2014/08/29

島根県の旅(その1)『玉造温泉』 疫病と信仰と

山陰地方にはたぶん、「行かないだろうな」と思っていた。山陽と違って『陰』という漢字が地名につくし、『ゲゲゲの鬼太郎』の故郷(鳥取県)もある。「暗く」「寂しい」イメージが私にはあるのだ。


ゲゲゲの鬼太郎(昭和46年10月/1971年)

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昔の『鬼太郎』は今ほど明るくなかった。


学生時代、夏休みにいつも再放送をしていて、宿題を後回しにしている私は、「お化けには学校も試験もなんにもなーーい」という主題歌をきくたびに「宿題どうしよう」と不安が募っていった‥‥。だから、義理の母が「出雲大社に行きたい」と言わなければ絶対に行かなかっただろう。


新幹線で岡山まで行き、特急「やくも」に乗り換える。列車から見える風景はどんどん寂しくなっていく。岡山から終点まで二時間以上走るのに車内販売も自動販売機もない。夏休みというのに乗っているお客さんも少ない。


そういえば、日経新聞に「島根や鳥取の人口減少に歯止めがかからない」という記事があったことを思い出す。車窓から見える風景は、あの報道が嘘ではないという証拠のようだ。


『玉造温泉』に到着すると駅舎は今時珍しい木造。でも、歴史のある『温泉街』だというのに駅の周辺は民家はまばらだ‥‥。どこに温泉があるのかしら?


玉造温泉 wikipediaより引用

玉造温泉(たまつくりおんせん)は、島根県松江市玉湯町玉造(旧出雲国)にある温泉。平安時代より三名泉(『枕草子』)とされ、規模、歴史ともに島根県随一、城崎温泉や皆生温泉、三朝温泉らと共に山陰を代表する温泉地である。


大雨の影響で列車が遅れ、旅館の車が来るまで駅の待ち合い室で待つことになった。暇を持て余して駅舎の中を見ていたら、看板が目に入る。よくみないとわからないけれど、駅員さんがつくったものではないようだ。横に置かれた棚も、色やロゴ、デザインが統一されているのだ。棚には、若い女の子が好みそうなフリーペーパーも置かれていた。

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山陰の旅に役立つたまなび 姫神さまのふりぃぺーぱー (フリーパーパーがダウンロードできます)

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宿の車で駅をあとにする。5分ほど小さな川沿いをすすむと、温泉街が広がる。昔ながらの落ち着いた温泉街だけど、若い人達がおおぜい歩いている。そういえば、と、観光情報に書いてあったことを思い出す。別名「女神の湯」というほど、古くから「美肌に良い」とされる泉質だと書いてあった。


歴史や、古き良き町並みを売りにする温泉街は多いけれど、駅舎がその観光地に似合わないほど近代的だったり、周辺が乱開発されてがっかりすることが多い。駅前に何もないということが逆に有り難く思えてくる。


こちらが宿泊した旅館「界 出雲」。数年前、私の後輩が星野リゾートに就職。当時、彼女が働いていた軽井沢に双方の親と一緒出かけた。私の両親だけでなく、義理の母も「星野リゾート」が気に入ったので、それ以来お世話になるように。親孝行をするには、いい宿。


界 出雲 | 星野リゾート【公式】

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神話通り 神話の情景オブジェクト


川沿いに「神話通り」という通りがあって、神話の故郷にちなんだオブジェが点在している。私の泊まった宿の前には「因幡の白ウサギ」のオブジェがあった。(本当は全部で八つあるそうです)


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玉作湯神社


触って祈れば願いが叶うと言われる『願い石』があるということで、多くの人がひっきりなしに訪れていた。この地方では有名なパワースポットのようだ。神社の入り口で行列が出ている。拝観料を払うために並ぶのかと思ったら『願い石』について、説明を聞く人達の行列だった。さらに階段をのぼったの本殿横の『願い石』の前にも行列が‥‥。今のところ強くお願いしたいことがない私は断念してしまった。


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おしろい地蔵さま


駅に置いてあったフリーペーパーにあった『おしろい地蔵さま』が気になって行ってみることに。温泉街から10分程度のところにある『清巌寺』という小さなお寺だ。お地蔵様の下に小さな引き出しがあって、筆と白い粉が入っている。お化粧をする時のように、筆で白い粉をお地蔵様に塗ってお願いごとをするそうだ。


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『おしろい地蔵さま』と書かれた
祈願のお札





『おしろい地蔵さま』

その昔、和尚さんがこのお地蔵様に白粉を塗って祀ったところ奇麗に治ったということでした。それからこのお地蔵様に白粉を塗り、自分の顔につけて祈願すれば美人になると言われるようになりました。

また、自分の体の病気のあるところと同じ部分に白粉を塗って祈願すると治るとも言われ、今も病気平癒の祈願のために白粉を塗る参拝者があり、今も信仰が続いています。

清巌寺住職記す



ところで、日本で古くから行われていたこのような『病気平癒の祈願』と、感染症とは深い関係がある。今は「かかっても治るからワクチンを打たない」という方もおられるが、有効な治療法、薬やワクチンがない時代、ひとたび感染症が猛威を奮えば、戦争と同じか、それ以上の人命が奪われたそうだ。栄養状態も衛生環境も悪いかつての日本では、それこそお祈りするしか方法がなかったのだ。


2008年の国立公文書館の特別展「病と医療-江戸から明治へ-」で公開された公文書が、デジタルアーカイブで一部公開されている。公文書館で資料を実際に目にした時、渡された『いのち』のバトンの重さに圧倒された。「あなたは今の時代だから生きているのよ」と言われているようなものだからだ。


病と医療からみた江戸から明治 国立公文書館

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小児必要養育草 より一部引用

平均寿命が短かった江戸時代にも、長寿をまっとうした人々はすくなくありません。しかし『官府御沙汰略記』など当時の記録に見える死亡記事の多くは、乳幼児や子どもたちのあまりに早すぎる死を伝えるものです。

ハシカや天然痘が流行するたびに、身分の高下にかかわらず多くの幼い命が失われ、出産時や産後に亡くなる女性もあとを絶ちませんでした。



昔の人達は、こんなにかわいらしいお札でお願いする余裕などなかっただろう。公文書館で見た記録が甦る。「有り難い世の中になったな」と感謝し、手をあわせた。


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島根県の人口70万人割れ 4月、55年の93万人から25%減 日本経済新聞 2014/4/28 11:21


島根県は28日、4月1日時点の推計人口が69万7489人と、70万人を下回ったと発表 した。国勢調査で最も人口が多かった1955年の93万人弱に比べ25%減少した。都道府県では鳥取県に次いで全国で2番目に少ない。


3月1日時点より2636人減った。4月は卒業や入学、転勤などによる社会減が多く 、減少幅が大きかった。県は2000年ごろから都市部との交流や移住誘致など定住促進政策を進めているが、引き続き人口減に歯止めをかけるための対策が重要課題となる。


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エボラ出血熱:「逃げ出す医師も」リベリア派遣の医師報告 毎日新聞 2014年08月28日 21時37分


 エボラ出血熱の感染が拡大している西アフリカのリベリアに、世界保健機関(WHO)の治療チーム員として約20日間派遣されていた国立国際医療研究センターの加藤康幸医師が28日、厚生労働省で記者会見し「感染を恐れた医師が逃げ出し、医療機関の閉鎖が相次いでいる」などと現地の状況を報告した。


加藤医師によると、今月3日の入国時、首都モンロビアにも流行が広がり、感染者の多い地域周辺にはバリケードが築かれて住民の移動が制限されていた。病院の閉鎖で医療は崩壊状態にあり、加藤医師は主に臨時の治療場所の開設や医療関係者への研修を担当した。20床を確保した施設に60人の患者が押し寄せ、屋外のストレッチャーに寝かされたまま死亡するケースもあったという。


 出血した妊婦を受け入れる病院がないなどエボラ熱以外の医療にも影響が出ており「日本からも支援ができるのでは」と指摘した。


 WHOによると、リベリアでの死者数は20日現在624人で、今回の流行では最多。加藤医師は、家族が医療不信から患者を受診させないことが感染拡大の一因になっているとして「病院に来れば最善の治療が受けられるというメッセージを伝えられれば」と語った。

【清水健二】


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2014/08/27

天竜浜名湖鉄道 転車台・鉄道歴史館見学ツアー

私の母校で、夫の勤め先は都内にある中堅の私立大学だ。国立大学と違い私立は学生の数が多い。地方から出てくる学生は以前に比べたら減ったけれど、それでも各地から進学してくる。


天竜浜名湖鉄 転車台・鉄道歴史館見学ツアー  より一部引用


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天竜浜名湖鉄は静岡県掛川市の掛川駅から浜松市天竜区の天竜二俣駅を経て、湖西市新所原駅に至鉄道です。


夫は「地方から出てきた女子学生の9割以上は地元に帰らない」と言っていた。若い女性にとって魅力的な職場がないからだ。


確かに、旅行で訪れる地方都市は、どこも高齢化が加速していて、歩いている人がめったにいなかったり、子どもの姿をみかけなかったり。ランニングをする女性が珍しくなくなった都会とはまったく違う。人口が減少しているのだ。


でも、私達家族が生活していけるのは、学生の親御さんの納める学費。若い頃は都会のほうが楽しいから仕方がない、と思う一方で、私も親になった。今のままでいいのかな、と思う時がある。


だから少しでも、日本の地方都市の良さについて知って欲しくて、ブログに残しておこうと思う。「こんなところに行きました」「おいしいものを食べました」ということを書くのは抵抗があり避けてきた。けれど、最近、ブログを訪問して下さる方が増えている。もしも、「私も行ってみたい」と思う方が出てきたら、嬉しいなぁ、と思う。


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八月の暑い日。静岡県、天竜二俣駅で休日に行われている「転車台・鉄道歴史館見学ツアー 」に参加した。正直なことをいえば「こんな暑い日なのに鉄道の見学かぁ〜.。え〜屋外なの?冷房がないのか〜」という感じで嫌々ついて行った。


ところが、駅についてびっくり。駅舎は木造ですごく古い!タイムマシンで戦前に戻ったような懐かしさがある。駅舎やプラットフォーム、橋梁・隧道が有形文化財なのは珍しくないかも、と思ったけれど、運転手さんや車掌さんが使っていたお風呂も有形文化財で今は洗濯物を干す場所として使われている。


息子は「昭和だ!昭和だ!」と大喜び。(昭和生まれの私には、グサッとくる感じがするけれど‥‥)


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かつては蒸気機関車を走らせるために使われた水を貯めるタンクも有形文化財だそうだ。ただ古いタンクがそのまま残っているのかと思ったら、なんと現役。それも、今も洗車のために使われているそうだ。


全部文化財、そのほとんどが今もちゃんと使われている、というのは珍しいんじゃないのかしら?


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転車台の説明と、実際の転車台が動いているところ。


転車台とは? 天竜浜名湖鉄道

車両の向きを進行方向に向けるために用いられる設備です。近年では電気機関車やディーゼル機関車等の増加により不要となり撤去されるケースも多くなりました。転車台、扇形車庫が現役で活躍している姿を見られるのは、全国でもごくわずかとなっています。



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鉄道歴史館に展示してある転車台のジオラマ。


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説明して下さった方がおっしゃるには、「お金がないから、新しくできなかった」そう。でも、ここまで時間がたつと「骨董品」に近い有り難さが出てくる。電車も、こんなに昔の車両なのに、ちゃんとお客さんを乗せて働いているそう。すごーーい!


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係の方は「大井川鉄道のトーマスが羨ましい!」とおっしゃっていた。確かに走るトーマスを見た時に、あまりにも似ていて、かわいくてびっくりしたけれど、天竜浜名湖鉄は大人に人気が出るんじゃないかしら?


ちなみにこちらがトーマス。切符が売り切れていて私達は断念した。でも、 大人気の大井川鉄道でさえ、朝日新聞の記事では、乗客が頭打ちと書いてある‥‥。(トーマスの動画があります↓)


きかんしゃトーマス、出発進行 大井川鉄道で1日1往復 朝日デジタル


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天竜浜名湖鉄と大井川鉄道は、どちらも素晴らしい静岡県の観光資源だと思います。少しで素晴らしさがも伝わるように書いてみました。








2014/08/25

食物アレルギー 『エピペン』 迷った時にはうって

ブログをはじめた時には「誰が読むのかな」と思ったけれど、今一番嬉しいのは当事者の方からいただく声。


私は食物アレルギー死亡事故起きた時に思った。この問題はどうしてもっとはやく社会に認識されなかったんだろう?


重度の食物アレルギーに対応できる専門医は、手間がかかるわりに、お金にならないから、なり手がいなかったそうだ。町には病院がたくさんあって「アレルギーが専門です」という医師も多いけれど、専門医は少ないそうだ。だから、正しい知識が社会になかなか広まらなかったそうだ。


考えてみると超低出生体重児も似たようなものだ。社会の理解がないために、不登校になるなど、孤立してしまうお子さんが多いからだ。


日本では医療が高度化し、重い病気や障害を抱えた子どもが自宅で生活できるようになる一方で、支える社会の理解と支援が十分とはいえない。


そのために悲劇がおきている。


私が新婚生活を送ったカナダでは、障害や病気を抱えた方々が、いきいきと暮らしていた。カナダで生活して感じた。高度医療というものは、受け入れる社会の温かさがあってはじめて成り立るものじゃないかと。


日本と海外の小児医療をわかりやすく説明すると、こんな感じになるだろう。


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『小児がん 新たなリスク』 NHKクローズアップ現代

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晩期合併症に苦しみ自ら命を絶った上野政人さん
「僕は夢を追ったら必ず病気が襲ってくる」
お父さんの言葉
「産まれてきてよかったと思ったことが
なかったんじゃないのかな」


推計10万人といわれる小児がん経験者。厚生労働省が行った初の調査で、およそ半数が晩期合併症に苦しんでいる事が分かった。しかし、日本には、そうした患者を、医療的にフォローしていく態勢はない。


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『幼い命を守れ~小児在宅ケア・地域の挑戦~』 NHKクローズアップ現代


新生児医療が進歩すればするほどNICUのベッドは必要とされすぐに埋まってしまう状況が続いています。妊婦と赤ちゃんの命を守るには、NICUに常に空きを保つ必要があります。そのため症状が改善し、自宅での生活が可能になった赤ちゃんは、退院して家族とくらしていくことを目指すことになります。


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しかし、こうした子どもが自宅で医療を受けながら暮らしていく取り組みは地域にまだ十分あるとはいえません。


NICUを出る時に感じたアンケート調査によると、「家族が一緒に暮らせる」など良かったことをあげた回答より、「不安だらけで孤独でした。これで退院してよいのか」などの声が二倍以上にのぼっています。



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『続発するアレルギー事故 学校給食で何が?』 NHK クローズアップ現代


アレルギーによるショック症状だと判断して、エピペンを右の太ももに注射しました。異変に気付いてから15分ほどあとのことです。救急車が到着したのは1時40分。


その場で心肺停止が告げられました。


気分が悪いと訴えてからおよそ20分後。お代わりで食べたチヂミに入っていたチーズは、1グラムにも満たなかったと見られています。



女の子の両親からの手紙

“娘の死をきっかけに、食物アレルギー対策の重要性が再認識され、多くの人たちが改めて動き始めるのであれば、娘は「うん、それならいいや」と言うような気がしています。彼女の未来に向けた思いに応えてほしいと思います。”


事故を受けて、学校給食の関係者の間には動揺が広がっています。国からアレルギーに対応した給食を求められる一方で、安全を確保する適切な方法を見いだすのが難しいためです。



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小児がん 新たなリスク クローズアップ現代


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ロンドンに住む、アレクサンドラさん

「私は小児がんの晩期合併症がありますが、
上手く付き合っていけていると思います。
やりたいことができて、自分の人生を生きています。幸せです」



日本の小児がんの専門家が注目しているのが、イギリスです。10年以上前だから晩期合併症への対策が取られてきました。小児がん治療の拠点、バーミンガム小児病院です。


イギリス中部の小児がんの子ども達は、すべてこの病院で専門チームの治療を受けています。治療が終わるとすぐに定期的な検診を行う長期フォローアップがはじまります。医師は家族に、これまでの治療と、晩期合併症のリスクを詳しく説明します。


イギリスで長期フォローアップが可能なのは、がんの登録制度があるからです。子どもはもちろん、がん治療を行った患者1770万人ものデータが蓄積されています。データを分析することで、晩期合併症のリスクを予測し、それぞれの患者にあった長期的なケアが行われています。


晩期合併症の問題は子どもの問題から、大人の患者が増えるにつれ、社会の問題になってきます。小児がんの治療は彼らの未来の扉を開くものです。ですから彼らが社会に貢献しながら、自分らしく生きられるよう国が支えていくべきなのです



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「エピペンは迷ったらうつものじゃないの?」とブログに書いたら、食物アレルギーのお子さんのお母様から「その通りです」とメールをいただいた。


驚いたことに、お家ではエピペンを複数本用意してあるそうだ。


一般的にエピペンの効果は「15分」とされているそうだ。もしもアナフィラキシーがおきたら、その間に救急搬送し、アレルギーを抑える薬を病院で投与する必要があるのだそうだ。


アナフィラキシー補助治療剤 - アドレナリン自己注射薬エピペン エピペンとは ファイザー

エピペンは、アナフィラキシーがあらわれたときに使用し、医師の治療を受けるまでの間、症状の進行を一時的に緩和し、ショックを防ぐための補助治療剤(アドレナリン自己注射薬)です。あくまでも補助治療剤なので、アナフィラキシーを根本的に治療するものではありません。エピペン注射後は直ちに医師による診療を受ける必要があります。


校医の先生が「エピペンが万能じゃない」といったのは確かに正しいかもしれない。でも、万が一の時には限られた時間で、救急搬送しないといけないのだ。


専門医の「迷ったらうつ」と、校医の先生の「万能じゃない」という温度差は、結局は友人の小児科医のいう「どれくらい、実際にアナフィラキシーの患者に対応してきたか」にかかっているんだろう。


私の思い違いじゃない。友人は私に「なんだ、エピペンはインフルエンザワクチンと同じように、万能じゃないから、うたなくてもいいのか」といっていた。


どうして日本は、当事者が意見をなかなかいえないのだろう。


私がききたいのは重度の食物アレルギーのお子さんのお母さんのお話だ。その場におられたのだから、どのように専門医の先生に指導されているのか、私達は何をしたらいいのか、直接話してもらえばよかったのだ。


友人の小児科医が嘆いていた意味がようやく理解できた。


メールを下さったお母様はお子さんに「自分でエピペンをうてるようにしなさい」といつも言い聞かせておられるそうだ。なぜだかわかりますか?


周りの大人が違うといっても自分がそうだと思ったら打て。なぜなら、正しく理解している人は、まだほんの一握りだからです。


そうはいっても、どんなに気をつけていても自分でできることには限りがある。そのために私達大人がいるんだよ。


私はもう、嫌われるのは慣れてしまった。だから今年のアンケートが配られたらしっかり書こうと思う。先生が集まって相談しても迷ってしまったら間に合わないかもしれない。「迷ったらとにかくうつ」そう決めたんだから、シンプルにそれでいいと思います。そうして下さい。




2014/08/23

都翔(とわ)君と遥大(はると)君のシュートに大きな拍手を

NHKの夜のニュースを家族でみていた。息子が広島の土砂災害のニュースがどうしてもみたいというからだ。


もしかしたら生死の境を彷徨ったからかもしれない。息子は御巣鷹山に墜落した日航機墜落事故など、大きな事故の報道に興味を示すのだ。


12日にはフジテレビで放送された『8.12日航機墜落 30回目の夏 生存者が今明かす“32分間の闘い”ボイスレコーダーの“新たな声”』という再現ドラマを見て泣いていた。自分と同年代の男の子のお父さんが亡くなったことを知ったからだ。


今夜のニュースでは、亡くなってしまった2歳と11歳のお子さんの葬儀の様子が映し出された。映像でみると胸に迫るものがある。息子は「もしも自分の友達が死んだら、とても悲しい」と言ってテレビをやはりじっとみていた。


お母さんの「絶対死ぬんじゃない!」という言葉、そしてサッカークラブの友達の「遥大のシュートに大きな拍手」というお別れの言葉に胸が一杯になった。私はとても最後まで冷静にみることができなかった。


亡くなった皆様のご冥福をお祈りいたします。(ニュース動画はNHKのサイトでみることができます)


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土砂災害で死亡 兄弟の葬儀が営まれる  NHKニュース

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優しい兄と幼い弟 最後のお別れ


広島市の土砂災害で亡くなった11歳と2歳の兄弟の葬儀が22日、広島市で営まれ、参列したおよそ400人が最後の別れを惜しみました。


広島市安佐南区山本の平野遥大くん(11)と弟の都翔ちゃん(2)は20日、自宅で、崩れた裏山の土砂に巻き込まれて亡くなりました。


2人の葬儀は22日、広島市安佐南区で営まれ、遥大くんの小学校の友達や保護者、それに地域の人たちなどおよそ400人が最後の別れを惜しみました。


参列した人たちは、ひつぎを前に2人の名前を呼びながら「ありがとう」などと声をかけていました。


そして、遺影とともにひつぎを乗せた車が出ると、遥大くんが所属していたサッカークラブの子どもたちが「都翔のシュートに大きな拍手」「遥大のシュートに大きな拍手」と掛け声をかけながら手をたたいて見送りました。


この掛け声はサッカーの試合でゴールを決めた選手に送られるもので、一生懸命練習に取り組んできた遥大くんとの別れの時に呼びかけようと葬儀の前に決めていたということです。



母親の友人で参列した千葉市の37歳の女性は、「ことしも海水浴に一緒に行こうねと約束していたのに今でも現実として受け止められません。優しいいい子たちでした。本当に残念です」と話していました。









2014/08/22

『医療詐欺』と『世紀の自決』

一周間ほど旅行に出かけていた。その間、ブログが更新できたのは予め書いておいた記事を予約投稿できるからだ。


今年の終戦記念日に『ペリリューの戦い』について書いたのは週刊文春で知ったからだった。最近テレビをみないから、13日にNHKで『狂気の戦場 ペリリュー~"忘れられた島"の記録~』が放送されたことも、15日にフジテレビで『終戦記念スペシャルドラマ 命ある限り戦え、そして生き抜くんだ』が放送されたことも全く知らなかった。


すごい偶然だなぁと思ってしまった。


私達は数年に一度、親孝行のために夏に旅行をする。今回もそれぞれの親と一緒に、島根県の出雲大社に出かけた。普段家族では乗らないグリーン車に乗って、自分達では泊まらないような旅館やホテルに宿泊する。


東海道新幹線のグリーン車では「Wedge」という雑誌が無料配布されていた。


行きの新幹線でパラパラめくっている時だった。この雑誌に似つかわしくない、派手な漫画風のイラストが目に飛び込んできた。それも、かなり大きく掲載されている。どんな内容かと思って読むと、理研と笹井氏を追求する記事だった。わざと無責任だと印象づけるためなのだろうか。とぼけたような表情の笹井氏の写真も掲載されている。コメントをしている有識者の中には‥‥。


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テレビをみない私でも、テレビで常に批判されていたことは知っていた。けれど、新幹線で無料配布される雑誌にまで批判記事が掲載されていたら、精神的にキツいだろうな、と思う。胸が痛んだ。


読んだ後、これほど後味が悪い記事も久しぶりだ。次の号に入れ替わるまで、東京と神戸を何度行き来するのだろうか。職場の同僚や取引先の人、もしかしたらご遺族だって目にするかもしれない。


戦争体験のように風化させてはいけない歴史問題において、マスメディアの果たす役割は今でも重要だと思う。けれど、今回の理研の問題の場合、マスメディアの追求はどこか一線を越えているような気がしてならない。 それを一切総括せずに前進していいのだろうか?


『新潮45』9月号にも「死をもって告発した『理研の闇』」という記事が掲載されている。


阿南惟幾を私が凡人ではないと思う理由ーーーそれは、同級生の御祖父様だから、というよりも、やはり、500万といわれた軍の暴走をとめ、終戦へと導いたからだ。強固に本土決戦を主張していたのは、自決により軍部の暴走をとめるため、といわれている。


『新潮45』の記事を読んだ時、阿南惟幾を思い出さずにはいられなかった。「心の中のもくろみを表に現さず、政治力や度胸などで実現すること」を『腹芸』というそうだ。


書かれていることが真実だったとしてもご遺族は「そっとして欲しい」とコメントをしておられる。


私は今でも忘れていない。県立大野病院事件の裁判で、福島地方裁判所が無罪判決を言い渡したのは2008年8月20日。暑い日だった。あの頃は皆が同じ方向を向いていた。でも、今は違う。以前のように多くの人の心をつかみ、賛同がえられるのだろうか。


新刊が書店に並んでいた。けれど早くも、反発の声も高まっている。


この二年間、ずっと思ってきた。「議論」というけれど、私には一匹のスズメバチを怒らせたために、大群に襲われるようなことをしているような気がしてならない。こうした追求を続けていって、真の改革に結びつけられるのだろうか。



2014/08/21

健康に関する長期的な調査からわかってきたこと

『薬害オンブズパースン会議の記者会見を見て考える 日本の小児医療に足りないもの』では「疫学調査という発想が厚労省にはないのか」と書いた。その記事でも触れたけれど、夫の知り合いには長期的な健康調査をしておられる研究者が何人もいらっしゃる。「厚労省にそういう発想がない」というよりも、日本ではじまるのはこれから、なのかもしれない。


「疫学調査は数字を読み解く技術がいる。専門の教育を受けないとできないし、けっこう難しいものなんだよ」と夫が教えてくれた。


子どもの場合は、大人における個人差に加えさらに発達の差が激しい。超低出生体重児で統計をとるとなると、人数が少ないこともあり、出てきた数字をどう捉えるか、判断が難しいだろうと夫は言っていた。


でも何も指標がないよりは、あったほうがいいと私は思っている。


例えば、株を売り買いする時に、様々なデータを比べて検討するのは当たり前だ。会社四季報でも新聞や雑誌の記事でも、その会社の広報でもなんでもいい。何かしら参考にできる数字はある。


ところで、お年寄りの健康調査では、どこでどんな調査が行われ、どんなことがわかっているのだろうーーーー今日はそういうことを書いてみようと思う。


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青柳幸利博士の『中之条研究』


夫の後輩に東京都健康長寿医療センター研究所に所属する青柳幸利博士という方がおられる。青柳さんは、ご自身の故郷の群馬県中之条町で長年お年寄りの健康長調査を行ってきた。有名な『中之条研究』だ。


青柳さんは、夫が留学した時にお世話になった研究室に同時期に留学していた。はじめて青柳さんのコンドミニアムに遊びにいった時に、お寿司を握っていた小児科医が「ランセット」の友人だった


青柳さんが留学先から帰国した時、思うような就職先が日本にはなかった。とても苦労されていたようだった。ある時、私が新聞広告でみた宇宙飛行士の募集を教えたら喜んでくれた。UFO番組が大好きで、よくUFOの話をしていたから、私が夫に知らせたのだ。その時宇宙飛行士に選ばれたのが若田光一さんだった。


だから、中之条町の研究について、テレビで話している青柳さんの姿をみたり、雑誌などで研究成果が紹介されていると私は嬉しくなる。長い間、地道に研究してきた姿をみてきたからだ。


夫が言っていた「研究者は業績を出し、社会に貢献するもの」ということは、きっとこういうことなんだろう。


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「運動機能障害」に強い身体になる! 「1日8000歩、20分の速歩き」が健康のカギ ヘルシスト から一部引用

(ヤクルトの情報誌「ヘルシスト」のサイトでダウンロードできるようになっています)


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じつは、中強度の運動が歩行能力のみならず、老化や疾病予防にさまざまな効果をもたらすということが、私たちが行ってきた中之条研究において明らかになってきました。


この研究は、群馬県中之条町の 65 歳以上の高齢者 5000 人(重度の認知症や寝たきりの人を除く)を対象に、13 年間という長期にわたり行われたものです。毎年 1 回、詳細なアンケート調査を行い、運動や身体活動の状況、食生活、睡眠時間、労働時間、病気の有無や体調などを調査し、年に 1 回の健康診断のデータも提供してもらいました。さらにその中の500 人を研究の主たる対象とし、小型の「身体活動計」を携帯してもらい、1 日の歩数や運動強度が中強度(3M E T s 以 上 )の 活 動 時 間 を 記 録 し ま し た 。



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書いてあるように鍵になるのは「中程度の運動」。でも、中高年になってからいきなり運動をはじめたのでは、難しいかもしれない。つまり、長い時間をかけてコツコツ地道に健康を考えていかないといけない、ということだ。


ちなみに私は大学生の頃までは運動習慣がまったくなかった。体を動かすことが健康にいいとわかっていても、続けられない。トレッドミルで15分歩くのがやっと。そこからはじめたのだ。


だから中高年になって健康的な生活を遅れるかどうかは、健康によいとされる生活習慣を続けられるかにかかっているだろう。それには、ある程度生活に困っていないとか、まわりの人間関係だとかが関係するだろう。


だって、生きていて幸せだと思えないのに、「運動しよう!」「健康に気をつけよう!」と思わないでしょう?


こういう数字があったとしても、数字は数字。「何歳になっても遅くはない」「何もしないよりは何かをしたほうが絶対にいい」と夫はいっていた。「できることから少しずつ変えてみよう!」そういう風に考えればいいと思う。


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新開省二博士のお年寄りと栄養の研究


新開先生は青柳さんと同じ東京都健康長寿医療センターに所属しておられる。新開先生は忘れてしまったと思うけれど、私に実験に使う細胞の値段を教えてくれたのは新開先生だった。


細胞の保存には、日本の食品メーカーの冷凍技術が応用されているそうだ。日本は、海外でとれたまぐろなどを冷凍して日本に輸入している。そのため、日本の食品メーカーには高度な冷蔵技術があるそうだ。


「そういえば、一昔前のお正月のおさしみは、確かに水っぽくて美味しくなかったな。でも最近はそんなことを感じない」と思って聞いていた。


息子が保育器の中にいる頃、新開先生の話を思い出した。日本の科学技術の素晴らしさに感謝する一方で、細胞一つ一つの値段がそんなにするんだったら‥‥と思ってNICUに毎日通っていたことを思い出す。


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高齢者こそ肉を?! ~見過ごされる高齢者の“栄養失調”~ 高齢者の栄養失調 その実態と背景 NHKクローズアップ現代 から一部引用


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東京都健康長寿医療センターの新開省二さんです。
新開さんのチームは、東京と秋田で、目立った病気のない高齢者1,000人以上の栄養状態と、その影響を20年以上にわたって追跡調査しました。
栄養状態を表すアルブミンなどの血液成分と生存年数、病気との関連について、詳しく解析を行いました。


その結果、アルブミンの値が低い人たちは、そうでない人たちより生存率が低い、つまり、長生きできない傾向があると分かってきました。


ほかにも、認知症の前段である認知機能の低下を引き起こすリスクが2倍。
脳卒中、心臓病のリスクは2.5倍に上がる、という結果も出ました。












アルブミンは、肉や魚などのたんぱく質をもとに体内で作られるもので、筋肉や血管、免疫細胞などの機能に不可欠な成分です。
そのため、アルブミンが減ると、筋肉が落ち、血管がもろくなり、免疫機能も低下します。






年をとると、多くの場合、アルブミンを作る力が徐々に弱まる傾向にあります。
これが、いわゆる老化です。
だからこそ、高齢者は若い時以上に意識して、肉などのたんぱく質を多くとらないと、アルブミンの減少が加速。
老化が早まり、さまざまな病気が進行する要因となるのです。



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東北大学大学院の門間陽樹助教・永富良一教授の研究


永富良一先生は数カ国後がぺらぺらで頭はいいし、スポーツの実技もこなしてしまうスポーツ万能の研究者だ。海外を飛び回る一方、宮城県でお年寄りの健康調査を地道にしてこられた。震災後も被災地の仮説住宅に通い支援をしている。


これまでの患者の人権を無視した、「殴るのが、治療の一環」など、科学とは呼べないPTSD研究に風穴を開けて欲しい。


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東北大学 プレスリリース



東北大 震災前の生活習慣などが災害後の精神的ストレスと関連すると発表 QLifePro医療ニュース


震災前のデータを分析


東北大学は5月2日、仙台市内の勤労者を対象に東日本大震災発生以前から行っていた健康調査のデータを解析し、震災発生前の身体状態や生活習慣が震災発生後の精神的ストレスと関連するとの研究結果を明らかにした。


同研究は東北大学大学院 医工学研究科 健康維持増進医工学分野の門間陽樹助教、永富良一教授のグループによって行われ、4月23日PLOS ONE(電子版)に掲載された。


同研究では、災害の発生に影響を受けず、かつ、修正可能な身体機能や生活習慣に着目することで、震災発生前の身体機能、生活習慣および既往歴などが、震災発生5ヶ月後の精神的ストレスレベルと関連が認められるかについて検討した。


2010年に研究に同意した健診受診者1,185名を対象に生活習慣に関するアンケートと人口統計学的特性、既往歴、脚伸展パワーを評価。さらに、災害発生後の2011年、震災による精神的ストレスの指標として改訂版出来事インパクト尺度(IES-R)の評価を行い、震災による家屋被害、人的被害および仕事量の増減についてアンケートを実施した。


追跡不可能者や欠損値を除いた522名を対象に分析したところ、男性においては脚伸展パワーが高い人はIES-R得点は低く、毎日お酒を飲んでいた人および抑うつ傾向であった人はIES-R得点が高いという関連が認められたという。また、女性においては、抑うつ傾向があったものはIES-R得点が高い関連が認められ、高血圧であった場合もIES-R得点が高いという関連が認められたという。


日常生活の改善・維持により、災害に伴う精神的ストレス耐性獲得の可能性


これまで大規模自然災害時の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の危険因子として被害状況や性別・精神疾患既往歴といった因子が特定されてきたが、これらの項目は災害が発生しないと評価できず、修正が困難もしくは不可能だった。


同研究は世界でも初めて、災害発生前の状態が災害発生後の精神的ストレスに影響を与え、日常の身体機能の維持・向上が災害時のメンタルヘルス悪化の一次予防策になる可能性を示すものだという。


災害の発生前に評価できる項目や修正可能な項目が災害後のPTSDに影響を与えると明らかにすることで、PTSDハイリスク者を災害発生前に把握し、日常生活の改善・維持により災害に伴う精神的ストレスに対する耐性を得ることができる可能性が示された。

(浅見園子)

▼外部リンク

東北大学 プレスリリース
http://www.tohoku.ac.jp/japanese/


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2014/08/19

『熊よけスプレー』と『エピペン』

最近、市の対策がすすんでアレルギーについて書くことがないけれど、どうしても気になることが一つだけあった。3月に小学校で行われた校医の先生に言われた「エピペンは万能ではない」という一言だった。


学校の給食アレルギー対策



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商品の説明

製品特徴

◆熊や犬などの動物から攻撃を受けた時に使う、アメリカ製の画期的なペパー・スプレーです。
◆強力噴射(4~9m)されるトウガラシエキスでクマ及び他の哺乳類を撃退します。
◆カプサイシンの強力な刺激と痛みで動物を追い払います。
◆カプサイシンには毒性がなく、所持に特別な許可は必要ありません。


校医の先生の一言で私の友人なんか「なんだ、『エピペン』はインフルエンザワクチンみたいなもので、効かないかもしれないから、打たなくてもいいのか」なんて言っていた。


『エピペン』てインフルエンザワクチンと同じようなものなの?確かに校医の先生の説明だと、そういう風に思えてしまうのだ‥‥。


家に遊びにきた第三次救急で働く医師の友人にその話をしたら驚いていた。「迷った時にはうつものだよ」。


「万能じゃない」などとはじめに言ってしまうと、判断に迷ってしまってしまうかもしれない。そもそも、打つか打たないかの判断を正確に、というよりも、医療の専門家じゃない先生に、どうやって打ってもらうかを指導していたんじゃなかったの?


死亡事故が起きる前、気分が悪くなった女の子を心配した担任の先生は「エピペンを打つか」とたずねたそうだ。でも、女の子は先生に「打たないで」と言ったそうだ。そう言われてしまったら、医療の専門家ではない学校の先生には打つのは難しい選択だと思う。


続発するアレルギー事故 学校給食で何が? NHK クローズアップ現代 から一部引用


お代わりからおよそ30分後、担任は女の子の異変に気付きます。
持病のぜんそくの吸引器を使いながら、「気持ちが悪い」と訴えてきたのです。

担任はランドセルから、エピペンと呼ばれるアレルギーのショック症状を改善する注射器を取り出し「これ、打つのか」と尋ねました。

女の子は、「違う、打たないで」と答えたといいます。

ぜんそくの症状が出たと思っていたと見られます。
担任は、アレルギーのショック症状かもしれないと思いながらも、この時点でエピペンを注射しませんでした。



友人は北米で働いていたからアナフィラキシーの恐ろしさをみてきたのだろう。


だから私に、「その校医の先生に『先生は今まで、どのくらいのアレルギーの患者さんを実際に診察してきて、その中で、どれくらいのアナフィラキシーの患者さんに対応した経験がありますか?』と質問するといいよ」と言う。第三次救急で働く医師だから、学校現場で、そういう指導をされてしまうことに危機感をもったのだ。


でも、そんなことは私でも言えない‥‥。


夫は、「(学校の先生は医療の専門家じゃないから)そんなに深く考えないで、『それしかない』と考えればいいじゃないのか。エピペンは『熊よけスプレー』のようなものじゃないのか」と言っていた。


私達は登山をする時に、『熊よけスプレー』を持って登る。過去何度か山の中で熊に遭遇したことがあるからだ。鈴だけじゃやっぱり不安だ。昨年ヨセミテに行く前には、野生動物と接触してもいいように、家族三人、狂犬病の予防接種もしている。


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ヨセミテで二回、熊に遭遇



このスプレーはトウガラシエキスが入っていて、熊に向けて噴射すると強烈な刺激で一時的に動けないようにする。


『熊よけスプレー』は保険適用になる前の「エピペン」と同じような値段で、やはり使い方が少し難しい。もしも熊がいる方向から風がふいている場合、慌てふためいて噴射してしまうと、トウガラシエキスが熊ではなく自分に降り掛かってしまうからだ。


食物アレルギー対策のガイドラインには「エピペンを●分以内にうつように」と書いてあるだろう。もしも事故が起きた場合、「ガイドラインに定められた時間内に打たなかった」と裁判になるかもしれない。


だからもっとシンプルに「迷ったらうつ」でいいんじゃないのかしら?



2014/08/15

69回目の終戦記念日 ペリリューの戦い『サクラ、サクラ』

今日は終戦記念日だ。


中学・高校時代の同級生のお祖父様は、最後の陸軍大臣阿南惟幾だった。


世紀の自決/阿南惟幾


そして二人いる仲人のうち、お一人は元特攻兵だった。若い頃は、戦争をするのは悪い人達と単純に考えていたけれど、自分の父が軍とともに資源開発をしていることを知ると、いろいろ思うことがある。


「アルジェリア方式」吹き飛んだ安全神話  2013年1月26日 日本経済新聞より一部引用


太平洋戦争ぼっ発直後、旧日本軍はスマトラ(現インドネシア)の製油所を 真っ先に制圧した。設備の復旧・運営にあたったのが、日本の海外でのプラント建設の源流だ。以来、原油や天然ガスを掘り出したり、石油化学製品を生産したりするプラント建設で、日本企業は存在感を高めていった。



週刊文春7月24号に、第二次世界大戦末期、パラオ諸島にあるペリリュー島という美しい島で、多くの日本兵が玉砕したというエピソードが掲載されていた。こういう話を全く知らない自分が、腹立たしくなる。


阿南惟幾は、表向き「強固に本土決戦を主張した」といわれていけど、そのためにこれだけ多くの犠牲があったということなのだろうか。今の平和がこうした方々の犠牲のうえにあるということを日本の若い人達に全く教えないということが、戦後の平和教育だったのだろうか。私達が今、平和に暮らしているのは誰のおかげなんだろうか。


太平洋戦争研究会代表の平塚柾緒氏のお話を一部引用させていただく。


辞任勧告スクープ 石原伸晃 英霊が眠る海でシュノーケリング三昧


ペリリュー島には飛行場があり、航空隊がいた。当時、この飛行場は東洋一と言われていた。米軍にとっては、そんな島をそのままにしておけない。それで起きたのがペリリューの闘い。


戦闘は九月十五日にはじまった。ペリリュー守備隊の日本軍は約一万人。米軍の総兵力は四万二千。米軍は上陸する十日ほど前から、爆撃と艦砲射撃を行ったため、周囲の山がハゲ山になってしまうほどだった。


米軍の指揮官は「三日で陥落するだろう」と考えていた。だが、予想は裏切られた。ペリリュー島、後に米軍の五つの激戦地の一つの数えられることになる。


上陸を試みたのは、アメリカの精鋭部隊である第一海兵師団。ところが、一ヶ月もたたないうちに、半数が死傷。全面撤退を余儀なくされた。


その後、再上陸した米軍の猛攻撃にあうも日本兵は洞窟に籠って持久戦を展開。戦闘は二ヶ月にも及んだ。


「ペリリュー島の日本兵は、一日でも戦闘を長引かせるのが使命でした。日本の本土決戦に向けた時間稼ぎのため捨て石となったのです」


(中略)


ペリリュー島の指揮官は、中川州男大佐。彼は敵に包囲されても戦闘を続けようとしたが、弾薬や食料、水すら底を尽き、それも叶わない状況となった。


十一月二十二日、中川大佐はパラオ本島の師団本部に、「通信が断絶する恐れがあるので、戦闘の最後に報告できないだろう。サクラを連送したら、それが最後の合図だ」と打電した。


そこから抵抗を続けること二日。師団本部はついに最後の電文「サクラ、サクラ」を受け取ることになった。中川大佐は自決。生き残った部下たちも次々に突撃していったのだ。約一万の日本兵のうち、捕虜を含め生き残った日本兵はたった百二十人ほどだったという。


(中略)


ペリリュー島にある慰霊碑には、米太平洋艦隊司令長官のミニッツが書き残した文章が記されている。


<諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって闘い そして玉砕したかを伝えよ>




2014/08/14

神様が見ているとしか思えない

このブログには大きくわけて、三つのことを書いている。


一つ目は、高度医療によって救命された元患者として、伝えたいこと。二つ目は、高度医療によって救命された超低出生体重児の母として伝えたいこと。そして三つ目は、様々な報道をみてきて、いつの間にか罪悪感を抱えて生きてきたことを綴っている。自己紹介にあるように『アルジェリア人質事件』や『水俣病』など、世間を騒がせた事件や事故を、娘の立場で書いている。



遺伝子医療革命―ゲノム科学がわたしたちを変える遺伝子医療革命―ゲノム科学がわたしたちを変える
(2011/01/21)
フランシス・S・コリンズ

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『一株運動』について書いた時にはアクセスが集中した。


「公害病」の原点といわれる「水俣病」について、これまで様々な本が出版されてきた。そのほとんどはチッソや国の責任を問うものであり、批判的な内容だ。だから、私のように、娘の立場で書いた手記は珍しいんだろう、と夫が言っていた。


一株運動で社会的責任を問う 『社長は逃げなかった』

チッソの功罪 『水俣病』と『クロスカップリング反応の応用』そして子宮頸がんワクチン副反応問題


そう。科学技術と報道の問題は私がずっと追ってきたテーマだった。だから笹井氏の自殺と、ご遺族の悲しみを素通りできないのだろう。


不思議なことに笹井氏が亡くなったのは、東京大学医科学研究所から送られてきた「遺伝子医療革命―ゲノム科学がわたしたちを変える」について書いた8月5日だった。その日は、第三回神奈川県予防接種研究会がひらかれ、全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会神奈川県支部代表の山田真美子さんをはじめ数名のご家族も参加した。


ブログにそのことを書いたのは、たまたま前日山田さんに教えていただいたからだ。本当は5日に予防接種研究会があるなんて知らなかった。


だから、「副作用の解明にも遺伝子検査を」と書いたのも偶然だったのだ。


薬の副作用の解明も『遺伝子革命』 被害者がもっと普通に社会参加できる世の中になって欲しい


この本が送られてきた東京大学医科学研究所は、がんペプチドワクチン研究の第一人者、中村祐輔先生がかつていらした研究所だ。
 

2012年11月18日に放送されたNHKスペシャル「がんワクチン~"夢の治療薬"への格闘~」をみていたら、知り合いの研究者の姿を見つけた。ほんの数十秒の短い時間だった。その先生がこの研究に関わっていたなんて驚いてしまった。


あの時、「日本発のがん治療薬・治療法の確立」はもしかしたら本当に成功するかもしれないと思った。その先生が、素晴らしい研究者だということをよく知っていたからだ。知る人ぞ知る研究者で職人技というような技術を持っておられるのだ。


残念ながらNHKスペシャル「がんワクチン~"夢の治療薬"への格闘~」ではちっとも伝わらなかったけれど、中村先生をはじめオンコセラピーは実力のある研究者に地道に声をかけ、研究を続けてこられたのだろうと思った。上手くいったらいいなと心から思った。


でも‥‥なんだかもう夢で終わってしまいそうだ。


今、中村先生はNHKをはじめ、笹井氏を追いつめた日本のマスメディアや研究者を怒っておられる。中村先生もかつて同じように批判されたからだ。


 STAP細胞の悲劇 『中村祐輔のシカゴ便り』

(続)STAP細胞の悲劇;愚かなメディアと研究者集団 『中村祐輔のシカゴ便り』


ある医師が私に言っていた。「中村先生はアメリカに行ったほうがいいよ。日本は何か新しいことをはじめようとしても、一流の人を集めるんじゃなくてすぐにお友達を集めてしまう。アメリカはそんなことをしないし、これは、という研究にはすぐに人とお金を集中させるだろうから」


その言葉が痛いほど胸につきささる。素晴らしい研究者がいて、技術もあるのに。どうしていつも世界に羽ばたく前に頓挫していくのだろうか。









2014/08/13

小児がんの『晩期合併症』 社会に貢献しながら、自分らしく生きられるように

小児がんの『晩期合併症』から考える 救命された患者も薬害被害者も調査を望んでいます の続き


小児がん 新たなリスク クローズアップ現代


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ロンドンに住む、アレクサンドラさん

「私は小児がんの晩期合併症がありますが、
上手く付き合っていけていると思います。
やりたいことができて、自分の人生を生きています。幸せです」



ロンドンオリンピックの開会式をみた友人の小児科医が私に言っていた。「『グレート・オーモンド・ストリート小児病院』が開会式のミュージカルで取り上げられている。イギリスの小児病院は国民に大切にされている。やっぱりイギリス人は違う」


小児がんの晩期合併症を特集したクローズアップ現代の後半では、そのイギリスの対策が紹介された。国民に大切にされているという『イギリス』の小児医療と、『日本』とでは、何が違うのだろう?


こういう番組をみるにつけ、私は疑問に思う。どうして私が「社会の理解を得ないと、退院後の子どもは幸せになれない。医療機関にいる医療者だけで支援を考えないで欲しい」と言った時には理解されなかったんだろう?


私は「がんを『撲滅』『制圧』しよう」という啓発には抵抗がある。がんの患者さんは『がんとともに生きる』を望んでおられるのに、私達市民は『撲滅』や『制圧』を目指さないといけないのって思ってしまうからだ‥‥。


もしも、がんの患者さんが生きていくうえで「社会の理解をえたい」ということであれば、教育現場での啓発に大いに賛成だ。私もやっぱり協力したいと思う。すさまじい勢いで高齢化を迎える私達の社会は、がんと『共存』していかないといけなくなるだろうから。


子どもが生まれた時に思った。もしも小児病院に、「私は以前小児がんだったんです」「僕は超低出生体重児でした」というスタッフが働いていたらいいなぁ。元気で暮らしている姿をみたことがないから、ますます不安になるのだ。


日本もイギリスや以前くらしたカナダのような社会になっていけばいいのに。


※    ※    ※



障害のある者と障害のない者が可能な限り同じ場で共に学ぶ インクルーシブ教育がはじまる


実の子を殺める母親が必ずといっていいほど口にする言葉がある。「将来への不安」である。「将来への不安」とは、自分が死んだ後のことだ。


生まれた子どもが障害や病気を抱えていたら、どんなお母さんだって落ち込むだろう。そもそも日本では障害者がいきいきと生活する姿を普段あまり目にしない。地方都市にいくほど顕著のようだ。


だから私は「子どもに障害が残るかもしれない」と告知された時、以前住んでいたカナダのことを思い出した。


私の住まいはオフィスビルが建ち並ぶ都心にあった。空港から降り立ったその日に驚いたのが、車椅子の人がいれば、ごく自然にドアを押さえる会社員の姿だった。いつも買い物をしていたショッピングモールには、病気や障害を抱えた人達が店員として働いていた。「私の障害はね」と話しかけてくるのだ。


近くには、世界的に有名な「シックチルドレン」という子ども病院があった。いつも救急搬送のヘリが患者さんを運んできていた。障害や病気を抱えた人達と共に生きる社会があるから、子どもの高度救命救急医療が成り立っているのだろう。


子どもが生まれた時、カナダのような日常が日本にもあったらと思った。隔離されているように別々に暮らしているのに、「前向きに生きよ」なんて「偽善」としか思えない。


もしも障害のある人達が、今よりももっといきいきと生活する姿が当たり前になっていけば、将来を悲観するお母さん達は今よりは減るだろう。


日本では「ダウン症児外し入学式写真」の報道があったばかり。今年度からはじまった、このような事業を通して、心のこもった副籍交流も全国に広がればいいなぁ、と思う。



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NHKクローズアップ現代 小児がん 新たなリスク 2011年1月31日


日本の小児がんの専門家が注目しているのが、イギリスです。10年以上前だから晩期合併症への対策が取られてきました。小児がん治療の拠点、バーミンガム小児病院です。


イギリス中部の小児がんの子ども達は、すべてこの病院で専門チームの治療を受けています。治療が終わるとすぐに定期的な検診を行う長期フォローアップがはじまります。医師は家族に、これまでの治療と、晩期合併症のリスクを詳しく説明します。


イギリスで長期フォローアップが可能なのは、がんの登録制度があるからです。子どもはもちろん、がん治療を行った患者1770万人ものデータが蓄積されています。データを分析することで、晩期合併症のリスクを予測し、それぞれの患者にあった長期的なケアが行われています。


晩期合併症の問題は子どもの問題から、大人の患者が増えるにつれ、社会の問題になってきます。小児がんの治療は彼らの未来の扉を開くものです。ですから彼らが社会に貢献しながら、自分らしく生きられるよう国が支えていくべきなのです



バーミンガム小児病院では晩期合併症専門の外来があります。治療を終えた患者に対し、毎年必ず検査を行います。この日検査に来た16歳の少年は4歳の時に肺がんになり、抗がん剤の治療を受けました。心臓の機能が落ちる晩期合併症が起きていないか、12年間検査を続けています。


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長期のフォローアップは小児がん経験者の自律を後押ししています。ロンドンに住む、アレクサンドラさんです。幼い頃に白血病の治療を受けたアレクサンドラさんは、低身長に加えて17歳の時に脳腫瘍を発症しました。放射線治療が原因の晩期合併症でした。


腫瘍は定期的な検診により早期発見。さらに専門医のアドバイスを受けることで学校に通いながら治療を受けることができました。アレクサンドラさんは看護学校を卒業。今月から夢だった看護師として小児病院で働きはじめています。


スタジオ


国谷裕子キャスター
「今のアレクサンドラさんのように、晩期合併症と付き合いながら、希望を持って自分は幸せだと言い切れる。そんなことが当たり前になって欲しいですね」



元がんセンター総長 国のがん対策を話し合う協議会の会長を務める垣添忠生氏
「素晴らしい話ですよね」



国谷キャスター
「やっぱり子どもを育てていく、子どもを守っていく、そういう視点が大切なんですか」


垣添氏
「結局、子どもは国の将来を担う、大切な存在ですから我が国では、少子化とか虐待とかいろんな問題がありますけれども、小児がんも将来を担う子ども達の重要な課題です。


小児がんというのは、がんの発症のメカニズムの解明にもつながると見られています。


がんの解明とか、発がんの解明とか、そういう視点から非常に大事な病気です。それから今きちんと治療すれば必ず良く治るわけです。


将来どういうことが起きるかということが、本人に対しても両親に対しても、きちんと医療従事者から知らされていることが、それに対して事前に対応していくという非常に大事なことになるだろうと思います」



国谷キャスター
「イギリスの取り組みを見ていますと、すべてのがん患者が登録されて長期的なフォローアップが行われ、しかも晩期合併症外来という窓口まで専門外来まで儲けられているという。こうなってきますと、『がん登録』ということが最初の大きなステップではないかと思います。


10年先、20年先に起きるといわれている合併症。日本でも登録ということがきちんとできていますか?」


垣添氏
「小児がんも含めて、成人のがんも含めて必ずしも満足する状況にありません。がん登録は大変地味ですけれども、今のがんの実態を正確に把握すると、あるいは将来を予測すると。


結局医療従事者にとっても行政にとっても、何よりも患者さんとご家族にとって、あるいは広く国民にとって情報提供することになりますから、がん登録というのは極めて重要な作業だと思います」


国谷キャスター
「どんなことが壁になっていますか?」


垣添氏
「個人情報保護法というものがあります。その理解が十分いっていないことがありますが、我が国では、私は、がん登録法といって、法律に根ざして個人情報は秘匿して、国は情報をまとめるという作業が必要だと考えています」



国谷キャスター
「このがん対策を話し合う協議会の会長としてこの小児がんに対する対策。これからまず何からはじめていかれますか」


垣添氏
「これまでがん対策推進委員会はがん対策推進協議計画を作って約5年たったわけです。24年度から後半の5年に入るわけですが、前半の5年でいろいろな問題点を今、協議会の中で検討しているわけです。


特に小児がんのことも含めて基礎研究に関しても、緩和医療に関しても、専門委員会で検討しているわけですが、専門員会で出てきた結論をできるだけ後半の協議計画の中で活かして、数の少ないがんに対してもきちんと対策ができるようにしていきたいと思っています」


国谷キャスター
「小児がんの病院の集約化やフォローアップ体制と、そういったことが含まれていくのでしょうか?」



垣添氏
「大人のがんの均てん化に対して、小児がんも含めた数の少ないがんの集約化、がん登録、患者さんの精神的なケアを含めた、あるいは治らない場合の緩和医療、それから家族の支援、そういうことも大事だと思います」



国谷キャスター
「いずれにしましても、先ほどの政人さんのケースを見ますと、社会の理解というものも非常に大事だと思います


垣添氏
「全く同感です。がんはどなたの身に起こりうるものですから、社会の問題として社会の理解を得るということが、結局、小児がんの問題をきちんとすすめていく上でポイントになると思います



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