2014/06/10

大阪教育大付属池田小学校事件から13年 

大阪教育大付属池田小学校事件からもう13年だそうだ。新聞報道で残されたご遺族の無念さを知るにつけ、心が痛む。最後に引用させていただいたが、ご遺族や事件当時現場にいらした方々の想いは様々だ。教育大の付属小学校ということで、事件を風化させず、「いのち」の大切さをこれからも私達に伝え続けて欲しい。


亡くなった皆様のご冥福をお祈りいたします。


私は今でも犯人の暴言を忘れることができない。



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宅間守の生い立ち【附属池田小事件】 NAVERまとめ

2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に刃物を持った男(宅間守・当時37歳)が乱入。児童8人が死亡、教師を含む15人が重軽傷を負った。 更新日: 2014年06月08日


世の中は不条理だということを子どもに知らせたかった。小学校を狙ったのは簡単に殺せるからだ。もし幼稚園だったら、もっと多くの子どもが殺せたはずだ。どうして幼稚園にしなかったんだろう。ーーーーー法廷で、ご遺族に向かって、そう言ったのだ。


私が息子を私立の幼稚園に入学させたのは、とにかく家から近いことが理由だった。もし殺人犯が忍び込んできても、塀をよじ登って助けに行けるからだ。


この事件があってから、幼稚園や小学校で防犯意識が高まっていった。


でも、日本の危機管理ってどこかおかしいような気がしてならない。例えば、『民間の警備会社の防犯システムを導入すれば安心・安全』という感じだからだ。


日本の民間警備会社は、警察官のように命をかけて子どもを守ってくれないよ。格差社会が広がれば、池田小の犯人のような殺人犯は、これから増えるんじゃないだろうか。


池田小事件は、わずか10分の犯行(学校の調査では5分)だったそうだ。覚悟を決めた殺人犯に、民間人が立ち向かえるとは思えない。


学生の頃、民間警備会社の不都合な真実を知ったーーーーー


知り合いの体育会の男子学生が、ある時私に教えてくれたのだ。彼は、有名警備会社で警備員のアルバイトをしていた。彼がまかされていたのは、有名企業のオーナーの自宅だった。でも、警備会社からは「犯人には立ち向かわなくていい。逃げなさい」と指示されていたそうだ。


PTAの会合で「この小学校も、民間の警備会社の防犯システムの導入が決まりました。これで安心です」というようなことを校長先生がおっしゃるから、手をあげて発言したことがある。もし、犯人が包丁でなく、拳銃を使っていたらもっと多くの犠牲者が出ていたはずだ。


「民間の警備会社の警備員は、警察と違って拳銃を所持していません。池田小事件のような犯人が侵入してきたら、子どもの命を守るには、民間の警備員では無理だと思います。


まず、警察が到着するまで何分かかるかを把握し、その時間、どうやって生き延びるか考えないといけないのではないでしょうか。防犯システムを導入すると、導入したことで安心してしまって、訓練をおざなりにしてしまうかもしれません」



防犯システムの導入後、保護者や来訪者が出入りする裏口のドアの開閉時にブザーが鳴るようになった。でも開閉するたびに鳴るから、逆に危機意識は薄れているような気もする‥‥


某警備会社の宣伝をしていた著名人のお宅に泥棒が入って、大きく報道されたことがある。その日は、システムを解除していたそうだ。カナダに住んでいた時、警報音がうるさくていつもシステムを解除していた私はドキっとした。


しかし私の発言はさえぎられてしまった。自戒を込めての発言だったんだけれど‥‥。


こういう危機管理は、犯罪が多発する北米では当たり前なのだ。日本では、暴漢に襲われたらどうやって抵抗するか、包丁を持った犯人が侵入したらどうやって逃げ延びるか、など、危機に立ち向かう具体的な方法を教えないな、といつも思ってしまう。


「侵入させたらいけない」で思考停止してしまうと、侵入されたらどうするんだろう?本当は「完全には守れない」ということを前提で、保護者にも考えてもらわないといけないんじゃないだろうか。


ようやく最近、『着衣水泳』の授業が導入された。例えば「(危険だと標識のある)川で遊ばない」と教えるより、服を着せて泳がせた方が、どうして遊んじゃいけないのかわかるだろう。


どっちがいいんだろう?


私が池田小学校の事件で学んだことが一つある。拳銃を所持していない犯人だったら、「さすまた」という道具を使えば時間がかせげる、ということだった。こういう訓練をしたほうがいいんじゃないかと言いたかったのだ。


道具があっても、いざという時に対処できないと意味がないと思うのだ。食物アレルギー事故での『エピペン』の教訓でもある。


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刺又 wikipediaより一部引用

刺又(さすまた)とは、相手の動きを封じ込める武具及び捕具。刺股、刺叉とも書く。

防犯器具として 

現代では、柄が木製からアルミや強化プラスチック製になり軽量化され、更に取り回しが楽になった物が登場しており、警察でも使用されている。


近年では附属池田小事件やその他の不審者らによる学校侵入事件が相次いだ2002年以降、防犯グッズとして教育委員会や小学校が学校施設の防衛力強化に導入するところが増えており、また金融機関も強盗の被害から防衛する意図で導入する動きも見られる。その他、民間警備会社所属の警備員も警備業法の改正により刺又の携帯及び使用が可能となった。


刺又だけでは制止力に欠けるため、同器具で対象者と距離を取った上で催涙スプレーやスタンガンなどにより相手の行動の自由を奪い捕縛するといった方法もみられる。刺又だけで対象者を制圧する事は困難で技術を要するため、対象者を怯ませて撃退するか、もしくは壁などに押さえ付けて応援を待つために利用される。


ただしこれらの行為は、単独では対象者の腕力が取り押さえる側よりも強い場合に、返り討ちに遭う危険も伴うため、複数人数で同器具を複数用いて集団で押さえ込む方法が勧められる。江戸時代の刺又術では首や手足を押さえ込むような物が多かったが、現用の刺又では対象者の胴体を押さえ込むよう、先端部の金具が大型化している。訓練度の低い人が使う場合には胴体を押さえ込む方が、手でガードされやすい首や、動きの速い手足を狙うよりも、扱いやすく確実である。


またこれら器具の扱いに際して、器具の製造・販売メーカーの担当者や警察官などが主体となり、扱いを学校関係者や金融機関従業員に教える講習会も日本の全国各地で開催されている。

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【付属池田小事件13年】20歳になった娘へ…父の思い「私が生きている限り、ずっと寄り添い続ける」 2014.5.31 09:40 msn 産経ニュースwest


 児童8人が殺害された平成13年6月の大阪教育大付属池田小事件で、犠牲となった本郷優希ちゃん=当時(7)=は今年、成人の日を迎えた。父の紀宏さん(49)は成人式会場に足を運び、優希ちゃんの誕生日にはワインを開けた。だが、まぶたに浮かぶのは、想像の中で大人に成長した姿と、小学校2年生だった当時の2つの姿だ。「優希への思いは変わらない。時間は今も、止まったままです」


ワイングラスを2つ


 今年1月13日。紀宏さんは優希ちゃんの写真を胸に、大阪府池田市の市民文化会館に足を運んだ。ミニライブや吉本芸人によるステージなど、「池田市成人の集い」の式典がにぎやかに開かれていた。


 まな娘にとって大切な人生の節目を、ともに祝いたい-。そんな思いで訪れた会場では、晴れ着に身を包んだ新成人が楽しげに談笑し、華やかな雰囲気に包まれていた。


 娘と仲良しだった友達は来ているだろうか。しかし、それを確かめる間もなく、紀宏さんは会場を後にした。「辛かった」。


 事件から13年。紀宏さんは優希ちゃんの心に寄り添って毎日を過ごしてきた。紀宏さんの中には、中学、高校に進学し、大学生にと成長した優希ちゃんがいる。今年の3月1日の誕生日には、「大人になったらパパとお酒が飲みたいな」と言っていた優希ちゃんとの約束を果たすため、日付が変わると早速ワインを開けた。


 並べたグラスは2つ。「おめでとう、優希。また大きくなったね」と乾杯した。だが、もう一つの杯が空くことはない。夜は、静かに過ぎていった。


大切な時間


 事件が起きた6月8日に毎年付属池田小で開かれる「祈りと誓いの集い」は、昨年から開催時刻が10時過ぎになった。それまで、事件が起きた10時台は「遺族にとって大切な時間」と避けられていた。紀宏さんは、式典に出席してから当時と同じ時刻に優希ちゃんの足取りをたどるのが常だった。


 だが、昨年の式典には参加しなかった。在校生が「誓いの言葉」を述べる旧正門前のはるか向こうには、優希ちゃんが横たわっていた地面にひざまずき、独りじっと祈る紀宏さんの姿があった。


 「次回は検討しますから」。学校関係者にそう言われていた今年、紀宏さんは開催時刻が元に戻ることを期待していた。だが、届いた案内状に書かれた開催時刻は、昨年と同じ10時12分。紀宏さんは「事件が起きた時刻に『集い』を開く方が、対外的には発信しやすいかもしれない」としつつ、こう話す。


 「事件当時、重傷を負いながら懸命に教室から廊下へと、最後まで諦めずに生きようとした優希のそばに誰もいてやれなかった。だからこそ、6月8日のあの時間は、あの場所で優希のそばに寄り添っていてやりたいんです」


 優希ちゃんを失った悲しみは、「全く変わらない」。13年の月日が流れる一方で、紀宏さんの中には当時から止まったままの時間が存在している。その乖離(かいり)は「どんどん開いているようにも感じる」が、決して変わらないものがある。


 「私が生きている限り、ずっと優希に寄り添い続ける」


 優希ちゃんも、そんな紀宏さんのそばにいるはずだ。


■付属池田小事件 平成13年6月8日午前10時すぎ、包丁を持った宅間守元死刑囚が大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)に侵入。教室にいた2年の女児7人、1年の男児1人の計8人を刺殺し、児童13人と教師2人に重軽傷を負わせた。精神鑑定で責任能力が認められたとして殺人、殺人未遂などの罪で起訴され、大阪地裁が死刑判決を言い渡し確定。16年9月に死刑が執行された。国と学校は安全管理の不備を認めて遺族らに謝罪し、計約4億円を賠償している。


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【池田小事件から13年】「助けられ、前向きに生きられた」重傷負った元児童が体験語る 祈りと誓いの集い 2014.6.8 14:02 msn 産経ニュースwest


 児童8人が犠牲となった大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件から13年を迎えた8日、同校で追悼式「祈りと誓いの集い」が営まれた。式典に先立ち、事件で重傷を負った山崎裕也さん(19)と佐々木靖校長の対談映像が各教室に流され、山崎さんは「回りの人に助けられ、前向きに生きることができた」と13年を振り返った。


 山崎さんが小学5、6年生のときの担任が佐々木校長で、大阪大理学部に今年入学したこと佐々木校長に報告した際、後輩に事件を伝える役割を申し出たという。同小で、被害者となった元児童が経験を伝えるのは初めて。


 事件当時、山崎さんは1年生だった。校舎1階の教室で宅間守元死刑囚に腹部を包丁で刺された。「悪いやつが入ってきたことをみんなに知らせなければ」と思い、血を流しながら悲鳴が響く校舎を上り下りした記憶を話した。


 事件後、教室に戻ることへの恐怖や、腹筋ができないといった後遺症が残ったが、「いつまでも被害者の立場に甘えてはいけない。マイナスのことでも次につなげないと」と、自らを奮い立たせたという。「回りの人に助けてもらい、いろんな経験をして今の自分がある。どんな友達でも仲良くしてほしい」と後輩に語りかけた。


 式典は、事件が起きた午前10時10分すぎから始まった。校内のモニュメント「祈りと誓いの塔」の8つの鐘を鳴らし、児童や保護者、遺族ら約1600人が黙祷(もくとう)をささげた。


 今年から事件前に生まれた児童がいなくなったが、代表の6年生らは「今までの先輩方から受け継いできた、安全で安心できる学校を目指す思いを下級生に伝えていきます」と誓いの言葉を述べた。


 犠牲となった8人のうち7人は、生きていれば20歳を迎えており、献花台には花束やジュースとともにビールも置かれていた。


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【池田小事件から13年】事件知らない学生1割に 大阪教育大で「語り伝える」授業 2014.6.6 21:47 msn 産経ニュースwest


 児童8人が犠牲になった大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の児童殺傷事件から8日で13年になるのを前に、大教大で6日、事件の教訓を学ぶ授業があり、教員を目指す学生が安全確保への決意をあらたにした。


 事件が起きた日に合わせ、平成18年から毎年行われている。大学によると、現在池田小で事件当時を知る教員は2人だけとなった。大学が昨年実施したアンケートでは、学生の1割は事件そのものを知らなかったという。


 授業は大阪府柏原市と大阪市天王寺区にあるキャンパスで行われ、2千人以上の学生が受講。柏原キャンパスの授業のうち、1年生約200人が出席した教室では、全員が1分間黙祷した。


 教職教育研究センターの佐久間敦史准教授は「事件はどこでどう起こるか分からない」と語り、子供の命を最優先することを忘れないでほしいと訴えた。


 授業を受けた社会科教育専攻1年の大山惇史さん(18)は「児童が亡くなった原因に、対応の遅れがあったと聞きショックだった。子供の命を守れる教師になりたい」と話した。


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池田小事件から12年…“妹”失った巡査、交番勤務で奮闘 2013.6.5 19:01 msn 産経ニュースwest


 8日に発生から丸12年となる大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件。犠牲になった同小2年、塚本花菜ちゃん=当時(7)=を妹のように思っていた親類の大矢幸保さん(21)が今年、大阪府警警察学校を卒業し、交番勤務を始めた。駆け出しの巡査だが、「残虐な出来事を二度と繰り返したくない。市民の笑顔をこの手で守りたい」という思いを胸に、日々のパトロールに励んでいる。


 事件から数週間前のことだった。親類の集まりで訪れた叔母の家で、大矢さんにとってはいとこの娘にあたる花菜ちゃんと一緒に遊んだ。絵本を読んだり、お菓子を食べたり。5人きょうだいの末っ子の大矢さんにとって、1歳年下の花菜さんは初めてできた妹のように思え、少しお姉さんになった気分がした。「また遊びに行くからね」と約束を交わした。


 だが、その約束は果たされなかった。平成13年6月8日。学校から帰宅すると、玄関に青ざめた表情の母親が立ち尽くし、動揺する声で大矢さんに告げた。「花菜ちゃんが殺された」。ついこの間、会ったばかりの大切な「妹」がいなくなった。けれど、新聞やニュースでどれだけ事件のことが報じられても実感が湧かなかった。


 まもなくして執り行われた葬儀で、眠るように棺に横たわった花菜ちゃんのおでこに触れた。生まれて初めて触れた遺体の冷たさに驚き、同時に花菜ちゃんを守ることができなかった無力さが悔しく、体が震えた。厳格だった父親が大粒の涙を流すのを見たこともショックだった。自分の大切な人たちをこんなにも悲しませた事件を心から恨んだ。


 「こんな思いは繰り返したくない」。胸のうちに秘めていた思いは弱まることはなく、高校3年のときに進路を警察官に決めた。猛勉強の末、採用試験をパス。今年1月には警察学校を卒業し、摂津署管内の三宅交番に着任した。


 約半年の交番勤務は戸惑いの連続だった。深夜のパトロールや変死人の取扱い、駐車違反の取り締まりの際には罵声を浴びたこともある。辛いことがないとはいえない。けれど、二度と罪もない市民を傷つかせたくない、笑顔を守りたいという気持ちが大矢さんの心を支え続けている。


 「半人前だけど、制服姿で拳銃を持っている以上、警察官に新人もベテランもない。精いっぱい頑張るので、花菜ちゃん、いつまでも見守ってね」


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介護への道、娘が導いてくれた 付属池田小事件13年 吉村治彦2014年6月8日00時28分 朝日新聞デジタル 

 児童8人の命が奪われた大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の殺傷事件は8日、2001年の発生から13年となる。犠牲となった塚本花菜(かな)さん(当時7)の母、有紀(ゆき)さん(47)=兵庫県宝塚市=は今秋、ケアマネジャー(介護支援専門員)の資格試験に臨む。事件を機にホームヘルパー2級を取得して5年。娘のことを常に思いながら、新たな一歩を踏み出そうとしている。


 13年前の光景が頭から離れたことはない。あの日、駆け付けた病院のベッドで、花菜さんはすでに息絶えていた。医師から「温かいうちに娘さんにさわってあげてください」と言われた。眠っているようだった。「助かったとしても包丁の傷が脊髄(せきずい)まで達しているので、普通の生活はできなかったでしょう」とも聞かされた。


 気が動転し、しばらく何も手につかなかった。だがある日、障害がある子どもと母親に会った時、「娘にも介護が必要だったかもしれない」と思った。ひとごとと思えなくなり、介護の仕事を志した。


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