2013/11/29

再発防止には情報公開を

父はIRと呼ばれる仕事をしていた。事件や事故が起きた時、記者会見などをするのもIRの重要な役割だそうだ。


●IRとは
「ASCII.jpデジタル用語辞典の解説」から一部引用

投資家向けの広報活動のこと。企業を投資対象としてとらえる投資家が増えるとともに、経営判断の妥当性やその根拠を、企業側から投資家に対して広く明確に伝える必要性・責任が高まっている。とりわけ個人投資家が増えている昨今では、こういった企業の迅速かつ正確な情報開示が投資の指標としても大きな意味を持つため、IRの質が問われていると言える。


現在ではお客様だけでなく、地域社会にも幅広く理解を求めるために活動成果を伝えることも必要になっているそうだ。株主や投資家などの利害関係者(ステークホルダー)と信頼関係を構築するという目的の他に、批判にさらすことで経営の質を高める、という目的もあるそうだ。


IR的な発想は、アレルギー事故が起きた時にもいえるのではないだろうか。ミスが起きる原因がどこにあるのか。まずは理由が知りたい。犯人捜しではなく改善するために。


ちょうど中日新聞(東京新聞)に食物アレルギーの特集があったので、転載させていただいた。私はNPO法人・アレルギー支援ネットワーク(名古屋市)の中西里映子事務局長の言葉に共感した。事故が起きた際は「隠すのではなく、事故例を集めて知らせ、防止につなげる仕組みづくりが必要」と提案している。」という言葉だ。事故後に市が公開した報告書はとてもよかった。今後は、私達保護者(市民)が、報告書に示された提言をどういかすかにかかっているのではないだろうか。記事を読むと、私達の市のアレルギー対策はすすんでいたほうじゃないかと思う。せっかくがんばってきたのだから、萎縮するのでなく、前を向いてすすんでいきたい。


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<アレルギー事故から 命を守る給食> (上) 自治体で対応に差
(2013年3月20日) 【中日新聞】【朝刊】より転載


 東京都調布市の小学校で、食物アレルギーの5年生女児が給食を食べて、臓器に重篤な症状が出る「アナフィラキシーショック」で死亡した事故。検証委員会による報告書は救命できた可能性を指摘した。アレルギーの子どもたちが安心して給食を食べ、命を守れるようにするためにはどうすればいいのか。3回にわたって考える。


後退させず工夫重ねて


アレルギー除去食を載せたトレーを直接担任に手渡す栄養教諭の松本清江さん(右)=横浜市の上寺尾小学校で
 「『もう除去食(アレルギーの原因食材を取り除いた給食)の対応はしません』と、弁当持参を頼まれた」「『死ぬかもしれない子は預かれない』と、退園を迫られた」。調布の事故後、アレルギーの子や家族を支援するNPO法人・アトピッ子地球の子ネットワーク(東京)の赤城智美事務局長のもとには、小学校や幼稚園に子どもが通う親たちから、こんな声が届いている。赤城さんは「恐れていたことが起きている」と、現場でのアレルギー対応の後退を懸念する。


 学校でのアレルギー対応では、日本学校保健会が2008年にガイドラインを整備。厚生労働省も11年に保育所での指針を定め、各自治体に対応を求めた。


 横浜市は07年に給食に関するマニュアルを作成。学校では、毎年3月に栄養教諭と保護者が面談し、除去食などの対応を協議する。4月に担任にも伝えている。


 全校児童566人の同市上寺尾小学校には、対応が必要な食物アレルギーの児童が7人いる。この日のメニューは豆腐の中華煮。うずら卵とエビが入っており、これらのアレルギーがある4人の児童の除去食は直接、担任教諭に手渡された。


 栄養教諭の松本清江さん(55)は「誤配食や誤食が一番怖い。担任にも確認してもらう」。保護者に配られる献立表にはメニューごとの材料がすべて記載されている。調理の際は専用の鍋や通常食とは別のこんろを使い、校長も検食する。おかわりは、アレルギーの児童と担任が直接給食室に取りに行くルールだ。


 国のガイドラインは整備されたが、自治体による対応の差は大きい。名古屋市はマニュアルがまだない。除去食は、調理の最終工程で取り除くことができる場合などに限定。中華丼に入るエビやうずら卵は、完成品から児童が自ら取り除くよう定めている。重症児に対応できないため、弁当持参のケースもある。


 愛知県豊明市では、保護者が毎月、学校給食センターへ出向き、職員が読み上げる材料を書き留め、子どもが食べられるメニューかどうか、判断しなければならない。小学生の子どもが食物アレルギーの女性は、加工品の原材料表示を見たいと頼んでも、口頭で伝えられるだけだった。「一生懸命聞くけど一瞬も気を抜けない。いつか間違えるのでは…」と不安を感じている。

 
NPO法人・アレルギー支援ネットワーク(名古屋市)の中西里映子事務局長は「お金も人もかけず、工夫次第でできることがある。事故があったからと対応を後退させるのではなく、事故を教訓に、前向きに検討してほしい」と話す。事故が起きた際は「隠すのではなく、事故例を集めて知らせ、防止につなげる仕組みづくりが必要」と提案している。


情報共有の課題指摘 東京・調布の女児死亡事故調査報告


 昨年12月20日、調布市の小学校で、乳アレルギーの5年女児が粉チーズ入りのチヂミをおかわりで食べた。体調不良を訴えて、14分後に校長がアレルギー反応を抑えるための注射「エピペン」を打ったが、アナフィラキシーショックで死亡。市教委は事故後に弁護士や医師と検証委員会をつくり、報告書をまとめた。


 報告書は、事故の直接的原因として、調理員が女児にどれが除去食か伝えなかった▽おかわりの際、担任教諭が資料を確認しなかった▽保護者が女児に持たせていた献立表で、チヂミに印が付いていなかった▽担任や養護教諭がエピペンを打たなかった−などを挙げた。


 学校全体での情報共有などが課題と指摘した。

2013/11/28

それは本当に虐待と呼べるのか?

食物アレルギーのお子さんに関して不幸な裁判があった。まずはじめに事故と裁判について。

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損害賠償:「不要な保護で男児死亡」両親が横浜市など提訴
毎日新聞 ‎2009年5月23日‎

 横浜市の児童相談所で06年、一時保護中に死亡した男児(当時3歳)の両親=同市=が22日、「入院先の国立病院が『児童虐待だ』とうその通告をし、うのみにした児相が不要な一時保護をしたことが死亡につながった」として、市と国に計約9000万円の賠償を求めて横浜地裁に提訴した。両親側弁護団によると、児童虐待防止のため積極的な通告が求められている中、通告の是非を問う訴訟は初めて。

 訴状によると、男児の入院先の国立成育医療センター(東京都世田谷区)は06年6月、「(両親が男児に)動物性たんぱく質を取らない考え方の食事をさせ、必要な検査や治療を受けさせない。栄養・医療ネグレクトだ」と児相に通告。男児は翌月、一時保護されていた児相施設の食事で卵を含むちくわを食べて死亡した。男児には卵アレルギーがあった。両親側は「病院の食事を拒否したことはなく、十分な説明がないため検査を受けなかった」などと主張。児相に対しても「親の聞き取りなどもせずに一時保護し、食事を誤って死なせた」として賠償を求めた。横浜市は06年10月、男児の死因に関し「司法解剖結果では、食物アレルギーは否定的」と発表している。センターと横浜市こども家庭課は「訴状を見ていないので回答できない」とコメントした。


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ちなみに死亡事故が起きた当時( 平成18年)の横浜市の「記者発表資料」には当日の状況が記載されている。食物アレルギーがあっておかわりをした、という点は似ているけれど経過が全く違う。

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中央児童相談所付設一時保護所における児童の死亡について

【死亡した当日(平成18年7月27日)の状況】

●6:00 頃
起床

●7:30 頃
朝食。本児がおかわりを求めてきた際に、食物アレルギーにより除去すべき竹輪 (1本の 10 分の1)を、食べさせてしまう。すぐに担当保育士に報告し、本児を注 意深く観察。

●8:00
頃遊んでいる本児の額のあたりが汗ばんでいたため検温(37.4度)。

●8:35
出勤した看護師は本児の身体状況を調べ、発疹、蕁麻疹がみられず、呼吸の様子等、 異常がないことを確認したうえで、注意して様子を観察することとしました。 午前中は、室内で遊び、おしゃべりも多く、動きは活発。

●11:50
昼食。いつもと変わらず食事。

●12:25
昼寝 指導員が本児をベットに入れタオルケットを掛ける。

●13:00頃
保育士がうつ伏せで眠っている本児の様子を目視で確認。

●13:50頃
13時と同様に、保育士が本児の様子を目視で確認。

●14:30 過
保育士が本児を昼寝から起こしたところ、本児がぐったりしており、手足、顔にチ アノーゼが出ていた。救急車要請。救急隊到着まで看護師が心臓マッサージを行う。

●15:05
救急車で病院に到着。

●16:14
搬送先病院にて、本児の死亡が確認。



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そしてその後の地裁判決。児相側に5千万円の賠償命令が出た。

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児相側に5千万円の賠償命令 食事アレルギーで男児死亡
日経新聞 2012/10/31 11:36

 横浜市の児童相談所に一時保護された3歳の男児にアレルギー物質を含む食事を与えて死亡させたなどとして、両親が国と市に約9千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、横浜地裁は30日、食事と死亡との因果関係を認め、市に約5千万円の支払いを命じた。

 森義之裁判長は判決理由で、死因は児相がアレルギーの卵を含んだちくわを与えたことによる急性アレルギー反応のアナフィラキシーショックと認定、「市が注意義務を怠った」と指摘した。

 一時保護は男児を診断した病院が「虐待の疑いがある」と通告したためで、両親は通告や一時保護決定も違法と主張したが、森裁判長は「病気の原因は原告らが与えていたたんぱく源の少ない食事内容にあった可能性が高く、通告や保護は合理的だ」として退けた。

 判決によると、男児は2006年5月、国立成育医療センター(現国立成育医療研究センター、東京)で、手足の骨が変形する「くる病」と診断されて入院。病院は6月に「両親が適切な栄養を与えていない虐待の疑いがある」と児相に通告。一時保護した児相は7月、男児のアレルギーについて認識していながらアレルギー物質を含む食事を誤って与え、約7時間後に死亡させた。

 横浜市は「判決内容を精査して対応を検討する」とコメントを発表。男児の父親(51)は判決後「病院の通告と一時保護は不当で、その責任が認められなかったことは残念だ」と話した。〔共同〕


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地裁判決後(平成24年)に横浜市から出された資料。


一時保護中に死亡した児童に関する損害賠償請求訴訟の判決について


その後、控訴審ではご両親の訴えが退けられた。

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東京高裁はアレルギー死認めず 男児の両親、逆転敗訴

2013/09/26 19:01 【共同通信】

 3歳の男児を一時保護した児童相談所が、アレルギーの原因となる卵を含む食事を与えて男児を死亡させたとして、両親が横浜市などに求めた損害賠償訴訟の控訴審判決で、東京高裁は26日、市に約5千万円の支払いを命じた一審横浜地裁判決を取り消し、請求を全面的に棄却した。

 井上繁規裁判長は「アレルギー反応によるアナフィラキシーショックが死因とは認められず、突然死の可能性も否定できない」と判断した。

 判決によると、男児は06年、手足の骨が変形する「くる病」と診断されて入院。病院は「両親が適切な栄養を与えない虐待の疑いがある」と児相に通告。児相が一時保護した。


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事故と裁判の経過をたどると、食物アレルギーのお子さんを育てることがいかに大変かがわかる。誰かの責任というよりも、追い詰めてしまったことに問題がないのか。お医者さんからも、アレルギーのお子さんをもつお母さんからも、「意思疎通が難しい」という話を聞く。「僕の指示の仕方、どう思う?厳しすぎると言われちゃうんだよね」「あの先生、私の意見を頭から否定するの。だからちょっと・・・。でも、そういうのは私だけじゃないのよ」こんな感じだ。でも、どちらも悩んでいることに変わりはない。なんとかならないかずっと思っていた。私は、亡くなったお嬢さんのお母様の言葉を思い出す。


 『私は娘に「あなたが気をつけなさい」と言っていました。アレルギーの子どもがいるお母さんたちだってミスするし、学校の先生や栄養士の方に要求するばかりでは何の解決にもならない。分厚いマニュアルをつくる必要もない。アレルギーは特別なものではない。自分たちの身の回りに存在する普通の問題だということに社会全体が理解を深め、あらゆる大人が子どもを見守るようになってほしい。』


社会全体で理解を深めることも大切じゃないのかな。


この続きはこちらへ。虐待通告を巡っては、疑われて苦しむ親御さんもおられる。双方の主張に耳を傾けるべきではないだろうか。↓

虐待通告 不服申し立てを認めて欲しい 









2013/11/27

学校栄養士のお仕事とチヂミ

食物アレルギーについて調べていたら学校栄養士さんのブログを見つけた。


言い訳しながら報告します
現役の学校栄養士が写真とイラストで報告する、言い訳の日々。


これだけの決まりがある中で給食をつくらないといけない、ということをどれだけの人が知っているだろうか。報道された時、以前聞いた栄養士さんのお話を思い出した。お皿の数が決まっているから、きっと、一つの料理にいろいろな食材をいれなくてはいけないんだろうなぁ。だから手軽に使える粉チーズが入っていたんだね。


新聞取材で「粉チーズなど、形がわからない形でチーズを入れるべきでない」と専門家がおっしゃっておられた。なんというか、後からだったらいくらでも言えるではないかと思ってしまった。だからなるべく多くの皆さんに、栄養士さんががんばっておられる姿も知って欲しいなぁと思った。そういう気持ちもあってブログをはじめた。


私の学校にいらした栄養士さんは他の市の献立表まで把握し、研究しておられた。子ども達や先生に大人気なだけじゃなく、私のように子どものことで悩んでいた母親のこころを明るく、前向きにしてくれた。


確か、校長先生が新年度の挨拶で「給食の味見会があるから、参加して下さい」とおっしゃったのだ。「他の会合には出席しなくても、これだけは、とおっしゃる方もいらっしゃるんですよ」という言葉に惹かれてしまったのだ。入学前からとてもおいしいと評判だった。「話を聞いて味見をするだけなら、楽しく参加できるかも」と思った。


その時、ブログに書かれているように、給食をつくることがいかに大変かを知った。その一つが、「お皿の数が決められている」だった。だから、一つのメニューでなるべく多くの栄養がとれるよう、どうしても混ぜご飯になるそうだ。食材の価格は天候に左右されるから高騰したら大変。いろいろな制約の中で、それでも日々前向きにがんばっておられる栄養士さんに驚いてしまった。その日のメニューがサンマの蒲焼き、というのも魅力的だった。サンマは焼くかおさしみだけと決めている私が絶対につくらない、手の込んだ料理だからだ。


「ブログってすごいよー。今は学校栄養士さんもブログを書いていて、勉強になったよ。日本の学校給食は、一食だけで様々な栄養がとれるように工夫されているから、海外のお友達は驚くよね。朝早くから一生懸命つくっている国はないんじゃないのかな」と夫に紹介してしまった。夫も深く頷いた。


だって北米に住む友人達は、「まな板など持っていない」という人もいるもの。手の込んだ料理なんてあまりしないから、みじん切りをみたら驚くかも。レンジでチンも多いと思う。煮込み料理なんて作るのかしら?それなのに、若く健康でいたいとわがままなことをいう。そういう事実を、国民はあまり知らないから、給食の有り難さも、当たり前すぎてわからないのかも。私は私立で育ったから給食をよく知らなかった。それだけ栄養士さんのお話が衝撃的だったのだろう。「ここまでするんだ」と思ったのだ。


私は事件がおきてから、チヂミをつくるようになった。「チヂミが悪いわけじゃないんだよ。栄養士さんも子どもが栄養をとれるように、粉チーズを入れたんだよ」と教えた。私も母親だから、同じように味よりも、栄養を考えていろいろ入れてしまう。体が小さく細かったからね。同じように思うお母さんは多いのではないだろうか。



2013/11/24

人は人の善意だけでは立ち直れない

私は亡くなった方のために活動してきた。そのため、死に至るまでの詳細な記録を読む機会があった。手記などに目を通す時、ご遺族の悲しみの深さに圧倒され、何も手につかなくなることもある。それでも感情移入したほうが私はいいと思っている。もし私があの世にいっていたら・・・家族は笑っていただろうか。


私は「医療は不確実なものだから亡くなっても仕方がない」などと一般論として語ってはいけないと思っている。一つ一つの事例を丁寧にみていかないと、その中に社会問題化しないといけないことがあるかもしれない。なにより一人一人は大切な命だから・・・。


亡くなった方のための活動に参加させていただいたが「ご遺族を幸せにしている」という実感がなかった。医療者ではないから何もできずもどかしくてしかたがなかった。報告書や手記ではわからないご遺族の悲しみが知りたくて、新聞報道で知ったあるご遺族にコンタクトをとった。もう三年のお付き合いになる。いろいろ教えていただいた。その方はその後、精神医療の改革者としてご活躍され、今や精神科医や臨床心理士からも一目置かれる存在だ


今日は私が一番はじめに関わったご遺族の最愛の方の命日だ。つい最近偶然報道で近況を知った。あの頃の私は何もできなくて心残りだ。その罪滅ぼしのために、PTSDの乗り越え方について書いておこうと思う。


いろいろな本を読んだけれど、「精神科臨床はどこへいく」の冒頭にある「PTSDの乱発~「こころのケア」のいかがわしさ」という精神科医の対談が一番しっくりきた。



精神科臨床はどこへいく (こころの科学増刊)精神科臨床はどこへいく (こころの科学増刊)
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夫のもともとの専門は運動生理学だ。あまり知られていないけれど運動生理学は戦争と関係が深い学問だ。軍隊とトレーニングは切っても切り離せないからだ。留学した時には軍の関連施設にお世話になった。PTSDやトラウマについてやはり同じようなことを言っている。


その人の心の傷は、その人がもがき苦しみながら乗り越えるしかない。心の専門家は「認知のゆがみ」などというが、自分ではどうしようもない困難に陥った時、正常な判断ができず激しく揺れ動くのは当たり前じゃないのかな。夫がいっているように「ほんの少し心の向きを変える」という言葉のほうが私にはあっている気がする。


「心の傷は果てしなく大きく思えるけれど、いつか、ポケットにいれて持ち歩けるようになる日が来る」とご遺族が私に教えてくれた。一番の薬は時間だ。「人は人の善意だけでは立ち直れない」とその人は言う。その通りなんだろう。ずっと気になっていた。どんなに元気そうに見えても、笑っていても目の奥は笑っていないからだ。


当事者以外にできることは、一人にしないよう、悲しみを共有することじゃないのかな。死を忘れず、そっと見守り続けることくらい。対談で精神科医も以下のようにおっしゃっておられる。


「人間とは自分自身の傷口に塩を塗りたがるところがある。辛かったことを思い出したりとかある種の自虐的なところがある。それは必ずしも悪いことではなく、それを何か新しい行動への原動力へ変えていけばいい」


でも、新しい行動を起こすことは実際難しい。時間がとまってしまった方は多いのだ。心の回復を妨げたり、途中で放り出してしまう支援者も多い。


マイナスの経験がもっと社会に還元できればいいんだろうけれど。残念ながら今の日本はそういう社会でない気がする。私達はもっと他の誰かの悲しみを共有するようにならないといけないんだろうなぁ、と思う。



2013/11/22

『副籍交流授業』 もう一人のクラスメート

それは偽善じゃないですか? その1

それは偽善じゃないですか? その2


意思疎通が決してうまくいっているわけではなかったけれど、二年生の時の担任の先生が『副籍交流授業』をしてくれた。学校から手紙が配られた時、「よかった」と思ったから今でも大切にとってある。込めるべき心がないと書けないと思った。最近市の教育委員会は頭を下げてばかりだけれど、先生方は良いこともちゃんとしている。

お便り


図書室の先生とも相談したんだろうか。授業の前には絵本もみんなで読んだみたい。いつかこの交流授業が他校のお手本になるといいな。


わたしのおとうと、へん…かなあ (児童図書館・文学の部屋)わたしのおとうと、へん…かなあ (児童図書館・文学の部屋)
(2001/09)
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ちなみに『副籍交流』という言葉をググってもあまりヒットしない。と、いうことは文科省から通達が出ても校長先生が「やってみましょう」と思い、私のように「やって欲しい」と思う保護者がいないとできないみたい。


○ちゃんのお母さんはとても喜んでいたけれど・・・つきそいのお母さんも先生も大変か。実施率の低さはそういうことかもしれないね。コーディネーターの方も一生懸命だったそうだ。皆が力を合わせないといけないから、「文科省から指示されたから」ではこういった交流はダメなんだよね。


市はアレルギーの授業を提案し文科省は賛成している。死亡事故を出してしまったことを、今後どういかすのか。アレルギーへの理解を深めることは大切だけど、今も子ども達は同じ小学生が亡くなったことを話題にしている。私も忘れていないし、先生方もそうだと思う。


今後改善されたとしても、それは、亡くなった女の子がいたからだ。アレルギーだけじゃなくて、亡くなった命を思う、「命の授業」と呼ばれる取り組みも必要なんだろうか。



ようこそ ○くん!


先週の金曜日、○君をむかえて『副交流授業』を行いました。お配りした特別支援学校からのお手紙をお読みいただいたことと思います。


○君を迎えるにあたり、子供たちに「わたしのおとうとへんかな」という絵本の読み聞かせをし、○ちゃんの写真を見せながら金曜日の4時間目に来ることを話しました。そして「特別なことをしようと思わなくていいよ。みんなが『よく来てくれたね』と優しい気持ちでむかえることができれば、○ちゃんにはわかるよ」と言いました。


前日になると「明日くるんだねー。楽しみ−。」「わくわくするね」という声がきかれうれしく思いました。さらに○ちゃんの好きな車の絵を自由帳にかいたり、折り紙をおったり「黒板に絵をはってむかえたい」と言ったり。自分達できることを一生懸命やろうとする姿がみられ感激しました。


当日は○ちゃんの特別支援学校の話をきいたり、一緒に歌や合奏をしたりしました。休み時間には車いすの周りに集まりくしゃみのまねをして○ちゃんを笑わせていました。


ほんの少しの時間でしたが、○ちゃんはもううすっかり自分達の友達になっていました。○ちゃんを自然に受け入れ、仲良くする姿をみて子供達のやさしさをしみじみ感じました。○ちゃんもしじゅうご機嫌で担任の先生もお母さんも喜んでいらっしゃいました。次回の交流が楽しみです。










2013/11/21

いつもうつむいていたのに・・・

NICU(新生児集中治療室)に子どもが入院している時、いつもうつむいていた。この先どうなってしまうのか不安だった。


先生はやさしかったけれど、近づいてくる時はよいことはあまりない。例えば「感染症にかかっているので危険な状態です」とか、「未熟児網膜症なので、手術しますが目が見えるようになるかわかりません」など、命にかかわることや障害が残るかもしれない、ということしか言わない。気の休まるひまがない。終わりのないジェットコースターにのっているみたいだった。


先生はいつも忙しく病気の赤ちゃんの治療をしていた。もっと大変な赤ちゃんをみているのだ。だから先生が他の赤ちゃんを診察している時に、私は抜き足差し足でNICUから出ていくようになってしまった。「先生に会わなければ、悪い話も聞かなくていい」と思ってしまったのだ。そういうお母さんはあまりいないらしいけれど・・・。心の許容量は一杯であふれ出しそうだった。毎日面会にいくのも気がすすまなかった。


いつも下を向いていたので目に入ってきたのが先生や看護師さんがはいているスニーカーだった。私は救急搬送先がなければ死んでいてもおかしくなかっただろう。子どもは退院してもどうなるかわからないし、「もうあんな靴をはいて山に行くこともないか」とちょっと悲しく思っていた。


退院したのは今から11年前のちょうど今頃だった。あの頃は人目をさけるように傷つかないように生きていた気がする。


このままじゃいけないと、少しずつ世界を広げていった。NICUでいつも見てたような靴が欲しいと思った。



シューズ




最近走るようになった。以前は走ろうとなど絶対に思わなかった。



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今のほうが救急搬送される前よりずっと私らしい気がする。少しくらい辛いことがあったほうが『生きている』気がするのだ。



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桜がさく頃が一番だと思っていたけれど、今日のような澄み渡った秋の空も天国みたい。先日旅立たれた『どーもの休日♪~しかしなんだね。ガンだって~』のanms1024さん天国でお元気だといいなぁ。



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2013/11/20

それは偽善じゃないですか? その2

それは偽善じゃないですか? その1 の続き


校長先生との面談からほどなくして、なぜか支援学校と交流がはじまった。ある日「もう一人、クラスメートがいます」というプリントが配られたのだ。


今まで知らなかったが、支援学校に通うお子さんの中には普通学級に籍があるお子さんもいるそうだ。だから交流授業を「副籍交流」と呼ぶらしい。


そんなことは初めて知った。ちなみに教員である夫も知らないという。


文科省のサイトには以下のような記述がある。私が校長先生に訴えたことは文科省の方針でもあったんだ。↓

副籍、支援籍、副学籍について


東京都
(名称)副籍
(定義)
都立特別支援学校小・中学部在籍の児童生徒が、
居住地域の小・中学校に副次的な籍をもち、
直接交流(※1)や間接交流(※2)を通じて、
居住地域とのつながりの維持・継続を図る制度。

※1:小・中学校の学校行事や地域行事等における交流、
小・中学校の学習活動への参加等
※2:学校・学級便りの交換、作品・手紙の交換、地域情報の提供等

(目的)
乳幼児期及び卒業後は地域サービスを受けるなど居住地域とのつながりがあるが、
学齢期でも地域とのつながりを維持・継続することが必要であり、そのための一方策。
両校在籍者の他、教員や保護者への障害理解や相互理解が深まる。
(対象)

原則として都立特別支援学校小中学部在籍者の希望する全員。
直接交流は、
○1 特別支援学校小・中学部在籍者のうち、
校長、保護者、主治医等が協議し実施可能と判断し、
○2 地域指定校と協議し校長の了解が得られ、
○3 交流に関わる送迎や授業中の支援について保護者等の協力が可能な者



いつも支援学校に通っている同級生が支援学校の先生と一緒に授業に参加した。給食をはじめて一緒に食べた時には、息子が配膳係だったそうだ。嬉しそうに私に報告してくれた。クラスの子供達も喜んでいたそうで、今でも続いている。


お便り



私も校長先生がおっしゃるように「差別と区別は違う」と思う。親御さんの中には、寝たきりのお子さんをどうしても普通学級に入れたいとおっしゃる方もおられるようだ。しかし、それがお子さんの将来にプラスになるのか甚だ疑問なのだ。そのために同級生に付き添いをお願いしたり、エレベーターの設置などを求めるのは親のエゴかもしれない。


しかし、何から何まで区別してしまうこともまた、エゴであり、差別と呼ぶべきものかもしれないと思う。生まれた時から小児病棟で過ごす子ども達をはじめて見た時そう思った。怪我をして子どもが小児病棟に入院したことのある親御さんも、「同じ日本にこのような世界があるなんて知らなかった」と言っていた。


そう、何かせずにはいられなくなるのだ。私は横浜に続く高速にのる時今でも病院を振り返ってしまう。


子ども達は、障害のあるお子さんと車椅子を抱えて運ぶ大人達の姿を見て、バリアフリーの大切さを自然に学ぶのではないだろうか。障害があるお子さんを抱えたご家族は、気軽に引っ越しなどできず、地域で生きていくしか選択肢がないという。


病気や障害のある方を遠方からお呼びするよりも、得るものが大きいのではないか。私は利益相反の観点から、公立校では、製薬会社が協賛する出前授業には反対だ。


私は今まで公立に通った経験がなかったので公立の良さを知らなかった。メディアは公立学校や先生を批判するけれど、この時の経験から、地域に根ざした公立だからこそできる取り組みもあると思った。子ども達に大人の理想を押しつけるのは教育ではないと思う。完成された「出前授業」を安易に導入するのでなく、このような自発的な試みが全国に広まることを願っている。


それにしてもこういうことがさっとできてしまう校長先生は素晴らしい教育者だと思ってしまった。校長先生をはじめ協力して下さった皆様、○ちゃんのお母さん、クラスのお友達、本当にありがとうございました。


『副籍交流授業』 もう一人のクラスメート に続く




2013/11/19

それは偽善じゃないですか? その1

小学校に入学して半年がすぎた頃校長先生と面談した。息子は入学当初、算数と国語がついていけないので担任の先生に「宿題を少なくして欲しい」とお願いしたことがあった。そのため、放任主義と勘違いされたようだった。一度校長先生とお話ししようと思った。


私の住んでいる市では発達に遅れがある子供は、入学前に書面で申し入れができる制度がある。幼稚園の担任の先生にすすめられ、副校長先生に書類を持参しお話しさせていただいた。就学時検査の時にも申告したが「問題がない」ということで入学が許可された。


しかし実際に授業がはじまると担任の先生は不安そうだった。超低出生体重児についてお伝えしたほうがいいと思った。


校長先生は、超低出生体重児について全くご存じなかった。しかも「いろいろな不満はあるかもしれないが、今の教育現場はすべてを抱えきれない。4年生ぐらいになっても遅れていたら特別支援学級に行っていただくかもしれない。差別と区別は違うのです」とおっしゃった。


「差別と区別は違う」という言葉には納得したが、正直がっかりした。なぜなら、息子は障害があって発達が遅れているわけではないからだ。これまで何度も訴えてきたのに、またはじめから説明しないといけないのか・・・と思ってしまった。


しかも校長先生は「学校では、障害者の方を理解しようと努力もしています。4年生の授業では、講師として目の見えない方をお招きしました。素晴らしい交流授業でした」とおっしゃるのだ。私は反発してしまった。なんでわざわざ遠くからお招きする必要があるんだろう・・・在校生の兄弟にだって、支援学級に通っているお子さんがいるじゃないか。


「目の見えない方など、小学校の周辺では見かけたことが一度もありません。駅前でもほとんどありません。バリアフリーという言葉は一般的になっても、駅前は混雑し、道も狭く自由に歩けないのです。それが現実です。その一方で、在校生の兄弟には障害のあるお子さんがいます。地域の障害者は隠れるようにひっそりと暮らしているのに、遠方から障害者の方をお招きするのはどこかおかしいと思います。それこそ偽善ではないでしょうか」と言ってしまった。


すると校長先生は黙ってしまった。私は正直すぎるのかしら?


でも私には危機感があった。いつか小児病棟でみた光景が忘れられない。寝たきりの重度の障害があるお子さんを「これ」と平気で指す見学者と、その人を咎めることなくすり寄る職員の姿だった。信じられない光景だった。


夫は怒りのあまり片手がグーになっていたけれど、子どもがお世話になっているから何も言えなかった。私もいつ障害者になるかわからない。しかし障害者という立場になった時では遅いと思った。あの時の怒りが私を変えた。


確かこういった気持ちも、校長先生には正直にお話したような気がする・・・。


それは偽善じゃないですか? その2 に続く







2013/11/18

私が訴えるようになったきっかけ

私は超低出生体重児を育てるうえで医療と教育の連携がないことが悩みだった。以前、NHKで、東京都立墨東病院の取り組みが紹介されていた。


NHK福祉 ポータルハートネット 「超低出生体重児の子育て」

超低出生体重児の親に対して積極的にサポートを進めている病院もあります。東京都でも最大級のNICUを持つ東京都立墨東病院では、12年前から母親に対するサポート活動「おたまじゃくしの会」を行っています。この会の特徴は、医師や看護師、臨床心理士なども業務として参加すること。母親と病院スタッフが協力して発行している機関紙は、母親の疑問に対する専門医からの回答や病院への要望など、率直な意見交換の場になってきました。

他にも、親たちがつくるインターネット上のコミュニティや、NICUでの勤務経験がある小児科医がつくった子育て支援の為のネットワーク赤ちゃん成育ネットワークなど、徐々に各地で出来つつあります。しかし、まだまだ十分ではありません。親、医療関係者、自治体、みんなでバックアップできるようなネットワークをつくっていくことが不可欠です。この子たちが安心して育つことのできる環境は、言い換えれば誰もが子育てしやすい環境とも言えるのではないでしょうか。

(2007年4月16日福祉ネットワーク「超低出生体重児 母親の悩みにどう応えるか?」より再構成)


この番組が私に与えた影響はとても大きかった。私が必要としている支援とはちょっと違うと思ったのだ。いかなる困難があろうと、私達が生きていくのは医療機関でなく社会だ。受け入れる社会を変えないと個人では解決できないこともあるんじゃないのかな?支援というと母親同士のお話し会とかカウンセリングとか「心のケア」のようなものばかり。育児に悩むのは個人の「こころ」の問題なのだろうか?


例えば「算数の問題がとけない」という悩みは親同士が話し合って解決できるだろうか。算数についていけないのだから、つまずきの原因がどこにあるのかを見つけ、効果的な教え方を考えたほうがいいじゃないだろうか?それこそ教育の出番じゃないだろうか。子どもの予後は個人差が大きい。Aちゃんが伸びた方法と、B ちゃんは違うかもしれない。


私が必要としているのはやさしい言葉やカウンセリングよりも、正しい知識と的確な教育的指導だった。今の支援は支援者のためのもので、私が制度にあわせるような感じなのだ。一体誰のためのものなんだろうか。


いつまでも医療者に頼っていたら、どのような困難があるのか社会に見えない。見えなければ改善されない。教育現場に理解を求めるといっても、予算も必要になるかもしれないのだ。地方自治体をはじめ政治への働きかけも必要になるだろう。


番組に出演していた大学生ぐらいに成長した元未熟児の女の子の姿に心が痛んだ。速く走れない、勉強がついていけない、などの未熟児特有の問題を抱え学校生活になじめなかったからだ。


番組をみて、子供と親も自分達で社会に居場所をつくっていかないといけないのではないかと思った。私は、女の子と親が努力しなければならないことと、社会が理解し、支援なり譲歩するなりすべきものとをわけないと何も変わらないと思った。しかし、医療者の感想は「発達検診をもっと強化しよう」や、「うちの病院にもこうした取り組みをつくっていこう」だった。


ちょっとまってと思ってしまった。未熟児には運動が苦手な子どもが多いけれどそれはどうしてなんだろう。専門家の中には運動生理学が専門だという人がいないようだけど。


予算がついて支援があるうちはいい。でも今の時代、いつまでも予算を頼っていくのは不安だ。もう少し、親も言うべきことは言い、自分達でできることは自分でやり、自立した方がいいのではないかと思った。


それが訴えるようになったきっかけだった。食物アレルギーの問題も、構造的には同じじゃないのかな。


2013/11/15

ブログをはじめた理由

自己紹介は以前書いたけれど、なぜブログをはじめたか書いておこう。


クローズアップ現代「続発するアレルギー事故 学校給食で何が?」では、各地の小学校で行われているアレルギーの授業が紹介されていた。番組をみた時私はちょっと驚いた。「どうして私達のまちでは行われていないんだ」と思ってしまったのだ。なぜなら、食物アレルギーは重度になると子どもと保護者や先生がいくら注意しても防げないからだ。


子どもの幼稚園で、はじめて仲良くなった友達に教えてもらった。幼稚園ではいつもお弁当持参なのだが、行事があるとケータリングのお弁当を皆で食べる機会がある。お弁当づくりから解放されるので私は楽しみだった。ただ、いつもお弁当を注文する注文表に、アレルギーがあるか尋ねる項目があり、気にはなっていた・・・


そのお母さんが言っていた。私達は楽だけれど先生達は本当に大変なんだと。


ある時、アレルギー対応のお弁当を頼んだのに、なぜかアレルギー反応が出てしまったお子さんがいたそうだ。


考えてみれば、幼稚園児は狭いスペースで皆で一緒に食事をする。想定外のことがおきてもおかしくない。隣の子どもが食物アレルギーのお子さんに自分のぶんをあげたのかもしれないし、狭いから偶然入ってしまったのかもしれない。ケータリング会社の責任なのかよくわからない。先生はひたすら謝るしかないだろう。


他のお母さんにも聞いた。卵アレルギーがあってもたまに外食がしたくなる。アレルギーに対応しているレストランに行って、卵の入っていないメニューを頼んだのに、家に帰って発作が出てしまった。レストランに問い合わせると、「いくら洗浄しても、調理器具や食器にはわずかに付着してしまうことがある」と言われたそうだ。


同じことが給食でも起きているのだ。調理スペースが狭ければ、アレルゲンになる食材の汁や粉末がごく微量飛散することもある。いくらアレルギー対策をしても防げない事故もあるだろう。番組の中でも、亡くなった女の子の口に入った粉チーズは「1gにも満たない」と言っていた。重い食物アレルギーがあると、たったそれだけで死に至るのだ。


だから、クローズアップ現代で紹介していたように、子ども達にもアレルギーという病を知ってもらうことが必要じゃないかと思ってきたのだ。お弁当を持参するにしても「一人だけいつもお弁当?どうして?」と思われるだろう。紹介されていた授業では、子供達が小麦粉が食べられないお子さんを気遣い、「調理実習で米粉のホットケーキを作ろう!」と話し合っていた。とてもいい授業。これこそが本当の道徳だとちょっと感動してしまった。


誤解しておられる方もいるが、給食はサービスの一環ではなく食育という教育なのだ。「食物アレルギーの子ども達にもできる限り同じ給食を」というのは文科省の指導なのだ。


私は文科省のメッセージは、それ事態間違っていないと思うし、とてもいいことだと思っている。問題はその運用をどうするかだろう。どこからどこまでが、親の責任で、親ががんばらないといけないのだろうか。食材や調理スペースの確保には、当事者でない人達の理解も必要になってくるだろう。


私は安全委員という委員を小学校でしたことがある。安全といっても、主に交通や事件や事故に関する安全に関して啓発活動を行う。その時、「健康や病気、命に関する安全もあっていいんじゃないでしょうか」と提案したことがある。乳がんで亡くなってしまったお母さんがおられたからだ。あの時は諦めてしまったけれど、もう一度と思った。


印象に残った言葉
宇理須 厚雄 藤田保健衛生大学医学部教授
●アレルギー教育について

この社会には、学校もそうですけれども、いろんな病気のお子さんがいるわけですね。腎臓病、糖尿病、それに食物アレルギー。そういう人たちに、それぞれの食事療法というのが必要なわけです。そういったことを学んでもらうのは、非常にこれは食育の非常に大事な一つだろうというふうに思います。そういったお子さんどうしが、共に生きていくという社会を学んでほしいなと。お互いに助け合ってやっていこうと、これは非常に大切な教育ではないかというふうに思いますけれども。



先生には提案してみた。先生は「私もクローズアップ現代をみました!」とおっしゃっていた。


医療が進歩し以前だったら助からなかった子ども達が学校に通えるようになった。私の子どももその一人だ。だから、もう少し医療と教育が手を結ばないと、同じように亡くなる命もあるんじゃないのかな、と思う。そういう気持ちでブログをはじめた。多くの人達に読んで欲しいというよりも、記録のためだ。


1年後、2年後、どうつながっていくんだろう?天国にとどくとぁいいなぁ、と思う。