2017/10/01

ご遺族を支える活動

●残されたご遺族のために私がしてきたこと

前回書いたように私は『周産期医療の崩壊をくい止める会』という任意団体で、お手伝いをしていたことがある。


この会は現役の産科医が逮捕起訴された、『福島県立大野病院事件』をきっかけに作られた会だった2008年の無罪判決確定後は、お産でお母さんを亡くしたお子さんや夫に対する支援を行うために募金を広く呼び掛けた。


ところがいざ支援活動が始まると思い描いていたものとは違って行った。ブログで何度か触れたように『くい止める会』が社会に向けて積極的に行った活動は、宋美玄氏の『妊娠の心得 〜いつかお母さんになるあなたへ〜 』や熊田梨恵氏の『救児の人々』を出版することだったからだ。


私は会のあり方に次第に疑問を持つようになり、度々衝突した。


ご遺族の中には心療内科などに通院して方がいらっしゃるのに、「医療には限界がある」というような医療者の側に立った発言だけが広く社会に伝わっていったからだ。特に2011年に女性セブンで始まった宋医師と熊田氏の対談「宋美玄の命の白熱教室」には心が痛んだ。ご遺族はお金を受け取ったことを後悔するんじゃないかと随分と悩んだものだ。




あれから私は活動から離れたが、今でもご遺族のために続けていることがある。


ブログに気になる事件や事故の報道を、記録しておくことだ。


先週の月曜日、羽田空港に行ってきた。


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私がこのブログに、ある事件の被害について書いたところご遺族が見つけてくださって、私に会いたいとおっしゃってくださったのだ。


羽田空港で遅い昼食を取りながら、いろいろなお話を伺った。


私が驚いたのはご遺族が私のブログを印刷して、公的な機関に陳情する際に使って下さっているということだった。


だから最近ブログの閲覧者数が急増しているんだ。


一番届いて欲しい方々のところに届いていたようで私も嬉しい。


●私がブログに、事件や事故の記録を残す理由

テレビや雑誌の報道は出た瞬間は、パッと注目を集めるが、それっきりで終わっていくことの方が多い。けれどたとえ数分、数行の報道であっても、一つのニュースが世に出るまでには様々な人たちの苦労や涙がある。一つ一つは細切れでも、やがて一本の線に繋がり大きく社会を動かすこともある。


ネットに文字に起こしておけば、全く知らない人が、何かのきっかけに関心を持ってくれるかもしれない。



●今まさに、失意の中にある方に届いて欲しい

あるいは記録しておけば、今まさに同じような事件や事故の被害者になった方が検索してたどり着くかもしれない。


生きる希望を持って欲しい。


「一人じゃないからね」


「諦めるのはまだ早い」


「もう少しだけ頑張ってみようよ」


今まさに失意の中にある方に、そんな言葉が届けばいい。


とにかく多くの方に被害者の悲しみや苦しみを知って欲しくて、いろいろな可能性にかけ試行錯誤してきた。


ご遺族が印刷した私のブログ記事を見せてくださった時に、衝突した時のことが走馬灯のように思い出された。色々なことがあったけれど、今日まで続けてきて良かったと思った。


この日は、青空がどこまでも続く良いお天気だった。亡くなった方の死が無駄にならないよう、これからもニュースが続くよう、天国にお願いした。
2016/10/26

<大川小訴訟>石巻市と県に14億円賠償命令 先生のいうことを信じてばかりじゃダメ! その2

(※ 2015/03/27に掲載した記事を、再掲載しています)

『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』 を読んでいる。


あのとき、大川小学校で何が起きたのかあのとき、大川小学校で何が起きたのか
(2012/10/24)
池上 正樹、加藤 順子 他

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プロローグを読むと意外なことに著者のお一人、池上正樹氏が取材をはじめたばかりの頃、この悲劇に対する印象はこうだったそうだ。


「学校の教師達も子どもを助けようとして一生懸命だっただろうし、裏山への避難は危険だったからやむを得ず三角地帯に向かったという話を聞いているから、これは想定外の事故であり、誰も責められないのではないか」



ダイヤモンド・オンラインの連載を読むまで私もそうだったし、今でも多くの方が同じように思っておられるのではないだろうか。


ダイヤモンド・オンライン 大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~


しかし、連載を読み進めていくうちに、私が思っていたことが事実と異なることを知る。行政や学校そして教育委員会、さらには文科省の対応も、どこか今の日本という国を象徴しているような気がしてならない。誰も責任をとらない、見て見ぬ振りし、問題を先送りしてしまうなどだ。


3月11日に息子が言っていた。隣のクラスの先生は、大川小学校のあった場所を訪ね、この悲劇の話を皆に話したそうだ。


少しばかり意地悪な気持ちで、息子に私はこう尋ねた。


「それじゃあ亡くなった子ども達はどこで津波に襲われたのか知っている?先生は何ていった?」


「逃げている途中に津波がきたから・・・一生懸命逃げたけれど助からなくて、先生も子ども達も大勢死んじゃったんだよ」


「私もはじめはそう思っていたけれど違うみたいだよ。大川小学校に津波が来るまでの1時間弱のうち、実際に逃げたのは何分ぐらいか先生は教えてくれた?」


「わからない」


「考えてみてよ」


「30分か40分」


「ほとんど逃げていないの。地震がおきて津波がくるまでの50分もの間、校庭にいたんだよ。『早く山に逃げよう』と、先生に言った子供もいたのに、『校庭の方が安全だから』と先生に言われ連れ戻されたという子どももいる。裏山は急で子どもでは登れないのかと思っていたら、大川小学校では、しいたけ栽培を裏山でしていたんだって」


息子は言葉を失っていた。


この日、私が息子に伝えたこと以下のことだ。


●逃げたのは津波が来る1分前

子ども達は50分間も校庭にいて、津波到達の1分前に避難を開始した。津波に襲われたのは校庭。


●子どもの証言 『早く山に逃げよう』と言った

助かった児童が「『先生、早く裏山に逃げよう』と言ったのに、先生に連れ戻された」と証言している。


●裏山でしいたけ栽培をしていた

『裏山は急斜面があって登れない』と私は思い込んでいた。しかし大川小学校の子ども達は2007年頃まで裏山でしいたけ栽培をしており、体育館裏の斜面なら、低学年でも登れることがわかっていた。


●スクールバスが待機していた

大川小学校にはスクールバスがあり、学校前の県道にはスクールバスが待機していた。


●校長先生の対応

校長先生は、皆が必死に捜索している時に、現場にほとんど来ていなかった。


●助かった先生は本当のことを言っていない

学校にいた教職員11人のうち、助かったのは男性教諭1人だけ。しかしその先生は、本当のことを証言していないと思う。

なぜなら、「(先生の言っていることは)違う」という住民の証言が複数あるし、もしも先生の証言が本当だったら、科学的に説明のできない事実が判明しているからだ。(先生が上着のポケットに入れていた携帯電話が、先生の証言通りに津波に巻き込まれて濡れていたら、メールを送ることはできないなど)

先生はおそらく、津波が来る直前に裏山に逃げていて、山の上から津波が学校に押し寄せるところをみていたと思われる。


●報告書には重要な事実が抜け落ちている

教育委員会や学校は、聞き取り調査を録音せずに行い、自分達に不利な内容の証言を報告書に記載しなかった。それどころかメモを破棄してしまった。「先生が山から学校を見ていた」のなら、これらの行政の不自然な行動に説明がつく。


●大川小学校だけが多くの犠牲者を出している

大川小学校のある釜谷地区はこれまで一度も津波が到達した記録がなく、ハザードマップの浸水域からも外されていた。そのため住民の中にも津波がくるとは考えていなかった方が大勢いたそうだ。だから、先生や市に危機意識がなかったとしても仕方がないかもしれない。

しかし、近隣の被災地の小学校では犠牲者が出ていないのに、大川小学校「だけ」が多くの犠牲者を出している。この事実は重い。


●訴えておられるご遺族の中には、教員がおられる

裁判で闘っておられる親御さんの中には教員がおられる。石巻市は都会と違い、何かとしがらみが多い地方都市だ。教員という立場で、学校や教育委員会を訴えるには、余程の理由があるのではないのか。



「なぜ時間があるにも関わらず、逃げられなかったのか」ーーーーーその疑問は本を読み進めるうちに次第に大きくなっていった。亡くなった方々のためにもその原因を明らかにするべきだと思う。それが教育であり、教育者の使命ではないのか。


これは本の冒頭にある、池上さんの言葉だ。


「不思議なことに学校管理下でこれだけ多くの犠牲者を出しながら、行政はその原因に目を向けることなく重く受け止めてきた形跡がない。主体となる学校や市教育委員会などの組織の責任の所在は総括も処分もないまま置き去りにされ、ずっと曖昧にされてきている。それどころか、本来速やかに情報を公表していかなければならない立場の責任を有するはずの当事者たちは、どこかふわふわ楽観的で他人事のように受け止めているとしか思えない」



「隣のクラスの先生は先生だから、学校や先生の悪いことは言わないのかな。


一人だけ助かった先生がいるんだけれど、その先生はどうやら本当のことを言っていないみたいなの。同じ町の人達が何人も、その先生が言っていることは『違う』と証言しているのよ。


教育委員会や市の人達に言わないよう、口止めされているのかもしれない。学校や、先生の責任にされたら困るとか、いろいろ事情があるのかもしれない。


その他にも、市の報告書に書いていることが事実と違う。メモなどの大切な記録が捨てられたりしているの。


でも、大川小学校だけが、学校で大勢の死者を出してしまっているんだよ。大きな地震だから『仕方がない』でいいのかな?


亡くなった子ども達は、本当のことを知って欲しいと思っているじゃない?本当は『早く山に逃げよう』と先生にお願いした子どもが何人かいたのに、大人が黙っていたら言っていないことにされる。先生だって、何人も亡くなってしまったから先生を責めているんじゃないと思う。


そうじゃなくて、本当のことを知ってもらわないと、もし自分だったら『悔しい』と思わない?」


『我が子の死に、意味を持たせて欲しい』と訴えておられるご遺族の気持ちが、私には痛いほど伝わってきた。


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大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは | 大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~ | ダイヤモンド・オンライン より引用


実際に、聞き取り記録や事故報告は、遺族側から、調査の矛盾点の指摘を受けて、変遷を繰り返している。
 

 市教委は、震災から1年以上にわたって、校庭から子どもたちが「避難をした」と説明していた。


 2011年6月4日の説明会では、“避難”開始時刻は、「午後3時25分頃」。それが、2012年1月22日説明会では「午後3時30分頃~」に変わり、1年後の2012年3月18日には「午後3時35分過ぎ」となった。


 遺族の追及によって、実際には避難と言えるような実態ではなく、津波に襲われる1分ほど前に「逃げ始めた」といったほうが正しかったことが分かったのだ。


 校庭から避難をしなかった理由については、裏山に倒木があったためとしていたが、それも「倒木があったと思われる」と、市教委は途中で説明を変えた。


 また、児童が教諭に向かって「山に逃げよう」と言っていたという児童たちの証言が、調書にはひとつもないのに、説明会での指導主事からの説明の中には出てくるという不審な点もある。


 さらに、重要な資料を、長期間公表しなかったという問題もあった。


 唯一生存したA教諭が保護者宛にメッセージを綴ったファックスを、市教委が公開したのは受け取ってから7ヵ月以上も経ってからだった。また、震災から5日後という直後の時期に、当時の柏葉校長から聞き取った被災状況の調書が存在することが、私たちの情報公開請求で分かったのは、震災から1年2ヵ月が過ぎた2012年5月18日だった。


 このように、震災直後に市教委が混乱していた、という理由だけでは説明がつかない重要事項が、疑問の残る形で公文書に残されてきたり、あるいは、ないとおかしいことが、なぜかなかったことにされてきたりした側面がある。



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2015/02/07

『私はシャルリではない』 テロと真の友情

これまでのことを駆け足で書いてきた。最後になぜ今、こうしてブログを書くことになったのか書いておこうと思う。


2008年、私は県立福島大野病院事件の後にはじまった『周産期医療の崩壊をくい止める会』の募金活動に参加した。


私は当初から一環して「医療が崩壊するから、萎縮するから、訴えてはいけない」などと思ったことはなかった。なぜなら、裁判に訴えないと救済されない被害者がいることを知っていたからだ。


募金活動とは、残されたご遺族とお子さんのための活動だ。無罪が確定した後は、医療者の側でなく、ご遺族とお子さんの方を向き、その方々のために何かしていくのだと思っていた。


でも私が思い描いていたような活動は、社会に見える形で行われていただろうか?ワクチンのキャンペーンなどは、あんなに熱心に行われたというのにーーーーー


あるとき、ご遺族がネットに書き込まれた医療者からの心ない書き込みに、精神的なショックを受けていることを知った。


私はたまらくなって言ったことがある。「こういうことをやめようと医療者に呼びかける活動もしましょうよ」。けれど、その話は全くすすまなかった。


「裁判は医療崩壊を加速させる」「裁判では真実が明らかにされない」というのなら、裁判をしなくていい方法を考えなくてはいけないはずだ。それをせずして、救済の道を閉ざしてしまうのなら、人権を侵害する行為だ。


「もしもお金を渡すだけなら、それこそ水俣病の見舞金契約みたいです」と訴えたこともあった。


私がわざわざ書かなくても、募金活動が、社会に知られていないことが何よりの証だ。社会を変えるとか、広めるとかいうのなら、まずは小さなことでも、歩み寄るなり、変わらないといけないんじゃないの?


私は今でも、苦悩に満ちたあるご遺族の姿が忘れられない。お金を受け取ったことで、かえって心に負担になったんじゃないかと思っている。だから、せめてもの償いに、こうしてブログを書き始めた。


先日、石原先生のブログに、私が思ってきたような記述を見つけた。こういう批判は、当時から医師の友人達にはよく言われていたけれど、時代の空気に流されず、ここまできっちり書いておられるのは、やはり石原先生だからだと思う。


石原先生は決して極端な意見を述べておられるわけではない。


私は友人の医師からも批判されたこともあったし、「大野病院事件を医療崩壊のプロパガンダに利用しただけじゃないか」と怒られたこともあったからだ。


何も言い返せず、その度に私は頭を下げていた。


今はあの当時の熱気が嘘のように、冷めている。大野病院事件を知らない人の方が圧倒的に多い。


それでも時々思う。もしも何か形になることが少しでもできていれば、状況はまた違っていたはずだ。石原先生の「権力のある側が被害者意識を振りかざしたらそれは一種の脅迫になるんですよ」「医療者は患者さんに対しては権力者でもあるんですから」という言葉はその通りだと思う。


先週NHKクローズアップ現代『“分断”の危機は避けられるか ~仏テロ 広がる波紋~』をみた。フランスのテロ後の様子を取材した特集だ。


番組の中で、少数派のアルジェリア系移民の男性の苦悩が取り上げられていた。フランス人の友人に信仰するイスラム教について語れば語るほど彼は孤立するのだ。彼がいくら言葉を尽くして友人達に語りかけたところで、「でもここはフランスだから、表現の自由がある」でお終い。

※    ※    ※



NHKクローズアップ現代『“分断”の危機は避けられるか ~仏テロ 広がる波紋~』


フランス全土で370万人が参加して大規模なデモが行われました。
参加者たちが掲げた「私はシャルリ」。表現の自由への支持の表明です。

女性
「表現の自由を守りたいからここに来ました。」

テロ事件からまもなく1か月。今も街の至る所で私はシャルリのスローガンが掲げられています。

「私はシャルリではない。」

一方で、割り切れない思いを抱えている人たちもいます。イスラム系移民たちです。300人が集まり、イスラム教徒は尊重されていないと声を上げました。

シャルリ・エブドは、イスラムの教えで描くことが禁じられている預言者ムハンマドの風刺画をたびたび掲載。告発しても、司法当局は「表現の自由」の範囲内だとして退けてきました。事件をきっかけにイスラム教徒の不満が噴出したのです。

「反イスラム主義と私は闘う。政府は我々を救わない。」

この表現の自由を巡る価値観の違いが、フランス社会に大きな溝を作っています。アルジェリア出身のイスラム教徒、ユネス・シャウイさんです。友人との会話ではシャルリ・エブドがいつも話題に上ります。

ユネス・シャウイさん
「預言者ムハンマドが裸の姿で描かれたら、それはとんでもない侮辱です。」

「でもそれを止めさせることはできない、表現の自由があるんだから。」
イスラム教徒ではない友人とは、いつも議論は平行線となります。

ユネス・シャウイさん
「そんなに過剰な“表現の自由”は必要ですか。」

「イスラム教を知らないフランス人には侮辱ではないのよ。」

ユネス・シャウイさん
「侮辱は侮辱です。」

「生っ粋のフランス人にとっては違うのよ。」



※    ※    ※



父の会社が、テロに巻き込まれたというのに、私には、彼の気持ちもよくわかる。


テロを生み出す構図は、『反ワクチン』『反医療』と呼ばれる人達を生み出す社会の構図にそっくりだと思ったからだ。


ワクチンや薬に不信を抱くには、様々な要因が重なる。10人いれば、10人違う場合だってある。御自身や家族が、薬やワクチンの被害にあって、ワクチンが嫌いになった人もいるだろうし、医療機関で嫌な思いをした経験がある人だっている。単に些細な、ボタンの掛け違いで不信を抱く場合だってあるだろう。


それらを一切考慮せず、一方的に「カルト」などと決めつけ、強い口調で非難する医療者は、 石原先生のいう「正義を振りかざす」という表現がぴったりだと思った。


なにより私は不思議でならない。


2010年6月6日の日経新聞朝刊に掲載された記事には、このように記されている。「医療者、患者側の双方の声を公平に聞き、対話を促す。そのプロセスにこそ、真の救済があると信じるからだ。人として、どちらからも信頼されること。それがもつれた糸を解くカギとなる。」ならば、「侮蔑的表現をやめよう」と、なぜ誰もおっしゃらないのだろうか。


私が訴えた募金活動の精神とは、言葉や文化の壁を越え、手を結ぶ真の友情。まさにこのようなこと。


※    ※    ※



内戦状態でも撤退しなかった日揮「アルジェリアの真の友人」 ニュースポストセブン

アルジェリアでは1969年にアルズー製油所プロジェクトを受注・成功させた。それを機にアルジェリアで信頼を得て、以来40年あまり、関係を深めてきた。

アフリカ北部に位置するアルジェリアは、1989年に民主化されたが、1990年代からイスラム過激派によるテロが深刻化し、軍との間で内戦に近い状態に陥った。1999年以降、内戦は徐々に収束していったが、混乱の中でも日揮は撤退せず、工期を守ってきた。それゆえ「アルジェリアの真の友人で、いかなる困難に遭遇しても必ずやり抜く会社」とさえ評されているほどだ。



※    ※    ※



あれほど、私はワクチンを有り難いと思い、啓発だって熱心にやってきた。しかしその私から『心』が消えたのだ。


その事実をどうか重く受け止めて欲しい。


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福島県立大野病院事件についての私見 六号通り診療所所長のブログより一部抜粋

(略)

福島県の大野病院の事件がありましたね。

29歳の女性が、
帝王切開の手術中に、
大量出血を起こして亡くなったのです。

その2年後に、執刀した産科の医師が、
警察に逮捕され、裁判になりました。

産婦人科医の学会を初めとして、
医者の団体が全国的な抗議行動を展開。
錚々たる専門医達が被告医師の証人として出廷。
被告医師の医療行為の正当性を証言しました。
一方で検察側の証人として証言をする医師は、
殆どいなかったのです。

先週に地方裁判所の判決が出て、
被告医師は無罪となり、
学会の偉い先生は、
「これで医師が不当に萎縮し、
あるべき医療が行なわれないような状況が回避された」
と、勝利宣言のようなコメントをされました。

この事件のために、医療崩壊が進み、
産科医不足が深刻になった、
みたいな発言をされる方も複数いて、
そうした記事も出ています。

何よりも、診療中に逮捕されたのが不当だとして、
「医者の聖域が土足で汚された」、
みたいなことを言われる先生もありました。

僕は医者ですから、
本当はそうした意見に賛成するべきなのかも知れません。
でも、何かこうした発言には違和感を覚えます。

そんな大層なものですかね、医者の診察というのは。
それが本当なら、患者さんは皆、
ひれ伏して医者の診察を受けなければなりません。

(中略)

この事件に関してだけ言えば、
結果的に死を招いたこの医療行為の必然性については、
難しい問題ですよね。
治療方針を切り換える時期が少し早かったとしても、
違う結果が出たかどうかは、
何とも言えないでしょう。
でも、何度か決断を変えるタイミングがあったことは事実だし、
その結果として別のより良い経過のありえたことも、
また事実ではありますよね。
判決でも、
「判断が全て正当だった」、
とは言ってはいないのです。

それを、
「絶対に正しい」、と言わんばかりの偉い先生方の発言は、
ちょっと乱暴過ぎやしないでしょうか。
「専門の俺様の言うことにケチをつけるな。
医療にはリスクがつき物なんだよ。
そのくらいのことは覚えときな」、
みたいなニュアンスを感じますね。

「これで有罪になったら、医療は萎縮して、
誰も危険な手術なんてやらなくなるぞ」、
というのは、確かに意味は分かりますけど、
一種の脅迫ですよね。
そんなことを言われたら、
誰も医者に文句なんて言えなくなるじゃないですか。

「この事件で医療崩壊が進んだ」、
なんて言うのは、いくらなんでも言い過ぎですよ。
そんな大層なことを言う根拠が、
一体何処にあるんですか?
確かに医者叩きのマスコミの報道は酷いと思いますよ。
でも、医療者は患者さんに対しては権力者でもあるんですから、
そのことを忘れてはいけません。

権力のある側が被害者意識を振りかざしたら、
それは一種の脅迫になるんですよ。
「そんなにぐちゃぐちゃ文句を言うなら、
もう診てやらないよ」、
と言うのと同じ意味になるんですから。

違いますか?

この問題はね、
本来はもっとパーソナルな1人の医者と1人の患者の問題として、
処理されるべきものだったのだ、
と僕は思います。

それが、検察や警察の側が行き過ぎた権力を振りかざし、
それに対して今度は医療者の側が、
医療者の権力を振りかざして、
応戦した訳です。
一種の権力闘争ですね。
戦争と同じ醜い理屈です。

それで誰が犠牲になったんでしょうか?

亡くなった患者さんのご家族と、
被告の医者本人じゃないんでしょうか。
双方とも、こんな大事になることを望んでいたでしょうか。
そんなことはなかった、と僕は思います。

亡くなった患者さんのお父様が、
会見をされていましたね。
初めて実名を明かして会見された、というところに、
お父様の覚悟のようなものを感じます。
今1番辛いのは誰ですか?
このご遺族じゃないんでしょうか。
そのお気持ちを考えたら、
「医療の正当性が守られた」、なんて、
口が裂けても僕には言えません。

何かボタンの掛け違いのようなものが、
あったのだと思うんです。
人間同士のことですからね。
すぐにきちんとした説明がなかった、とか、
誰かが心無い一言を口にした、とか、
情報を隠されたと感じた、とか、
ひょっとしたらもっと些細なことかも知れません。
でも、医療行為そのものとは違って、
確実に回避出来た種類のことです。
被告の医師も、その点については反省されている何かが、
きっとある筈です。

医療崩壊を防ぐためには、
その反省されている何か、の方が、
今回の無罪判決や専門医の声よりも、
ずっと大切なことだと思うんですが、
皆さんはどうお考えになりますか?


*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*


神奈川県に在住の被害者のお母様のブログ


マグロちゃんの入院でわかったこと  2015-02-06


マグロちゃんはちょうどステロイドパルスの治療開始から1年が経過しました。


4回のパルス治療を受け、現在は点滴治療を定期的に続けながら過ごしています。


症状は改善してきて、以前のようなひどい脱力や、不随意運動が24時間何日も続くことはなくなりました。


症状には波がありますが、毎日学校に通い、高校3年生のマグロちゃんは1月末の学年テストも無事終え、2月からは自由登校となり、後は卒業式を待つだけとなりました。


去年の今頃は卒業ができることなんて考えられませんでしたが、様々な方々に支えられここまできました。


感謝です。


ちょうど1年目ということもあり、脳の血流異常が起こっていないかということと、障害者申請のための測定が必要となり今回入院し検査、測定をしていただきました。


以前の時と同じに血流が悪い側頭葉部分はあまり変わらずでしたが、全体的に見れば昨年7月測定時と変わらない安定した状態で、悪化は見られませんでした。


ホッと一安心でした。


障害者申請の計測では瞬間的筋力はあってもそれを維持するだけの筋力がないことがわかりました。物を持っていても徐々に脱力し震えが出てしまいます。


認定はきっと難しいのかもしれませんが、HPVワクチン接種後にこういった被害(症状)が出るんだということを多くの方に知っていただきたい、接種した自治体や国に知ってもらうことも大切だと思うので申請することにしました。横浜市では話し合いがされ、さらなる調査と計測をして欲しいと連絡が来ました。


そうやって話し合われていくことで症状に対する理解も増えてくるといいなと思います。


しかし、瞬発的な筋力があってもそれを持続させる筋力がなければ、やはり普通の生活をするのはなかなか困難であるとおもいますが…


横浜市の判断はどうなるでしょうか?そして突然現れる大きな不随意運動や瞬間的全身の脱力症状の判断は…


難しいでしょうね。


入院して病院の先生と話してわかったことは、マグロちゃんの遺伝子は免疫機能の暴走を止めるのが弱い遺伝子であるということ。そしてその遺伝子は、日本人の40%が持っているということ。


HPVワクチンは海外での治験結果によって導入され、日本での治験結果は不十分なままでした。マグロちゃんのような遺伝子を持つ日本人が40%もいるのに海外のデーターによって日本で接種されたことはリスクが高くなると思います。そして10代で接種することでより抗体反応が高く出る。


また多くの被害を訴えている方たちは、2011年の震災後に接種した方たちではないだろうかという話も聞きました。


このHPVワクチンは温度管理が重要であった。震災後にその温度管理はしっかり行えていなかったのではないかという疑問が出てきた。計画停電もあり、一定の温度を保ちながらの製造、保管、移送はできていたのだろうか?薬液が変化していたという可能性もあるのかもしれない。


さまざまな角度から調査、検討して欲しい。


いろいろなことに気づき感慨深い入院となった。


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2014/11/14

亡くなった方を忘れずに 

私にはがんで亡くなった、外科医をしていた友人がいる。


毎年、命日にはお花をおくる。結婚記念日を忘れても、なぜか命日は覚えている。


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今から12年前だった。


前置胎盤による出血がなかなか止まらず入院していた時、妹がニューズウイーク日本語版を差し入れてくれた。妊娠と出産、そして子育ての特集だった。


妹に悪気はなかっただろう。


ただそこには、目をそらしたくなるような厳しい現実が書かれていた。1000g以下でうまれる超低出生体重児(未熟児)は、発達が遅れ、普通学級には通えない、目が見えない、心疾患のリスクが高くなるなど、障害を抱えるリスクが高くなるとハッキリ書いてあったのだ。


病棟の夜ははやい。明かりが消えると急に恐怖が襲う。


その日は一睡もできなくなってしまった。


真夜中過ぎ、見回りに来た看護師さんが私をみかねて「ここは学校じゃないんだから、テレビをつけてもいいんですよ」と言ってくれた。その言葉が嬉しくてテレビをつけた。


ちょうどある局でドラマの再放送をしていた。桐野夏生さん原作、女優の天海祐希さん主演の「柔らかな頬」というサスペンスドラマだった。


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何者かに4歳の娘を誘拐された孤独な母のストーリーなのだが・・・私は泣きたくなった。天海さん演じる母を助ける刑事さんが、「末期がん」という設定だったのだ。俳優さんの名前は覚えていないけれど、演技が上手くて末期がんの患者さんの気持ちになってしまう。テレビをみている私自身、明日どうなるかわからないから、俳優さんのセリフ一つ一つが重くのしかかるのだ。


「夜になると恐いんだよ。昼間はなんとかごまかせるんだけどさ」というセリフが胸に突き刺さった。


私の脳裏には、若くしてがんでこの世を去った友人の葬儀の光景が蘇った。


「君は、苦しい闘病生活の中で、いつも私達に気をつかっていた。いつも笑っていた」という医局の准教授が泣きながら読んだ悼辞の言葉に、参列した誰もが泣いていた。


私はたまたまみたドラマのセリフで初めて気づいた。


違う。


夜はこんな風に、死への恐怖と闘っていたんだろう。


翌日息子がうまれた。


何度も命の危機があった。超低出生体重児(未熟児)に未熟児網膜症はつきもので、息子も急激に悪化し失明するかもしれないと医師に説明された。毎週水曜日にレーザー治療を受けたが、なかなか安定しない。


不思議な夢を見たのはその頃だった。


亡くなったはずの友人が白衣を着て、聴診器をぶら下げて保育器の横に立っていた。私に「心配しなくて大丈夫」と笑っていた。


それから間もなくして息子は安定した。


私は、もしも息子が無事に退院したら、東北にあるご実家にお線香をあげに行こうと決めていた。


それから数年後。お母様にお目にかった時、夢の話をした。お母様は「あの子は天国できっと、大勢の患者さんに囲まれているでしょう」と泣いていた。


私は天国にも病院があると思っている。


先生は天国の病院で私たち見守っているだろう。

2014/11/06

午前7時ちょうどに着陸した『日本国政府専用機』と『社会貢献』

SNSというものはどこでどのようにつながっているかわかりません。時々、不思議な縁を運んできてくれます。 最近は声をかけていただく機会が増えてきました。


『WELCOME! 「こだわり映像作家の独り言」』 アルジェリア人質事件に思う [国際政治]

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2013年1月25日、アルジェリア人質事件の犠牲者の方々が政府専用機で帰国した日、NHKは朝のニュースでその様子を中継をしていました。私は不思議に思うことが一つありました。


ニュースがはじまった朝7時直前。まるで放送に合わせたかのように政府専用機が空港に姿をみせたのです。着陸したのは7時ちょうど。


私の思い過ごしではありません。『WELCOME! 「こだわり映像作家の独り言」』というブログに当時の様子が記されています。一部引用させていただきます。私は、2013年1月25日の大きな朝日を生涯忘れることはないでしょう。


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WELCOME! 「こだわり映像作家の独り言」ライフワークポリシーは「感動映像」 熱き想いを北の大地から発信 感動VIDEO BY  アルジェリア人質事件に思う [国際政治]


私は仕事へ行く間際にNHKのライブ中継で朝焼けの羽田空港に着陸する政府専用機の映像を拝見いたしました。

 重苦しい雰囲気の中でのライブ中継でしたが,朝焼けの悲しくも美しい太陽と政府専用機の翼に描かれた真っ赤な日の丸が亡くなられた方々への追悼の想いを象徴しているように感じられました。

 政府専用機は寸秒の狂いも無く午前07:00ぴったりに要人用のエプロンにその前輪を停止させました。

 この政府専用機は外務省の所管ではありますが運用しているのは航空自衛隊(千歳基地)の特別航空輸送隊の隊員たちです。http://www.mod.go.jp/asdf/sag/index2.html

 政府専用機は、エプロンで整列して待ち受ける遺族の皆さんや政府関係者に対して、定刻に到着するのが使命でありましょうが、私のソーラー時計の秒針が7時定刻を指すと同時に前輪車止めがかけられたのには本当に驚きました。

 政府専用機のクルーにとってはそれが亡くなられた方への哀悼の意を表する最大限の務めであったのだと思います。



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夫の友人には、航空関係の機密に関わる仕事をされている方がおられるそうです。その友人がファイスブックを通じ教えてくれたそうです。


「朝のニュースがはじまる7時ジャストを狙って着陸させたんだよ。航空自衛隊のパイロットは、そういう高度な操縦技術をちゃんと持っているんだよ」


夫にその話を聞いた時、いつかみた光景が頭をよぎり涙がこぼれました。


航空自衛隊浜松広報館で見た光景です。


広い滑走路を、もくもくと走る隊員の姿でした。夫の専門である運動生理学は軍隊のトレーニングと深い関係のある学問です。「いつもの訓練だけじゃ足りないから、ああやって暇を見つけては皆自主的にトレーニングをしているんだ。そうやって、自衛官は国民を守っているんだよ」と私に教えてくれました。


自分の目で確かめようとせず、漠然と「自衛隊は戦争をする悪い人」と思い込んでいた私は恥ずかしくなりました。


父は、外務省に「いざという時に、政府専用機をお願いできませんか」と何度かお願いしていたと教えてくれました。覚悟をして私を育ててくれていたのです。


政府専用機は外務省の所管ですが、運用しているのは航空自衛隊だったのですね。パイロットを含む、乗組員はすべて航空自衛官だそうです。


あの事件で学んだことが一つあります。資源開発に携わっている方々、飛行機を操縦しておられる方々、7時ちょうどに報道して下さった方々、日本という国は、こうした方々の努力で支えられている、ということでした。


『社会貢献』という言葉があります。しかし、真の社会貢献とは、こういう方々のしていることではないかと思いました。


あの方々に私の気持ちが届いて欲しい。そして、献花に並んで下さった方々に、お礼の気持ちを伝えたい。そのためにブログをはじめました。いつか、どこかで伝わるかもしれないからです。


そして、同時に私は思ったのです。


今、私は声をあげないと一生後悔する。「亡くなった方のために何かしていきましょう」「医療に救われた者が、救われなかった命のために活動していきましょう」。そう、約束したのだから、約束を守らないと人の道に反する。


私は人の善意を当たり前のように受け取り、その一方で約束を守らない、そういう大人になりたくないのです。