2014/03/13

当事者の声が世の中を動かす

学校での食物アレルギーへの対応について、報告書がまとまったようだ。


アレルギー対策について報道される時、私のまちで起きた事故が紹介される。そのたびに何ともいえない悲しい気持ちになる。一人のいのちが失われた、その事実は変わらないからだ。でも、事故を繰り返さないように改善することで、多くの同じ病を抱えている子ども達が前向きに生きていけるようになるかもしれない。


給食と食物アレルギーを考える(上) 東京・死亡事故の母語る 「理解深め見守りを」2013年10月09日 一部引用

「この問題は学校がしっかりやります」と背負い込まないでほしい。保護者との情報共有や地域のお医者さんが協力することがあってよいのではないでしょうか。
 
私は娘に「あなたが気をつけなさい」と言っていました。アレルギーの子どもがいるお母さんたちだってミスするし、学校の先生や栄養士の方に要求するばかりでは何の解決にもならない。分厚いマニュアルをつくる必要もない。アレルギーは特別なものではない。自分たちの身の回りに存在する普通の問題だということに社会全体が理解を深め、あらゆる大人が子どもを見守るようになってほしい。

娘には科学者になる夢がありました。人体の構造、地震が起きるメカニズムなどに興味を持っていました。食物アレルギーの仕組みも理解して恐れてはいませんでした。「世の中の役に立つ研究をしたい」と話していました。



私達は「人の役に立ちたい」という女の子の願いが叶うようにがんばらないといけない。亡くなった女の子のお母さんの気持ちを新聞報道で知った時、そうしないといけないと思った。先生も市の職員の方も同じだと思う。お母さんの気持ちは、事故が起きた日におこなわれた「いのちと心の授業」で子ども達に紹介されたそうだ。当事者の声ほどこころに響くものはないのだ。


これは昨年12月20日、アレルギー死亡事故がおきた日、学校で行われた「いのちと心の授業」を紹介する手紙。授業の当日、息子は「子猫のななこちゃんもあったよ」と私に教えてくれた。


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もうすぐ卒業式だけど、こねこのなな子ちゃんの歌を皆で歌ったのかな。


ちょっと ちがう(こねこ ななこ)

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東京新聞に掲載されたお母さんの言葉

「クラスのみんなも娘の急死がショックだったと思う。歌で心が癒やされるなら、うれしい」と母親は友だちのことをおもんぱかる。そのクラスメートたちも来春には小学校を卒業する。「それまでに、にしむらさんと一緒に歌える機会ができたら、親としてもうれしいですけど」と話している。


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食物アレルギー医師書類必須に 3月10日 17時42分 NHKニュース


学校での食物アレルギーへの対応について検討してきた文部科学省の有識者会議は10日、報告書をまとめ、医師の診断に基づいた対応を進めるため、症状や学校での注意点が書かれた書類を必ず提出するよう保護者に求めていくことを決めました。


文部科学省の有識者会議は、おととし12月、東京・調布市で食物アレルギーのある女子児童が給食を食べたあとに死亡した事故を受けて、再発防止策を検討してきました。


10日まとめられた報告書では、食物アレルギーがあるとして保護者が学校に届け出ている子どもは45万人余りに上っているものの、医師の診断書などが提出されているのは20%余りで、症状を正確に把握できていない可能性があると指摘しています。


このため、今後は医師が診断し、症状や学校での注意点などを書いた「学校生活管理指導表」という書類を必ず提出するよう保護者に求めていくことを決めました。


また、文部科学省がアレルギー対応の新たなガイドラインを定めたり、教職員の研修に使う教材を整備したりするほか、各地の教育委員会ごとに指針を作ることも盛り込まれました。


報告書の内容は、教育委員会を通じて各学校に伝えられ、来年度からこの方針に基づいた対応を進めるということです。


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食物アレルギー 申告書提出徹底 文科省、教委に通知へ 2014.3.11 10:11 MSN産経ニュース


文部科学省は10日、給食の際に、卵や乳製品などの食物にアレルギーのある児童・生徒の事故を防ぐため、学校側に児童らの疾患の種類や程度を正確に把握するよう求める方針を決めた。


 重篤な症状の経験がある児童らのうち、医師の診断に基づく申告書を保護者が提出している割合は4割弱にとどまっており、近く都道府県教育委員会に提出の徹底を通知する。


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「全教職員、注射薬研修を」 食物アレルギー対策 2014年3月11日05時46分 朝日新聞 岡雄一郎


学校での食物アレルギー対策を考える文部科学省の有識者会議が10日、給食時のチェックや教職員向け研修の強化などを求める報告書を大筋まとめた。4月に全国の学校向けに通知する一方、教職員がより使いやすい簡易版ガイドラインの作成を始める。


 報告書では、行政や学校が取り組むべき対策を挙げた。文科省には、給食での留意事項をまとめた指針や、教職員研修で使うDVD教材の作成などを指摘。学校や調理場には、症状を抑える注射薬「エピペン」を全教職員が扱えることをめざした研修の拡充や、保護者への情報提供などを求めた。


 また、給食などで特別な対応が必要な子どもに関しては、医師の診断に基づく「学校生活管理指導表」の提出を原則、義務化した。症状の有無が不明なまま保護者の求めで特別対応をする学校もあるが、必要な子どもに対応を絞る狙いだ。子どもへの食物アレルギーに関する指導も増やす。


 医師や教師らでつくる有識者会議は、2012年末に東京都調布市で小5女児が学校給食後に死亡した事故を受けて、昨年5月から新たな対策を検討した。文科省の昨夏の全国調査では、公立小中高校が把握する食物アレルギーのある子どもが全体の4・5%だったことも明らかになった。(岡雄一郎)


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こちらは東京新聞に掲載された「母はあなたを誇りに思います」。震災で亡くなった息子さんへの想い。私達は同じ母親。お母さんの言葉に目頭があつくなった。いつの日か、避難道路にハナミズキが満開に咲くことを願っている。



ハナミズキのみちハナミズキのみち
(2013/05/31)
淺沼 ミキ子

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内容紹介

わすれない3.11
いのちの道をつなげたい

NHKニュースウォッチ9紹介で話題に
東日本大震災の津波でわが子を亡くした母の切なる思いが一冊の絵本に

どこまでも続く ハナミズキの花
いのちをまもる ハナミズキのみち……

津波で息子を失ったあと、ねむれない日がつづき、胸が苦しくなり、呼吸困難になることが何度かありました。
どうしても会いたくて、会いたくて、泣いてばかりいた日々。
そんなある日、息子の声が、わたしの耳にはっきりときこえてきたのです。
そうだ、わたしには後世につたえていく大きな役割があるんだ……。
「いのちを守る木を植えたい」
亡き息子の声におしえられて、わたしは今日も生かされていることに感謝しました。

淺沼ミキ子


東日本大震災3年 追悼式 母はあなたを誇りに思います 2014年3月12日 07時01分 東京新聞


東日本大震災から三年の十一日、犠牲者を追悼する式典が全国各地で開かれた。東京都千代田区の国立劇場で開かれた政府主催の式典には、天皇・皇后両陛下や安倍晋三首相、国会議員、遺族ら約千二百人が参列。地震発生時刻の午後二時四十六分、全員で一分間の黙とうをささげ、冥福を祈った。


 舞台にしつらえられた祭壇に向かい、岩手県陸前高田市の浅沼ミキ子さん(50)、宮城県東松島市の和泉勝夫さん(69)、福島県双葉町で被災した田中友香理さん(27)がそれぞれ遺族代表として、癒えぬ悲しみや生きていく決意の言葉を述べた。


◆思い継ぐハナミズキの避難道


 「大好きだった陸前高田の人たちを、守りたかったでしょう」。岩手県の遺族代表浅沼ミキ子さんは、津波で亡くなった長男健(たける)さん=当時(25)=に向けて言葉を紡いだ。普段から「地元が好き」と言い、当時は陸前高田市の臨時職員。四月の本採用が決まっていた。住民を避難場所に誘導した後に、津波にのまれた。


 震災から三カ月がたったころ、浅沼さんは夢枕に健さんの声を聞いた。「海から高台に向かう避難道路にハナミズキを植えて」。ハナミズキの花言葉は「私の思いを受けてください」。「避難する時に道が一目でわかるように」という、健さんの故郷への祈りだと受け止めた。


 息子の「願い」を実現しようと昨年五月、仲間と「ハナミズキのみちの会」を立ち上げた。絵本「ハナミズキのみち」(金の星社)も出版した。「おかあさん、おねがい。ハナミズキの木を、たくさんたくさんうえてね。町の人たちがもう二度と津波でかなしむことがないように、ぼくは木になったり花になってみんなをまもっていきたいんだ」(絵本から)
 

 現在、市が整備する予定の避難道路の街路樹をハナミズキにするよう求める署名は、五千筆を超えた。共に活動する会事務局の荒木奏子(そうこ)さん(42)は「三年頑張っても街の復興は見えず、精神的にきついと感じている人も多い。時間をかけて進めたい」と話す。絵本は、読者からの反響も多く、すでに四刷を重ねている。


 追悼式で浅沼さんは「あなたが大好きだったこの街を、安心して暮らしていける街になるように、復興へと歩んでいきます」と、誓った。「母は、あなたを誇りに思います。私たちのもとに生まれてきてくれたこと、ありがとう」と語りかけたときには、涙声になった。 


(杉戸祐子)


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