2014/04/01

小さく生まれた子供を社会でどう支えるか 「後記 その2」 お礼をいうべき人

小さく生まれた子供を社会でどう支えるか 「後記 その1」 私がこころのケアに疑問をもったきっかけ の続き


東北大震災が起きた年、ある薬害に関するシンポジウムに登壇したことがある。その頃はまだ今のように被害を実名で訴える人などほとんどいなかった。だから私が手をあげたのだ。


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(2013/12/10)
不明

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獨協医科大学越谷病院井原裕教授
「私は、精神科医の一部を敵に回しても構わないと思っています。
だって、それよりもはるかに多数派の他科の医師たちの
圧倒的な支持をいただいているわけですから」

◇  ◇  ◇

当日、会場には大勢の報道関係者、政治家もいらした。ある報道番組でその時の様子がとりあげられた。両親は知らないが、私の原稿を読む声がほんの少し番組で放送された。その番組の中で「薬を出すしか能がない精神科医が多い」と精神医療を批判しておられたのが井原裕教授だった。


実は私は精神医療の被害連絡会の代表の方に強くお願いしたことがあったのだ。「井原教授という方がいらして、私が訴えてきたこととほぼ同じことをおっしゃっておられる。この先生をテレビで取り上げて」と。


あのシンポジウムが転機となり、多くの被害者の方が御自身の被害を訴えるようになったような気がする。何かを変えて欲しいと思うのなら、御自身で訴えるのが一番だろう。HPVワクチンの被害者の集まりに参加した時に私をご存じだとおっしゃる方に出会った。その時、はじめて恥を忍んで実名を出して訴えてよかったと思った。


そういえばかかりつけの小児科の先生も言っていた。私がテレビにまで出て訴えたからだ。「ごめんね。僕も(「こころのケア」や「発達検診」)がどんなものかよくわからなくて。発達が遅れているからと、新しいお薬を子どもにすぐに使いたがる先生もいるからね」と申し訳なさそうにおっしゃったのだ。


私が訴えるようになったきっかけ

超低出生体重児と虐待

こころの専門家に伝えたいこと 向精神薬の多剤大量処方 一人の女性の死が世の中を大きく変えた

小さく生まれた子供を社会でどう支えるか「その14」 母親を追い詰めるもの

小さく生まれた子供を社会でどう支えるか「その15」 発達検診の問題点

日本トラウマティック・ストレス学会に伝えたいこと 私が地上に出た日 育児支援と人権と


だから私は先生にお願いした。「先生にも今すぐにできることがあります。私は先生がおっしゃったように子どもに指示が通ればいいと思いました。今までのようにすぐに紹介しないで下さい」すると先生は大きく頷いてくれた。


サピオ2014年1月号に井原教授とジャーナリストの伊藤さんの対談が掲載されていた。その中で井原教授がおっしゃっている。


「勤務先は大学病院なので、救急医、脳外科医、小児科医、内科医などの他科の仲間に囲まれています。皆、私が薬漬け批判をしているのを知ると「こんな精神科医ははじめてだ。まさにその通りだ」と共感してくれます。私は、精神科医の一部を敵に回しても構わないと思っています。だって、それよりもはるかに多数派の他科の医師たちの圧倒的な支持をいただいているわけですから」


大学病院に勤務しつつ、精神医療を批判する井原教授はやっぱり立派だと思う。シンポジウムの原稿の一部と、「精神科臨床はどこへいく」の巻頭の対談から印象に残った部分を書き出してみた。記録として残しておこうと思う。


◇  ◇  ◇

シンポジウムの原稿より一部引用 (青い字の部分が放送された部分)


私は幼いころから本が好きで、暇があれば図書館に通っていました。何度も繰り返し読んだ本に水俣病の記録があります。図書館で上映された記録映画の映像は今も脳裏に焼き付いています。科学技術と営利企業の負の側面が、無抵抗の市民の命を奪う現実に愕然としました。なぜ官僚や政治家そして学者は、被害者の声を封印し続けるのか、子供心に疑問に思いました。


水俣病では工場排水に含まれる有機水銀が原因でした。このことを証明した実験に「猫400号実験」があります。この結果は企業側に隠蔽されて表に出てきませんでした。そのために原因が分かってからも多くの人が犠牲になりました。もし、すぐに出していたら、どれだけの人が救われたでしょうか。今回、ここで声を上げている人たちは精神医療の「猫400号」だと思います。


私と水俣病 罪悪感を抱えて生きていくということ


「こころのケア」における被害者がいつまでたっても救われないのは、その深刻さが社会に見えないことにあります。死に至る重大な副作用があっても、亡くなった方は訴えることができません。また、自死遺族が訴えても、「「うつ」はもともと死に至る病だから自殺しても仕方がない」と議論になりません。


多剤大量処方で中毒死した被害者のご遺族には、「薬を欲しがる中毒患者だから死んでも仕方がない」という、聞くに堪えない言葉が投げかけられます。例え、被害者本人が訴えたとしても、精神科の通院歴のために差別や偏見、言葉では言い尽くせぬ数々の困難が待ち受けています。医療者と一部の患者さんからは、あなた達の行動は精神科に対する差別や偏見を助長する、あるいは医療崩壊を加速させると、行く手を阻まれます。


だからこそ、私は今日、発言する決意をしました。


日本では、今もなお、水俣病の教訓はいかされずにいます。日本は人が死なないと変わらない国、人が死んでも変わらない国です。あと何人死んだら変わるのでしょうか。「猫400号」が現れても問題を先送りし続けるのが日本です。多くの被害者に異変が現れ、苦しみもだえ死んでいっても、因果関係が隠蔽できなくなるまで、救済されることはありません。健康被害を最小限に押さえるという努力は、いつになったらなされるのでしょうか。


今、職場や教育現場で早期介入の動きがあります。もしこのまま強引に押しすすめられれば、私のように自分の意志とは全く関係なく「こころのケア」に送られる被害者が出てくるでしょう。私の身におきたことは、誰の身にもおこりうることなのです。


今日この会場には、日本を代表する報道番組に携わる方々が多数いらっしゃると伺いました。どうか私達の声を、社会に届けて下さい。すでに被害者は、大勢います。生きるのに精一杯で、声をあげられない被害者もいらっしゃいます。断薬や減薬に関する情報や手段は少なく、多くの人は手探りで努力を続けています。社会に認知されることが、救済の第一歩です。


私は薬害というものは、看過するすべての人々に責任があると思います。また、薬害に限らず、問題を先送りするという悪い習慣を改めなければ、未来はありません。今こそ日本が、失敗を社会で共有できる国に生まれ変わることを、心より願っております。


◇  ◇  ◇

「精神科臨床はどこへいく」 PTSDの乱発 「こころのケア」のいかがわしさ から


いじめや犯罪被害などにあって、家にひきこもっている患者さんたちに関わっているが、そういう被害者として名付けられた人は、被害にあった時点から時間がとまったかのように見える。


ストレッサーばかり強調されてしまって、そのストレッサーを被れば誰も彼もPTSD、しかも脳にまでこんな変化が起こる、というような方向にいってしまったのは、大きな間違いだった。今回の震災でもそうだ。減少をひとくくりにしまったのが間違いなのです。つまり、個々の問題を考えなくなってしまって、「こういうことが起こったから、これはみんなPTSDだ」としてしまう。


生まれてから一人ひとりが背負ってきた歴史というものがある。要するにここが大事。今、PTSDが氾濫して、肝心な主体「個人」を忘れてしまっている。すべてPTSDだ、トラウマだ、となってしまう。トラウマを抱えない人なんていない。みんなトラウマを抱えて、それを乗り越えて、あるいはずっと沈ませて生きている。


ホロコーストの人がどうやって生き延びてきたのかということに関心があるのだが。乗り越え方というものはみなささやかで日常的なものだ。派手な心理的アプローチや、海馬の異常を指摘されることで乗り越えられるものではない。


(東日本大震災では)規模が大きいにもかかわらず、PTSDの発生が少ないようだ。とても辛い思いはされているだろうが、東北の人たちにはその共同体の支えで、PTSDがそれほど簡単に起こらないかもしれない。


記憶というものは、思い出すたびに少しずつ上書き保存されるところがありますから、新しい経験を積むことによって徐々にフェイドアウトしていくのが一番いい。PTSDの人たちに対してなすべきは、生活の再建を促すことだと思う。


「勇気をもって、少しでもいい方向にもっていこうではないですか」という建設的な話をすることが大切で、お悩み相談をいくらやっても限度があると思う。


(その一方で都会でPTSDが増えているというが、どうしているのか)


PTSDという名前がつくと、被害・加害関係の検証にすぐに入ってしまい、何かというと、それがすぐに出てきて、そのたびに生活も時間もとまってしまう。事件のことを聞かない語らない時間を設け、非常に地味な日常の積み重ねを促したりすることもあるが、しかしそれだと寂しいらしく、ついついPTSDカウンセリングをしてくれる人の方にいってしまう。なかなか難しい。


人間というものは傷口に塩を塗りたがるところがある。何度も繰り返し思い出したり、自虐的なところがある。しかしそれは悪いことではないのではないか。それを何か新しい行動への原動力へを変えていけばいい。だけど実際にはトラウマをただ反芻するにとどまる人が多いのだ。

◇  ◇  ◇


続きはこちら↓

小さく生まれた子供を社会でどう支えるか 「後記 その3」 私のこころにスイッチを入れた悲しい事件





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