ。私は反発してしまった。なんでわざわざ遠くからお招きする必要があるんだろう・・・在校生の兄弟にだって、支援学級に通っているお子さんがいるじゃないか。


「目の見えない方など、小学校の周辺では見かけたことが一度もありません。駅前でもほとんどありません。バリアフリーという言葉は一般的になっても、駅前は混雑し、道も狭く自由に歩けないのです。それが現実です。その一方で、在校生の兄弟には障害のあるお子さんがいます。地域の障害者は隠れるようにひっそりと暮らしているのに、遠方から障害者の方をお招きするのはどこかおかしいと思います。それこそ偽善ではないでしょうか」と言ってしまった。


すると校長先生は黙ってしまった。私は正直すぎるのかしら?


でも私には危機感があった。いつか小児病棟でみた光景が忘れられない。寝たきりの重度の障害があるお子さんを「これ」と平気で指す見学者と、その人を咎めることなくすり寄る職員の姿だった。信じられない光景だった。


夫は怒りのあまり片手がグーになっていたけれど、子どもがお世話になっているから何も言えなかった。私もいつ障害者になるかわからない。しかし障害者という立場になった時では遅いと思った。あの時の怒りが私を変えた。


確かこういった気持ちも、校長先生には正直にお話したような気がする・・・。


それは偽善じゃないですか? その2 に続く