2013/11/19

それは偽善じゃないですか? その1

小学校に入学して半年がすぎた頃校長先生と面談した。息子は入学当初、算数と国語がついていけないので担任の先生に「宿題を少なくして欲しい」とお願いしたことがあった。そのため、放任主義と勘違いされたようだった。一度校長先生とお話ししようと思った。


私の住んでいる市では発達に遅れがある子供は、入学前に書面で申し入れができる制度がある。幼稚園の担任の先生にすすめられ、副校長先生に書類を持参しお話しさせていただいた。就学時検査の時にも申告したが「問題がない」ということで入学が許可された。


しかし実際に授業がはじまると担任の先生は不安そうだった。超低出生体重児についてお伝えしたほうがいいと思った。


校長先生は、超低出生体重児について全くご存じなかった。しかも「いろいろな不満はあるかもしれないが、今の教育現場はすべてを抱えきれない。4年生ぐらいになっても遅れていたら特別支援学級に行っていただくかもしれない。差別と区別は違うのです」とおっしゃった。


「差別と区別は違う」という言葉には納得したが、正直がっかりした。なぜなら、息子は障害があって発達が遅れているわけではないからだ。これまで何度も訴えてきたのに、またはじめから説明しないといけないのか・・・と思ってしまった。


しかも校長先生は「学校では、障害者の方を理解しようと努力もしています。4年生の授業では、講師として目の見えない方をお招きしました。素晴らしい交流授業でした」とおっしゃるのだ。私は反発してしまった。なんでわざわざ遠くからお招きする必要があるんだろう・・・在校生の兄弟にだって、支援学級に通っているお子さんがいるじゃないか。


「目の見えない方など、小学校の周辺では見かけたことが一度もありません。駅前でもほとんどありません。バリアフリーという言葉は一般的になっても、駅前は混雑し、道も狭く自由に歩けないのです。それが現実です。その一方で、在校生の兄弟には障害のあるお子さんがいます。地域の障害者は隠れるようにひっそりと暮らしているのに、遠方から障害者の方をお招きするのはどこかおかしいと思います。それこそ偽善ではないでしょうか」と言ってしまった。


すると校長先生は黙ってしまった。私は正直すぎるのかしら?


でも私には危機感があった。いつか小児病棟でみた光景が忘れられない。寝たきりの重度の障害があるお子さんを「これ」と平気で指す見学者と、その人を咎めることなくすり寄る職員の姿だった。信じられない光景だった。


夫は怒りのあまり片手がグーになっていたけれど、子どもがお世話になっているから何も言えなかった。私もいつ障害者になるかわからない。しかし障害者という立場になった時では遅いと思った。あの時の怒りが私を変えた。


確かこういった気持ちも、校長先生には正直にお話したような気がする・・・。


それは偽善じゃないですか? その2 に続く







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