2014/06/06

『低出生体重児の家族支援-虐待防止の視点から 』を読んで ケアも『個 』の時代へ

最近、ブログを読んで下さった方からメールをいただく。それも「共感しました」と言って下さるので私はびっくりしてしまう。正直なことを言えば、反発が激しい時期もあり、悩んできたからだ。


世界で戦える強い「個」を育てる

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内容紹介

数多くの人材を輩出してきた明大サッカー部の秘密に迫る!

なでしこジャパンの佐々木則夫監督、元日本代表の10番・木村和司、インテルミラノの長友佑都、メキシコ五輪の銅メダルメンバー・杉山隆一……、
日本サッカー界に数多くの名選手やリーダーを輩出してきた明治大学サッカー部。
その独自の人材育成法や組織づくりについて、深く掘り下げて解説します。

グローバル時代に求められる、世界レベルの強い「個」

強い「個」とは、単なる個性だけでなく、個人で判断し、問題を解決し、変革していく能力をもった人材のこと。スポーツの世界だけでなく、あらゆる分野で、いまの日本に求められている人材だといえます。いかに強い「個」を育て、組織の中でいかに「個」を活かしていくか本書には、そのヒントがつまっています。

内容(「BOOK」データベースより)

スポーツの世界に限らず、今の日本に求められているのが強い「個」―個人で判断し、問題を解決し、変革していく世界レベルの人材である。強い「個」を育み、その「個」を活かすためにはどうすればいいのか―明治大学サッカー部の指導法に、その秘密を探る。


このブログはすっかり「超低出生体重児(未熟児)の虐待」で有名になってしまったようだ。


検索で上位にくるので、2007年4月16日、NHKの福祉ネットワーク「超低出生体重児 母親の悩みにどう応えるか?」で放送された、東京都立墨東病院の取り組みについて私の意見を書いてみようと思う。


私は墨東病院の取り組みに反対、というわけではない。子どもが産まれた直後には、こうした取り組みがあったら、と羨ましく思った時期もあった。


今の考えにたどり着いたのは、ある程度時間がたったこと。そして振り返る余裕ができたからだと思っている。


母子保健情報 第 67 号(2013 年 11 月)に掲載された『低出生体重児の家族支援-虐待防止の視点から』を参考にさせていただいた。


www.aiiku.or.jp/aiiku/syuppan/boshi67/boshi67_09.pdf


(1)

「成長発達には 時間がかかることを認識して」、「母親に寄り添うように支援することが必要である」とある。私は「母親に寄り添う支援」も大切だと思うけれど、それよりも切実に感じてきたのは、「超低出生体重児は成長がゆっくり」ということが、教育関係者や行政に関わる方々に知られていないことだった。


例えば、一人だけ挨拶ができないと「障害」かもしれない。一人だけ走るのが遅いと「障害」かもしれない。一人だけひらがなが読めないと「障害」かもしれない。


このような感じで、常に「障害」があるかどうか疑われ、母親が追いつめられてしまう。私は一番大切なのは、追いつくための訓練よりも『待つ時間』だったと思っている。待てなくなることの方が、よほど問題じゃないだろうか。


まず、明らかな障害がない超低出生体重児に関しては、「ゆっくり成長します」ということだけでも、社会に知らせていただけないだろうか。それだけでも母親の精神的な負担は少なくなるように思う。


(2)

「母子分離が長期になる場合には子どもとの関係性がうまく育たず愛着形成不全となり」とあるが、それはひとそれぞれではないだろうか。


例えば、未熟児といえば 「カンガルーケア」といわれるくらい「カンガルーケア」は有名だ。しかし正直なことをいうと、私はあまり好きではなかった。


出産後体調が万全ではなかったこともあって、面会に行くのが辛い時期があったからだ。これから子どもがどうなるかわからないから、一人でじっくり家で考えたいという気持ちもあった。でも、一生懸命な先生と看護師さんにそんなことはいえないし、病院に面会に行かないと「虐待をするかもしれない」と思われそうで無理をして行ったこともあった。


今、振り返った時に「そこまでしてしなくてはいけないケアなのだろうか」と思う気持ちがある。


そもそも、私は自分が産んだ子どもだったら、育てるのは人として当たり前だと考えている。「母親であるというアイデンティティー」というよりも、人としての責任感じゃダメなんだろうか。


一方で夫は「パパカンガルー」が大好きでせっせと通っていた。


親としての自覚や責任を持つ理由も、人それぞれではないだろうか。ケアというものは、「なければいけない」ではなく「あればいい」程度でいいのではないだろうか。


(3)

「母親の心身の疲労と鬱状態などが慢性化すると子どもへの愛情の偏りとなり」とあるが、息抜きをしたくても子どもを預ける場所がない。


子どもが病気になることが恐怖だった。核家族なので看病しているうちに自分も疲れ果て、いつも同じ病になって寝込んでしまうからだ。


そろそろ母親の心身が疲労しないような、鬱にさせないような、「社会的支援」を充実していかないといけないのではないだろうか。


(4)

「子どもが小さく生まれて NICU に入院したことは母親として傷つく体験であり」とある。確かにその通りだ。しかし、「お母さん大変だったね」と母親の気持ちに寄り添いすぎるのも問題だと思っている。


なぜなら、明らかに障害がない超低出生体重児のために、社会的支援はほとんど整っていないからだ。超低出生体重児の母親は、がんばらないといけないのだ。


公園などに行くと自分の子どもだけが小さく、傷つく、という経験は私にもある。


しかし、だからといって、子どもの輪の中に入らないで医療機関の「母親の会」などが唯一の心の拠り所になってしまうのも考えものだと思う。


子どもが育つのは、医療機関でなく社会だからだ。子どもは子ども同士で触れあって成長するものだと思う。


子育ては母親中心で行うから、「母親をケアする」という考え方には賛成だ。しかし、母親「だけ」にケアをするということは、父と母の間に溝をつくる可能性もあるのではないだろうか。子どもが健やかに育つためのケアであって欲しい。


私にメールを下さる方も、同じようなことに悩んでおられるようだ。そろそろ、「一緒に社会に居場所を作っていきましょう」「社会に働きかけていきましょう」という活動も必要じゃないだろうか。


何度か引用させていただいている夫の知り合いで、世界的に有名な視覚障害のフリークライマー、NPO法人モンキーマジックの代表、小林 幸一郎さんの言葉をもう一度引用。



見えないチカラ 視覚障害のフリークライマーが見つけた明日への希望見えないチカラ 視覚障害のフリークライマーが見つけた明日への希望
(2011/12/17)
小林 幸一郎

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「見えないチカラ 視覚障害のフリークライマーが見つけた明日への希望」小林 幸一郎(著) amazon 内容紹介から一部抜粋

28歳で、失明の告知。不安と絶望に襲われ、失意の底に沈んだ日々もあった。視力を失うことで、自分にできなくなることばかりを数え、うつむいて生きていた時期もあった。でも今は、上を向いて生きている。

自分の手で自分の意志で自分の力で登ることを希望しなければ登れない。何かを期待して待っていても永遠に登ることはできない。


(5)

正しい情報が少ないーーーーーーーー「なぜ寝ないのか」「なぜ食べないのか」「なぜ神経質なのか」「なぜいつまでも体が小さいのか」


NICUの先生方からすると、「順調」と感じる成長でも、母親にとったら切実な問題だ。


超低出生体重児が、どのように育つのかまだよくわからない。ならば、もう少し幅広い専門家を集めてこうした問題を考えていくことが必要ではないだろうか。


【まとめ】

どうして共感して下さる方が増えているかを考えてみた。要するに皆さんが訴えておられるのは「一人一人をみて欲しい」ということなんじゃないかと思っている。


私の「個人をみて欲しい」そして「人権」に対する考え方は、母校の『建学の精神』と関係があるように思う。他者との「連携・共生」をはかるにしても、まずは「個」の確立が前提となる、というものだ。


日本トラウマティック・ストレス学会に伝えたいこと 私が地上に出た日 育児支援と人権と

募金活動の精神 『私は常に卵の側にいます』


建学の精神と使命

「権利自由、独立自治」は、個人の権利や自由を認め、学問の独立を基礎として自律の精神を養うという理念を広く普及させることを意味しています。「個」の確立を通じて近代化を図るべきであるとの視点のもと、近代市民の育成を目指し、創立以来有為な人材を数多く輩出してきました。「個」の確立を基礎とした教育方針は、「個を強くする大学」という理念へと継承されています。


こういう考え方は海外では当たり前でも、日本であまりにも意識すると、生きづらさにつながる。悩むことも多かった。しかし、子どもが成長し私が健康を取り戻したのは、専門家に何をいわれようと「私は私」という価値観があったからだと思っている。


ちょうど今、変革期なのかもしれない。


『明日、ママがいない』騒動に現場は喜んでいる 児童養護施設の子ども達の人権を考える で児童養護施設の心理士さんもおっしゃっていた。


「単体としてだけでなく互いに関連し合った問題群として包括的な解決への努力が強く求められている」


東京新聞の「里親 理解広めて 養護必要な子どもたち3万人超」という報道でも、「『日本は戦後、長く施設での養護が進められてきた背景があり、個別ケアの視点がなかった』と説明。都市化で自分の子さえも育てにくくなっている社会的な要因もあるという」とあった。


求められているケアが「個別に」(個人個人)しかし「(個人の抱える諸問題を)それぞれ単体としてではなく包括的に」という時代に変わりつつあるのではないだろうか。


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【食物アレルギー】後を絶たない誤食事故 一律の対応はだめ   47NEWS


食物アレルギー  給食が問う「命と教育」 [ 京都新聞 ]  <社説> 2014年06月08日


 食物アレルギーを抱える子どもたちが増えている。


 全国の小中高校生では45万4千人(昨年8月)。9年前に比べて1・4倍だ。給食で誤ってアレルギー食材を食べてしまう誤食事故は後を絶たず、重篤な状態に陥るケースもある。


 文部科学省が今年3月、学校側に児童らのアレルギーについての情報把握や緊急時の対応を求める通知を出したのも事故を防ぐためだ。子どもたちの命や健康を守るため学校ぐるみで取り組まなければならない。


 食物アレルギーは卵や小麦、乳製品など特定の食物を食べることでじんましんが出たり、呼吸が乱れたりする。複数の症状が同時に出た状態をアナフィラキシーといい、命にかかわる場合もある。


 一昨年12月、東京都調布市の市立小学校で、5年生女児が給食後に死亡する痛ましい事故があったのは記憶に新しい。


 ところが文科省の昨年の調査で、重篤な症状の経験がある子どもの保護者のうち、医師の診断に基づく申告書を学校に提出していたのは4割弱にとどまっていた。文科省の有識者会議が正確な情報把握に努めるよう求めたのは当然だろう。


 通知を受け、各自治体とも誤食事故を防ぐ取り組みを始めている。京都市教育委員会は栄養指導の教員らを含む約30人で構成する「アレルギー対策検討会議」を設置、昨年末から実態調査を進めている。


 全校にアンケートしてアレルギーのある児童の人数、症状を把握した上で、防止策や緊急時の先進的な取り組みを聞き取り共有する狙いで、年内にも方向性を打ち出す予定という。


 そこで参考になるのが調布市の取り組みだ。トレーの色を変えたり、「対応カード」を食器の上に貼り付けて調理人、栄養士、担任ら複数がチェックできるようにしている。有効な対策ではないか。


 それでも事故は起こりうる。万一の時に症状を和らげる自己注射薬を投与できるよう教員の研修も欠かせない。


 忘れてならないのはアレルギーの種類が一人一人異るように思いも同じではないことだ。


 NPO法人「アレルギーネットワーク京都ぴいちゃんねっと」事務局長の小谷智恵さんは、トレーの色を変えることについて「いじめの心配に加え、高学年から中学になると人と違うこと、アレルギーを知られるのをいやがる子もいる」と話す。


 緊急時の自己注射薬では、京都市教委の研修に参加した教員から「本当に注射してよいかどうか迷い、ためらうかもしれない」との声も漏れる。


 これでは形だけの研修になりかねない。学校と専門医との間にホットラインを設けるなど現実に即した手立てを考える必要がある。



 事故防止の決め手はあるか。


 学校と保護者の連携は不可欠だが、当事者である子どもたちの声を聴くことが大切。一律の対応ではなく、違いを認め、一人一人と向き合い、目を注いでほしい-と小谷さんは訴える。


 教育がめざすべき方向と変わらない。問われているのは給食のあり方だけではない。


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