2014/05/02

「唐茄子屋政談」が私に教えたこと

やっと記録を残すことができるまでに立ち直った。ここまで来るのに7年ーーーー


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空は、今日も、青いか? 
傷つきやすくなった世界で
石田衣良
「自分に貼られたシールに負けるな」



私が「こころのケア」を望んだわけでもないのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう?おかしな診断名は勝手につけられるし、私の人生はこれで完全に「終わった」。そう思った。自分の身に起きたことがあまりにも不条理で、頭が真っ白になった。


どうやって家まで帰ったか記憶がない。これが「PTSD 」というものだろう。当たり前だ。「私」という人格を否定する言葉を投げかけられたのだ。


鮮明に覚えていることが一つ。


帰り道、偶然手にした「R25」に掲載されていた石田衣良さんのエッセーを読んで泣いたのだ。書かれているのは、私のことだと思ったからだ。


人の言葉で「もうダメだ」と思うこともある。でもその反対に「生きよう」と思うこともある。言葉はとても大切だね。ほんの少し、心の向きを変えてあげるだけで、人は生きていけるのかもしれない。


空は、今日も、青いか? 第70回 傷つきやすくなった世界で R25 石田衣良  一部抜粋


この10年間で、日本語も変わった。ぼくがデビューしたころにはなくて、今では毎日のように目にする言葉がたくさんある。格差社会、勝ち組負け組、ネットカフェ難民、仮面うつ、負け犬、メタボリック、自己責任、非正規雇用、ジコチュー、学級崩壊、地球温暖化・・・。


言葉には本来、社会や人間の傷に貼付ける救急絆創膏のような働きがある。だから、勢いこの時代についた傷をえぐりだしたり、カバーしたりする新語どうしても目につくことになるのだろう。


ぼくはときどき不思議に思うことがある。格差社会という言葉ができるまで、社会にたいした格差は存在しなかったのではないか。あるいは、負け組という言葉ができるまで、ほとんどの日本人は自分を中流階級だと単純に信じられてきたのではないか。

(中略)

このコラムを読んでいるあなたは、もしかするといくつもの身もふたもない新語に当てはまる生き方をしているかもしれない。格差社会の底辺にいて、非正規の不安定な職につき、自分を負け犬だと感じていて、もしかしたら仮面うつ病にかかっており、さらに夜はネットカフェで泊まっている。そんな状態では、明日への希望など簡単にはないだろうと、ぼくだって思う。


だけど、ここでいっておきたいのだ。自分に貼られたシールに負けるな。新しい言葉になど負けてはいけない。どれほど気がきいた残酷な言葉でも、あなたという人間全体をあらわすことなどできない。一人の人間は、現在の姿だけでなく、将来の可能性までふくめた未知数の存在だ。


シールを貼ることで(貼られる)ことでわかった気になってはいけない。それは自分に対しても、周囲にいる人間に対しても同じことである。今日こうして生きているけれど、明日には目覚ましく変化しているかもしれない。その可能性は誰にだって開かれているのだ。



私は最近、いろいろな方によく言われる。「やっぱり心のケアは必要ですよ」と。校長先生も私に言っていた。「うつになってしまう教員が多いんですよ」


医師の友人にも言われたばかり。最近医学部に入ってくる学生は優等生ばかりで、一度の失敗で立ち直れなくなってしまう。「うつ」の学生が増えている。そういう学生は入学した頃からどこかおかしい。でも、怒ったりしたら、彼らはすぐに心が折れてしまって二度と立ち直れなくなる。どう扱っていいかわからない。


そう言っている友人もまた、心が折れそうなのかもしれない。


私も何らかの支えは必要だと思っているよ。


でも、考えてみて。


例えば、裁判官という仕事はストレスが高いと言われている。そんな彼らが「カウンセリング」を受けませんかと言われて、仕事上の悩みを打ち明けるのだろうか。彼らには守秘義務がある。簡単に、打ち明けられるような人だったら、そもそも裁判官にならないんじゃないのかな。医師という職業だって同じでしょう?


「心のケア」は一歩間違えると怖いのよ。腕の悪い専門家のケアを受けたら、立ち直れないほど心に傷をおうからね。そう言ったら、友人は頷いていた。校長先生にも同じことを言った。


「校長の経験があり、同じような苦労をした人とじゃないと、本当の意味で、心が通じないんじゃないですか?」


問題なのは、ケアが必要であっても、ちゃんとできる人が、この国にどれだけいるのか、ということだろう。ケアというよりも、人と人との結びつきや、社会的なつながり、社会的支援がないことだって、問題じゃないのかな。一度きりの失敗で、立ち直れなくなるほど追い込んでしまう今の風潮だって。


いつも思うのだ。一体、今頃、死亡事故をおこした先生はどうしておられるんだろう。今、教育がやらないといけないのは、「人生はやり直せる」ということを教えることでもあると思うのだ。今日も報道があったように、事故後どんどん改善されていっている。だからこそ、もしも先生の心が置き去りにされてしまったら、と考えてしまうのだ。


昨年の夏の叔父さんの噺は「唐茄子屋政談」だった。まさに「人生はやり直せる」「情けは人の為ならず」というようなことの大切さを伝える噺だった。


石田さんのエッセーが、私に希望を与えたように。同じようなことを叔父さんとしていけたら、と思っている。



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調布市アレルギー相談1カ月 想定超える21件 2014年5月2日  東京新聞


調布市が常設する「アレルギー相談」が業務を始めてから、先月三十日で一カ月を迎えた。相談は保健師や管理栄養士が対応し、計二十一件あった。月一回で予約制の医師相談(定員四人)は、今月分の予約が既に埋まっている。担当者は「相談件数は想定を超えており、不安を抱える市民が多いことを実感する」と話す。

 一昨年十二月に小学校五年生の女の子が、給食後に食物アレルギーが原因で死亡した事故があり、市は本年度から再発防止策の一つとして始めた。

 担当保健師の沢里俊江さんは「医師にかかっていても、アレルギーは症状が長期化することが多く『このまま治療を続けていいのか』と不安を訴えるケースが多い」と言う。相談では「悩みの共有と問題点を明確にすること」を心がけ、一般的な治療法を説明したり、内容によっては医師への相談を勧めたりしている。

 市健康推進課の涌田俊幸課長は「不安を抱えず、気軽に相談してほしい」と話す。相談する際は、母子健康手帳を持参した上で「どのような症状がいつから出ているか」「困っていることは何か」を説明するよう呼びかけている。

 相談は、市文化会館たづくり西館(小島町二)四階の市保健センター健康推進課で、保健師や管理栄養士が常駐して随時受け付けている。医師相談は小児アレルギーの専門医が対応する。

 問い合わせは市健康推進課=電042(441)6081=へ。 (竹島勇)


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