2016/01/01

あけましておめでとうございます 『地獄谷野猿公苑』のスノーモンキー


あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします!!



今年はさる年ですね。数年前に長野県の地獄谷温泉でとった写真を探してみました。こちらは世界的に珍しい『スノーモンキー』とよばれる温泉に入るお猿さんです。iPodでパチッととるので、あまり上手くとれませんが、気持ちよさそうに入浴している様子は伝わるんじゃないでしょうか?


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昨年末、新潟県の赤倉温泉スキー場に家族で出かけた。外国からのお客さんが増えてびっくりした。いつも行く長野県の野沢温泉にも外国からのお客さんが増えている。


野沢温泉や赤倉温泉を訪れる外国の方に人気なのが、このおサルさん達。


●世界的に大人気 長野県『地獄谷野猿公苑』の温泉に入るおサルさん


野沢温泉から車で40分、さらに徒歩30分ほどのところに、世界的に有名な観光地となった『地獄谷野猿公苑』がある。昔は知る人ぞ知る『秘湯』だったのに、温泉に入るニホンザルの写真が海外で紹介されたことで、世界的に知られたのだ。写真の力はすごい。



地獄谷野猿公苑|ようこそ、ニホンザルの世界へ


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●世界的に有名になったきっかけは、職員の方が撮影した写真


人気に火をつけたのは、動物写真家の岩合光昭さんの写真集『スノーモンキー』かと思っていたら、ちょっと違うようだ。



スノーモンキースノーモンキー
(1996/11)
岩合 光昭、岩合 日出子 他

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直接のきっかけは、2006年に萩原敏夫さんという地獄谷野猿公苑の職員の方が撮影した写真だそうだ。調べてみると、萩原さんの写真が海外のコンテストでグランプリを受賞したからだと書いてある。岩合さんの写真集も人気があるから、じょじょに、ということかもしれない。


日本の「スノーモンキー」はなぜ外国人に人気なのか?ーNAVER まとめ


●動物写真家 岩合光昭さんの『スノーモンキー』


私は世界的に有名な動物写真家、岩合光昭さんのとった『スノーモンキー』が好きだ。特に写真集の表紙になっている雪玉を抱えているような写真。この写真を一目見て、写真集を買った。


岩合さんはあの『ナショナル ジオグラフィック』が、日本版をつくる以前、表紙をかざった唯一の日本人写真家として有名だ。


今まで動物写真に興味を持たなかった私が好きになったのは、新婚生活をカナダでおくったからだ。夫はもともと大学院を卒業してからアメリカの大学院にすすむつもりだった。アメリカの国立公園でレンジャーとして働きたいと思っていたそうだ。


そのため、カナダでは何度もキャンプに連れていってくれた。真冬にニューファンドランド島にある州立公園にいった時には、道をはずれ遭難しかかったこともあった。


小学生の頃、児童文学作家、戸川幸夫さんの「オーロラの下で」という本に夢中になった。そりをひくオオカミ犬と人間の交流をえがいた作品だった。



オーロラの下で [DVD]オーロラの下で [DVD]
(2008/03/21)
役所広司、桜田淳子 他

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しかし大人になるにつれて、冒険小説などにはあまり関心がなくなっていった。それが大人になるということかと思っていた。


再び手にとるようになったのは、結婚してからだった。


●森でクマの親子に出会ってびっくり


カナダの森の中で親子のクマに遭遇したり、遭難しかかってはじめて、夫の本棚にあった植村直己さんの本を手に取った。


今まで平面だった地図が、急に立体になり、奥行きが出てきたような感じがした。時間がたつのを忘れるほど夢中になり、何度も繰り返し読んだ。


その後、新田次郎さんの「八甲田山死の彷徨」も読んでみた。暗闇の中から、雪中行軍をする兵隊さんの足音が聞こえるような気がした。やっぱり一気に読んでしまった。


学生時代、こういった本は絶対に手にとらなかった。


でも、かんじきやスノーシュー、クロスカントリースキーで雪の上を歩くとやっぱり違う。視界がうすれ、方向感覚がなくなるホワイトアウトの恐怖が想像できるからだ。


雪道を歩いたことがない人に、ホワイトアウトの恐怖をいくら伝えてもわからないだろう。自分が自然の中で死ぬかも知れない、いうような体験をしないと、面白さがわからないのだ。


つまり、それだけ私は無謀なことをしてきたということかもしれないけれど。


でも、危ないこともしないと、正しいこともわからない。だから、若い頃は冒険するのもいいんじゃないかと思っている。


年末に東京都の教育委員会が「東京都発達障害教育推進計画(案)」の骨子について意見を募集していたので送った。次回、詳しく書こうと思うけれど、「個性を尊重」なんていいつつも、あれこれ細かい決まりで縛るのが、今の日本の教育なんじゃないの?


ある時、外国の方に「どうして日本の子ども達は、小さい頃から塾に通ったり、勉強する時間は多いのに、外国語がしゃべれないの?私は遊ぶ時間が多かったから、いろいろな国の言葉がしゃべれます」と言われて黙ってしまったことがある。


確かにそうだよね、思ったからだ。それに、私のように自分の意見を曲げず、少々無謀なことをしたら検査を受けろと言われそうだ。


2015/08/24

遠州の小京都 静岡県森町 その3 『やまめの里』

息子がどうしても「釣りをしたい」と言うので釣り堀を探す。川もあるし、自然がいっぱいだからすぐに見つかると思ったら、中心地からかなり離れた山奥に「やまめの里」という釣り堀があるらしい。早速車を走らせた。





大河内清流 やまめの里 公式サイト


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  • 釣り料金 ¥2,000-(5匹まで、竿、餌付、時間制限なし)

  • 場内美化協力費 ¥150-(小学生以上)

  • 焼き代 ¥500



案内板にあった道は、土砂崩れがあったため通行止めで通れず、細い山道を行くことに。天気も悪いし、本当にこんなところに釣り堀があるのかと思っていたけれど、ついてびっくり。公式サイトよりも雰囲気がとてもからだ。釣り堀は2つあって、入ってすぐの大きいほうの池で「ニジマス」、奥の少し小さな池で「やまめ」が釣れる。こちらは駐車場の近くにある「ニジマス」の池。


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私達は「今、放流したばかりだから」と、「やまめ」をすすめられた。


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やまめの釣り堀から、ニジマスの池をみたところ。


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「やまめの里」は入場料が1人150円。釣り竿もエサ付きで2000円ととても安い。バーベキューも、持ち込みでできるようだ。釣りをしない私におじさんが「奥に太田川の源流があって泳げるように整備してあるから、みてくるといいよ」と教えてくれたので早速行ってみることに。12月の紅葉のシーズンには、いつも来てくれるお客さんにハガキを出して、イノシシ鍋や芋煮などをご馳走するそうだ。釣り堀というより、キャンプ場という感じだから紅葉の時期はきれいだろうな、思いながら川のほうへ。


こちらが川の入り口。


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確かに、雨が降っているのに透明度があってとてもきれい。


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家の近くで見かけるカエルとちょっと違うかも。


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河原に降りてみるとまさに『源流』という言葉がぴったり。ここなら小さい子どもでも遊べるな、いいな、と羨ましく思う。

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川から釣り堀をみたところ。


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釣り堀に戻ると、放流したばかりだから順調に釣れている。


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きれいなチョウがお花にとまって密を吸っているので、パチッ。


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5匹つれたのでお終いに。炭火で焼いていただくことに。


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一匹おまけしていただいた。


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やまめをさばいていただき、炭火で焼いていただいたのに、魚は竿代に含まれているから私達がお支払いするのは焼き代の500円だけ。香ばしくでとてもおいしかった。魚の骨が苦手な息子も喜んで食べていた。


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今度は紅葉の時期にきてみたいな、と「やまめの里」を後にする。

2015/08/21

遠州の小京都 静岡県森町 その2 『大洞院(だいどういん)』 森の石松のお墓

遠州の小京都 静岡県森町 その1 『小國神社』 の続き


次に「森の石松のお墓」があるという『大洞院(だいどういん)』というお寺に行くことに。





私は「森の石松」というお名前を知っているけれど、「森の石松」が何をした人なのかよく知らない・・・。Wikipediaで調べるとこのようにかいてある。私はこの説明を読んで、「森の石松」の「森」とは、静岡県の森町のことを指しているということをはじめて知った。


森の石松 Wikipedia


森の石松(もりのいしまつ、生年月日不明 - 1860年7月18日(万延元年6月1日))は、清水次郎長の子分として幕末期に活躍したとされる侠客。出身地は三州半原村(後の愛知県新城市富岡)とも遠州森町村(後の静岡県周智郡森町)とも伝えられるが定かでない。浪曲では「福田屋という宿屋の倅」ということになっている。森の石松の「森」とは森町村のことである。半原村説では、半原村で生まれたのち、父親に付いて移り住んだ森町村で育ったという。



『大洞院』は小國神社のすぐ近くにある。お墓はお寺の外、駐車場のすぐ側にあり、このような大きな目印が。


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森の石松というと賭け事に強いイメージがあるようだ。お墓の側にある看板にかかれた説明文を読むと、今あるのは新しいお墓だそう。墓を削ってお守りにする人が多いから、お墓がどんどん小さくなってしまったそうだ。天国の石松さんは、これでは落ち着かないかもしれないなぁ・・・と思いつつお寺の中へ。


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お寺に続く入り口の脇には、小さな川が流れていて赤い橋がかかっている。


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駐車場の反対側から橋をみるとこんな感じ。


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大洞院は曹洞宗のお寺だそうだ。階段を上るとお地蔵様が。


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こちらが本堂のようだ。


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本堂を違う方角からうつした写真。


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境内には他にも古い建造物が。


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のぼってきた石段を振り返る。


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石段を下り、脇にある池を通って駐車場へ。


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2015/08/19

遠州の小京都 静岡県森町 その1 『小國神社』

静岡県東部にある夫の実家に帰省した時に、森町に遊びに行ってきた。静岡茶の産地として有名な町だ。





森町は山に囲まれた小さな山里で、町には静岡茶や和菓子の店がたくさんある。私はお茶と名物の『梅衣』という和菓子を買いに行ったことしかなかったので、てっきり森と山ばかりの町かと思っていたら、そうじゃないみたい。古くからの町並みが残り、昔から『遠州の小京都』と呼ばれてきたそうだ。「サクラさんの好きな古い神社やお寺がいくつもあるから、出かけてみるといいよ」とすすめられ、行ってみることに。


(※ 森町の公式サイトで観光地図がダウンロードできます↓)




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はじめに向かったのがこちらの小国神社。『森町』というと『小國神社』というほど有名な神社だそうだ。




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御祭神、大己貴命(おおなむちのみこと)は別名大国様(だいこくさま)とも呼ばれ、神話の中でも「因幡の白うさぎ」を助けられた「心の優しい神さま」として親しまれております。

創建から1400余年、悠久の時の中で徳川家康をはじめとする数々の武将からの篤い信仰を受けるとともに、人々から「遠江国の守護神」として国土開発・諸業繁栄・商売繁昌・家内安全など古くから篤い信仰を集めてきました。


神社の参道の脇にある案内板。『因幡の白ウサギ』という神話で有名な『だいこくさま』をおまつりしていると書いてある。


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駐車場のすぐそばにある、一の鳥居の横にあるお土産屋さん。お茶を売っている。


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こちらが神社の入り口にある一の鳥居。


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参道は森に囲まれている。公式サイトによるとおよそ30万坪もある広大な森だそうだ。


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少し歩くと左側に『手水舎(てみずや/ちょうずや)』が。


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こちらは御神木の大杉。


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樹齢1000年と言い伝えられているそうだ。残念ながら、昭和47年の台風で倒れてしまったそう。


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二の鳥居をくぐり、拝殿へ。


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参拝をする。


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小国神社は明治15年火事で焼失したそう。拝殿の横をみるとわかるように、それでも趣のある古い建物だと思う。


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拝殿の側には『打ち出の小槌』が。


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もう一度森の中の参道を通って駐車場へ。


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こちらはお参りした後に願掛けをすると願いが叶うといわれている『事待池(ことまちいけ)』。


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事待池(ことまちいけ)境内の自然|境内・施設|遠江國一宮 小國神社


本社に詣で願掛けをして「事のままに待ち」心願成就すれば池に鯉を放ち神恩感謝の意を表わす慣わしから「ことまち池」といわれています。

また、神さまのご加護が宿った御神水として池の水を汲み「いぼ」につけると「いぼ」がとれるという言い伝えから「いぼとり池」ともいわれています。

2015/04/24

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 終わりに

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その6 の続き


『八甲田山雪中行軍遭難資料館』の記録の整理がやっと終わった。途中で後悔するほど大変だった。


八甲田ロープウェー株式会社

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でも、あれは、八甲田ロープウェーの駅の待合室で一人ですわっている時だった。上品なおばさまとお友達が私に話しかけてきた。


「私は八甲田ロープウェーの株主なの。ここに株主優待券が一枚あるから、よかったら使って。どうぞ」。


私はびっくりしてしまった。ロープウェーは高価な乗り物だ。周りには私の他にもお客さんも何人かいるし・・・。


すると隣にいた男性が私にこういう。「僕たちもどうですか?と言っていただいたけれど、皆シーズン券を持っているんだよ。せっかくだから使ったら?」。


結局、有り難く使わせていただくことにした。


本当は、コースの途中で転んで「助けて〜」と叫んで、すぐ後ろにいた男性に両板をはずしてもらったばかり・・・。怖くなって「もう二度と行きたくない」と思ってすわっていたのだ。


でも、再びチャレンジすることに。もしいただかなかったら、二度と滑らなかったかもしれない。


今度はさっきとは違うコースを滑った。


すると、ちっとも怖くなくて「ああ良かったな」と思った。せっかく青森まできたのに、帰ってしまうところだった。


だから、何かお礼ができたらいいな、と考えた。


八甲田ホテルについて書いたら、アクセス数が結構あった。


青森県八甲田山へ その3 『酸ヶ湯温泉』と『八甲田ホテル』


ホテルを選ぶ時に、個人の旅行記のほうが参考になる。私も、大きな旅行会社のサイトでなく、一般のお客さんのブログの写真などをみて、宿泊先を決めている。なぜなら、ホテルのサイトなどに掲載されている写真はプロがとっているから、実際よりもよくみえることがあるからだ。行ってみると、がっかりすることも。


八甲田山は夏も冬も自然が豊かでとてもよいところだ。もう一度絶対に行ってみたいと思う。その八甲田山を訪れた人が必ず立ち寄るのは、このロープウェーだと思う。待合室では高倉健さんの映画を流しているし、撮影の時の写真も展示してある。


『八甲田山雪中行軍の遭難事故』から学ぶことは今でもたくさんある。


軍隊という組織は、上官の命令には従わないといけない。遭難した神成大尉の悲劇は、今の官僚制度など、大きな組織が背負う運命に通じるものがある。組織に属してお仕事をしている方がみたら、胸に迫るものがあるのかもしれない。


息子のような子供がみたら怖いかもしれないけれど、私の歳になると、また違った感情がわき起こる。


無事帰還した福島大尉も、再び戦地に赴き40歳という若さで戦死してしまったからだ。結婚したのが37歳だから、結婚生活はたったの3年間。


幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その6

明治36年(1903)10月に山形補正第三十二連隊第十中隊長として山形に転任し、翌年10月に日露戦争に出征しました。明治38年(1905)1月28日、「黒講台の会戦」にて、降りしきる雪の中、指揮中に敵の砲弾を頭に受け壮烈な戦死を遂げました。40歳でした。

福島大尉は、同日付で陸軍少佐に昇進し、十六位に叙され、勲四等・功五級を受けました。



好きで死んでいくわけではない。


青森の地元の方は、「ソリなんて、猛吹雪の八甲田山では無謀だ。雪山を知らなすぎる」と今でもおっしゃる。しかし、当時のロシアの脅威を考えれば、戦争を想定した訓練という発想は、必ずしも無謀ではなく、むしろ必然だったように思う。


それではどうすればよかったのだろうか。


私には戦争という紛争解決手段に、そもそも限界を感じている。福島大尉のような日本の未来を背負うべき優秀な人材が、結局は戦場でちっていかなければならないからだ。


実際に当時の記録を目にすると、軍人さん達一人一人の想いが、伝わってくるようだ。命の重みを感じずにはいられない。


ぜひ、多くの方に、『八甲田山雪中行軍遭難資料館』にも足を伸ばしていただければ、と思います。