2015/01/30

<ES細胞>小脳の神経組織作製成功 理研の故笹井氏ら

小保方晴子氏が華々しく記者会見を行ったのは、昨年の1月28日。あれからもう一年。


妹の尊敬している職場の医師は、亡くなった笹井さんの同級生でお葬式にも参列したそうだ。その先生が妹に言ったそうだ。


「昔の彼は実直でまじめな研究者だった。研究者として成功してからどこかに奢りがあったんだろうか?」。


だから私は妹に言った。父なんて、週刊誌の話を信じて疑わないから私は嫌になる。「もし、その先生が尊敬できる人なら、きっと笹井さんは報道されているような人じゃないよ」。


週刊誌やテレビ、そしてネットで、あることないこと、毎日、毎日、噂にすぎないことまで書かれたら、生きているのも嫌になるかもしれない。ある週刊誌を読んだ時私は絶句した。昔、笹井氏が憧れていたという女性研究者の「きもい」という言葉まで書かれていたからだ。本当にその研究者がそういったのかわからないエピソードにも関わらず・・・。


人格を傷つけるようなことを、広く社会に知らせる必要があるのだろうか。仮に、一部報道にあるように、笹井氏が研究者人生を天秤にかけるほど、STAP細胞に入れ込んだのであれば、なおのこと、乱暴な追求は追い詰めるだけになる。


私は、NHKスペシャルで放送された笹井氏と小保方さんの私信メールが頭から離れない。二人のメールの内容を知っても、私には親しい部下と上司のやり取りにしか思えなかったからだ。命の危機や、緊急性がさほどあるわけではないのに、なぜ、公共放送が私信メールをあのタイミングで放送する必要があったのだろうか。


「小保方さん本日なのですが、東京は雪で、寒々しております。小保方さんとこうして論文準備ができるのを、とてもうれしく思います」


今日、東京はめずらしく雪が降っている。


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<ES細胞>小脳の神経組織作製成功 理研の故笹井氏ら 毎日新聞 1月30日(金)2時0分配信


ヒトのES細胞(胚性幹細胞)から小脳の神経組織を作ることに世界で初めて成功したと、神戸市の理化学研究所多細胞システム形成研究センター(旧発生・再生科学総合研究センター)が発表した。29日付の米科学誌セルリポーツ電子版に掲載される。iPS細胞からの作製にも成功しており、小脳の難病の原因究明や治療薬の開発に役立つと期待される。STAP細胞論文の共著者で、昨年8月に自殺した笹井芳樹氏も著者に名を連ねる。


 笹井氏らの研究チームは2010年、マウスのES細胞から小脳の神経細胞「プルキンエ細胞」を高い効率で作製し、論文発表した。ヒトでも今回、培養35日目でES細胞の約3割をプルキンエ細胞にすることができたという。


 小脳の他の種類の神経細胞も同時にできたため、胎児期に小脳が作られる状況に似せて培養すると、小脳に特徴的な層構造の神経組織ができた。マウスでは組織の再現はできなかった。妊娠13週相当の状態まで再現できたが、以降は形が崩れてしまったという。


 小脳は、歩行など無意識にできる運動の制御や学習などをつかさどる。小脳の神経細胞が減少する難病の脊髄(せきずい)小脳変性症を発症すると、うまく歩けなくなるなど運動機能に支障が生じる。小脳の神経細胞を、実験のためにヒトから採取することはできないため、ES細胞やiPS細胞からの作製が待たれていた。


 論文は笹井氏と六車(むぐるま)恵子・理研専門職研究員の2人が執筆し、昨年6月に初稿が完成した。笹井氏の死後、六車氏が雑誌との窓口を引き継ぎ、論文掲載に至ったという。六車氏は「いつもの論文より思い入れがあるかどうかは、推して知るべしだ。(笹井氏から)引き継いだ再生医療のプロジェクトにも貢献できる」と話した。【根本毅】



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2015/01/29

『高度成長の時代』から『コンクリートから人』へ 若年性乳がん患者『ペコさん』のご命日

1月21日、ある人からメールが届いた。雲の上のような方が私が追ってきた『見えないビジネスパブリックアフェアーズ』について興味を持ってくださっているそうだ。「急いでまとめてくれませんか」と連絡をいただいた。


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大野病院事件の時に、先頭にたった先生と私




大野病院事件の時に福島地裁に手紙を送った「配達記録」



毎日、パソコンとにらめっこをしながら、なんとか書類を完成させた。


実はその数日前、私はある重要なことが書かれた文書を発見した。日付は2009年11月。一番下に引用させていただいた、斉藤貴男さんの取材した元経産相バイオ科の官僚A氏の証言を裏付ける内容だった。


「子宮頸がんワクチンのロビー活動」は、2006年頃からはじめられていったという。


私はその書類をヒントに、10年以上かけ集めた膨大な資料と、記憶を頼りに、一つ一つ、キーワードになりそうなものをピックアップしていった。すると、たちまち点が線になる。ある一つの流れがクッキリ浮かび上がった。


ざっくりいうと、『大野病院事件』から『民主党政権』の誕生。そして今の『医療を産業に』(がん医療において、がんワクチン・免疫療法など、新たな治療法の確立を目指す)という流れだ。


昨年の終わりに出かけた国立公文書館『江戸時代の罪と罰』の記録をブログにアップしたことがきっかけだった。


国立公文書館に行って、私が書いたのはこの三つ。下の二つは実際にみて写真をとって、調べて書いたものだ。最後の一つは、パンフレットを買っただけ。ところが、せっかく写真をとって時間をかけてアップしたのに、なぜか感想だけを書いた『高度成長の時代へ』へのアクセスが伸びていく???


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  1. 国立公文書館平成26年度特別展 江戸時代の『罪と罰』~犯罪と刑罰の歴史~ (その1)

  2. 国立公文書館平成26年度特別展 江戸時代の『罪と罰』~犯罪と刑罰の歴史~ (その2) 江戸時代の児童虐待事件 未成年の犯罪

  3. 次の時代 コンクリートから人へ


父がお世話になった鈴木会長とご兄弟は、まさに『高度成長の時代』に日本を牽引した大企業の経営者だ。パラパラめくりながら考える。


※    ※    ※



鈴木竹雄 wikipediaより引用

日本の商法学者。東京大学名誉教授。

【親族・家族】

鈴木商店(現味の素)第2代社長の鈴木忠治の三男。鈴木商店創業者の2代目鈴木三郎助は伯父。妻は子爵の井上勝純の娘。兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。娘は日本放送協会報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。


※    ※    ※



ちょうど今は「コンクリートから人へ」という次の時代への転換期。一つの時代が終わり混乱の中にいる、という感じだろうか。そこに私が連れてこられたことは、意味があるのかも。


集英社インターナショナルの斉藤貴男さんの記事を読んだ時に「やっぱりね!」と私は思ったわ。ロビイストは厚労省ではなく、経済産業省に働きかけていたのだ。なんだかそっくりだな、と思ったのだ。ただし『フェア&リーズナブル』が座右の銘だから、全く違うけれど。


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ブログにアクセスして下さる方の中には、お役所やメディアの方もいらっしゃる。やっぱりそういう方々が関心があるのは『高度成長の時代へ』に書いてあることなんだろうなぁ。


ちなみに、上の写真で私が身についているのが、このペンダント。チッソの顧問弁護士にいただいたもの。


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「わが会社に非あり~水俣病と向き合った医師の葛藤~」 (1)その時歴史が動いた





もう一つ思い出したことが。


昨年私はあるジャーナリストにお目にかかった時に、こう尋ねた。「『子宮頸がんワクチン』の普及が、目的ではないですよね?もともと、『医療を産業』にという流れがあって、日本発の『創薬』などを目指したいんじゃないですか?そのために、外資系製薬企業と技術提携などをするのが本当の目的じゃないですか?」。


その方はあっさり「ああ、そうだと思いますよ」と頷いた。そのために、強引なキャンペーンが『必要』だったのだ。


問題は、『子宮頸がんワクチン』の向こう側に隠されている思惑を、国民が理解しているのか、ということだ。確かに患者さんにとったら、使いたい薬が使えるようになるかもしれない。しかし、その一方で受け入れないといけないリスクもある。インタビューの中でA氏が危惧しておられたように、「(医療が)他の産業と同じような競争的環境におかれて、つまり戦場になるんですよ」ということだ。


私がロビイストを不誠実だと思うのは、リスクにはほとんど触れようとしないことだ。お年寄りにとったら、今までは自分の頭で考えなくてもいい添乗員つきの『集団バスツアー』だったのに、ある日突然「もうお金がないから、ここから先は、自己責任で個人旅行して下さい」と突き放されるようなものだ。そういうことを、きちんと説明する責任はないのだろうか?


ずっと心にひっかかっていたことがあと一つ。ある一人の報道関係者の動向だ。


有り難いことに、「どんなに些細なことでも、サクラさんが疑問に思うことを入れて下さい」と言っていただいた。その人のことも追ってみた。


するとやはり、ある一つの線が浮かび上がり、最後は『がんの啓発』に行き着く。はじめの出発点は確かに「がんの患者さんを少しでも減らしたい」という純粋な使命感があったようだ。


しかし、それがあるところですり替わっていく。ビジネスチャンスを求める人達の欲望が、純粋さを少しずつ歪めていったのだろうか。


『ピンクリボン運動』など、その典型だと思う。一体、何のために、誰のためにある活動なのだろうか。患者さんはかやの外で、まるで企業や、タレントさんのイメージアップのためにあるようだ。


※    ※    ※



ピンクのリボンをつけて  若年性乳がんになっちゃった! ペコの闘病日記より一部引用

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9月ももう終わりに近づいてきました。
もうすぐ、ピンクリボン月間が始まります。

私だって本当は、
こんな記事、書きたくないんです。

本当は、ピンクのリボンを失った胸の上につけて
街頭に立ち、多くの人に検診を促したいんです。
友人達にも、小さなピンクのリボンをそっと手渡したいんです。
この気持ち、わかってくれますよね?

(中略)

「何で私はこんなことで悩んでいるんだろう?」
「一体、私は何がしたいんだろう?」

一生懸命考えました。
そして、ひとつの結論に達しました。

乳がんの人が、不快であることを不快だと
堂々と言えないのであればそれは、
立派な人権蹂躙であるということ。

「人権」なんて言葉、今までの人生の中で考えたこともありませんでした。
当たり前にあるものであると思っていたし、
脅かされたこともありませんでした。いや、なかったと思っていました。

でも、今だけは言わせていただきます。

私は今、片胸を失っているし、再発もしているけど、
まだ、一人の人間として生活しているわけですし、
セミヌードによって傷つけられた私の、私たちの
人権を守っていただきたいんです。

私たちの心までも傷つけるような表現を使わないでほしい。
そして、傷つけられた時に、声を上げる自由を奪わないでほしい。



※    ※    ※



ふとあることを思い出した。もしかしたら、この『ピンクリボン運動』に苦言を呈しておらた『ペコ』さんのご命日かもしれない。せっかく、ブログが念願の本になったのに、ちょうど書店に並んだ頃、この世を旅立たれた。とても寒い季節だったと記憶している。


調べてみるとやっぱり、1月21日はご命日だった!


なぜ、ペコさんの『若年性乳がんになっちゃった! ペコの闘病日記』や近藤彰さんの『どーもの休日~しかしなんだね。ガンだって~』はあれほど盛り上がったのだろう?私がパスをまわして広めた『うつ 薬 多剤大量処方 わたしの場合』も今や75万9千以上のアクセスだ。


うつ 薬 多剤大量処方 わたしの場合




ずっと考えても、その理由が私にはよくわからない。でも、もしかしたら私のような、当事者以外のパスを回す人の存在がカギを握るのかもしれない。


ペコさんがピンクリボンをチェーンにしてしまった理由が私にはよくわかる。日本のがんの啓発活動は、どこかおかしいよね。天国のペコさんも私を応援しているかもしれない。なんとなくそんな気がしている。


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子宮頸がんワクチン問題を追う 「予防接種は国家経営そのもの」 ジャーナリスト斉藤貴男


(経産省の出身で、新日本PAがGSKのロビイング委託契約を結んだとされる時期、まさにバイオ課の幹部であったA氏の証言から一部抜粋)


バイオ課にいたら、薬屋さんから相談を受けた。要するに自分たちの世界には経産省の産業政策に当たるものがない、このままではどうにもならないから、なんとかしてくれと言う。


その代わりに護送船団で守られてるのと同じじゃないですか、我々のやり方だと、他の産業と同じような競争的環境におかれて、つまり戦場になるんですよ、と返しました。それでもいい、日本がダメになるよりはと仰るんで、じゃあお手伝いしましょうということになったわけ


──とは言っても、医薬品の所管は厚労省です。縄張りを簡単には侵せませんよね。


そうなんです、事務的にはどうすることもできないので、どうすべえかと考えていたら、当時はアメリカの製薬業界が、日本市場にものすごく関心を示していて、年に2、3回はトップがやって来るんですよ。イーライリリーとか、ファイザーの社長さんとか。だからそういう人が来日したら、経産大臣に相談してみたらどうか、と言いました。ただし、日本のマーケットが閉じてるなどという言い方ではなく、世界中で使われている薬が日本では使えないという点を、国民にとっての価値をしっかり伝えてはどうか、とアドバイスして。

(中略)

『それなら文部科学省と厚労省の大臣に声をかけるから、がん対策3大臣会議をやろう』と言ってくれたんです。文科相というのはこの分野の研究や大学を所管しているからですね。


大臣が集まって何を話し合うのかといえば、製品の出口の部分です。つまり承認審査体制の整備と迅速化。最初は経済産業省の所管している医療機器の分野から入って、薬のほうも含めて、という。厚労省の事務方にしてみれば、自分たちの所管なのにと、非常に嫌だったと思うけど。でも、やらざるを得ませんわね

(中略)

はたして同年8月、厚労省「薬事・食品衛生審議会」の「医薬品第二部会」は、GSKのHPVワクチン「サーバリックス」を優先審査に回すことを了解している。この日の議題だった5つの案件の中でもいの一番に審議され、いくつもの疑問が呈されていたのに、最終的には異議が発せられなかった模様が、議事録を読むとわかる。晴れて「サーバリックス」が承認されたのも同じ2009年の10月だった事実は前回も述べた通りだから、いかにも早い。わずか4カ月間のスピード審査だった。


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2015/01/28

今年初めての『高尾山』 その2

今年初めての『高尾山』 その1の続き


眼下に広がるのは八王子の街。どこなく八王子城址公園の裏山からの景色に似ている。


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こちらが昨年5月にとった八王子城址公園のからの景色。


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3号路から2号路への分岐点。くねくねしていて、ここまでが本当に長い。まっすぐ帰るよりも4000歩も違う。


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結構急に下り坂が続く。写真をとるのが大変。


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琵琶滝のお堂がみえてきた。今日は真冬だから、人影がまばらだ。


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すいているので久しぶりに手を合わせた。


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この小さな滝で、あの江原啓之さんが修行をしたということで、一躍人気のパワースポットに。確かに何か良いことがありな雰囲気がする。


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この辺りは道幅がせまく、5月や紅葉の時期は行列ができることもある。最近は、海外のお客さんにも人気があり、いつも写真をとる人の姿をみかける。私もすいているのでパチッ。


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少しすすむと、弘法大師の伝説もある岩屋大師が川の向こう側にみえてくる。調べてみると、韓国の方が熱心に信仰しているようだ。


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薄暗くて恐いから、と息子は決して近づこうとしなかった。


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やっとケーブルカーの清滝駅の近くに。いつものお地蔵様がみてきた。よくみたら、七福神のような姿だった。


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2015/01/27

今年初めての『高尾山』 その1

昨年「講演をしませんか?」と声をかけていただいたことがあった。今度は「どうすれば健康になれるのか?」というテーマだそうだ。


有り難いけれど・・・考えてお断りしてしまった。


自分が瀕死の状態に陥ってはじめてわかった。「健康を語れる」ということはそれだけ幸せでもある。一歩間違えると『私、こんなに幸せなんです!』とアピールすることにつながる。


若い頃は「運動しないと病気になるよ!」「好きなものを好きなだけ食べちゃダメ!」などとストレートに言って、楽しい気分を台無しにしてしまったことが何度もあった。自分の家族や親戚が、運動不足から脳梗塞や糖尿病を患い、苦労した姿をみてきたから、つい、きつく注意してしまうのだ。


野沢温泉スキー場の禁煙ステッカー・・・。学生の頃は、禁煙する人のほうが少数派だったから、私はこういうことを言っていたけれど、今の時代にここまでキツイ表現で啓発するのは気がすすまないなぁ。





長年、健康を学生に教えてきた夫が、「健康は語れば語るほど宗教に近くなる」と言っていた。今は「その通り」と思っている。どんなに正しいことでも、きつく言われたら誰でも「カチン」とくる。それに、「体を動かさないと健康によくない」といくら頭でわかっていても、運動を習慣にするのは、誰にでもできるわけではない。難しい。


今までいろいろやってきて一番効果があったのは、年賀状に山に登っている写真をのせることだった。以外と皆よく見ていて、「写真の山は、どこなんですか?」「私も近くの山に登ってみました」なとど言ってくれる人が出てきたからだ。


なるほど、こういう啓発は時間がかかるけれど、心に届くのね。


写真をとって文章を書くのは、時間もかかるし大変な作業だ。でもコツコツ続けるのは、読んでくれた見知らぬ誰かが、「じゃあ、私も体を動かしてみようかな」と思ってくれるかもしれないから。



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二週間前の土曜日、天気が良いので高尾山に出かけた。夫に「明日高尾山に行こう」と言われ、はじめは「真冬に高尾山か〜。寒いだろうなぁ〜」と思ったけれど、行ってみたら真冬の高尾山もなかなか楽しかった。今回のコースは、小仏行きのバスで小仏まで行き、城山の頂上から高尾山へ。帰りは3号路から2号路へ。琵琶滝を経由して高尾山口駅に。全部で1万9千歩。


ここは、京王バス『小仏』行きの終点から登り始め、『景信山』と『城山』の分岐点。


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この辺りは開けていて、ベンチもたくさんあり相模湖もみえる。


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『城山』までの道。


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この辺りは日陰なので、歩くとザクザクするような大きな霜柱があちこちに。


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『城山』の頂上。思ったよりも人が多い。太陽が出ているので、11月にきた時よりも暖かく感じる。


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朝、高尾駅の『一言堂』でおむすびの他に名物の『天狗パン』を買ってみた。『天狗パン』は高尾にしか売っていないそうだ。いつも帰りに買おうとしても売りきれるから、行きに買ってみた。ちょっとつぶれたけれど、とてもおいしい。中にはきな粉のクリームと食感をよくするために、ざらめが入っている。食べるとサクサクする。


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遠くに大きな富士山がくっきりみえる。冬は空気が澄んでいるから私のiPadでも映る。


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空も、青く澄んでいる。


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売店の横のお地蔵様。『よくきたね〜』といっているようだ。


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昼食をすませて、高尾山へ。ここは『一丁平』。あと数ヶ月したらサクラがきれいに咲くサクラの名所だ。


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こちらは11月の紅葉の時の写真。


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裏高尾から高尾山へ抜ける『巻き道』。日当たりがよく、まるで春のようだ。


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『この先は裏高尾』という標識がみえる。ようやく『高尾山』に。


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『三号路』はこちらという標識がみえる。


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地図でみるとわかるように、『三号路』はくねくねした回り道になっている。『二号路』の入り口までが遠く感じる。それもそのはずで、『薬王院』を抜けて下山するよりも、万歩計でみると約4千歩も違う。


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2015/01/26

新潟県三条市から生まれたグローバル企業 『 スノーピーク * snowpeak』

今月のはじめNHKクローズアップ現代で『地方から日本を変える 宝を生み出す“つながり力”』という特集が放送された。番組が放送される数日前に、『 スノーピーク * snowpeak』が取り上げられることを知り、放送を楽しみにしていた。


スノーピーク * snowpeak  オンラインストア

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『 スノーピーク2015 Outdoor Lifestyle Catalog』 より引用

ピーター・ノボハン Peter Novahom / REI ストアマネージャー

アウトドアの本場でも、スノー・ピークはヒーローです。

およそ10年前、偶然カリフォルニアのキャンプサイトでスノー・ピークを見かけたのが最初の出会いでした。これは何だ?と驚いて、使っている人に尋ねたのを覚えています。モジュールの設計、竹素材の使い方、高いクオリティーに感動しました。アメリカのユーザーのほとんどはスノー・ピークといえば、ディティーまで磨き抜かれた機能性の高さを思い浮かべます。



『 スノーピーク』の山井太社長は、母校の大先輩だ。もともとアウトドアが好きな人の間では「品質が良い」ということ知る人ぞ知るブランドだった。夫は有名になるずっと前から、商品を愛用していた。


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番組の中で紹介されていたように、山井社長御自身も、アウトドア好きで有名だ。今もお客さんと一緒に野外に出かけるそうだ。ちなみに、日本発のアウトドアメーカーといえばモンベルも有名だ。モンベル創設者で現会長の辰野勇氏は、冒険家・登山家としても大変有名な方だ。辰野氏もやはりお客さんとのふれ合いを今でも大切にしておられる。


そういう姿が、野外で活動する教育者や指導者を惹きつけ、愛好者を増やしていったように思う。登山やアウトドアが一過性のブームでなく定着したのは、山井社長や辰野会長のような方の地道な努力が大きい。


私が『 スノーピーク 』を応援してきた理由はもう一つ。「新潟発のブランド」という点だった。


私が幼い頃、新潟県の三条市は必ず社会の教科書で取り上げられた。地場産業の「洋食器」や「刃物」が、日本を代表する輸出品だったからだ。


ところが、いつの頃からか、安い中国や韓国製におされ、三条の地場産業は斜陽化していった。


私の母校はエリート校じゃない。


山井社長が地元を盛り上げようと奮闘している経営者であることを夫から教えてもらっから、ずっと応援してきたのは、卒業生には、同じように二代目、三代目として地元でがんばっている経営者が大勢いるからだ。私自身も、母の実家が中小企業を経営していた。もしかしたら今頃私が継いで苦労していたかもしれない・・・。


テレビや雑誌で山井社長の特集があると、必ず目を通すようになった。


山井社長は、価格競争の波にさらされる中で、あえて品質の高い商品づくりに挑戦した。付加価値をつけ、高くても売れる商品を目指したのだ。もともと、アウトドアで使う商品は、人の『命』に直結する。やがて、性能の高さは、野外で活動する指導者に支持され口コミで広がっていった。


10年以上前からアメリカの有名アウトドア用品の店『REI』などでも、次第に商品を見かけるようになった。アメリカはキャンプやバーベキューの本場だ。近くにヨセミテなど、世界的に有名な国立公園があるサンフランシスコの大型店舗に商品が置かれるようになれば、知名度もアップする。「最近は、食器や鍋などの商品だけでなく、テントなどの高価な商品も人気がある」と夫が言っていた。


今や世界にその名を知られる、日本のアウトドアメーカーだ。すごい!どこか『ヤフーブルーイング』の快進撃と似ている。ブログに何度も書いてきたように、いくらロビイストやPR会社が後ろで支えたところで、商品と人に実力と魅力がなければ、人もお金もついてこない。私はロビイストやPR会社は、野生動物にエサを与えるようなものだと思っている。


ヤッホーブルーイング『よなよなエール』が大出世!


番組を見ていたら日本では、5年ほど前からブームに火がつきはじめたそうだ。日本で人気があるのは、「ダッチオーブン」という調理器具だ。


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野外の専門家に人気があるのは、こちらの「ペグ」と呼ばれるテントを地面に固定する道具。もちろん我が家でも使っているし、専門家は必ずといっていいほど皆使っているそうだ。


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(2012/03/12)
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実は、5年ほど夫がトレーナーを買ってきたことがあった。決して安くなったのに、私が洗濯して乾燥機に入れたら、丈が縮んでしまった。夫は品質を期待して買ったからがっかりしていた。


海外に輸出するなら、トレーナーが乾燥機に入れて縮むようでは、致命的だ。北米では乾燥機に入れるのは当たり前だからだ。これは大きな問題になるかもしれないと思ってしまった。


一瞬、メーカーに知らせようかな、と考えたけれど、返金に応じてくれたり、新しい商品が送られてきても・・・と考え結局そのままにした。この会社のことだから、きっと何も言わなくても、改善されるだろう、と考えたのだ。


先日、新しいカタログが送られてきた。見ているうちに、あれもこれも欲しくなってしまう。今までよりもさらに商品が増え、デザインが洗練されているからだ。


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ふと、あることに気づいた。そこには、あの時のトレーナーなどのウエア類が掲載されていないのだ。


「やっぱり『スノーピーク 』はちゃんとしているぁ」あの時、縮んでしまったトレーナーにがっかりしてた夫がとても嬉しそうに言った。


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クローズアップ現代 『地方から日本を変える② 宝を生み出す“つながり力”』 2015年1月6日放送


地場産業の強みつなげ 躍進する中小企業


新潟県中部、人口10万の三条市です。古くから金属加工が盛んで、近年は外国製品とのしれつな価格競争にさらされています。


この町で、5年で売り上げを倍増させた注目のアウトドアメーカーがあります。金物問屋として創業して57年。社員160人。地域を代表する企業の1つに成長しました。およそ7割の社員は、県外から入社を希望して集まった人たちです。


(中略)

このメーカーの社長・山井太さんです。躍進の秘密は、高度な技術で加工した付加価値の高い製品にあります。


スノーピーク 山井太社長


山井太社長「これ、真空二重ボトルで。」加工の難しいチタンを使って二重構造に仕上げたボトル。「6時間10度を保持しますので、山登りのときザックに入れておいて、めちゃうまなビールが飲める。」



スノピ(SNOWPEAK)  TW-180 システムボトルTitanium 350  チタン水筒 チタンボトルスノピ(SNOWPEAK) TW-180 システムボトルTitanium 350 (チタン水筒 チタンボトル)

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高密度の生地を使うことで耐水性を高めた高級テント。去年(2014年)の売り上げは前年から20%伸びて、過去最高の54億円を記録。韓国やアメリカなど、海外にも進出しています。


大学卒業後、東京の商社で働いていた山井さんは、26歳のときにUターンして実家の商店に入りました。目にしたのは、地元の金属加工メーカーが安い外国製品との価格競争に巻き込まれ、苦境にあえぐ姿でした。


スノーピーク 山井太社長


「みんなで安いマーケットに安いものを作って、安く売っていた。僕は、高く買ってくれる人に高い商品でいいものを作って売っていくようなブランドも作らなければいけないと思った。」


思いついたのは自分が好きだったアウトドア関連の製品。年間数十日、キャンプに出かけていた山井さん。当時のテントは、雨漏りするなど多くの不満がありました。


地元の金属加工の技術を生かして高級テントを作って売り出したところ、従来品の10倍もの値段にもかかわらず、大ヒット。これが高級ブランドの出発点となりました。


山井さんは次々と地元企業に声をかけ、技術力を売りにした製品の開発に乗り出します。金属をたたいて強くする鍛造技術を使った、驚異的な強度を誇る金具です。従来品の3倍の値段にもかかわらず、性能の高さが受けて30万本のヒット商品になりました。


山井さんの仕掛けた高付加価値戦略の成功に、地元企業の意識も変わり始めます。長年、自動車部品を手がけてきたこの工場は新たな設備投資を行い、山井さんたちと共同で新たな開発に取り組むようになりました。


その成果が、この「ダッチオーブン」という鉄製の調理器具。厚さを半分近くまで薄くし、30%の軽量化を実現する画期的な技術をものにしました。


「この薄さを出すのはうちぐらいしかない。」


値段の張るこだわりの商品を消費者に届けるために、販売は直営店を主体に行っています。社員が商品の機能やブランドの哲学を徹底的に説明します。


消費者


「値段は高いですけど、ものがいいのでずっと使える。3年で250(万円)ぐらい買いましたね。」


地場産業とのつながりを武器に、世界を目指す山井さん。高付加価値のブランドが地方の新たな可能性を開こうとしています。


スノーピーク 山井太社長


「地域からグローバルなマーケットに、高いもの、価値のあるものを作って、高く買ってくれる人に対して、ものを供給するようなことが成長戦略としてある。」



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2015/01/23

長期に渡る追跡調査の大切さ 

名古屋市が子宮頸がんワクチンの接種後の体調の変化の調査するそうだ。非接種者も含め7万人規模の大がかりな調査だ。昨年薬害オンブズパースン会議の記者会見を文字おこししたら、なぜか急激にアクセスが増えた。不安に思って友人の医師に読んでもらったら、この前私に言っていた。


薬害オンブズパースン会議の記者会見を見て考える 日本の小児医療に足りないもの

クローズアップ現代『小児がん 新たなリスク』2011年1月31日 より引用

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「治療を終了してやっと治ったかと思っていた人に10年後20年後にこういうことが起こってくる可能性があるということは、医療従事者の間でもなかなかわからなかった」


「ワクチンの副反応じゃなくても、長期に渡る追跡調査って、いいですよね」。


私は国立公文書館が好きだ。公文書の記録は、どこか疫学調査に似ている。日本の小児の高度医療に足りないのはあのような記録を残すことだと思う。息子のような超低出生体重児が、救命されるようになってまだ歴史が浅い。今後、どのように成長するかはわからないことも多い。


国立公文書館平成26年度特別展 江戸時代の『罪と罰』~犯罪と刑罰の歴史~ (その1)

国立公文書館平成26年度特別展 江戸時代の『罪と罰』~犯罪と刑罰の歴史~ (その2) 江戸時代の児童虐待事件 未成年の犯罪


施設ごとのデータも足りないと思うけれど、あっても、分母が少なく期間も短い。


超低出生体重児は、『後遺症なき生存(intact survival)』を目指す。たいての親御さんは、子どもが成長すると安心するようだ。


でも私は少し考え方が違う。長期に渡る統計をとってはじめて、みえてくることがあると思う。本来であれば「小学校入学前まで」などの短い期間ではなく、息子の子どもや孫世代まで責任を持たないといけないんじゃないのかな。超低出生体重児にだって未知のリスクがあるのかもしれない。


友人は、私が何を伝えたいのか、ブログを読んで考えてくれたようだ。隣にいた夫が「確かに統計をとるのはいいことですね。でも、統計なら医師じゃなくてもいいんじゃないですか」と尋ねた。すると、友人は「もちろんそうです」と言っていた。


お年寄りの健康調査は、夫がお世話になった、東京都健康長寿医療センター研究所の新開省二先生のような研究者が研究し、すでにいろいろわかっている。


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(2013/09/01)
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著者について

新開 省二

東京都健康長寿医療センター研究所
社会参加と地域保健研究チーム 研究部長 医学博士。
日本公衆衛生学会、日本老年医学会、厚労省「健康日本21(第2次)」
策定専門委員ほかを歴任。



新開先生は医師だけれど、一緒に研究していた夫の後輩の青柳幸利さんは医師じゃない。こうした長期に渡る健康調査は、全国でいくつか行われている。有名なものは九州大学大学院が行っている『久山町研究』や青柳さんの『中之条町研究』がある。大勢の専門家が長い間積み重ね今に至っているという。


薬害被害者の方が「生理学は誠実な学問」と言っていた。確かに、製薬企業などのお金が入る研究じゃないから、誠実に積み重ねられるのかもしれない。医師だけじゃなく、いろいろな専門家が集まるところも私は好きだ。地域住民が広く参加できるところも。


私は2011年1月31日にNHKのクローズアップ現代『小児がん 新たなリス』で「晩期合併症」をはじめて知り、ショックを受け、その友人を怒ってしまったことがあった。「どうして、自殺するほど追い詰められないといけないの?退院した後をフォローしないと意味がないじゃない」


お年寄りの研究はちゃんとしているのに、と思う気持ちが私にはあったからだ。


ショックだったことがもう一つ。退院後の支援が、超低出生体重児と同様に患者の側を向いていないと思ったのだ。小児がんに限らず、日本は、患者の意見をなかなか取り入れようとしない。


あるところに提出する書類を作成するために、「医療を産業に」という流れが、何を目指しているのかざっと調べた。「医療」とは主に「がん医療」をさすようだ。今度こそ、変わるのだろうか。報告書をみると『患者さんのために』『がん難民をうまない』『新しい治療薬の開発』『医療情報の提供』など、魅力的な言葉が並ぶ。


でも、決定的に何かが足りないと思った。どうして社会的な取り組みまで、主に医療機関が中心となってやろうとするのだろう。生きていくのは社会なのに。またこれまでのように、医療者による出前授業などのような取り組みなのだろうか。そうすると、一部の患者さんの意見しか社会に届かない。本当に切実な、死を選ぶような人の声はかき消されていくだろう。


見えないビジネス『パブリックアフェアーズ戦略』を調べていくと、ワクチン の普及は通過点に過ぎないことがわかる。その先には、やはり『創薬』があるようだ。


だからなのか、あるつながりが見え隠れする。私には新しい何かをつくったり、『改革』というよりも、新たな利権を生むだけのように思えてしまう。『支援者のための支援』という言葉も頭をかすめた。


私は小児がんの晩期合併症を苦にして、自ら命をたった男性の言葉が今でも忘れられない。「僕のせいじゃないのに」「不公平だ」という彼の言葉が今も心につきささっている。


患者さんでも、男性より女性、できるだけ若く、有名であるほうがいい・・・。彼の言葉は、本当にその通りだと思うからだ。


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クローズアップ現代『小児がん 新たなリスク』2011年1月31日より引用


上野政人さん(享年23歳)


小児がんの晩期合併症に苦しみ、去年の夏、自ら命を絶ちました。23歳でした。

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父の定人さん

幼い頃克服したはずの小児がんが、なぜ長い間息子を苦しめたのか。いまだに気持ちの整理がついていません。「なんでこの子だけこんなに一杯、次から次へと難病になるんだろう、こんなのがあるなんて本当に知らなかった」


政人さんに小児がんがあるとわかったのは一歳の時でした。


なかなか風邪が治らないと連れていった大学病院で神経のがんの一種、「神経芽腫」と診断されました。神経芽腫は当時、二人に一人が亡くなるといわれていました。命を救うために強い抗がん剤が複数投与されました。


「強い薬を使っているけれども、一時的に毛が抜けたり、いろんなことがありますけれど、日にちが経つに連れ、だんだんおさまってきますから」ということで、実際毛も生えてきたし、ああ、これで終わりだな、と自分では思いました」


治療から五年後、再発がなかった政人さんは、完治したと診断されもう治療の必要はないと、医師から告げられました。


小学生の時の政人さんです。運動好きで活発な男の子でした。しかし高学年の時に体に異変が起き始めます。


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身長が伸びなくなってきたのです。晩期合併症でした。しかし本人も家族も治療の影響だとは考えてもいませんでした。これまで明らかにされてこなった晩期合併症。国は去年はじめて、小児がんの経験者を追跡調査しました。


その結果小児がんを経験した女性の50%、男性の64%に、晩期合併症があらわれていたのです。


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ホルモン分泌の異常による低身長や不妊、放射線や抗がん剤などで起きる新たながん、二次がんなど、治療から十年以上たって複数の合併症に苦しんでいる例も数多くありました。


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「治療を終了してやっと治ったかと思っていた人に10年後20年後にこういうことが起こってくる可能性があるということは、医療従事者の間でもなかなかわからなかった」


(中略)


ある患者が残した言葉


(晩期合併症で再び)治療をはじめた政人さんは家族の前でこう語ったと言います。「僕は入れ込んだらアカンのや。仕事だって、夢を追ったって、必ず病気がじゃましてくる」


骨髄移植を受け、白血病の治療は上手くいきました。しかし、副作用に苦しみ、相方にも迷惑をかけられないからと、お笑いの夢をあきらめました。


その後、自分の治療費を稼ごうとアルバイトを探しましたが、病気を抱えた政人さんを受け入れるところはありませんでした。


去年8月政人さんは部屋で自ら命を絶ちました。遺書にはこれ以上、家族に負担をかけくないと記されていました。



「生まれてきて良かったと思ったことがなかったんじゃないかな。それを思ったら申し訳ない。生まれてきてよかったと思って欲しかった」


亡くなる前、政人さんはパソコンの中に文章を残していました。


「小さい時は気づかなかった。地球からまっすぐ、皆はロケットで飛んでいる。僕は出発する時に角度が少しずれちゃっていた。すすめばすすむほど、皆との距離は離れる。不公平だよ。ずれたのは僕のせいじゃないのに」



以下略


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2015/01/22

子宮頸がんワクチン "孤立無援の状態"全国からの訴え すべての女性、子どもに教育を受ける権利がある

子宮頸ガンワクチンの被害を訴える、デンマークのサラさんが、昨年7月に日本で放送された、日本の被害者酒井さんの映像をみて泣いていた。昨年掲載した、『ニュース23』の文字おこしを、もういちど掲載しようと思った。


子宮頸がんワクチン“副反応” デンマーク少女の訴え ニュース23


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「どうして見るのが辛いのかわからない。他の女の子達がとても辛い思いをしていて。最初の女の子だと思うけれど、『接種する前は、音楽やいろいろな場所に旅行したり。でも今は、もう以前みたいにできなくなってしまったのよ』


酒井さんが勇気を出して、テレビで訴えたことは大きい。これから先、世界中で孤立している被害者を救うかもしれない。


ノーベル平和賞を受賞した17歳のパキスタンの女の子、マララ・ユスフザイさんは「すべての女性、子どもに教育を受ける権利がある」と演説で訴えていた。酒井さんも、サラさんも、教育を受ける権利があるのに。どうして、ワクチンの被害を訴えると、心ない言葉を投げかけられたり、なきものとして扱われていくのだろう。もしもそこが戦場ならば、と私は思ってしまう。


天国の近藤彰さんへ届け!


最後に、被害を訴える高校生、『あさかさん』のブログを転載させていただいた。彼女のブログは、ひらがなばかりが並んでいて、見た瞬間せつなくなった。きっと、思うように動かせない手で『どうしても伝えたい』『私を忘れないで』と、一生懸命文字を打ちこんだのだ。私にできることは少ないけれど、酒井さん、サラさん、あさかさんの気持ちが、マララさんのスピーチと同じように、多くの人の心に届きますように。


【感動】涙が止まらないマララ・ユスフザイの名スピーチ【ノーベル平和賞】【ネットで話題】【国連】 NAVER まとめ より引用


So here I stand… one girl among many.

そして、私はここに立っています。
傷ついた数多くの人たちのなかの、一人の少女です。

I speak – not for myself, but for all girls and boys.

私は訴えます。自分自身のためではありません。
すべての少年少女のためにです。



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子宮頸がんワクチン "孤立無援の状態"全国からの訴え ニュース23 2014.7.2 TBS News-i



足を引きずりながら歩く酒井さん、19歳。三年前、子宮頸がんワクチンを接種した後、麻痺や痙攣を発症した。


ワクチンを接種する前までは、コンクールで入賞するほどピアノが得意だったが、今は利き手の右手も、自由に動かすことができない。


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歩くことにも障害が出ている。


早朝の6時前、まだ人気のない時間に家を出て、高速道路に乗る。向かった先は病院だ。二つの県を越えて行かなければならない。


お母さん

「病院に行くまでが大変」


酒井さん

「長時間車に乗っているのも体がきつい」


途中二回の休憩をとり、ようやく病院に到着したのは午前11時。片道五時間の移動だ。それでもこの病院に通うのには理由がある。


実は酒井さんはこれまで20以上の病院をまわってきた。しかしほとんどの病院から門前払いされたという。


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酒井さん

「(ワクチン接種する)以前の私をみていないから分からないと言われたりとか、困っているから病院に行っているのに、そう言われてもじゃあ、どうすればいいんだ、という感じで」


ようやく患者として受け入れてくれたのが、この病院だった。この日から一週間入院し、免疫を抑制する薬を集中的に投与する治療を行う。


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酒井さん

「(治療を)やってみないと効果が分からないというのが正直怖い気持ちもあるけれども、(治療を)やってみようかな、という気持ちの方が大きいです」


こうした状況にあるのは酒井さんだけではない。今回ニュース23は、副反応を訴える全国の患者およそ60人に“症状や治療にすいてのアンケート”調査を実施した。そこからみえてきたのは、患者達の深刻な実態だった。


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佐賀県「地元の病院では副反応すら信じてもらえず、医師から報告書すら書いてもらえない」


東京都「孤立無縁の状態である」


治療先を求めて患者が回った病院の数は平均で9カ所にものぼっている。

北海道「長野や東京に出向く交通費や宿泊費もかかっている」


治療費は、患者のおよそ半数が一ヶ月およそ10万円かかっている。特に検査代の費用が高いという意見も多かった。



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患者の診療について厚生労働省は相談窓口を設けた。しかし、治療費などを含めた患者の診療・支援体制はいまだ整備されていない。だが、今月、およそ4ヶ月ぶりに開かれる部会で、診療体制についても話し合われることがわかった。


HPVワクチン接種にかかる診療・相談体制案ーーーー


ニュース23が入手した厚生労働省案の内部資料。ワクチンの接種全般に対する診療体制の計画案などが書かれたものだ。


計画案によると、「総合相談窓口」などを設け、副反応が出た場合などに、専門の医療体制などが連携し、診療にあたるという。


連携先とあげられているのが“痛み”の治療が中心の診療科だ。


今年一月、厚生労働省の検討部会が患者の症状についてワクチンの成分に問題はなく、接種のさいの痛みなどが原因となる“心身の反応”の可能性が高いと結論づけられたからと考えられる。


しかし今回、ニュース23で実施したアンケートによれば「痙攣」や「記憶障害」などを訴え、神経内科などに通院しているという患者が半数を越えた。痛み以外の症状だ。今の診療体制案で患者達の訴えに対応できるのだろうか。


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このままでは不十分だと患者を治療する医師は指摘する。


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東京医科大学医学総合研究所 西岡久寿樹所長

「(ワクチン接種後の症状は)時間の経過とともに症状が積み重なったり、あるいは前あった症状が消えて、別の新たな症状が出てくる。一つのワクチン接種の関連疾患としてまとめてあげることが一番大事だ」


西岡医師は痛みだけでなく、「記憶障害」「自律神経の異常」などもワクチンの副反応だと考えている。


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治療を終えて一週間ぶりに自宅に帰った酒井さん。


酒井さん

「ただいま」


治療の前よりも、体全体を動かしやすくなったという。表情も明るい。


「震えが前よりも少し止まって、それでもちょっと震えているけれど、左は完璧に止まっているので字を書いたりするのは楽になりました」


本当に元の体に戻れるのか。手探りの状態は続いている。治療費もこの一年で150万円を越えた。


「副反応の症状と認めて、治療を考えて欲しい」酒井さんはそう思っている。


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「痛み以外で困っていることが沢山あって、まず一番最初には私達のことを受け入れて欲しい。症状として。実際に起きていることを、“症状があるんだ”ってわかってもらえるだけで全然違う」


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毎日を一生懸命生きる 『つらい』 2015-01-20


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18歳の高校三年生です。
自分一人での生活が出来なくなった今
当たり前の事が当たり前でわなくなった今
何もかもに感謝し、1日1日を大切に生きよう


おひさしぶりです。


といっても、ぜんかいのぶろぐをかいていたきおくがほとんどありません。


なので、じぶんのなかでは、いちからすたーとしようとおもいます。


ぜんかいまでよんでいてくださったかた、これからもおねがいします。


このまえ、なごやしのかわむらしちょうにようぼうしょをていしゅつしにいったみたいで、そこでいしきをうしなってしまい、ほっさやけいれんもでてしまって、そのばにいたかたやたくさんのひとにめいわくをかけてしまい、すいませんでした。


そこから、しばらくはいしきがもどらなかったらしく、ほとんどきおくがありません。


だけど、きゅうきゅうたいやびょういんをふくめ、たくさんのかたにめいわくをかけてしまったのはたしかです。ほんとうにすいませんでした


いま、からだやあたまのいたみがひどかったり、がっこうもなかなかいけず、あるくのもむずかしくなっています


きぼうもなにもみえず、ただどこかにいけば、しらないひとからこえをかけられ、なれなれしくはなしをされます。


たぶん、じぶんがわかってないだけだけど、そういったじょうきょうがいまのじぶんにとっては、すごくくつうです。


だけど、きおくが、まいにちなくなっていってしまういま、どこかにきろくをのこしておきたいので、これからささいなことでも、ぶろぐをこうしんしていきたいとおもっています。


つまらないぶろぐになってしまいますが、これからもよろしくおねがいします



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名古屋市、ワクチン接種7万人調査 子宮頸がん、副反応問題 2015年1月22日 中日新聞


子宮頸(けい)がんワクチンの接種後、体の痛みや運動障害といった副反応を訴える女性が全国的に相次いでいる問題で、名古屋市は2015年度、このワクチンを接種した可能性がある現在11~20歳の女性を対象に、副反応の実態調査に乗り出す。対象は7万人余で、自治体の調査としては全国でも最大規模になる見通し。ワクチンと副反応の因果関係解明に役立つ可能性がある。


 名古屋市は10年10月、子宮頸がんワクチン接種の全額補助を中学1~2年の女子を対象に開始。その後、対象を順次拡大し、13年度以降は小学6年生~高校1年生とした。これまでの接種者は約4万人に上る。


 今回の調査は10年以降、名古屋市でワクチンを接種した可能性がある女性が対象で、郵送で実施する。


 10~13年度に市内に住み、中学生か高校1年生だった女性約7万400人は全員を調査対象とする。接種人数が多いため対象の抽出に時間がかかるほか、接種しなかった人にその理由を聞くことにも意義があるとして、全員を調査する。


 13~14年度の小学6年生は接種した人数が少ないため、接種者のみに対象を絞って、調査票を送る。


 調査では接種の有無や回数、接種後に副反応が疑われる症状があったかなどについて回答してもらう。


 厚生労働省によると、全国では09年12月から14年3月までに約340万人がワクチンを接種し、体の痛みなど重篤な症状を訴えた人は176人に上る。ワクチンとの因果関係は解明されていないが、厚労省は現在、積極的な接種の呼びかけをしていない。


 実態調査を行った市町村は、厚労省が把握している範囲では神奈川県鎌倉市や愛知県碧南市など6市のみ。多くて数千人規模の調査だったという。


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2015/01/20

子宮頸がんワクチン“副反応” デンマーク少女の訴え ニュース23

薬害オンブズパースン会議、隈本邦彦氏によると、子宮頸がんワクチンの被害について、全国紙ではじめて報道したのは朝日新聞の斎藤智子記者だそうだ。


【隈本邦彦氏講演:子宮頸がんワクチン・ここが問題】被害者連絡会 千葉県支部設立 勉強会①

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朝日のアピタルに記事がまだ掲載されている。


子宮頸がんワクチン被害、母親らが連絡会 25日に発足 2013年3月24日 朝日新聞アピタル


斉藤記者は、昨年私が院内集会に行った時に、私の前にすわって取材をしておられた。以前、カナダに住んでいた時にみかけた、フランス系のマダムのような華やかさのある女性で印象に残っている。「あの記者さんが、はじめのきっかけをつくったんだ!」と思うと感慨深い。


ところで、先日、塩崎恭久厚生労働大臣が、子宮頸がんワクチンワクチンの被害について「海外の状況も把握するように」と発言した。大臣の発言は直前に報道された『ニュース23』の特集の影響だ。この番組をみると、『被害者にとって報道は命と同じ』と改めて思う。


夫に番組の内容を教えたら「(ワクチンの被害は)もともと因果関係を証明するのが難しいものなんだよ。さらにワクチンはどの国でも『国策』だ。ワクチンはややこしいんだよ」と言っていた。


「だから人の命に関わる薬剤には、洗脳のようなキャンペーンをしてはいけないのよ。そんなの当たり前のことだったのよ」と言ったら、「うん」と夫は頷いていた。コミュニケーションの最初の入り口が間違っているんだから、不信が大きくなるのは当たり前だ。


被害を訴える人達をなきものとして扱うのではなく、夫や友人の医師がいっているように「免疫学者にとって、被害者は宝物だ。ワクチンをより安全に、より確実なものへと導く存在」というような世の中に変わっていって欲しい。因果関係があろうとなかろうと、支援して欲しい。勇気ある報道は、孤立している被害者の未来をきっと明るく照らすだろう。


※    ※    ※



塩崎大臣閣議後記者会見概要 (H27.1.13(火)11:35 ~ 11:46 省内会見室) 厚生労働省 より一部引用


(記者)


 子宮頸がんワクチンのことについておうかがいしたいんですけれども、デンマークなど海外での副反応の報告が最近増えているという話もあるんですけれども、海外での副反応の報告について、大臣としてはどう捉えているのでしょうか。


(大臣)


 これは日本においてはもうすでに、この副反応の実態についての究明を厚生科学審議会の副反応検討部会においてこれまでいろいろな症例調査の結果などに基づいて時間をかけて議論をしてきました。どういうふうに対応していくかということについての田村前大臣の時の3つの方針(注)などについてはもうよく御存じのとおりだというふうに思っておりますが、海外でどういう事例があるのかというのは、それは当然事例があれば、我々としてもしっかりと把握をすることは大事でありますので、そういうことは当然この審議会でも同じようにアンテナを張ってやっていただいているものというふうに思っております。


  ・各県に少なくても1つ協力医療機関を選定
  ・副反応報告が確実に行われるよう医療機関に要請
  ・副反応が報告された患者の追跡調査の強化


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子宮頸がんワクチン“副反応” デンマーク少女の訴え ニュース23 2015/01/12


朝母親に起こされておきる、デンマーク人のサラ・ヘルス・ニールセンさん(14 歳)。


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母「大丈夫?」


毎朝、思うように体を動かすことができない。立ち上がるまでに30分以上かかる日も多い。洗面所で髪を整える簡単なことも、彼女には重労働だ。ほんの少しの間だだけ立っているだけでも。すぐに座り込んでしまう。


父「おはようサラ」


サラさん「おはよう」


父「具合はどう?」


サラさん「よくないわ」


学校には長い間通えていない。体に異変があらわれたのは、「子宮頸ガンワクチン」を接種した後だった。


軽快なステップでダンスを踊るサラさん。


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友人とボート遊びをしたり、幼い頃から体を動かすことが大好きな少女だった。


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だが、12歳の時、「子宮頸ガンワクチン」、ガーダシルをはじめて接種した後、40度以上に発熱。二回目の接種の後には、自宅の風呂場で突然失神した。


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その後、前身の激しい痛みや歩行障害など、次ぎ次ぎと発症したという。痛みで堅い椅子には長く座っていることができない。食事もすべて、この椅子の上だ。


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サラさん「数ヶ月前までは、グラスを持つのも大変だった。今はプラスチックのカップなら持てる」


痙攣、倦怠感など症状は多岐にわたる。


サラさん「背中、首、腕にも痛みがあるの」


確立された治療法がないまま、サラさんが飲む薬の量も、増える一方だ。さらに今、深刻なのは記憶の障害だ。会話をしていても


サラさん「日本のお医者さん達は・・・・」


しばらく沈黙その後、
サラさん「私、何を話そうとしていたのかしら?」
どこにいるかわからなくなることもあるという。


デンマークで、今、子宮頸がんワクチンの副反応の報告が急激に増えている。


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デンマーク保健省は、今年九月までに副反応報告が実に1159件にのぼっていることを公表。そのおよそ2割が運動障害、激しい痛みなど重い副反応だ。


デンマークでは2009年から接種を推奨。12歳以上の女性に対して接種の推奨がはじまった。これまでにおよそ50万人の少女達が接種していて、副反応の報告件数は、接種した数からみればその割合は、日本のおよそ3倍にあたる。


神経内科を専門とするサラさんの医師は、サラさんの症状と、接種との因果関係があると確信している。しかし少女達が訴える症状を詳しく把握しようとしする医師は多くないという。


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ヘンリック・イセア医師「デンマークでは関心が薄く、『心の問題』と考える傾向がある。だから、ここで患者であることは、必要以上に大変なことなんだ。信じてもらえないから」


日本の患者も同じだ。去年、ニュース23が実地した患者アンケートでも、多くの人が「信じてもらえない」という苦しみを訴えていた。



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相次ぐ、副反応の報告にも関わらず「ワクチンとさまざまな重い副反応との関連性は証明されていない」として接種の推奨を続けている。


サラさんの両親は、政府の対応に疑問を持ち続けている。


父「彼らは、こんなにたくさんの副反応がある、という現実をみようとしません。副反応の話が出るたびに、『それほど多くの副反応はない』と言われてしまう。きちんと調べようとしないのは間違っていると思う」


ニュース23では、デンマーク保健省に繰り返し、取材を申し込んだが「受けることは出来ない」との回答だった。


副反応を訴え続ける患者達。支援をはじめようと、民間から動き出した人達がいる。元看護師エルセ・イエンセンさんだ。ワクチンの副反応に悩む患者の相談活動をしている。彼女が1週間に受ける相談は10件を越えることもあるという。


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エルセさん「あなたが一番辛いことはどんなこと?」


「誰からも助けてもらえないこと。私のいっていることを、誰も理解してくれないのよ」


患者の受け皿が必要だとエルセさんは訴える。


エルセさん「完全に健康だった人達が、国の制度を信用して接種した結果、支援もなく放置されている。非常に残酷だと思うわ」



さらに子宮頸ガンワクチンに関する幅広い情報を発信する民間のウェブサイト『HPV Vaccine Info』も去年4月、立ち上がった。これまでにおよそ、一千万件ものアクセスがあった。

そして、医療の面では国境を越えた新たな動きがはじまろうとしている。先月、コペンハーゲン郊外の住宅に一人の日本人医師の姿があった。東京医科大学医学総合研究所の西岡久寿樹所長だ。


日本で子宮頸ガンワクチンの副反応の解明に、第一線で取り組んでいる。面会したのは、副反応を訴えるシモーネさん15歳だ。


彼女の体に異変があらわれたのは三年前だ。ワクチンを接種した後、繰り返し失神し、前身に痛み、歩くことが出来ないなど、症状が次ぎ次ぎあらわれた。


西岡医師(首の付け根を軽く押さえながら)「ここは痛いかな」


シモーネさん「痛いです」


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ここはシモーネさんをはじめ、患者80人が通院治療をする、副反応治療の拠点になっているフレデリスクベア病院。デンマークの国立病院が西岡医師に共同研究を依頼。日本とデンマークの患者、それぞれの情報交換が行われた。


西岡医師「私達が今診ている患者達は、かつて診たことがない」


イエスパー・メルセン研究局長「私達の患者も同じだよ」


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患者の総合診療など、総合的に調べた結果、日本とデンマークの患者は症状がほぼ同じであることがわかった。


西岡医師「全部そろっている。自律神経障害でしょう?記憶障害、繊維筋痛症を同じような症状。それから、自律神経の障害の様々な症状が全部出ている。共通のプロトコル(手順)で、共通の臨床研究プロジェクトを始めようとまとまったから、すごい前進だと思う」


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イエスパー・メルセン研究局長もこう強調する「デンマークと、他の国の患者達の症状が似ていることは、とても興味深いことです。共に、それぞれの症状を、それぞれの視点から確認していく必要があります」


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今月には、デンマークから医師が来日し、研究の成果は、WHO世界保健機関にも提出される予定だ。


デンマークで副反応を訴えるサラさん。学校に通えないまま、一年半がたとうとしている。


昨年、5月27日放送の酒井さんの映像。番組でこれまで報道してきた、副反応を訴える日本の少女。その姿をその日はじめてみたサラさんはーーーーー


※    ※    ※



『私達のことを受け入れて下さい』 子宮頸がんワクチン "孤立無援の状態"全国からの訴え ニュース23


足を引きずりながら歩く酒井さん、19歳。三年前、子宮頸がんワクチンを接種した後、麻痺や痙攣を発症した。


ワクチンを接種する前までは、コンクールで入賞するほどピアノが得意だったが、今は利き手の右手も、自由に動かすことができない。歩くことにも障害が出ている。



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「どうして見るのが辛いのかわからない。他の女の子達がとても辛い思いをしていて。最初の女の子だと思うけれど、『接種する前は、音楽やいろいろな場所に旅行したり。でも今は、もう以前みたいにできなくなってしまったのよ』


どうして自分達は、こんな目にあわないといけないのか。その答えをサラさんは求め続けている。


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子宮頸がんワクチン被害、母親らが連絡会 25日に発足 2013年3月24日 朝日新聞アピタル


【斎藤智子】子宮頸(けい)がんワクチンを接種後に重い副反応が出たとして、全国各地の被害者の母親らが25日、都内で被害者連絡会を立ち上げる。歩行困難になったケースもあるといい、被害の実態を広く訴える考えだ。


 「全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会」(042・594・1337)。約20人が参加を表明している。事務局長は東京都日野市議(自民)の池田利恵さん、代表には杉並区内の中学生の母親が就く予定。


 池田さんらのもとには、ワクチン「サーバリックス」や「ガーダシル」を接種後に痛みやしびれなどの症状が出て、病因がわからないとの相談が東京のほか富山、愛知、和歌山、山形、長野、長崎などの各県から寄せられている。池田さんは「副反応とは思い至らず苦しんでいる人は多いのではないか。治療法を探し社会的救済を図るとともに、被害の拡大を防ぎたい」としている。


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2015/01/19

超低出生体重児の育児 NHKの放送から生まれた広がり

このブログはいつのまにか『未熟児(超低出生体重児)の虐待』で有名になったようだ。書いてから一年もたっていないのに、どうしてなのかな?と不思議に思っていたら・・・。先日教えてもらって「人は一人で生きているんじゃない」と感謝した。


超低出生体重児と虐待

日本トラウマティック・ストレス学会に伝えたいこと 私が地上に出た日 育児支援と人権と

天国の近藤彰さんへ届け!


私の活動を学会で取り上げて下さった社会学者の方が、私の手記を学生さんに読んでもらうという授業を続けて下さっていたそうだ。その時に、2013年に放送された、「NHKクローズアップ現代『幼い命を守れ―小児在宅ケア・地域の挑戦』」を学生さんにみせ、皆さんに考えてもらっているそうだ。すっかり忘れていたけれど、「この番組を見て下さい!」とお願いしたのは私だった。そういえば、『先天性風疹症候群の動画も見て下さい』とお願いした記憶がある。有り難いな。


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NHKクローズアップ現代『幼い命を守れ―小児在宅ケア・地域の挑戦』 2013年5月28日


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退院してまもなく2年。

現在は週に5日、看護師の訪問を受けていますが、気が休まることはありません。親子そろって家に籠もりがちになる暮らしの中で、医療的な問題に加え、最近では子どもの成長に対する不安が募るようになったといいます。

前島志保さん

「退院さえ出来ればいいと思ってたんですけど、いざ家に帰って来ると違うんですね、やっぱり。成長していく段階で、子ども同士の遊びって必要だと思うので、それが全くないとなるとどうなるのかなっていう。将来社会に出ていけるのかなっていう。」



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学生さん達は、医療や福祉の専門職になるために勉強をしている。将来、看護師、理学療法士、作業療法士などを目指し勉強しておられるそうだ。


もともと医療や福祉に興味があって進学したのに、教育現場では、主に高齢者の事例を取り上げているから、ショックを受ける方もおられるそうだ。「現在の医療の進歩に追い付いていない地域の現状や福祉の現状があること、医療と福祉の壁を知って、ショックを受けている学生も少なくありません」とメールに記されていた。


そうだよね。その方も、この番組をみた時に、私が言っていることが本当だとわかり、やはり涙ぐんだそうだから・・・。


夫が私に言っていた。「授業をする時にいつも思う。私立の大学だから、多い時に200人以上の学生が教室に集まる。この中には、必ず重い障害や病気を抱えた子どもの親になる学生がいるはずだ。自分が超低出生体重児の親になったから、『なってからでは遅いんだ』と気づいて欲しいと思って講義をしている」


同じような気持ちで講義をして下さる教育者が増えていくのは嬉しい。


ブログに何度か書いたように、私が世の中に訴えようと思ったきっかけの一つは、2007年に放送されたNHKの福祉ネットワーク『超低出生体重児 母親の悩みにどう応えるか?』だった。この番組では、退院後の社会的支援が不足していることにあまり触れておらず、母親個人の問題と捉えているような感じがしたからだ。


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NHKの福祉ネットワーク「超低出生体重児 母親の悩みにどう応えるか?」2007年4月16日


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かつては生まれてきた命が救えるかどうか危ぶまれたのですが、医学の進歩により、ここ10年ほどで超低出生体重児の約8割が助かるようになりました。


しかし、NICUを出ると超低出生体重児の親には大きな苦労が待ち受けています。思うように進まない成長、いつ病気になるかわからない不安。しかし、一般的な体重の赤ちゃんと違い、超低出生体重児のデータはまだ少なく、医師もこの先どのように成長するか見通しを示す事が出来ません。普通の子どもなら「ささやかなこと」で片付けられることも、「命にかかわること」になるのではと、気の休まるときはありません。



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その後、私が願ってきたような母親の悩みに焦点があてられた番組『幼い命を守れ―小児在宅ケア・地域の挑戦』が放送されたのは、2013年。当事者の悩みが世に出るまでには長い時間がかかる。


精神医療を追求すると、バッシングがあるけれど、考えて欲しい。もし、報道してくれなかったら、学生さんも知ってショックを受けたという、『医療と福祉の壁』が、「個人の問題」だとされていたのだ。社会に問うべき問題までもが埋もれてしまうのだ。


だから私は2011年に雑誌『SAPIO』がつけたセンセーショナルな見出し『うつで病院に行くと殺される』(ジャーナリスト伊藤隼也さんとSAPIO取材班の方々の記事)は、結果的には必要だったと思っている。そうじゃないと、いつまでたっても前にすすんでいかないからだ。



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『超低出生体重児 母親の悩みにどう応えるか?』の内容は今でもNHKのサイトで紹介されている。私が気になったのは、書き込まれたコメントだった。


NHKの方は気づいておられたのだろか。


「ありがとうございます」「元気になりました」というコメントの中に「支えが欲しい」という切実な声がある。それも書いておられるのは、元看護師のお母さんだ。私にはどんな気持ちで書き込んだのかがわかるから胸が一杯になった。


私も三人目の子が704グラム生まれてきました。一応看護師していたこともあり、家族に心配させたくなくて、誰にも不安を話せません。病院の看護師や医師にも、忙しそうで、話せず保健センターの保健婦は、まったく頼りになりません。時々育児不安におそわれて涙とまりません。サポートしてくださるなにかが、日本全国どこにでもあればとおもいます。


こういう声こそ救いあげていかないと結局変わらない。『母親の悩みに応えるといっても、これでは意味がないじゃない』と思っていた。


しかし、元NHKプロディサーの津田正夫さんに教えていただいた『テレビジャーナリズムの現在―市民との共生は可能か』には、現場の苦悩が記されていた。放送しても取り上げた瞬間で終わってしまう。一つ一つの放送に、どれだけの力があるのだろうかーーーーー


この本を読んでどんな気持ちで報道関係者が報道してきたのかが伝わった。NHKも気づいているけれど、どうやって社会に広げていったらいいか模索していたようだ。


私がNHKの報道番組をたびたび引用させていただくのは「せっかく良い番組をつくったのに、埋もれさせていくのはもったいないな」という気持ちがあるからだ。特に、『クローズアップ現代』をはじめ、文字おこししてくれる番組が多い。ここからまた、何か別のつながりができそうだといつも考える。


このブログは一つの実験になるだろうか。


ある精神科医の先生にお目にかかった時に自己紹介をしたら、「私、サクラさんのことを知っているの。実はブログを読んでいたのよ」と教えていただいてびっくりしたことがある。友人の医師は、「ランキングに参加しなくても、グーグルからたどり着くんじゃないですか?」と言っていた。


数年たったら、講義を受けた学生さん達は現場に出ていく。お母さん達を支えてくれるかもしれない。


今年、私はまたその社会学者の方の研究に協力させていただくことにした。これからどこにつながるかわからないけれど、さらに広がるといいな。


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医療ジャーナリズムには『人権意識』が不可欠である より一部引用


『テレビジャーナリズムの現在―市民との共生は可能か』 第三章生活情報番組から見たテレビ 3 求められる医療ジャーナリズム より一部引用


現代における医療の急激な進歩は、医療者と患者との関係を大きく変きた。それに伴って医療情報のあり方やその質と量、マス・メディアの果たす役割も変わってきた。医師の指示どおりに治療を受けて、病気やケガを治していた時代では医師は上位に立つ絶対的な存在だった。


ところが医療に進歩に伴い、成人病、慢性疾患、遺伝病などが、医療界の大きな課題になった現代では、医師は絶対者として君臨し意志決定をする当事者とはいえなくなってきた。


人間の生と死が医療技術の進歩によって人間の手で操作できるようになり、患者の生き方、人生観、価値観によって求められる医療が異なる時代に入ったのである。


そこで医療情報は単なるニュースやトピックスだけではカバーしきれなくなっている。脳死と臓器移植、安楽死、ガンの告知、体外受精、人工授精や代理母などの不妊治療、胎児診断、遺伝子情報など、人間や生命をどうとらえるかにより、意見が真っ向から対立するような医療問題が数多く出現してきた。


ここにはテレビジャーナリズムが取り組むべき課題がたくさんある。エイズ報道で日本のマスメディアがセンセーショナリズムに支配されて右往左往しただけの苦い経験を省みるなら、本来の医療ジャーナリズムというべき分野が未開拓だったといわざるをえない。


医療問題に取り組むには専門知識は必須である。しかしそれだけでは足りない。患者となる市民の側にたって医療を見ていく視点と人権意識が不可欠である。そして医療が政治や経済と深い結びつきで動いていることもおさえなければならない。



(中略)


(医療ジャーナリズムのあり方を考えるきっかけは1980年代の「富士見産婦人科病院事件」。当時の医師達の姿勢は、たとえ医療内容に問題があるとしても素人のマスコミに批判はさせない、という強圧的なものだった。さらに1986年 の慶応大学医学部『男女産み分け法』が確立され、その倫理問題が議論になった。)


「テレビが取り上げる問題としては大きすぎるテーマだ」と言われてゴーサインが出ず、番組は実現しなかった。翌年の産み分け問題は、NHK のスクープとして大々的に報道されたが、一時情報としてパーコール法の解説をし「問われる倫理問題」に関する識者のコメントをふっただけのものに終わっていた。


すでに臨床例もあり、その技術を選択している人びともいる以上、具体的なケースを取材した医療の進歩が市民にどのような問題をつきつけることになるのか、それを「福音」として喜んでいいのか、疑問を投げかけるのかについて議論をするべきだと思う。


しかしそのような取り上げ方の番組は見当たらなかった。こうした一連のことは医療情報を取り上げる意味と役割について、テレビ・メディア内部で位置づけがされてこなかったためだと思う。医療問題が社会問題だという認識が不十分なのだ。


※ここから先は私がまとめた内容
(医療報道を考えるために、勉強を続けた。その中で出てきた疑問)


医療を受ける市民の側からの議論があまりにもなされていないことを痛感した。それは何故か。大きくわけて以下の三つが考えられる。


  • 最先端の情報がわかりやすく翻訳されて市民に提供されていないため、難解に感じられて「素人」が口を挟みにくい。


  • 医師達の側に市民の側で議論されるべきという認識がなく、医療内容はあくまでも医者と個別の患者の間で決めることだと考える人が多い。


  • これからの問題を考える時の思想や哲学、人間観、倫理観といったものが未成熟なため、討論すること自体が極めて難しいこと。



そこで「おはようジャーナル」という番組で市民が参加して考える討論番組をつくった。


やがて、がんの告知、エイズ、愛する人を亡くした悲嘆(グリーフ)問題へと広がっていく。はじめにとりあげたのは、胎児診断と障害児の生きる権利の問題と体外受精や人工授精などの不妊治療における倫理問題だった。医師や患者などの当事者が意見を述べた。


1970年代から、欧米では生命倫理(バイオエシックス)についての討論番組がたくさんつくられていた。是非を問うのではなく、視聴者が「自分だったらどうするか」を考える内容だ。このような番組は、アメリカにおける患者の権利意識の高まり、自己決定権やインフォームドコンセントの確立のために重要な役割を果たした。


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2015/01/16

『報道』と『インターネット』の力 マイナスの経験をプラスに変える


●報道されたことで孤立した過去 ただ伝えるだけならブログで十分


私が、近藤彰さんの闘病記を4冊購入して『誰に』プレゼントするか考えたのは、自分が報道されたことで孤立したからだ。伝える相手が「誰でもいい」と思わないのは私自身に苦い経験があるからだ。


私は2010年、ロハスメディアから出版された周産期医療を扱う『救児の人々』(熊田梨恵著)という本に、実名でインタビューで答えた。超低出生体重児の支援が不足していたから、社会に訴えないといけないと思ったからだ。しかし出版前にインターネットで無料公開されると、医療者と思われる方々から反発されてしまった


◆  ◆  ◆



このアニメは、向精神薬の多剤大量処方の被害を訴えるもの。2012年1月16日に私が見つけ、精神医療で奥様を亡くされ裁判をしておられた中川聡さんに教えた。ちょうどご命日(1月19日)の直前で、中川さんは喜んでブログで広めてくれた。

中川さんのブログは一日に5千以上のアクセスがあるため、あっという間に広まっていった。今アクセス数は25万7千以上。作者のakkoさんの『ジャーナリストの伊藤隼也さんの報道をみてつくりました』というコメントに注目して欲しい。

◆  ◆  ◆


●医療ジャーナリストやメディアは誰のために、報道するのか


バッシングされてから、さらに困惑する出来事が続いた。『救児の人々』を出版したロハス・メディカルが、あるNPO法人代表のインタビューを掲載したのだ。


超低出生体重児の中には、発達に問題を抱える子どもが少なくない。しかしすべての子どもに『障害』があるわけではない。遅れが軽度の場合、受け皿が用意されていない。


親が不安になり、病院に併設されている心理センターなどに相談に行くと「●●障害」などとつく場合がある。その診断が正しいかどうか医師の意見もわかれるが、支援がないから、「とりあえず」障害名をつける、ということが行われているようだ。現場の医師が証言していたから、事実だ。


本当に障害があるなら、子どものためになるかもしれない。しかし息子の遅れを障害とするのは無理がある。子どもにとったら、障害名は一生を左右する。子どもに、自己決定権がないことも疑問に思う。


外からみれば『心理センター』があったり、『発達検診』が子どものために行われていたり、『お話し会』などケアが用意されている。「選択肢があっていいじゃないか」と思うだろう。だから看過されていくのだ。


私が心底困ってきたのは医療者やメディアが『支援者の声』ばかりを社会に伝えるからだった。私のような母親が何に困っているのか社会に見えなくなってしまうのだ。



それなのに、取り上げたのはまたしても『支援者の声』。それも、「世の中に発達障害の子どもたちが6.3%いるにもかかわらず療育の機会が足りていない」と主張するNPO法人理事長の意見だった。設立されたばかり、ということも気になった。

◇  ◇  ◇
村重直子の眼3 小田知宏・前スターティア執行役員社長室長 2010年4月14日 ロハス・メディカル

小田
「ただそうは言っても、かなりの税金を入れ込んでいるわけで、福祉っていうと、消費して終わりという感じですけれど、土屋先生が経済教室(日経新聞4月5日付)で書いてらっしゃったように、産業化、福祉も産業にするべきだと思っています。実際に障がい者は働けるわけで、国民からの10年後20年後へ向けての投資として捉えられますし、福祉も輸出できると思っているんです。いいサービスは海外にも売れるし、もっと簡単には、今中国からたくさんの人が来ていますので、経験してもらって、国に持って帰ってもらえばいいサービスになると思います。そこでどう日本企業が稼ぐかというのは、ビジネスモデルの問題ですけど、もの凄いチャンスですよね。将来の日本を強くするために、今の日本の福祉をうまく利用するということなんですね。今までは本当に消費で終わっちゃってますので」

◇  ◇  ◇

そもそも、『発達障害児が6.3%いる』とされていることが一人歩きしているから困ってしまうのに、そこを全く問うていない。さらに私を失望させたのは、そのNPOが療育に『効率性』を求めていることだった。


これでは何のために実名で訴えのかわからない。発達の遅い子ども達こそ、時間と手間をかけないといけない、一流の教育者の力が必要ということを訴えたかったからだ。



ある時、妹が教えてくれた。ある子ども達の支援をしているNPOは、子どもを野外に連れていく時に、自分達にはノウハウがないからと、著名な登山家、三浦雄一郎さんの『ミウラドルフィンズ』のスタッフに協力をお願いしているそうだ。三浦さんは子ども達をとてもかわいがっていて、成人した後も忘年会に招待しているそうだ。夫は子ども達のスキーの指導もしてきたから、「そこまでするNPOはなかなかないし、三浦さんも立派だ」と感心していた。


●ネットニュースでみつけた中川聡さんの裁判


私が取り上げて欲しいのはそういう支援者や団体だった。悔しさで泣いた。そんな時にみつけたのがネットで配信されたこのニュースだった。やっと『ほころび』が社会にみえはじたのだ。


◆  ◆  ◆
医療訴訟:向精神薬処方過失で妻死亡 夫ら提訴 /東京 2010年3月28日10時34分配信 毎日新聞

併用禁忌の向精神薬を処方する過失で妻を中毒死させたとして、中央区の会社社長、中川聡さん(49)らが26日、都内の医師に約7400万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。

訴状によると、中川さんの妻一美さん(当時36歳)は04年1月から都内の精神科クリニック(08年閉院)で睡眠障害の治療を受け、中枢神経抑制剤、精神神経用剤などの向精神薬を処方されていた。04年9月には1日分として11種33個、その後も10回にわたり同量の薬を医師から処方され、05年1月に死亡した。

行政解剖で胃や血中から、処方されていた精神神経用剤など複数の向精神薬の成分が検出された。死因は薬物中毒と推定された。

この精神神経用剤の医師向け添付文書には、禁忌として「中枢神経抑制剤の強い影響下にある患者には投与しないこと」と記載されている。中川さんらは、承認用量の2倍など医師の処方は明らかに大量投与と指摘し、一美さんは「中枢神経抑制剤の強い影響下」だったと主張している。

また添付文書で併用注意とされる多数の向精神薬を、漫然と長期間投与したことも医師の過失と訴えている。医師の代理人弁護士事務所は「何も話すことはない」としている。【和田明美】

◆  ◆  ◆


「会社社長」という肩書きと、「亡くなった妻の裁判をしている」ということに注目し、すぐに連絡をとった。この人ならどんなに批判されてもきっとブレないと思ったのだ。『母親のケア』『発達検診』が受け皿となっているため、『社会の問題』として問わないといけない問題まで、いつのまにか『個人の問題』にすり替えられいく。精神医療そのものを批判にさらないとダメだと思ったのだ。


●『医療ガバナンス学会』のメールマガジンからSAPIOの連載へ


とんとん拍子に話がすすみ、ある医療系メルマガに中川さんの手記が配信されることになった。配信された直後、ジャーナリストの伊藤隼也さんの目にとまり、2011年、SAPIOで精神医療を追求する連載がはじまった。


その後、2012年、ある薬害シンポジウムに被害者として実名で登壇した。当日、会場にはメディア関係者だけでなく、政治家も来ると教えてもらったから『実名』で、と私がお願いした。震えて、原稿を読むのが精一杯だった。


●2012年4月28日 TBSの『報道特集』で取り上げられる


2012年4月28日、その時の様子は報道特集で放送された。キャスターの金平茂紀さんのブログに記録が残されている。被害者の中には、「満足できる内容ではない」という意見もあったが、私は金平さんが最後の数分間に付け加えて下さったこの言葉にとても感謝している。あの当時、『ディオバン事件』など明らかになっていないから、テレビでコメントするには勇気が必要だと思うからだ。


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#67 性急に正解を求める現実の中で | 金平茂紀ブログ ハートに火をつけて | TBSブログ 2012/05/03 より一部引用

金平:VTRの中で、元病院関係者の方が「大前提はお金儲けです」と言っていましたね。とってもショッキングな証言ですけれども、すべての病院がそういうわけでは勿論ないですが、製薬業界と医療機関が大量に薬が処方されると共に儲かるという構造というのは、この問題の背景を考えるうえで実にいろんなことを含んでいるなと実感しました。月並みですけれども「世は仁術」という言葉の意味をかみ締めたいという思いがしました。
◆  ◆  ◆


「反精神医学」「薬の嫌いなカルト集団」などバッシングをされたものの、SAPIOと報道特集の力は大きかった。


●小さなネットニュースから誕生した市民活動家


今、中川さんは市民活動家として活躍している。全国各地で勉強会を開催しておられ、そこには当事者だけでなく、臨床心理士、薬剤師、看護師、医師なども集まる。私がびっくりするのは大学教員などの教育者や研究者に「先生」と呼ばれ慕われていることだ。さらに最近では以前は中川さんを批判しておられた『患者会』の方からも連絡があるという。


この前電話をかけて「日本の福祉や支援は、それだけ底が浅かったということじゃないですか?」と尋ねたら、「そういうことかもね」と笑っておられた。


中川さんにコンタクトを取りたいと考えておられる著名な精神科医は多いときく。


中川さん御自身もよくわかっていて「批判していても改革は期待できないから」と、今年から本格的に社会的支援を実行していくそうだ。行政と協力し、自分達で病院や施設を運営する、ということも計画しているそうだ。


私は彼が批判ばかりしている当事者意識の欠落した人だと思わない。


今思うのは、あの時ーーーー


インタビューに実名で答えてバッシングされなければ、私は外の世界に目がいかなった。そしてネットでニュースが配信されなければ中川さんが裁判をしていることを知らなかった。もしも中川さんがブログを書いていなければ私は連絡を取らなかった。


今月19 日が奥様のご命日だ。


奥様は亡くなってしまったけれど、死は無駄になっていない。『報道』と『ネット』の力により、今、大きなつながりを生んでいる。医療者がいくら「精神医療をわかっていない」「科学的根拠がない」と批判しても専門家ではない中川さんに「社会の要請がある」ということの方が重要ではないだろうか。


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〖告知〗津山市でオルタナティブ協議会の精神保健についての集会&勉強会開催します。八咫烏 から一部引用


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何故、現在の薬物治療が危険なのか?
何が間違っているのか?
この現状を変えるために我々はどうするべきか

患者も不幸だが、医療や福祉に従事する人々も不幸。
この不幸の連鎖を断ち切るためにはどうすれば良いのか?

与えられる医療・福祉ではなく、
主権者たる市民が求める医療・福祉を実現する必要があります。
そのためには医療・福祉の改善を求めると同時に、我々市民自身が変わる必要があります。

精神医療被害連絡会では、各地で当事者の自助グループ、支援グループの組織作りを行っています。
さらには、市民の求める精神医療とはなにか、メンタルヘルスとはなにかを議論し、実現する活動を推進しています。これまでのネット上の活動から、具体的な地域での活動に広げていきます。

まずは、医療を頂点としたヒエラルキーを排した
当事者、家族、支援者、医療者が、共に参加するグループを構築したい。
実際に、我々の集会では、誰もが自由に発言することができます。
そうした活動の中で、減断薬への取り組みのみならず、そもそもの問題解決をはかりたい。
すでに幾つかの地域では具体的に活動が始まっています。

一つ、確信を持っているのは、
問題解決は、対話と実践の中でしか生まれないということ。
精神的な問題の多くは、間違っても生物学的な脳の機能障害ではなく、医療に丸投げするものではないことです。
病気だから自死する
病気だからひきこもる
病気だから虐待する
のではなく、その症状の多くは置かれた環境や人間関係に対する正常な反応ではないのでしょうか。
ならば、くすりや閉鎖的な病院で回復することはありません。
自ら決定を下し、日々の活動の中に自らの役割を見出し、ともに生活することが回復のプロセスに他ならないのではないでしょうか?

ご興味のある方は、各地での集会、勉強会に参加ください。