2014/01/16

アルジェリア人質事件から一年 お礼をいうべき人

あれからもう一年がたった。


アルジェリア人質事件から1年 日揮が犠牲者を追悼しました FNN

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普段ほとんどつけないテレビを、あの日に限ってなぜかつけていた。本当にたまたま、ニュース番組をみていた。急に切迫したアナウンスが入りアルジェリアのプラントで働く邦人が人質になったという第一報が伝えられた。


幼い頃、石油コンビナートなどで大火災が起きると、父と母はニュース番組をいつも食い入るように見つめていた。どこの会社がつくったのか確かめるためだ。もし父の会社だったら大変なことになる。マスメディアはきっと一斉にバッシングするだろうからーーーー


そうした習慣は、いつの間にか私にも身についてしまった。アルジェリアときいて胸騒ぎがした。


不安は的中した。記者が告げた会社名は父が勤めていた日揮だった。


アルジェリア軍が突入する直前、父は夫に電話をかけてきた。「あの中に私の友達がいるんだよ」と言ったそうだ。珍しく取り乱しているようだった。どうして父の友達がいるんだろうか。父の歳から考えて不思議だ。何がなんだかわからない。でも、詳しいことなど今は聞いてはいけないと思った。


父の友人が一人だけ民間機で帰国した日、日経新聞を読んで私は号泣した。本当に何もしらなかった。一部引用させていただく。


「アルジェリア方式」吹き飛んだ安全神話  2013/1/26


太平洋戦争ぼっ発直後、旧日本軍はスマトラ(現インドネシア)の製油所を 真っ先に制圧した。設備の復旧・運営にあたったのが、日本の海外でのプラント建設の源流だ。以来、原油や天然ガスを掘り出したり、石油化学製品を生産したりするプラント建設で、日本企業は存在感を高めていった。


世界で開発が進む液化天然ガス(LNG)の製造設備は日揮と千代田化工建設の日本勢2社を含む4社が世界市場の8割を押さえる。日本企業は膨大な部品を扱い、多くの作業員を動員して納期通りに完成させることを得意とする。 資源国の経済成長を日本勢の「お家芸」が支えている。


その勤務環境は過酷だ。原油や天然ガスの産地は多湿のジャングルや炎熱の砂漠にならざるを得ない。日揮は地元の人間も入らないリビアの砂漠でガス田を開発し、戦争や革命に揺れたイランでは逃げることなくプラント建設を続けた。


資源獲得競争は激しさを増し、産地はより奥地へ、より厳しい場所へと移る。そうした場所でプラント会社の技術者は日本のものづくりの技術を守ってきた。


事件があっても重要性は変わらない。韓国や中国勢が追い上げる中で日本企業が事件から学ぶべきはリスクから逃げることではなく、どう最小化するかだ。


東洋エンジニアリングの永田雄志会長は「安全を追求していかなければな らないが、ひるむわけにはいかない」と語る。



テロ事件が身近で起きたのははじめてではない。テレビをつけた母が急に叫び声をあげたから、今でも脳裏に鮮明に焼き付いている。父が働いていた丸の内で三菱重工ビル爆破事件があった。その頃本社はみなとみらいでなく丸の内にあったのだ。昭和40年代の日本は高度成長期が終わり、公害病など、社会の抱える矛盾に人々の関心が向くようになったのではないか。週刊誌やテレビもさかんにそういった報道をしていたように思う。デモやストライキなど珍しくなかった。

三菱重工ビル爆破事件

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三菱重工ビル爆破事件 wikipediaから一部引用

1974年8月30日に日本の東京都千代田区丸の内で発生した、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件。連続企業爆破事件の一つ。東アジア反日武装戦線の呼称はダイヤモンド作戦。虹作戦で使用する予定であった爆弾を流用した。



小学生の頃図書館に行くのが好きだった。ビル爆破事件から社会への不信を抱くようになった私は、公害病の原点と呼ばれる水俣病について書かれた本に引きつけられていった。小学校の社会科では絶対に教えてくれない企業や官僚、政治家の隠蔽体質が書かれていたからだ。


ところがある時、企業側の弁護士と父は仲がいいと教えられた。目の前が真っ暗になった。「父は絶対に悪いことをしてお金儲けをしている。大人は嘘ばかり言っている」いつしか私はそう思うようになってしまった。結婚してからもそうした不信は変わらなかった。ある事件が起きた時には一年間実家に帰らなかった。


それが徐々に変わっていったのは周産期医療で救命されたからだろう。子供が入院していたNICU(新生児集中治療室)は子供の医療だからあまりお金にならない。驚くことに、ほとんどが善意で行われているような医療なのだ。医師をはじめスタッフは命を削るように働いているし、名だたる大企業も影で支えている。


例えばオムツやミルクなど、小さな子ども達のためにメーカーが採算を度外視してつくっているのだ。周産期医療には高度医療機器がかかせない。ある時、夜遅く、メンテナンスを黙々としているメーカーの社員を見た時、私は間違っていたかもしれないと思った。同じ日本にこんな世界があったなんてショックを受けたのだ。


いつも目にする有名企業が私達を一生懸命支えようとしていることを知ると「がんばらないといけない」と思えてくるから不思議だ。見えないところで手を抜かずに社会を支えることこそ、真の社会貢献だと思った。夫は基礎研究にも関わっているから、私達のために、どれだけ巨額のお金がつぎ込まれているかよくわかる。日本には国民皆保険制度があり、東京都や市町村も私達を助けてくれる。私達が支払うのは全体からするとごくわずかな金額だ。もしこれがアメリカだったら数千万の請求書が届くのではないかーーー。


どうしてこういう良いことを世の中に知らせようとしないんだろう?そう考えると何かせずにはいられなくなった。だから、はじめてシンポジウムに登壇した時の原稿は「お金儲けは悪いことか」をテーマにした。一部引用する。


 医師の皆様、看護師の皆様はじめ、救急搬送をして下さった皆様、転院のための搬送も含め、三度も受け入れて下さった●病院の皆様、ご恩は生涯忘れることはありません。

 同時に、新しいお薬を開発している皆様、それを試して使えるようにしている皆様、未熟児用のミルクを開発していただいた皆様、未熟児用の保育器や監視機器を開発していただいた皆様、小さなオムツを作っていただいた皆様、ありがとうございました。

 私は経営学部出身ですが、企業は決してお金儲けだけをしているのではなく、社会貢献をしているということを知りました。皆様の善意によって私達は苦しい時を助けていただきました。今の時代だからこそ、日本だからこそ、助けられた命だと日々感謝しております。

 周産期医療、救急医療では、未知のリスク、将来の副作用を恐れていては、リターンを得ることができません。この先、どのような未来が待ち受けていようとも、母となる喜びは何物にも代え難い喜びです。

 この、素晴らしい、日本の周産期医療を次世代へ。どうかよろしくお願い申し上げます。がんばる人、努力する人、リスクを負う人が第一に報われる社会でありますように、心より願っております。


日経の記事で、私は生まれてはじめて父が資源開発に関わってきたことを知った。母も詳しくは知らなかったらしい。軍と一緒に仕事をすることもあるから、家族に気軽に話をするようではつとまらないのだろう。日揮にとってアルジェリアは特別な意味を持つ。アルジェリアでの成功をきっかけに大きく躍進したからだ。だから、亡くなった父の友人は会社を大きく発展させた功労者の一人だろう。高度医療には医療機器がなくてはならない。それらを24時間絶え間なく動かすには安定したエネルギーの供給が必要になるーーーー


もしかして、お礼をいうべき方々の中に父や友人だってはいるんじゃないだろうか。そのことに気づいたから涙がとまらなくなったのだ。


このブログを父は知らない。だからこっそり書いておこう。今まで悪いことをしてお金儲けをしていると信じてきたから私は結婚する時も何も言わずに実家を出てしまった。決して仲が悪いわけではないんだけれど、どうしてもこの言葉は言えなかった。


お父さん、今までありがとうございました。亡くなった皆様のご冥福をお祈りいたします。




2013/11/10

はじめまして 亡くなった方のためにできること

昨年2012年12月20日、私のすむまちで事故はおきた。給食を食べた食物アレルギーの小学生がアナフィラキシーショックで死亡したのだ。同じ小学生の親として心が痛んだ。


私は超低出生体重児という1000g以下でうまれた未熟児の母だ。自分自身が瀕死の状態から救命されたことから救えなかった命のために活動をしてきた。人は命の危機に陥った時、何かせずにはいられなくなるものなのだ。亡くなった方とご遺族のためになっているのか自信はないけれど今も迷いながら続けている。


今年2013年1月16日、アルジェリア人質事件がおきた。日揮は父が勤めていた会社で私を育ててくれた会社だ。見慣れたみなとみらいのビルがテレビ画面に映し出された時のショックは今も忘れられない。


父もアルジェリアに出張に行ったことがあった。まさか軍と一緒に仕事をしていたなんて。父の友人は最後に民間機で帰国した。報道で伝えられている通り、責任感が強く部下思いの技術者だったそうだ。


アルジェリア人質事件


私は献花に行こうとしたけれど電車にすら乗れなかった。車内には中吊り広告が踊っているからだ。言葉にできないほどの悲しみを癒やしたのは、見知らぬ方々が献花や記帳に訪れ手をあわせる姿だった。


NHK特集まるごと 
アルジェリア人質事件が問いかけるもの


御自身のブログに
「私も国際貢献をしていきたい」
「命を大事にして、1日1日一生懸命生きたい」
と書いておられる方がいることを知った。


マスメディアのコマーシャリズムにのった盛り上がりではないことが、私の心を癒やしたのだ。父や友人は、真の社会貢献とはこういうものだと、命をかけて私に教えてくれたような気がした。


アレルギー死亡事故に関する報道を、一年間ずっとみてきた。市のサイトにある報告書を何度も読んで考えた。


私をつき動かした大野病院事件を思い出す。大野病院事件は12月17日、アレルギー死亡事故は12月20日。亡くなった方はクリスマス間近に天国にいってしまった。イルミネーションで街が華やぐ季節だ。残されたご遺族はさぞお辛いことだろう。


私にできることはないのか、何をしたらいいのか考えていこうと思う。


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アルジェリア人質事件が問いかけるもの おはよう日本 NHKニュース 2013年2月15日


阿部


「先月(1月)16日、アルジェリアで起きた武装勢力による人質事件。現地でのプラント建設に携わっていた日揮の社員ら、日本人10人が犠牲となりました。」



鈴木


「その事件から明日(16日)で1か月となります。日揮の本社には、これまでにおよそ1万人が献花や記帳に訪れています。事件は私たちの心に何を投げかけているのでしょうか。」


アルジェリア人質事件 遺志を継いで


横浜市にある日揮の本社です。訪れる人が後を絶ちません。その中に日揮の元社員の姿がありました。高橋順之(たかはし・よりゆき)さんです。



高橋順之さん


「無念だったろうなと感慨がわいてきます。机が向かいあわせで同じチームでした。」


事件の犠牲になった、日揮の最高顧問、新谷正法(あらたに・ただのり)さんです。高橋さんの大学のひとつ後輩で、新谷さんが入社すると同じプロジェクトに配属されました。新谷さんはよく休日を返上して働いていたと言います。


高橋順之さん


「ものすごく忙しく準備して、その結果、建ち上がったものが顧客から良い評価を受けているのは単なる技術ではなく、追い求める彼の気概というか真摯(しんし)な態度、そういったものができる。自分達が会社を大きくするという誇りは当時から持っていました。」


入社3年目でアルジェリアの仕事に携わって以来、海外でのプロジェクトを数多く手がけてきた新谷さん。
去年6月に最高顧問となってからも陣頭指揮を執り続けていました。志半ばで、自分よりも先に逝ってしまった後輩。高橋さんは、日揮に戻り、働くことを決めました。


高橋順之さん


「彼もまだ仕事を続けたいと思っていたと思うので、彼の遺志を継いで出来る限り続けていきたい。」


日揮には、全国から数多くの手紙やメッセージが寄せられています。


“どうして優しく穏和な日本人が標的にされてしまったのでしょうか。”


“企業戦士としてプライドを持って働いていた皆様。日本の誇りに思います。”


海外で志半ばで犠牲となった10人の日本人。その遺志を継いで国際貢献の道を模索する人がいます。38歳のシステムエンジニア・高橋信悟(たかはし・しんご)さんです。この日、JICA・国際協力機構を訪れました。自分にできる国際貢献はないか、探し始めています。


高橋信悟さん


「私が今まで持っている技術をいかして、国際貢献をやっていくにはどうすればいいのか…」


以前から社会に貢献したいと考えていた高橋さん。しかし、日々の仕事が忙しく、なかなか踏み出せずにいました。今回の事件を知って感じた怒り。それが高橋さんの背中を押してくれたと言います。


高橋信悟さん


「命をかけてそこに築いてきたものがあったのに、なぜ不遇な死を遂げなければいけないのか。私がかわりに出来ることは微々たるものでしょうけれども、同じような志を無駄にしないで自分も世界的に貢献できるような、そういう意思表示をしたかった。」


ネット上に犠牲者への思いを綴っている人もいました。


“アルジェリアの地で汗を流していたあなた方のことを私は忘れない。”


“家族をいっぱい愛そう。いっぱい笑おう。”


ブログを書いた奥井奈都美(おくい・なつみ)さん、39歳です。仕事をしながら2歳の娘の育児に追われる日々。いつの間にか子どもに笑顔で接することができなくなっていました。今回の事件で奥井さんが感じたのは、一瞬にして家族を失う辛さだったと言います。


奥井奈都美さん


「遠い異国の地で、砂漠の地で汗を流して一生懸命働いている方が、どうしてこんな目にあってしまったんだろう。誰かの父親だったり、家族の大切な誰かであるわけですよね。」


この日、献花に訪れた奥井さん。1分以上、祈り続けていました。


奥井奈都美さん


「私たちは、その方の死を無駄にしないように、今ある自分の命を大事にして家族をいっぱい愛し、一日一日、一生懸命生きたい。」


阿部


「人質事件から1か月がたち奥井さんがたどりついた、『命を大事にして、1日1日一生懸命生きたい』という言葉。改めて胸に刻みたい言葉です。」


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