2014/06/30

戦後最大の『薬害裁判』と『治験』の素晴らしさと

『集中』に治験に関する良い記事があったので転載させていただいた。


私の友人は『治験』の専門家だ。私は第三次救急で救命されるまで『治験』という言葉を全く知らなかった。


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野口英世記念館 
野口英世博士のロボットの前で


救急搬送される救急車の中で、「そういえば昨年いただいた年賀状に、新しい勤務先として、搬送先の病院の名前があった」と思い出したのだ。


搬送先の病院で友人が『治験』という仕事をしていると受付の方に教えてもらっても「大きな病院には『実験』する部署まであるのか」と勘違いした。


友人にはじめてあったのは、新婚生活をはじめたカナダだった。夫の友人の家に遊びにいったら、お寿司を握っている日本人がいた。脱サラしてすし職人になってカナダにきたのかと思ったら、小児科医だという。友人は私達がすし職人と間違えるほど料理が上手いのだ。


友人ほど勤勉でまじめで誠実という言葉がぴったりな小児科医はいない。


カナダで仕事をしていた時、ほとんど昼間家に帰らないからと日の当たらない家賃の安い部屋を借りていた。真冬はマイナス5度以下が珍しくないカナダで、少しでも生活費を安くするための知恵だ。実家が大病院なのに、私の同級生にはいないタイプの医師でびっくりしてしまった。


「僕のいる病院は子どものためにつくられた、素晴らしい病院だから見学においでよ」と誘われ、二人で掛けたことがある。苦しい闘病生活を送る子ども達への配慮なのだろうか。かわいらしい動物が出迎えてくれる明るい玄関に「こんな病院が日本にあったらなあ」と胸が一杯になってしまった。


私達が帰国した後も10年近く北米で働いていた。


久しぶりに再開したのは、救急搬送された友人の勤務する病院。


息子が産まれた時もかけつけ、毎晩仕事が終わると泣いていた私のところにやってきた。私が泣くと、今まで見た事がないような悲しい顔をしていた。だから泣くのはもうやめようと思った。


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出産祝いにプレゼントしてもらったお花


私が薬害の被害者の方々のために活動するようになったのは、友人が一生懸命働く姿をみたからだ。


NICUでは子どもの命を救命するために未承認薬・適応外薬など、様々な薬剤が投与される。しかしそのほとんどが、子どものために開発された薬剤でなく、大人のために開発されたものだそうだ。だから子どもの『治験』がいかに大切か、痛感したのだ。


でも友人は、私がシンポジウムなどに出るようになったら、家にやってきて私を怒った。政治やいろいろなものに巻き込まれるだろうし、利用しようとする人もいるから心配してくれたのだろう。


私が「日本には治験の素晴らしさを伝える人が誰もいない」と言ったら黙ってしまった‥‥。


今度はこっそりブログをはじめた。見つかったらまた怒られるかもしれない。それでも、やっぱりなくてはならない良い仕事は、多くの人に知って欲しいと思ってしまうのだ。


友人は、利害関係者からお菓子一箱だって簡単に受け取ったりしない。厳しくしないと子どもの命が守れないからだ。予算がない時には自費で海外まで出かけていく。エビデンスを構築していく時に、余分なもの(利害関係者との金銭のやりとり)をそぎ落としていくのは当たり前じゃないか、とある研究者が私に言っていた。


私は薬害の被害者でもあるからこそ、薬のために真摯に働く小児科医の姿をもっと多くの方に知って欲しい。もしも社会から尊敬されず、収入にも結びつかなかったら誰がこんな大変な『治験』をやりたいと思うだろう。


映画「希望のちから」から

最後の場面。スレイモン医師を多くの女性達が笑顔で迎える。
一つの有効な抗がん剤が開発されれば、これだけの女性を救うのだ。



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1998年認可以来、ハーセプチンは何十万人もの命を救った。現在スレイモン医師はUCLAで血液・腫瘍学部門長を務めている。リリーとペレルマンは18年間で一千万ドルの研究費を集めた。ハーセプチンは臨床試験を重ね、FDAより適応拡大が承認された。


今後、「子宮頸がん予防ワクチン」が戦後最大の薬害裁判になったら、日頃目立たない免疫学の基礎研究や治験の重要性に、社会の関心が向かって欲しい。はじめから人を傷つけようと思っているわけでも、お金儲けをしようと研究しているわけではないのだ。


薬害を生み出すもの、科学への不信はどこから生まれるのだろうかーーーーーこのブログの真の目的は、それらを見届けるためだ。


被害者は若い女の子がほとんどだから「薬害エイズ事件」よりも注目が集まるかもしれない。しかも、被害者のご家族は医療従事者も多いそうだ。『神に選ばれた』『運命』ではないか、とささやかれている。今度こそ、被害者とご家族を社会で守る世の中に変えていこう。


最後に書いておく。


櫻井よしこ氏の『エイズ犯罪・血友病患者の悲劇』(中央公論社、1994)を読んだ時、私は違和感をおぼえた。安部英医師は、櫻井氏が訴えているような極悪非道な医師と思えないからだ。


もし安部医師が極悪非道なら、アメリカに調査を依頼したことと、何も知らない部下を筆頭著者にし論文を書いたことは矛盾するのではないか。


櫻井氏はそれこそが、安部氏のアクドイところとばかり追いつめようとする。しかし夫も医学の世界の片隅で仕事をさせていただいている。真実は安部氏の主張にもあるように思う。私には悪事の証でなく、むしろ大きな圧力に抵抗した痕跡のように感じた。


安部氏が追いつめようとする櫻井氏に向かって言った「私は医師でございますから、患者を殺してはいけないのです。エイズで死んでいいというわけはありませんが」という言葉がいつまでも今も心の残る。


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「治験」のメリットを知り病院経営に生かす ーーー集中


薬や治療の安全性と有効性を確認する臨床試験のうち、製薬メーカーが新薬開発を目的として、薬事法にのっとって行われるのが「治験」である。


治験は、関わる医師や医療スタッフの膨大な手間が必要だとして、敬遠されがちでもあるが、医療機関の経営上は大きなメリットがある。その最大のものは金銭で、製薬メーカーからは世界一とされる受託研究費がもたらされ、さらに事務経費も含めた治療全般に必要な経費も全て弁済されることで、大きな収入源となる。


保険外収入を確保することで経営の安定を目指し、年次の経営目標の中に治験業務の拡大を掲げたり、積極的に治験収入の増加に努めたりすることをうたう医療機関も増えてきている。これを治験数に応じて各診療科へ研究費として配分したり、医師個人に還元したりすることで、インセンティブとすることもできる。


医師などが患者に対して行う診断・治療であれば、法人税法上は「医療保険業」とされて非課税扱いである。一方、治験収入は、医療機関が製薬会社からの委託を受け新薬候補である薬品の臨床試験を実施し、その結果を報告することによって対価として支払われるものである。これは「請負業」に相当するので、本来は収益事業であり、課税対象となる収入となることには留意しなくてはならない。


私立大学などでは受託研究として非課税にすることもできるが、受託研究の実施期間が3カ月以上であること、受託研究の結果生じた知的所有権などの研究成果の帰属に関する事項、および受託研究の研究成果の公表に関する事項が契約書などに明確に定められているといった要件を満たす必要がある点には十分留意したい。


治験を通じて新たな患者を開拓できる


さらに、治験を通じて、新たな患者が来院するので、それを集患につなげられるという期待もできる。収入以外にも、さまざまな有形・無形のメリットが医療機関にもたらされる。まず、社会的貢献をしているという達成感が生まれる。


また、一つの新しい薬ができるまでには10年以上の年月がかかることが普通で、研究開発に掛かる費用も数百億円に上るとされる。さらに、世界に通用するブロックバスター(年間売り上げ1000億円以上の超大型薬)になるような薬であれば、開発費は1000億円にも膨らむといわれている。


天然物や化合物のスクリーニングを繰り返し、選び抜かれた候補物質でも、治験で期待される効果が得られなかったり、思わぬ副作用が現れないとは限らない。せっかくヒトに投与しても、治験第Ⅰ~Ⅲ相のいずれのステップでも、安全性に難があった場合や期待した通りの効果が出ない場合は、その時点で開発が中止される。治験はそれほどに重要なプロセスで、より良い新薬が正しく評価され、1日でも早く承認されれば、多くの患者治療に役立てることができる。


大学病院であれば、国から治験実施成果に応じてインセンティブが還元される。また、医学部の研究評価の柱のうち社会的貢献度については、治験を含めた臨床試験が一つとして含められている。さらに、製薬会社からも治験実施能力という観点から大学評価がなされる。


もちろん、治験薬の段階では未承認だが、最新の先進的な治療を希望する患者のニーズに応えることもでき、それを内外に向けてアピールすることもできる。欧米では既に承認されている薬もあれば、日本、米国、欧州連合(EU)の関係者から成る日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)により国際協調が進んだことで、同時に治験が実施される薬もある。


治験を実施するには、豊富な経験を持つ有能な医師および医療スタッフがそろっていなくてはならず、設備などの機能面も整っており、先進医療を実施できる医療機関であることを内外にアピールすることが可能になる。治験を機に治験業務の推進を各部門の増員につなげている施設もある。


現在の治験は、1997年に国際ルールに準拠して制定された「医薬品の臨床試験の実施の基準(GCP)」省令にのっとり、製薬企業が専門医師らと共に策定して、治験審査委員会(IRB)で承認された実施計画書を遵守して実施される。被験者(患者)はヘルシンキ宣言に盛り込まれた基本的人権を重視され、十分な説明を受けた上で、自由意思に基づいて参加を決める。


このため、インフォームド・コンセント(正しい情報を伝えられた上での合意)を徹底しなくてはならず、患者参加型医療が定着するようになることも期待される。


院内連携の強化や教育効果にも期待


治験は責任医師を筆頭に多くの医療スタッフが連携するチーム医療である。治験を機に、院内の連携が強化され、協調していく体制が広まることで、より強固なチームワークを根付かせることができる。治験を通じて医療スタッフは最新の医療知識を学ぶことになり、効果安全性の的確な評価法などが身に付けられる教育効果もある。

もちろん、治験の実施者にはモラルが求められるのはいうまでもない。治験ではないが、ノバルティスファーマのディオバン事件が臨床研究の信頼性を著しく損なうとともに、日本社会の不利益につながる事態となったことは記憶に新しい。2013年6月には、小林製薬がメタボリックシンドロームなど肥満症に効く市販薬の開発に際して、医療法人大鵬会千本病院(大阪市)が実施した治験のデータの一部が改ざんされたとの疑いも浮上した。


被験者72人のうち4人の身長が実際より低く記録され、肥満の条件を満たすように被験者がそろえられたと、データへの疑義が指摘されており、同社では11年に申請した製造販売の承認を、13年3月に取り下げている。


厚生労働省の新GCP省令施行後、治験の手続きが煩雑になったことから、治験は治験施設支援機関(SMO)が仲介して実施されることが増えている。この治験も大手SMOによりあっせんされている。


病院が独自に行うと、うまくいきそうな人を選んでしまうこともある。バイアスがかからない公平な目で症例を選び、科学面に十分配慮してIRBに耐え得るだけの治験を実施するためには、第三者のシステムのサポートは欠かせない。一方で、製薬会社の意図に沿ったデータを出して、多くの治験を実施しようとするSMOなども存在することが指摘されている。


治験に関わったスタッフの努力や薬に懸けた人の思いに報いるためにも、SMOなどとの賢い付き合い方も心しておく必要がある。



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2014/06/27

天国に行って謝りたい 座右の銘は『フェア&リーズナブル』

父は味の素が好きだ。お刺身を食べる時など、お醤油にほんの少しいれたりする。鈴木会長のご兄弟は、優秀だから『味の素は頭と健康にいいぞ』といつも言っていた。


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中学生の頃図書館で読んだ本に「化学調味料は体に悪い」と書いてあった。父に 「味の素は化学調味料だから体に悪いんじゃないの」と言ったら喧嘩になってしまった。


それから数日して、父は私に言った。鈴木会長に「娘は『味の素が化学調味料だから体に悪い』と言っています」とわざわざ伝えたそうだ。鈴木会長は「学校の先生は体に悪いと教えるからね」と悲しそうな顔をしておっしゃったそうだ。


まさかご本人に言うなんて。また喧嘩になってしまった。


私は真面目な学生ではないので、就職がなかなか決まらなかった。すると鈴木会長は私を心配し、「うちの会社か兄弟の会社(メルシャン)に入れるといい」とおっしゃったそうだ。


父は「ご迷惑をおかけするので、それはよくありません」と断ったと私に言った。


それを聞いてまた喧嘩になってしまった。「勝手に就職先を決めないで。建設業は談合があるから嫌だ!」すると父は黙ってしまった。


結婚した時にはお祝いをいただいた。


数年後会長は亡くなった。


2007年、『華麗なる一族』が放送された時、鈴木会長のことを思い出した。あの番組をみた時、はじめて私は「間違っていたかもしれない」と思うようになった。一つの会社を大きく成長させる経営者の苦労など、考えたことがなかったからだ。


はじめてのシンポジウムの原稿の「ありがとう」という言葉は、鈴木会長への感謝の気持ちでもある。


その後2010年「兄弟の会社に入れるといい」とおっしゃって下さった、メルシャンの元社長鈴木忠雄氏が亡くなった。


新聞記事を読んだ時、めまいがしそうだった。「お金儲けをする人は悪い人」と心のどこかで思い込んでいたからだ。


昨年アメリカのヨセミテ国立公園を訪れた。ヨセミテの玄関口はワイン産地として世界的に有名な、ナパバレーのぶどう畑が広がる。広大なぶどう畑をぬうように、夫が運転する車はすすんでいった。


私は今も大切にとってある新聞記事を思い出した。


一生懸命生きると、天国にいけるそうだ。だから私はどんなに苦しくても最後まで生き抜いて絶対に天国に行こうと決めている。会長にお目にかかってどうしても伝えたいことがある。


『ごめんなさい』と謝まりたいのだ。


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追想録 世界駆け抜けた気さくな秀才 鈴木忠雄さん (メルシャン元社長) 2010年 10月15日
日経新聞 



世界的なワイン産地、米なパバレー。その中でも有数の名門ワイナリーに育ったメルシャンのマーカム・ウィニヤーズのブドウ畑で10月中旬、従業員たちが日本に向かい黙とうをささげた。ささやいた言葉は「さようならタッド(忠雄)」。飾らない人柄を誰もが慕っていた。


味の素の創業者の一人、鈴木忠治氏の孫。


(中略)


他の会社は一切受けず、味の素に入ったのが1951年。入社前に受験したロータリークラブの援助による留学生制度に合格していたため、1年目の夏から米国シカゴ郊外のノースウエスタン大学に1年間留学、ここで国際感覚に磨きを掛けた。


この時、もう一人、留学生に選ばれたのが元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんだった。


帰国後は総合食品メーカーを標榜(ひょうぼう)する味の素で、米食品メーカーのCPCインターナショナルと合弁で粉末スープ事業を立ち上げたのをはじめ、マヨネーズ事業への参入の旗ふり役も担った。


1970年代後半、苦境に陥っていたブラジル事業の継続、強化を決断、後の海外部門発展の礎を築いた。


副社長の鈴木氏と、社長在任中にコンビを組んだ歌田勝弘さんは「大変な秀才で国際通」と評し「一方で気取らず男にも女にもよくモテた」と話す。


スープ事業進出時には小売店に出かけ「気さくにあいさつしながら商品棚でハタキをかけていた姿を思い出す」と人柄をしのぶ。


「味の素のプリンス」と言われ続け、社長の最有力候補と目されながら87年に三楽(現メルシャン)の社長に転じた時には業界で様々な憶測を呼んだ。


しかし自らは恬淡(てんたん)とし、「酒屋のおやじ」を自称しながらワインを主軸としたメルシャンの事業拡大に力を注ぐ。


ワインを家庭に普及させるため、一本500円の「ボン・マルシェ」発売も指揮。一方で、87年に米ワイナリーのマーカム・ウィニヤーズ、88年に仏ボルドーのシャトー・レイソンを相次いで買収、メルシャンのワインの品質を高め事業のすそ野を広げた。


買収先のワイナリーの従業員には毎年、B 5判の紙3枚程度に家族を含めた近況を書いたクリスマスカードを送る気遣いを忘れなかった。


座右の銘は「フェア&リーズナブル」。


自分に言い聞かせるように常にこの言葉を繰り返していた。



10月12日没、80歳


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2014/06/26

私が社会に訴える時に大切にしていること

お休みしている間にいろいろあった。政治的な駆け引きがあるみたいだ。記録を残すはずだったけれど、もうすべてを正直には書けないな。数ヶ月後、きっと目にみえて変わっていくだろう。


『神奈川県予防接種研究会』で検索して来て下さる方がおられるようだ。


子宮頸がんワクチンを巡る問題 「正義」って何?


最近、はじめてシンポジムに登壇した後、父が私に言っていた言葉を思い出す。


今になって思うと、父の言葉はその通りだと思う。「話し合い」「熟議」と言っていたはずなのに。救命された患者が救えなかった『いのち』のための活動だったはず。ブレていったのは私なの?


自分に賛同する者はマスコミに出すという「アメ」を、批判する者には「無視」というムチを、という戦略に私は心が離れてしまった。以前は立場が違う者同士、話し合いましょうという雰囲気があったはずだ。


私は官僚には大変お世話になった。だから官僚を、(人前で)あからさまに批判してはいけない。


たとえ相手が右翼や暴力団に所属していたとしても、その中に正当な批判があるのなら、真摯に耳を傾け対応しなければならない。


今の世の中で『あの政治家は●党だから』『あの人は●という宗教団体に所属しているから』などといっていたら、何もできない。そもそも、政党や宗教団体に所属して活動するような人だから、志を持ち、様々な社会問題に関心があるともいえるのだ。


若い政治家の中には、熱心な人が必ずいる。そういう人を探し出してお願いしてみるといい。



アルジェリア人質事件が起きた時、真摯に対応する広報の方の記者会見をみた。記者会見をしていたのはかつて父の部下だった方だそうだ。


ナショナルセンターと厚労省にはいろいろと言いたいこともあった。自分を見失うほど辛い目にもあった。しかしどんなにヒドい組織だったとしても命を救ってもらったことには感謝をしなければならない。はじめてのシンポジウムの原稿でナショナルセンターに「ありがとうございます」という言葉を使ったのは感謝の気持ちを伝えず、批判するのは人として間違っていると思ったからだ。


考えてみれば、私が今、元気で暮らしているのはやっぱり父のいう通り、お世話になった官僚のおかげ、だと思っている。


鈴木竹雄 wikipediaより一部抜粋


鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 1995年12月9日 )は、日本の商法学者。東京大学名誉教授。

【 家族・親族 】

鈴木商店(現味の素)第2代社長の鈴木忠治の三男。鈴木商店創業者の2代目鈴木三郎助は伯父。妻は子爵の井上勝純の娘。


兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。


弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。


娘は日本放送協会報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。慶應義塾大学法学部教授の鈴木千佳子は娘。



父は亡くなった鈴木会長には大変よくしていただいた、といつも私に言っている。


鈴木会長は『味の素』の創業者ゆかりの方だ。ご実家が商家だから会長だけでなく、ご兄弟は皆さん大変腰のひくい方だったそうだ。父に「(弟や兄が)いつもお世話になっています」と挨拶をして下さったそうだ。


今でこそ日揮はグローバル企業といわれるようになったけれど私が幼い頃は中小企業だった。グローバル企業へと成長したのは父が私に言っていたようなところにあるのかもしれない。


自分とは異なる意見、批判にこそ耳を傾ける。それができなければ、私は世界は目指せないと思っている。











2014/06/17

しばらくお休みします

しばらくお休みします。

急激に変わりそうです。どうしてアクセスが増えたのかある人に聞きました。とりあげてきた問題を訴える方が出てきて、つながりそうだからです。

裁判も始まり、人権派と呼ばれる弁護士が引き受けてくれるようです。でも、勝てるかわかりません。昨日ある方からメールをいただいたそうです。その内容を聞いて決断しました。

ある方のところに行こうと思います。一緒に行こうと言ってくれる人達もいます。

私の要望書を読んだことのある方はおおぜいいます。官僚、医師、マスメディアの方々。裁判を起こす女性に写真を見せてもらった時に思いました。お子さんは9歳なのにオムツをしているそうです。要望書を出した時に、あの時きちんと対応してくれる大人がいたら、と思わずにいられません。

あの写真と昨日のメールが私の背中を押しました。

正しさは人の数だけあると思います。

もちろん私の正しさが絶対ではありませんし、自分に都合がいいことしか見ようとしないのかもしれません。それでもやっぱり子供の被害だけは特別で、看過してはいけないと思います。


2014/06/16

旧日本軍とナショナルセンター 最後の陸軍大臣阿南惟幾は『凡人』なのか

文字おこしをお休みして、今日はもう一度『女性利権』問題。今月の終わりか来月のはじめには週刊誌が発売されるそうだ。 お一人は弁護士も決まったそうだ。お二人とも、ご自身の名誉の回復のため、そしてお子さんのためにがんばって欲しい。


最後の陸軍大臣阿南惟幾の自決―徹底抗戦を呼号した一軍人の生涯 (光人社NF文庫)最後の陸軍大臣阿南惟幾の自決―徹底抗戦を呼号した一軍人の生涯 (光人社NF文庫)
(2012/09/30)
甲斐 克彦

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【 遺書 】

一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル
昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾
神州不滅ヲ確信シツツ

【 辞世の句 】

大君の 深き恵に 浴みし身は
言ひ遺こすべき 片言もなし


阿南惟幾 wikipedia より一部引用


阿南 惟幾(あなみ これちか、明治20年(1887年)2月21日 - 昭和20年(1945年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。

1945年4月に鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任した。太平洋戦争末期に降伏への賛否を巡り混乱する政府において戦争継続を主張したが、聖断によるポツダム宣言受諾が決定され、8月15日に自殺した。



【 NHKと精神医療の被害 】

あるサイトに書いてあった。『今話題の女子医大の精神科医はその中心的な役割を果たしてきた。モノアミン仮説、うつ病はセロトニン不足で起きるは嘘ですが、GSK社(パキシルの製造販売元)のサイトの監修もおこなっている』


ブログを書いても誰が読むだろう。はじめはそんな気持ちではじめた。今は、ブログの影響は結構侮れないと思っている。ほとんど誰にも知らせていなかったのに、いつのまにか訪問者数が増えていく。この問題もまた社会問題化するのだろうか。


DV シェルターの実態と『虐待冤罪』 『女性利権』が何をもたらしたのか その1 被害者の声も聞いて下さい


今話題の精神科医とは私の主治医とは別の医師。これは別の病院の話だ。ラッキーなことに私の通院していた病院では新薬が使えなかった。


この精神科医がすすめていたのは断薬が難しいといわれているSSRIなどの薬だったそうだ。一方的にDVの加害者にされ、子どもを奪われた男性が怒っているのは、この精神科医を取り上げてきたのがNHKだからだ。それも『女性のうつ』という番組に毎回出演していた。


どうしてあの頃、NHKは盛んに『うつ』の特集をしたんだろう?NHKの番組をみて「うつかもしれない」と精神科や心療内科に行ってしまったと被害者がよく言っているよ。


私にメールを下さった精神科医も「薬の情報は、学会誌と製薬会社の持ってくる情報がほとんどだった」と正直な気持ちを告白してくれた。


患者さんに断薬や減薬が必要だと思っていても、その方法がわからない医師もおられるだろう。それまで信じていた薬の情報が正しいとはいえないからだ。ここまでくると、十把一絡げに精神医療を断罪してもきっと解決しないような気がしてくる‥‥。


しかし、広告塔の役割を担ってきた方々は別だ。今日はこうなる運命を感じた、というエピソードを紹介しよう。私が書いた要望書も紹介するが日付に注目して欲しい。2009年4月1日二度目の要望書だ。これは民間企業ならすぐに対応するべき事例だったはずだ。


【 私の身におきた出来事 】

子どもが産まれた病院で、子宮筋腫の相談をした。その時に「超低出生体重児の育児に悩んでいる」といったら「育児相談ができる」ということですすめられた外来。そこがまさか「精神科」だったなんてーーー


何かがおかしいと思い、「要望書」を出したら「精神障害者」と決めつけられた。「『障害者手帳』を出すから一生薬を服用しなさい」と言われた。


それも、「私の診療に疑問をもったから」「私に逆らったから」という理由で。それまで穏やかだった表情ががらりと変わり、腕組をしながらイライラし出して、まるで別人のようだ。


あまりのことに、自分の身に何が起きたか理解できなかった。


納得できないから「正当な理由もなく、明日から障害者として生きよなんて納得できるはずがありません。死んだほうがましです」と抗議したら「その自殺願望こそが『障害』の証拠」と言われてしまった。


夫も「要望書を出しただけなのにどうして『障害者』?どうして『生きるの死ぬの』になるんだよ」と驚いて電話をしてくれた。でもいくら「妻は障害者じゃないですよ」と言ってもがんとして譲らない。何が何でも私を「障害者」にしないといけないようだ。


【 病院に送った要望書 】

2009年4月1日に書いた要望書 より一部引用


育児にはもともと不安がつきものです。病気や障害のあるお子さんならば、 なおさら母親は不安になるでしょう。しかし、不安を感じた時に的確なアドバイスや情報をいただければ、解消されることも多いのです。


私が欲しかった一番のケアは、投薬とおざなりのカウンセリングではなく、心を開いて話し会える関係と、正しい情報です。そして、そのような関係を作ってくださるのが、ナショナルセンターの大切な役割だと考えておりました。


さらに前述に関係して、現在の●科には大きな問題があります。それは、社会保障費が国民生活を圧迫していくなかで、安易に障害者手帳をすすめる●医師の姿勢です。これは、見えない損害を国に与えているのではないで すか。


報道によれば、センターの借入金残高は343億円にのぼるとのこと。 障害者手帳を出すことは、ますます国に負担を強いることになります。これまで●科では、何人の障害者を作ったのでしょうか。


他の科の医師やスタッフの皆様には心より感謝しております。しかし、●科とセンターの対応には失望いたしました。これまで機会があれば、アンケート等にも積極的に協力させていただいたつもりです。


子どもの入院中、平気で指をさすような見学者の好奇な視線にも耐えてきました。院内感染の危険を犯してまで、病棟やNICUの見学を許可したのはなぜだったのでしょう。それは、ナショナルセンターの必要性だけでなく、日本の周産期医療や小児医療の厳しい現状を知っていただき、新たな予算を獲得するためだろうと理解して、 がまんしました。


改めてセンターの設置趣旨を拝見させていただくと、今回の対応や●科の治療方針はとてもそれに基づいているとは思えません。



【 阿南惟幾は凡人か 】

このままでは障害者にされてしまう。だから再び抗議をした。


私の仲人は二人おり、そのうちのお一人は元特攻兵だった。私の出身校は旧日本軍と関係の深い学校だったため、同級生には阿南さんという大日本帝国最後の陸軍大臣阿南惟幾のお孫さんもいた。


「私を『障害者』にするために都合良く話をすり替えないで下さい。『死をもって抗議する』それぐらいの覚悟が私にはあるということです。仲人は元特攻兵だし、同級生には最後の陸軍大臣、阿南惟幾のお孫さんもいました。私の中に『辱めをうけるくらいなら死をもって抗議する』という死生観があってもいいじゃないですか。あなたは、旧日本軍人の『自決』も『うつ』が原因と言うんですか」と抗議したのだ。


すると、その時はじめて私の話が『妄想』じゃないと思ったのだろう。首を横にふりながら、小さな驚きの声をあげていた。


あの時、引き返す勇気を持てば良かったのだ。


【 ナショナルセンターと旧日本軍 】

奇遇なことに、ナショナルセンターは旧日本軍と関係が深いそうだ。


国立国際医療研究センター wikipediaより一部転載


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私は阿南さんにあってから、はじめてA級戦犯について深く知りたいと思うようになった。それまでずっとA級戦犯は悪い人達に違いないと受け付けなかったからだ。阿南さんがそれだけ聡明な女性だったのだ。


昭和天皇が大好きだったという阿南惟幾は子煩悩で愛妻家だったそうだ。責任を取るためにうまれてきたような方だった。


諸説あるけれど、私は阿南惟幾が本土決戦を強固に主張したのは、500万といわれる陸軍の暴走をとめるためだったと思っている。


「阿南惟幾は凡人」と必ず書かれている。だけどどこが凡人なんだろう。今の世の中で責任を取れるリーダーがどれだけいるだろう。


私は、阿南惟幾があの世で嘆いて、私を元主治医の外来に連れていったんじゃないかと思う時がある。


阿南惟幾は介錯をこばみ自ら割腹し約3時間苦しみ抜いた、と言われている。だからこそ「私は何のために自決したのだ。どうしてこんな世の中にした。みえないからといって、卑劣なことをしてはならぬ」と嘆いておられるのではないだろうか。


精神障害だろうと人格障害だろうと、『殴ることが治療の一環』など、あってはならないのだ。同様に正当な理由もなく、その人の人格を否定してはいけないし、簡単に「障害者」にしてはいけないのだ。


患者を殴りカルテ改ざんをした医師が今でも学会の重鎮なのが不思議だった。この医師は元主治医とも共同研究をしているようだ。調べていくうちにある答えにたどりついた。元主治医もそして地元の医師が教えてくれた元主治医の上司にあたる医師も、今話題の女子医の精神科医も、被害者からの訴えは同じだからだ。


結局は患者を一人の人格とみなしていない、ということなのだろう。


日本トラウマティック・ストレス学会に伝えたいこと 私が地上に出た日 育児支援と人権と


小保方さんの研究は次々と嘘が暴露されたけれど。彼らのPTSD研究やトラウマ研究は「だとされている」「かもしれない」で報告できてしまう。もう、なんでもありじゃないかと思えてくる。


要望書を出してから元主治医はいなくなった。ある人を通じていろいろ教えてもらった。最近、診療科名も突然変更されたようだ。


でも根本的に解決はされていない。「普通、先進国のナショナルセンターで、こんなことは許されない」と言われた。それだけ日本の厚労省は人権意識が低いということだろう。二度とこんなことが起こらないよう、その姿勢は正さないといけない。


2009年4月1日に書いた要望書 より一部引用

 
私の不信感はむしろ強くなりました。それは実害を訴え出たにもかかわらず、いまだ聞き取り調査や面接がないからです。センターには、専任のリスクマネージャーがいらっしゃるそうですが、機能しているのでしょうか。第三者の評価委員会はあるのでしょうか。また、●科に関する要望が確かに伝えられたのでしょう か。そして、厚生労働省へは報告をしていただけたのでしょうか。


民間では当たり前のリスク管理を、ナショナルセンターに求めるのは理不尽なのでしょうか。


心のケアにおけるトラブルは、すでに深刻な社会問題になりつつあります。 被害を訴えているのは、私だけではありません。「被害が社会に見えないのは、 被治療者が権威構造のなかで泣き寝入りをさせられたり 、 閉鎖構造のなかで隠蔽されたりするからである」と専門家より指摘されています。


代表的な具体事例として、日本トラウマティック・ストレス学会元学会長であり PTSD治療の権威、●医師の起こした暴力事件が挙げられます。精神科医であれば、ハラスメントも許されるのでしょうか。




昭和陸海軍の失敗―彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか (文春新書)昭和陸海軍の失敗―彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか (文春新書)
(2007/12)
半藤 一利、秦 郁彦 他

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元主治医は旧日本軍について書かれた本を読んだことがあるだろうか。旧日本軍の幹部は、以外なことに人間らしく勤勉でまじめで誠実だったりする。ただ、一人一人はそうであっても、組織になるとなぜか暴走してしまう。


何かに似ている。


そう。今のナショナルセンターや御用学会、官僚組織そしてNHKだ。


【 『周産期医療の崩壊をくい止める会』に伝えたいこと 】


「昭和陸海軍の失敗―彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」の最後の座談会で印象に残った部分を書き出してみた。これはきっとナショナルセンターや官僚を批判してこられた『周産期医療の崩壊をくい止める会』『現場からの医療改革推進協議会』の先生方にも当てはまることだと思っている。


「医療は、医師だけでなく、医師と患者が一緒になって築き上げるもの」「熟議」とおっしゃっていたけれど、実際にしていらしたことはそうだったのだろうか。私が訴えた頃には、利益相反にそれほど関心がなかったはずだ。


今日、ここに書いたことを読んでいただければ私達が利益相反を素通りできない理由がご理解いただけると思う。それに、夫をはじめまわりにいる研究者や医師は利害関係者と距離を保つよう、日々涙ぐましい努力をしている。私はそれが当たり前だと思って生きてきた。


もし、ウヤムヤに終わらせてしまうのなら、医療者による出前授業など、教育への参入に一定のルールを設けなくてはいけないだろうし、排除も考えなくてはいけなくなるかもしれない。


薬のキャンペーンから子どもを守ることもまた教育の大切な使命だからだ。被害者のおかれた状況はあまりにも厳しい。「当時はわかりませんでした」が子どもに通用するとは思えない。


きっと私にだって、できる範囲でやろうとすればできるだろう。ある方に相談したら「話を通してあげる」と言って下さった。


でもその一方で最近、いろいろなメールをいただくようになった。いろいろなお子さんがいて、それぞれ悩んでおられる。医療と教育の連携はやっぱり必要だと痛感する。排除することが必ずしも最善策だと言い切れない。


どうすればいいのだろう?


今月28日は亡くなった佐藤先生のご命日だ。募金活動の精神である『互いの歩み寄り』を考えなくていいのだろうか。


人を批判する時に忘れてはならないのは自分自身への批判だと思っている。それを怠ると、誰もが同じ過ちをおかすのではないだろうか。


私には、旧日本軍の失敗が最悪な人達の最悪な失敗とは思えなかった。今日、ここに書いたことは自分自身への戒めでもある。


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昭和陸海軍の失敗―彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか  (文春新書) より


陸軍に呑み込まれる〝恐怖〟


海軍は作られたエリート集団。戦争末期、陸軍は人数では倍ほどの開きがあり、そのため海軍はアメリカよりも陸軍を恐れるようになっていったーーー


海軍の利益を優先させてしまった。それが昭和の海軍最大の過ちだった。


海軍は官僚としても弱い。陸軍の調整会議などになると、海軍からは人数の担当者が出席するだけなのに対して、陸軍は大人数でやってきて、会議の主導権を握ってしまう。しかも、陸軍は事務処理に長けた連中に膨大な書類を用意させて挑む」


貴族的仲良しクラブの失敗


海軍と陸軍はある意味、対照的な性格を持っている。徴兵制によってひろく国内から兵を集まる必要のあった陸軍が民主主義的な性質を持たざるを得なかったのに対して、海という国際的に開かれた環境を舞台にし、近代テクノロジーを駆使する海軍には、厳しい階級制度に基づく一種の貴族主義的なカルチャーが根底にあった。


たとえば食事にしても、海軍では水兵と将校はまったく別のものを食べていて、雨降るなか水兵を甲板に立たせたまま、将校が軍楽隊の演奏を聴きながら食事をとっていた。


一方、陸軍のルーツは高杉晋作の騎兵隊なので、四民平等の軍隊として出発した。


これに対し、明治の海軍を形作ったのは西郷従道以下山本権兵衛、東郷平八郎といった薩摩派閥。身分制度が根強くのこっていて、その序列意識が海軍の組織にも大きな影響を与えていた。


そのため海軍は、一般国民から遊離した存在になり、自閉的な仲良しクラブとなってしまったのではないか。海軍の首脳部は自己の組織防衛ばかりを重視して、しばしば国民全体の運命に無頓着だったのではないか、という指摘があるが、それは日頃、広く国民と接する機会が少ないことの反映だったのかもしれない。


能力主義の抜擢人事も失敗し、将官の更迭人事もきわめて不十分。日本の海軍は最後まで抜擢を行うと序列が乱れて人事に支障をきたすのではないかと考えていた。



まるで戦争に破れても、海軍という組織が永遠に存続するかと思っているよう。それは、今の官僚組織にも当てはまる。


昭和の海軍はたとえてみるならば、エクセレント・カンパニーの悲劇。


栄光の日本海海戦があって、世界の三大海軍の一角を独占するようになった。大和やゼロ戦、酸素魚雷のように、世界に冠たる兵器を自前で開発できるようにもなった。日露戦争から日米開戦まで戦力をとうじなくてはならない戦争もなく、負けを意識せず済んできた。


その結果長老が人事を壟断し老害がはびこり、年功序列と学校の成績が幅をきかせて、内輪で固まり、外の目を意識できなくなった。


日本海軍は作られたエリート集団。日本のベスト&ブライテストを目指したはずなのに、気付いてみればムラの論理で組織が回っていた。ムラの論理は既得権擁護だから強い。それをくつがえすだけの行動力と説得力、そして勇気を兼ね備えたリーダーをもてるかどうか。



これはこんにち、我々に課せられた課題。


同一性の強い集団主義は日本人の長所でもある。しかし一歩間違えると組織そのものを滅亡させてしまう危険があることを、日本人は肝に銘じるべき。


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「医師 一斉退職の名門病院で セクハラ・パワハラ」 サンデー毎日 2014年5月25日 より一部抜粋

(略)

5人の医師が退職したことで、PICUのスタッフ体制は4月以降、28人から19人に減り、重症の救急患者などの受け入れ病床も20床から12床に縮小縮小せざるを得なくなった。重症の救急患者は都立小児総合医療センターなどに転送し、他からの搬送は断るなど、「拠点」と呼ぶにはほど遠い状況だ。


同センターは一斉退職の理由について口を閉ざしているが、3月までPICUのもう一人の医長だった同センター教育研修部の中川聡医師は「残った医師の拘束時間は長くなり、プレッシャーも強くなっているだろう」と現場がさらなる悪循環に陥る危険性を認める。


PICUは、小児医療死亡率の改善を目標に全国に広がりを見せている。国も4月からPICUの診療報酬について条件を緩和するなど、普及に力を注いでいる。


PICU拠点の一つ、静岡県立こども病院の植田育也小児集中治療センター長は「今回の騒動で、10年かけて徐々に広がったPICUにネガティブなイメージをもたれ、子ども達への医療投資に逆風が吹くことを懸念しています」と語る。

(略)

同センターは厚労省から複数の出向者を受け入れ、彼らは総務部長、財務経理部長など要職に就く。国の補助金である運営交付金で現在、年間30億円という「血税」がつぎ込まれている。


昨年から今年にかけ、国内六つの医療研究に関するナショナルセンターでは、不祥事が続発。国立がん研究センターでは、不祥事が続発。国立がん研究センターでは研究費不正流用、国立循環器病研究センターでは、入札を巡り受注業者が官製談合防止法違反の疑いで大阪地検特捜部の捜査を受けた。いずれも内部告発が端緒だ。



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2014/06/13

「ありがとう」それだけでは生きていけない厳しい現実 子ども達の退院後の支援の充実を その2 

「ありがとう」それだけでは生きていけない厳しい現実 子ども達の退院後の支援の充実を その1の続き


2011年1月31日 クローズアップ現代 ~小児がん 新たなリスク~


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希望を持ちながら生き生きと人生を送れるのか。
晩期合併症は、この国の医療体制をめぐる課題をつきつけています。



去年自ら命をたった23歳の男性。一歳の時に小児がんを克服したにもかかわらず、その後次ぎ次ぎに起こる病に苦しんでいました。




「なんでこの子だけ次ぎから次へと難病ばっかり」


原因となったのは小児がんの晩期合併症。治療に使われた抗がん剤などの影響が成長とともに現れる症状です。身長が伸びない。二次的ながんを発症するなど様々な形であらわれます。


小児科医

「医療従事者の間でもなかなかわからない。できなかったという部分もあります」


これまで見過ごされてきた晩期合併症。国は今月はじめて専門委員会を立ち上げ動き出しました。小児がんの新たなリスク。晩期合併症にどう向き合い、何ができるかを考えます。


白血病、脳腫瘍、リンパ腫など子どもを襲う小児がんは体の奥深くに発生し、治療も難しいといわれています。子どもが亡くなる病気の中で最も多いのがこの小児がんです。


しかし、医学の進歩で治癒率は大きく向上し、現在10万人が克服して社会で暮らしているといわれています。


小児がんが次第に不治の病でなくなり、経験者が大人になる中で新たな課題として浮かび上がってきたのが、子どもの命を救うために行われた治療がその後大きな後遺症や障害を残す可能性があることです。


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病気と今闘っている、あるいは今治療を終えた患者や家族にとっては厳しい現実ですが、経験者の約半数が何らかの合併症、晩期合併症に苦しんでいます。


小児がんの治療に使われる抗がん剤や放射線。これからは体内のがん細胞を攻撃するだけでなく、正常な細胞にもダメージを与えます。


特に子どもの場合、成長過程の細胞や体の器官がダメージを受けるために、子どもの成長に伴って、様々な症状が現れてくる可能性があります。


放射線治療の影響で成長ホルモンがでなくなり、身長が伸びなくなったり、生殖器官が治療の影響を受け、不妊になったり、さらには放射線や抗がん剤で新たながん、「二次がん」を発症するケースもあります。


合併症があらわれるのか否か。どんな合併症があらわれるのか。治療を受けた時の年齢や、治療を受けた時の強さなど、異なるために長期間検診を受け続けなくてはなりません。


小児がんの治療、そのものがもつリスクを、いかに最小限に抑えるのか。どうすれば後遺症や障害を早期に発見し、その影響を最小限にとどめられるのか。


さらにどうすれば経験者が周囲の理解を得られるのか。希望を持ちながら生き生きと人生を送れるのか。晩期合併症は、この国の医療体制をめぐる課題をつきつけています。






2014/06/12

「ありがとう」それだけでは生きていけない厳しい現実 子ども達の退院後の支援の充実を その1

メールをいただいた食物アレルギーのお子さんのお母さんの言葉がなかなか忘れられない。はじめて超低出生体重児のお母さんにもメールをいただいた。同じように悩んでいらしたそうだ。


電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ (角川文庫)電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ (角川文庫)
(2012/09/01)
すずらんの会

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小児ガンで入退院を繰り返していた少女が、
亡くなる数ヵ月前に書いた詩「命」をはじめ、
子ども病院で命と向き合う日々を過ごす子どもたちが綴った詩画集。
命の輝き、家族の温もり、感謝の心に満ちた言葉が、
生きる勇気と元気をくれると、
全国に感動の渦を巻き起こした。


障害や病を抱えていない超低出生体重児に関していえば、退院後の支援がほとんどない。どのように育つのかに関して正しい情報も少なく、小児科医もわからないという。発達検診に不満があっても、私のようにわざわざブログをつくって書く人はあまりいないだろう。


でも、同じように悩む親御さんは多かったのかな?


最近は、500g以下のお子さんも増えている。 もう、24週800gは「大きな超低出生体重児」になるかもしれない。


先日「よくがんばった」とNICUを退院した赤ちゃんのニュースが報道された。「よかった」と思う一方で、あのように報道していいのだろうかと思う気持ちもある。本当にがんばらないといけないのは、退院後かもしれないからだ。


メールを下さったお母さんのお子さんも順調だそうだ。でも、医療者にはわからない、順調に育っているからこそ、母親が感じる悩みがあるように思う。


昨日も息子は算数の文章題ができなくて、泣いていた。


100点もたまにとれるようになったけれど、息子が理解するには、やっぱり時間が必要なんだろう。いつも「もうあと一ヶ月、時間があったらなぁ」と思ってしまう。一日10分でもいいから勉強をみていないとまだ心配だ。


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学校で配られた『家庭学習の手引き』
「一番重要なところに線を引いてあげた」
と息子に渡された。

『強制したり、間違いをきつく叱ったりすることは逆効果』



勉強以外にも、体の成長に関して、お母さんはそれぞれ悩みを抱えている。


知り合いの超低出生体重児のお嬢さんは、すべての乳歯がはえなかったそうだ。ある時、急に気を失って、救急にかけこんだこともあった。救急の先生はよくしてくれるんだけれど、「成長」を長期にわたってみてくれる医師はいないようなことを私に言っていた。


小柄なので、成長ホルモンの投与を考え、産まれた病院に相談したら「この病院の基準では投与できない」といわれ、治験をしてくれる病院を探し出して通院している。


女の子だから、妊娠出産までフォローがあったらいいな、と思ってしまう。


その他にも、成長ホルモンを投与しているお子さんを知っている。病院によって考え方も違うようだ。水泳を習わせたり、皆いろいろな工夫をしている。


そうした姿をみるにつけ、もう少し支える社会で支えるシステム、せめて情報があったらな、と思ってしまう。


息子は小学校に入学したばかりの頃、算数がまったくわからなかった。今まで無理に何かをやらせなかったのに義務教育は逃げ場がない。焦って宿題をやらせたら、「僕は本当は勉強ができるんだ」と言って泣き出してしまった。


泣いている姿をみた時、これ以上「もっとがんばれ」なんて、言ってはいけないと思った。


NICUに子どもを残したまま自分だけ退院した日、小学生が走っている姿をみて「元気でいることは奇跡なんだ」と思ったことを思い出したからだ。


あの時「健康だったらいい」と思っていたはずなのに。これ以上、子どもにがんばらせるのは虐待と何が違うのだろう?


「ありがとうございます」それだけでは生きていけない厳しい現実があることを知った。


2011年1月31日に放送された『クローズアップ現代 ~小児がん 新たなリスク~』を文字おこししてみた。明日からアップしていこうと思う。


私はこの放送をみた時ショックを受け、二三日頭から離れなくなってしまった。今まで「小児がん」といえば助かる病気のイメージがあったからだ。


小児がんは治癒するようになったが、その一方、薬物療法や放射線治療などの影響によって生じる合併症があらわれることが最近、わかってきたそうだ。


長期フォローアップと晩期合併症 国立がん研究センター 小児がん情報サービス


晩期合併症の症状は多岐にわたるが、その中で注目したのは低身長だった。


超低出生体重児も同じように悩んでおられるお子さんが多いからだ。それでも、身長が低いことで、社会に出た時に、ここまで大きな不利益を被るとは想像していなかった。


小児がんと同様、小さく産まれた子ども達も、あきらかに障害がなくても、退院後のフォローがもう少しあったらと思わずにいられなかった。


夫に聞いたら、夫も「必要性を感じる」と言っていた。ただ、お年寄りの研究はデータをとりやすいけれど、「子どもは差が大きすぎて、難しいと思う」と言われてしまった。一人一人個別にみていかないといけないそうだ。


息子の場合は、ぎりぎり自力でどうにかなるかもしれない。でもそれは一つの経験でしかなく、これが正しいとは言い切れない。


私が訴えたいことは一つ。この番組の最後で医師がおっしゃっている。「子どものことも含めて社会の理解を得るということ」


アレルギー死亡事故で亡くなったお母さんもおっしゃっていた。「アレルギーは特別なものではない。自分たちの身の回りに存在する普通の問題だということに社会全体が理解を深め、あらゆる大人が子どもを見守るようになってほしい」


2013年2月21日 クローズアップ現代 続発するアレルギー事故 学校給食で何が? 藤田保健衛生大学 坂文種報徳會病院 宇理須厚雄先生の言葉

この社会には、学校もそうですけれども、いろんな病気のお子さんがいるわけですね。腎臓病、糖尿病、それに食物アレルギー。そういう人たちに、それぞれの食事療法というのが必要なわけです。そういったことを学んでもらうのは、非常にこれは食育の非常に大事な一つだろうというふうに思います。

そういったお子さんどうしが、共に生きていくという社会を学んでほしいなと。お互いに助け合ってやっていこうと、これは非常に大切な教育ではないかというふうに思いますけれども。



2013年5月28日 NHKクローズアップ現代「幼い命を守れ~小児在宅ケア・地域の挑戦~」田村正徳埼玉医科大学総合医療センター教授の言葉


65歳以上の老人に対する、国民一人あたりの国民総医療費は、15再以下の子どもの10倍ということになります。ぜひ、子どもにもお金を使っていただいて、より安心して住める社会にしていただきたいと思っています。この問題を子どもの問題でなく、社会の問題として捉えていただきたいですね


小児がんの子ども達も、重度の食物アレルギーの子ども達も、ワクチンの副反応(有害事象)被害者も、そして超低出生体重児も、子どもと親はがんばらないといけない。でも、個人では限界がある。


だからといって、「フォロー体制の充実を」と訴えても、困っている人は大勢いるし国に余裕がない。すべての子どもに支援が行き渡るなど、無理かもしれないと心のどこかで思っている。


だからこそ、社会全体でできるなら見守って欲しい。お金がなくてもできることもあると思う。そういうことを伝えたかったのだ。


先日たまたまみたクローズアップ現代「初期認知症と診断されたら・・・ ~どうつくる支援体制~」でも、やはり同様の問題を取り上げていた。


認知症と診断されても、日本では診断後の支援がほとんどないことが問題になっているそうだ。


番組の中でスコットランドの支援体制を紹介していた。スコットランドでは、診断直後からリンクワーカーと呼ばれる専門職が1年間集中的に関わり、必要な支援と結びつけることで、認知症とうまく付き合う方法を見つけ、進行を緩やかにする効果をあげているそうだ。


退院後の支援体制の不足は、日本が早急に取り組むべき課題だ。


昨日、食物アレルギーのお子さんのお母さんに教えていただいて切なくなったよ。


「どうしてこんなに大変なのに、世の中に知られていないの」と聞いたら教えてくれた。手間ばかりかかってお金にならないから治療体制が整わなかった、ということもあるんだそうだ。


公共放送であるNHKは『キャンペーン』をする時、何を基準に決めているんだろう。 ギリギリの状態でなんとかがんばっているお母さん、お子さんは世の中に大勢いる。でも、そういう人ほどなかなか本音を教えてくれないものだよ。


それぞれの病を抱えた子ども達のために『キャンペーン』があって欲しいよ。





2014/06/11

東北大学大学院 門間陽樹助教・永富良一教授研究 『日常生活の改善・維持により、災害に伴う精神的ストレス耐性獲得の可能性』 

東北大学大学院の門間陽樹助教・永富良一教授の研究グループが、大規模自然災害時の心的外傷後ストレス障害(PTSD)について、研究成果を発表したそうだ。


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東北大学 プレスリリース



永富先生が被災地の仮設住宅でお年寄りの支援をしていることは知っていたけれど、この研究のことは知らなかった!


今から11年前のちょうど今頃ーーーーーー


子どもの様子がどこかおかしい。それなのに、夫はデンマークで行われる学会に行くという。私はなかなか寝ない息子のために実母と喧嘩し、それ以来疎遠になっていた。不安でたまらなかった。結局直前になってキャンセルしてもらった。


不安は的中し、総胆管結石の発作が突然襲った。キャンセルは結果的によかったけれど、永富先生には申し訳なくて今でも忘れられない。


その永富先生にまた助けていただくとは思わなかった。


PTSDという診断を巡っては諸説あるのでここでは省くけれど、『心のケア』ブーム以前は、こういう考え方が当たり前にあったんじゃないだろうか。


夫はもともとストレスに関心があった。運動とストレスには密接な関連があるからだ。でもある時、「人の心は正確に数値化できない」と気づき今の研究に関心が移った、と言っていた。


だからといって反精神医学ではない。もともと運動生理学は戦争と関係が深い。留学していた時には軍の関連施設にお世話になったからPTSDにも関心がある。問題は、「PTSDをどのようにケアしたらいいのか」ということなのだろう。


今回の東北大学の成果は、獨協大学の井原裕教授の『精神科臨床はどこへいく』の冒頭の座談会で取り上げていたことを裏付けるものではないだろうか。


私は超低出生体重児を産んだ母親が落ち込むのは、人として当たり前の感情だと思っている。「小さく産んで申し訳ない」などの喪失感や無力感を持つことは、母親だったらむしろ自然なことではないだろうか。


そのケアは必要でも、すべてを「PTSD」のように捉え、薬物療法で対処するとかえって心の回復を妨げてしまうと思うのだ。薬物治療で日常生活もままならないと子育てに支障をきたす。子育てができないと家族円満というわけにはいかないからだ。


私は、正しい情報が少なく社会に理解されない、ということや社会的支援がないことで悩んでいたのだ。だから、「一生薬を服用しなさい。障害者手帳を申請すればいい」という元主治医の指導はどう考えても納得ができない。


そもそも 『育児の相談をしませんか』といわれて行ったわけだし!!


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それよりも、深く傷ついたことがある。


子どもが産まれた病院には、重い障害や病気を抱えた子ども達が日本中からやってきていた。そういう病院だと誰よりも知っているのに、私に「障害者手帳」をすすめる矛盾に耐えられなくなったのだ。


社会保障費が国民経済を圧迫する中で、安易に障害者手帳をすすめることは、国に見えない借金をつくっているようなものだ。あの子ども達の支援だって足りないのに‥‥。ぞっとした。


あの頃、私は暇をみつけては運動を続けていたのだ。 少しでも体力を取り戻すために一生懸命だったのだ。だから体重が減少していたのだ。


そんな私を「運動していようがしていまいが、そんなの私知りません。だって!あなたやつれてみえるもの」と「病んでいる」と決めつけていたけれど、「適度な運動をしている人」と「病んでやつれている人」の区別もつかないのだろうか?


私に運動の指導をしていた夫がびっくりしていたよ。


少しずつ体を動かすよう指導することだって、大切なケアのはずだ。それをしようとしなかったは、そもそも「治癒させよう」「日常生活に戻そう」という発想がない、ということではないだろうか。


驚くべきことに、カルテを開示したらその疑惑が思い違いでないことがハッキリした。元主治医の「ケア」とは育児の不安を薬で「鎮静」させることだったのだ。


見えないビジネス 『パブリックアフェアーズ戦略』は人と人とのつながりを遮断する  その1 NHKに伝えたいこと


最近、NHKに対して不信感がつのる。


なぜならNHKは、元主治医を『児童虐待の専門家』として取り上げていたからだ。それも『社会的養護が必要なこども』について助言を求めていた。でも実際に行っていたのはこういうことだ。


それなのに、NHKはいざ被害が社会がみえはじめると、今度は被害者のところにやってきて言うのだ。「専門家の言っていることは何だかおかしいですよね。取材させて下さい」と。


さらに番組をつくる段階になると今度は、「放送するために医師の証言が必要です。どなたか医師を紹介して下さい」。


なんだか腑に落ちないよ。どうして私達が論文を読んで医師を探し出さないといけないの?永富先生の研究をみればわかるでしょう。被害者にとって有利な論文は時間がたたないと出てこないのだ。


公共放送の使命とは一体何?受信料を払わせているんだから、「薬害」を生み出さない努力をしないといけないんだよ。NHKはどこを向いて番組をつくっているんだろう。


最近、ある方のところに直談判に行こうか真剣に考えている。このままでは薬のキャンペーンから子どもを守れないという危機感があるからだ。


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東北大 震災前の生活習慣などが災害後の精神的ストレスと関連すると発表 QLifePro医療ニュース


震災前のデータを分析


東北大学は5月2日、仙台市内の勤労者を対象に東日本大震災発生以前から行っていた健康調査のデータを解析し、震災発生前の身体状態や生活習慣が震災発生後の精神的ストレスと関連するとの研究結果を明らかにした。


同研究は東北大学大学院 医工学研究科 健康維持増進医工学分野の門間陽樹助教、永富良一教授のグループによって行われ、4月23日PLOS ONE(電子版)に掲載された。


同研究では、災害の発生に影響を受けず、かつ、修正可能な身体機能や生活習慣に着目することで、震災発生前の身体機能、生活習慣および既往歴などが、震災発生5ヶ月後の精神的ストレスレベルと関連が認められるかについて検討した。


2010年に研究に同意した健診受診者1,185名を対象に生活習慣に関するアンケートと人口統計学的特性、既往歴、脚伸展パワーを評価。さらに、災害発生後の2011年、震災による精神的ストレスの指標として改訂版出来事インパクト尺度(IES-R)の評価を行い、震災による家屋被害、人的被害および仕事量の増減についてアンケートを実施した。


追跡不可能者や欠損値を除いた522名を対象に分析したところ、男性においては脚伸展パワーが高い人はIES-R得点は低く、毎日お酒を飲んでいた人および抑うつ傾向であった人はIES-R得点が高いという関連が認められたという。また、女性においては、抑うつ傾向があったものはIES-R得点が高い関連が認められ、高血圧であった場合もIES-R得点が高いという関連が認められたという。


日常生活の改善・維持により、災害に伴う精神的ストレス耐性獲得の可能性


これまで大規模自然災害時の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の危険因子として被害状況や性別・精神疾患既往歴といった因子が特定されてきたが、これらの項目は災害が発生しないと評価できず、修正が困難もしくは不可能だった。


同研究は世界でも初めて、災害発生前の状態が災害発生後の精神的ストレスに影響を与え、日常の身体機能の維持・向上が災害時のメンタルヘルス悪化の一次予防策になる可能性を示すものだという。


災害の発生前に評価できる項目や修正可能な項目が災害後のPTSDに影響を与えると明らかにすることで、PTSDハイリスク者を災害発生前に把握し、日常生活の改善・維持により災害に伴う精神的ストレスに対する耐性を得ることができる可能性が示された。

(浅見園子)

▼外部リンク

東北大学 プレスリリース
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/


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『精神科臨床はどこへいく』 PTSDの乱発 「こころのケア」のいかがわしさ から


いじめや犯罪被害などにあって、家にひきこもっている患者さんたちに関わっているが、そういう被害者として名付けられた人は、被害にあった時点から時間がとまったかのように見える。


ストレッサーばかり強調されてしまって、そのストレッサーを被れば誰も彼もPTSD、しかも脳にまでこんな変化が起こる、というような方向にいってしまったのは、大きな間違いだった。今回の震災でもそうだ。減少をひとくくりにしまったのが間違いなのです。つまり、個々の問題を考えなくなってしまって、「こういうことが起こったから、これはみんなPTSDだ」としてしまう。


生まれてから一人ひとりが背負ってきた歴史というものがある。要するにここが大事。今、PTSDが氾濫して、肝心な主体「個人」を忘れてしまっている。すべてPTSDだ、トラウマだ、となってしまう。トラウマを抱えない人なんていない。みんなトラウマを抱えて、それを乗り越えて、あるいはずっと沈ませて生きている。


ホロコーストの人がどうやって生き延びてきたのかということに関心があるのだが。乗り越え方というものはみなささやかで日常的なものだ。派手な心理的アプローチや、海馬の異常を指摘されることで乗り越えられるものではない。


(東日本大震災では)規模が大きいにもかかわらず、PTSDの発生が少ないようだ。とても辛い思いはされているだろうが、東北の人たちにはその共同体の支えで、PTSDがそれほど簡単に起こらないかもしれない。


記憶というものは、思い出すたびに少しずつ上書き保存されるところがありますから、新しい経験を積むことによって徐々にフェイドアウトしていくのが一番いい。PTSDの人たちに対してなすべきは、生活の再建を促すことだと思う。


「勇気をもって、少しでもいい方向にもっていこうではないですか」という建設的な話をすることが大切で、お悩み相談をいくらやっても限度があると思う。


(その一方で都会でPTSDが増えているというが、どうしているのか)


PTSDという名前がつくと、被害・加害関係の検証にすぐに入ってしまい、何かというと、それがすぐに出てきて、そのたびに生活も時間もとまってしまう。事件のことを聞かない語らない時間を設け、非常に地味な日常の積み重ねを促したりすることもあるが、しかしそれだと寂しいらしく、ついついPTSDカウンセリングをしてくれる人の方にいってしまう。なかなか難しい。


人間というものは傷口に塩を塗りたがるところがある。何度も繰り返し思い出したり、自虐的なところがある。しかしそれは悪いことではないのではないか。それを何か新しい行動への原動力へを変えていけばいい。だけど実際にはトラウマをただ反芻するにとどまる人が多いのだ。


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ノバルティス社元社員を逮捕 降圧剤の誇大広告容疑 東京地検特捜部 産経新聞 6月11日(水)12時36分配信


製薬会社ノバルティスファーマが販売する降圧剤「ディオバン」の臨床研究データ操作事件で、京都府立医大の論文に虚偽の記載をしたとして、東京地検特捜部は11日、薬事法違反(誇大広告)容疑で、データ解析に関与したノ社元社員、白橋伸雄容疑者(63)=神戸市北区=を逮捕した。関係者によると、特捜部の調べに容疑を否認しているもようだ。


 逮捕容疑は、白橋容疑者がデータ解析作業に参加していた京都府立医大の臨床研究論文で、実験で得られたデータを改竄(かいざん)。平成23年10月ごろ、「脳卒中などを防ぐ効果が高い」などとする論文を海外の専門誌に投稿し、薬の効果について虚偽の記述をしたとしている。


 ディオバンの臨床研究は、東京慈恵会医大で14年1月に始まって以来、5大学で実施。京都府立医大では16年1月から始まり、白橋容疑者は初期段階から参加していた。


 京都府立医大の研究には31病院が参加、患者約3千人のデータをもとにディオバンの降圧効果や合併症の発症率を調べていた。


 白橋容疑者は、これまでの特捜部の聴取に「研究データの解析作業に関与したことは事実だが、改竄したことはない」と研究内容を意図的に操作したことを否定していた。


 厚生労働省が1月に刑事告発。特捜部は今年2月、同社日本法人(東京都港区)や大学などの関係先を家宅捜索。関係者から事情を聴き、捜査を進めていた。


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2014/06/10

大阪教育大付属池田小学校事件から13年 

大阪教育大付属池田小学校事件からもう13年だそうだ。新聞報道で残されたご遺族の無念さを知るにつけ、心が痛む。最後に引用させていただいたが、ご遺族や事件当時現場にいらした方々の想いは様々だ。教育大の付属小学校ということで、事件を風化させず、「いのち」の大切さをこれからも私達に伝え続けて欲しい。


亡くなった皆様のご冥福をお祈りいたします。


私は今でも犯人の暴言を忘れることができない。



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宅間守の生い立ち【附属池田小事件】 NAVERまとめ

2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に刃物を持った男(宅間守・当時37歳)が乱入。児童8人が死亡、教師を含む15人が重軽傷を負った。 更新日: 2014年06月08日


世の中は不条理だということを子どもに知らせたかった。小学校を狙ったのは簡単に殺せるからだ。もし幼稚園だったら、もっと多くの子どもが殺せたはずだ。どうして幼稚園にしなかったんだろう。ーーーーー法廷で、ご遺族に向かって、そう言ったのだ。


私が息子を私立の幼稚園に入学させたのは、とにかく家から近いことが理由だった。もし殺人犯が忍び込んできても、塀をよじ登って助けに行けるからだ。


この事件があってから、幼稚園や小学校で防犯意識が高まっていった。


でも、日本の危機管理ってどこかおかしいような気がしてならない。例えば、『民間の警備会社の防犯システムを導入すれば安心・安全』という感じだからだ。


日本の民間警備会社は、警察官のように命をかけて子どもを守ってくれないよ。格差社会が広がれば、池田小の犯人のような殺人犯は、これから増えるんじゃないだろうか。


池田小事件は、わずか10分の犯行(学校の調査では5分)だったそうだ。覚悟を決めた殺人犯に、民間人が立ち向かえるとは思えない。


学生の頃、民間警備会社の不都合な真実を知ったーーーーー


知り合いの体育会の男子学生が、ある時私に教えてくれたのだ。彼は、有名警備会社で警備員のアルバイトをしていた。彼がまかされていたのは、有名企業のオーナーの自宅だった。でも、警備会社からは「犯人には立ち向かわなくていい。逃げなさい」と指示されていたそうだ。


PTAの会合で「この小学校も、民間の警備会社の防犯システムの導入が決まりました。これで安心です」というようなことを校長先生がおっしゃるから、手をあげて発言したことがある。もし、犯人が包丁でなく、拳銃を使っていたらもっと多くの犠牲者が出ていたはずだ。


「民間の警備会社の警備員は、警察と違って拳銃を所持していません。池田小事件のような犯人が侵入してきたら、子どもの命を守るには、民間の警備員では無理だと思います。


まず、警察が到着するまで何分かかるかを把握し、その時間、どうやって生き延びるか考えないといけないのではないでしょうか。防犯システムを導入すると、導入したことで安心してしまって、訓練をおざなりにしてしまうかもしれません」



防犯システムの導入後、保護者や来訪者が出入りする裏口のドアの開閉時にブザーが鳴るようになった。でも開閉するたびに鳴るから、逆に危機意識は薄れているような気もする‥‥


某警備会社の宣伝をしていた著名人のお宅に泥棒が入って、大きく報道されたことがある。その日は、システムを解除していたそうだ。カナダに住んでいた時、警報音がうるさくていつもシステムを解除していた私はドキっとした。


しかし私の発言はさえぎられてしまった。自戒を込めての発言だったんだけれど‥‥。


こういう危機管理は、犯罪が多発する北米では当たり前なのだ。日本では、暴漢に襲われたらどうやって抵抗するか、包丁を持った犯人が侵入したらどうやって逃げ延びるか、など、危機に立ち向かう具体的な方法を教えないな、といつも思ってしまう。


「侵入させたらいけない」で思考停止してしまうと、侵入されたらどうするんだろう?本当は「完全には守れない」ということを前提で、保護者にも考えてもらわないといけないんじゃないだろうか。


ようやく最近、『着衣水泳』の授業が導入された。例えば「(危険だと標識のある)川で遊ばない」と教えるより、服を着せて泳がせた方が、どうして遊んじゃいけないのかわかるだろう。


どっちがいいんだろう?


私が池田小学校の事件で学んだことが一つある。拳銃を所持していない犯人だったら、「さすまた」という道具を使えば時間がかせげる、ということだった。こういう訓練をしたほうがいいんじゃないかと言いたかったのだ。


道具があっても、いざという時に対処できないと意味がないと思うのだ。食物アレルギー事故での『エピペン』の教訓でもある。


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刺又 wikipediaより一部引用

刺又(さすまた)とは、相手の動きを封じ込める武具及び捕具。刺股、刺叉とも書く。

防犯器具として 

現代では、柄が木製からアルミや強化プラスチック製になり軽量化され、更に取り回しが楽になった物が登場しており、警察でも使用されている。


近年では附属池田小事件やその他の不審者らによる学校侵入事件が相次いだ2002年以降、防犯グッズとして教育委員会や小学校が学校施設の防衛力強化に導入するところが増えており、また金融機関も強盗の被害から防衛する意図で導入する動きも見られる。その他、民間警備会社所属の警備員も警備業法の改正により刺又の携帯及び使用が可能となった。


刺又だけでは制止力に欠けるため、同器具で対象者と距離を取った上で催涙スプレーやスタンガンなどにより相手の行動の自由を奪い捕縛するといった方法もみられる。刺又だけで対象者を制圧する事は困難で技術を要するため、対象者を怯ませて撃退するか、もしくは壁などに押さえ付けて応援を待つために利用される。


ただしこれらの行為は、単独では対象者の腕力が取り押さえる側よりも強い場合に、返り討ちに遭う危険も伴うため、複数人数で同器具を複数用いて集団で押さえ込む方法が勧められる。江戸時代の刺又術では首や手足を押さえ込むような物が多かったが、現用の刺又では対象者の胴体を押さえ込むよう、先端部の金具が大型化している。訓練度の低い人が使う場合には胴体を押さえ込む方が、手でガードされやすい首や、動きの速い手足を狙うよりも、扱いやすく確実である。


またこれら器具の扱いに際して、器具の製造・販売メーカーの担当者や警察官などが主体となり、扱いを学校関係者や金融機関従業員に教える講習会も日本の全国各地で開催されている。

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【付属池田小事件13年】20歳になった娘へ…父の思い「私が生きている限り、ずっと寄り添い続ける」 2014.5.31 09:40 msn 産経ニュースwest


 児童8人が殺害された平成13年6月の大阪教育大付属池田小事件で、犠牲となった本郷優希ちゃん=当時(7)=は今年、成人の日を迎えた。父の紀宏さん(49)は成人式会場に足を運び、優希ちゃんの誕生日にはワインを開けた。だが、まぶたに浮かぶのは、想像の中で大人に成長した姿と、小学校2年生だった当時の2つの姿だ。「優希への思いは変わらない。時間は今も、止まったままです」


ワイングラスを2つ


 今年1月13日。紀宏さんは優希ちゃんの写真を胸に、大阪府池田市の市民文化会館に足を運んだ。ミニライブや吉本芸人によるステージなど、「池田市成人の集い」の式典がにぎやかに開かれていた。


 まな娘にとって大切な人生の節目を、ともに祝いたい-。そんな思いで訪れた会場では、晴れ着に身を包んだ新成人が楽しげに談笑し、華やかな雰囲気に包まれていた。


 娘と仲良しだった友達は来ているだろうか。しかし、それを確かめる間もなく、紀宏さんは会場を後にした。「辛かった」。


 事件から13年。紀宏さんは優希ちゃんの心に寄り添って毎日を過ごしてきた。紀宏さんの中には、中学、高校に進学し、大学生にと成長した優希ちゃんがいる。今年の3月1日の誕生日には、「大人になったらパパとお酒が飲みたいな」と言っていた優希ちゃんとの約束を果たすため、日付が変わると早速ワインを開けた。


 並べたグラスは2つ。「おめでとう、優希。また大きくなったね」と乾杯した。だが、もう一つの杯が空くことはない。夜は、静かに過ぎていった。


大切な時間


 事件が起きた6月8日に毎年付属池田小で開かれる「祈りと誓いの集い」は、昨年から開催時刻が10時過ぎになった。それまで、事件が起きた10時台は「遺族にとって大切な時間」と避けられていた。紀宏さんは、式典に出席してから当時と同じ時刻に優希ちゃんの足取りをたどるのが常だった。


 だが、昨年の式典には参加しなかった。在校生が「誓いの言葉」を述べる旧正門前のはるか向こうには、優希ちゃんが横たわっていた地面にひざまずき、独りじっと祈る紀宏さんの姿があった。


 「次回は検討しますから」。学校関係者にそう言われていた今年、紀宏さんは開催時刻が元に戻ることを期待していた。だが、届いた案内状に書かれた開催時刻は、昨年と同じ10時12分。紀宏さんは「事件が起きた時刻に『集い』を開く方が、対外的には発信しやすいかもしれない」としつつ、こう話す。


 「事件当時、重傷を負いながら懸命に教室から廊下へと、最後まで諦めずに生きようとした優希のそばに誰もいてやれなかった。だからこそ、6月8日のあの時間は、あの場所で優希のそばに寄り添っていてやりたいんです」


 優希ちゃんを失った悲しみは、「全く変わらない」。13年の月日が流れる一方で、紀宏さんの中には当時から止まったままの時間が存在している。その乖離(かいり)は「どんどん開いているようにも感じる」が、決して変わらないものがある。


 「私が生きている限り、ずっと優希に寄り添い続ける」


 優希ちゃんも、そんな紀宏さんのそばにいるはずだ。


■付属池田小事件 平成13年6月8日午前10時すぎ、包丁を持った宅間守元死刑囚が大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)に侵入。教室にいた2年の女児7人、1年の男児1人の計8人を刺殺し、児童13人と教師2人に重軽傷を負わせた。精神鑑定で責任能力が認められたとして殺人、殺人未遂などの罪で起訴され、大阪地裁が死刑判決を言い渡し確定。16年9月に死刑が執行された。国と学校は安全管理の不備を認めて遺族らに謝罪し、計約4億円を賠償している。


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【池田小事件から13年】「助けられ、前向きに生きられた」重傷負った元児童が体験語る 祈りと誓いの集い 2014.6.8 14:02 msn 産経ニュースwest


 児童8人が犠牲となった大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件から13年を迎えた8日、同校で追悼式「祈りと誓いの集い」が営まれた。式典に先立ち、事件で重傷を負った山崎裕也さん(19)と佐々木靖校長の対談映像が各教室に流され、山崎さんは「回りの人に助けられ、前向きに生きることができた」と13年を振り返った。


 山崎さんが小学5、6年生のときの担任が佐々木校長で、大阪大理学部に今年入学したこと佐々木校長に報告した際、後輩に事件を伝える役割を申し出たという。同小で、被害者となった元児童が経験を伝えるのは初めて。


 事件当時、山崎さんは1年生だった。校舎1階の教室で宅間守元死刑囚に腹部を包丁で刺された。「悪いやつが入ってきたことをみんなに知らせなければ」と思い、血を流しながら悲鳴が響く校舎を上り下りした記憶を話した。


 事件後、教室に戻ることへの恐怖や、腹筋ができないといった後遺症が残ったが、「いつまでも被害者の立場に甘えてはいけない。マイナスのことでも次につなげないと」と、自らを奮い立たせたという。「回りの人に助けてもらい、いろんな経験をして今の自分がある。どんな友達でも仲良くしてほしい」と後輩に語りかけた。


 式典は、事件が起きた午前10時10分すぎから始まった。校内のモニュメント「祈りと誓いの塔」の8つの鐘を鳴らし、児童や保護者、遺族ら約1600人が黙祷(もくとう)をささげた。


 今年から事件前に生まれた児童がいなくなったが、代表の6年生らは「今までの先輩方から受け継いできた、安全で安心できる学校を目指す思いを下級生に伝えていきます」と誓いの言葉を述べた。


 犠牲となった8人のうち7人は、生きていれば20歳を迎えており、献花台には花束やジュースとともにビールも置かれていた。


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【池田小事件から13年】事件知らない学生1割に 大阪教育大で「語り伝える」授業 2014.6.6 21:47 msn 産経ニュースwest


 児童8人が犠牲になった大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の児童殺傷事件から8日で13年になるのを前に、大教大で6日、事件の教訓を学ぶ授業があり、教員を目指す学生が安全確保への決意をあらたにした。


 事件が起きた日に合わせ、平成18年から毎年行われている。大学によると、現在池田小で事件当時を知る教員は2人だけとなった。大学が昨年実施したアンケートでは、学生の1割は事件そのものを知らなかったという。


 授業は大阪府柏原市と大阪市天王寺区にあるキャンパスで行われ、2千人以上の学生が受講。柏原キャンパスの授業のうち、1年生約200人が出席した教室では、全員が1分間黙祷した。


 教職教育研究センターの佐久間敦史准教授は「事件はどこでどう起こるか分からない」と語り、子供の命を最優先することを忘れないでほしいと訴えた。


 授業を受けた社会科教育専攻1年の大山惇史さん(18)は「児童が亡くなった原因に、対応の遅れがあったと聞きショックだった。子供の命を守れる教師になりたい」と話した。


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池田小事件から12年…“妹”失った巡査、交番勤務で奮闘 2013.6.5 19:01 msn 産経ニュースwest


 8日に発生から丸12年となる大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件。犠牲になった同小2年、塚本花菜ちゃん=当時(7)=を妹のように思っていた親類の大矢幸保さん(21)が今年、大阪府警警察学校を卒業し、交番勤務を始めた。駆け出しの巡査だが、「残虐な出来事を二度と繰り返したくない。市民の笑顔をこの手で守りたい」という思いを胸に、日々のパトロールに励んでいる。


 事件から数週間前のことだった。親類の集まりで訪れた叔母の家で、大矢さんにとってはいとこの娘にあたる花菜ちゃんと一緒に遊んだ。絵本を読んだり、お菓子を食べたり。5人きょうだいの末っ子の大矢さんにとって、1歳年下の花菜さんは初めてできた妹のように思え、少しお姉さんになった気分がした。「また遊びに行くからね」と約束を交わした。


 だが、その約束は果たされなかった。平成13年6月8日。学校から帰宅すると、玄関に青ざめた表情の母親が立ち尽くし、動揺する声で大矢さんに告げた。「花菜ちゃんが殺された」。ついこの間、会ったばかりの大切な「妹」がいなくなった。けれど、新聞やニュースでどれだけ事件のことが報じられても実感が湧かなかった。


 まもなくして執り行われた葬儀で、眠るように棺に横たわった花菜ちゃんのおでこに触れた。生まれて初めて触れた遺体の冷たさに驚き、同時に花菜ちゃんを守ることができなかった無力さが悔しく、体が震えた。厳格だった父親が大粒の涙を流すのを見たこともショックだった。自分の大切な人たちをこんなにも悲しませた事件を心から恨んだ。


 「こんな思いは繰り返したくない」。胸のうちに秘めていた思いは弱まることはなく、高校3年のときに進路を警察官に決めた。猛勉強の末、採用試験をパス。今年1月には警察学校を卒業し、摂津署管内の三宅交番に着任した。


 約半年の交番勤務は戸惑いの連続だった。深夜のパトロールや変死人の取扱い、駐車違反の取り締まりの際には罵声を浴びたこともある。辛いことがないとはいえない。けれど、二度と罪もない市民を傷つかせたくない、笑顔を守りたいという気持ちが大矢さんの心を支え続けている。


 「半人前だけど、制服姿で拳銃を持っている以上、警察官に新人もベテランもない。精いっぱい頑張るので、花菜ちゃん、いつまでも見守ってね」


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介護への道、娘が導いてくれた 付属池田小事件13年 吉村治彦2014年6月8日00時28分 朝日新聞デジタル 

 児童8人の命が奪われた大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の殺傷事件は8日、2001年の発生から13年となる。犠牲となった塚本花菜(かな)さん(当時7)の母、有紀(ゆき)さん(47)=兵庫県宝塚市=は今秋、ケアマネジャー(介護支援専門員)の資格試験に臨む。事件を機にホームヘルパー2級を取得して5年。娘のことを常に思いながら、新たな一歩を踏み出そうとしている。


 13年前の光景が頭から離れたことはない。あの日、駆け付けた病院のベッドで、花菜さんはすでに息絶えていた。医師から「温かいうちに娘さんにさわってあげてください」と言われた。眠っているようだった。「助かったとしても包丁の傷が脊髄(せきずい)まで達しているので、普通の生活はできなかったでしょう」とも聞かされた。


 気が動転し、しばらく何も手につかなかった。だがある日、障害がある子どもと母親に会った時、「娘にも介護が必要だったかもしれない」と思った。ひとごとと思えなくなり、介護の仕事を志した。


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2014/06/09

800gで生まれた小さな息子の11年後 超低出生体重児(未熟児)の発達 父性の果たす役割

以前紹介した、yahoo!映像トピックス「680gで生まれた小さな息子の1年後」

680gで生まれた小さな息子の1年後

予定より14週早く680gの超低出生体重児として誕生した息子。小さな体にチューブがつなげられた集中治療室での107日間の生活のあと、ついにわが家へ……。妻への贈り物として夫が記録した感動的なビデオ。


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この動画のその後ーーーーー2002年24週800gで生まれた私の息子がどんな風に成長したか、書いてみようと思う。


これは2011年 9歳の時にとった写真。体つきがわかる写真なのでアップした。一年生から水泳をずっと続けている。


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夫は、息子が二歳の頃からスキーを教えてきた。下が今シーズンのもの。


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これは昨年2013年、八ヶ岳の西岳(2398メートル)の山頂でとった写真。


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この後、アメリカのヨセミテに行って6時間のハイキングをした。これはグレーシャーポイントでとった写真。歩いている時、現地のボーイスカウトの中学生と仲良くなった。自分達よりも体の小さな小学生が同じペースで同じ行程を歩くから、引率してきた先生が感心して声をかけてくれたのだ。


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グレイシャーポイント wikipediaより一部引用

グレイシャーポイント(Glacier Point)とは、アメリカ合衆国カリフォルニア州の、ヨセミテバレー直上にある展望地。ヨセミテバレーの南壁の標高2199メートルの場所にあり、カリー・ビレッジの直上975メートルにあたる。


でも、息子は学校のスポーツテストの成績は良くない。微細運動が苦手で瞬発力や俊敏性がない。柔軟性もないから屈伸運動や鉄棒などが苦手だ。


しかしテストに反映されていないけれど、持久力はあるようだ。夫が二歳ぐらいから担いで山に連れていったことが大きいだろう。


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小学生には「運動しなさい」といっても辛いだけかもしれない。健康のために長く続けるには、いろいろな運動をやってみて、その中で好きな運動を続ければいいと思う。今の時期は長い人生の土台になる。だから「体を動かすことは楽しい!」と思わせることが一番大切じゃないかと思う。


今、育てているお母さんの中には、「なかなか歩かない」と心配している方もおられるだろう。しかし、子どものためとはいえ、訓練に集中しすぎるとかえって子どもには負担になり、運動嫌いになるかもしれない。


超低出生体重児には、生活習慣病になるリスクがあるといわれている。運動嫌いになってしまったら、将来困るのではないだろうか。


私はいつもリレーの選手に選ばれていたから、足の遅い息子には正直がっかりしてきた。でも、この前の運動会でははじめて、二人追い抜かして二等になった。


足を速くするには、第二次性徴期にまだチャンスはあるそうだ。「このトレーニングは何のために必要か」をきちんと理解し、続けていけるようになったほうがいいのかもしれない。


以前引用させていただいた早稲田大学スポーツ科学学術院鳥居俊准教授がご出演していた番組では、よいことをおっしゃっていた。


増加中!頭にけがする子供たち 2013年10月25日(金)NHK特集まるごと 

「保育や小児科などのさまざまな現場では、『子どもを早く立たせたい』という親の思いなどから、“はいはい”をする期間が短くなっていると感じているということです。確かに、『子どもが早く立つようになれば、うれしい』という親御さんの気持ちも分かるのですが、成長段階に応じて、その時々で、子どもに必要なことは何かを考えていくことも大切ですよね。」


「ご主人の話をきいてみたい」とこれまで何度か言われたことがある。私も、超低出生体重児の親としてではなく、運動生理学者として少しは発言したほうがいいのではないかと思ってきた。


でも夫はそういった活動をあまりしたくないそうだ。


自分には指導しなくてはいけない学生がいるから、というのが一番の理由だ。教員の使命とは、社会に出る前の学生を一人前に指導することなのだそうだ。そして、研究者の使命とは、業績を地道に出し、研究成果を社会に還元することだそうだ。


研究者にとって、一例はあくまでも一例だし、成人したわけではないからまだ安心してはいけない、と私に言う。


だからといって、自分の子どもが成長すればいいのだろうか。悩んでおられる親御さんがいるのは事実だ。中には子どもの成長を逆に妨げてしまうような指導をしている専門家もいるし、「発達障害」ではないのに、支援がないから「障害名」ということもあるようだ。


小さく生まれた子供を社会でどう支えるか「その15」 発達検診の問題点


(発達検診で)ADHD、アスペルガー、自閉症などとすぐについて、私の外来で涙ながらにその時の話しをしてくれるご家族がいる。発達指数をだしてくれるだけで両親を支えてくれる雰囲気はあまりない。


私も早産児は発達にはムラがあり、独特なところがあると思っている。これを小児精神や発達の医師がみると ADHD、アスペルガー、自閉症と診断しているが、どうも早産児でないこれらの疾患のお 子さん達とその後の経過も違う気がする。



ちなみに、この新生児科の先生も「どうやって子どもを成長させたらいいのか、詳しく知りたい」と私に言っていた。


子どもの一生を左右するかもしれないし、子どもの人権にも関わる問題だ。何も発言しないという態度もまた、研究者として不誠実なんじゃないだろうか。


夫にも少しはそういう気持ちがあるようだ。だから最近、私がブログを書くことを認めてくれたのだろう。


ところで、早稲田大学スポーツ科学学術院鳥居俊准教授は夫が所属している日本体力医学会の役員をしておられる。ちなみにスロージョギングで有名な福岡大学スポーツ科学部田中宏暁教授も役員だ。


田中宏暁教授のスロージョギング Facebook


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その他に、東北大学の永富良一教授にも親しくさせていただいている。日本体育協会公認スポーツドクターや日本アンチドーピング機構メディカルオフィサーとして、国際的に活躍する研究者だ。英語以外の語学も堪能で、医師でありながらスキーの実技指導もこなしてしまうすごい先生だ。


薬害被害者団体代表の方が私に言っていた。


「運動生理学は嘘をつかない。誠実な学問だ」


息子の写真をみていたら、確かにその通りかもしれないと思った。


今まで論文を読んでも、「何のための研究なんだろう」「誰かの役に立つのかな」と、思ったりもしていた。でも、ある意味、小保方さんが目指した研究よりも、理研が目指そうとしているものより、私達に確実に幸せをもたらす研究かもしれない。


周産期医療に携わる先生方に知っていただきたいことが一つある。 本人は人前では絶対に言わないけれど、写真をご覧になると一目瞭然ではないだろうか。息子の発達には、母である私よりも父である夫の力が大きいと思う。私には根気よく指導する能力はない。


これまで日本の育児や教育では、母性ばかりが強調されてきたようだ。しかし、父性の果たす役割もまた重要でないだろうか。