2013/11/24

人は人の善意だけでは立ち直れない

私は亡くなった方のために活動してきた。そのため、死に至るまでの詳細な記録を読む機会があった。手記などに目を通す時、ご遺族の悲しみの深さに圧倒され、何も手につかなくなることもある。それでも感情移入したほうが私はいいと思っている。もし私があの世にいっていたら・・・家族は笑っていただろうか。


私は「医療は不確実なものだから亡くなっても仕方がない」などと一般論として語ってはいけないと思っている。一つ一つの事例を丁寧にみていかないと、その中に社会問題化しないといけないことがあるかもしれない。なにより一人一人は大切な命だから・・・。


亡くなった方のための活動に参加させていただいたが「ご遺族を幸せにしている」という実感がなかった。医療者ではないから何もできずもどかしくてしかたがなかった。報告書や手記ではわからないご遺族の悲しみが知りたくて、新聞報道で知ったあるご遺族にコンタクトをとった。もう三年のお付き合いになる。いろいろ教えていただいた。その方はその後、精神医療の改革者としてご活躍され、今や精神科医や臨床心理士からも一目置かれる存在だ


今日は私が一番はじめに関わったご遺族の最愛の方の命日だ。つい最近偶然報道で近況を知った。あの頃の私は何もできなくて心残りだ。その罪滅ぼしのために、PTSDの乗り越え方について書いておこうと思う。


いろいろな本を読んだけれど、「精神科臨床はどこへいく」の冒頭にある「PTSDの乱発~「こころのケア」のいかがわしさ」という精神科医の対談が一番しっくりきた。



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(2011/09/15)
井原 裕

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夫のもともとの専門は運動生理学だ。あまり知られていないけれど運動生理学は戦争と関係が深い学問だ。軍隊とトレーニングは切っても切り離せないからだ。留学した時には軍の関連施設にお世話になった。PTSDやトラウマについてやはり同じようなことを言っている。


その人の心の傷は、その人がもがき苦しみながら乗り越えるしかない。心の専門家は「認知のゆがみ」などというが、自分ではどうしようもない困難に陥った時、正常な判断ができず激しく揺れ動くのは当たり前じゃないのかな。夫がいっているように「ほんの少し心の向きを変える」という言葉のほうが私にはあっている気がする。


「心の傷は果てしなく大きく思えるけれど、いつか、ポケットにいれて持ち歩けるようになる日が来る」とご遺族が私に教えてくれた。一番の薬は時間だ。「人は人の善意だけでは立ち直れない」とその人は言う。その通りなんだろう。ずっと気になっていた。どんなに元気そうに見えても、笑っていても目の奥は笑っていないからだ。


当事者以外にできることは、一人にしないよう、悲しみを共有することじゃないのかな。死を忘れず、そっと見守り続けることくらい。対談で精神科医も以下のようにおっしゃっておられる。


「人間とは自分自身の傷口に塩を塗りたがるところがある。辛かったことを思い出したりとかある種の自虐的なところがある。それは必ずしも悪いことではなく、それを何か新しい行動への原動力へ変えていけばいい」


でも、新しい行動を起こすことは実際難しい。時間がとまってしまった方は多いのだ。心の回復を妨げたり、途中で放り出してしまう支援者も多い。


マイナスの経験がもっと社会に還元できればいいんだろうけれど。残念ながら今の日本はそういう社会でない気がする。私達はもっと他の誰かの悲しみを共有するようにならないといけないんだろうなぁ、と思う。



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