2014/06/26

私が社会に訴える時に大切にしていること

お休みしている間にいろいろあった。政治的な駆け引きがあるみたいだ。記録を残すはずだったけれど、もうすべてを正直には書けないな。数ヶ月後、きっと目にみえて変わっていくだろう。


『神奈川県予防接種研究会』で検索して来て下さる方がおられるようだ。


子宮頸がんワクチンを巡る問題 「正義」って何?


最近、はじめてシンポジムに登壇した後、父が私に言っていた言葉を思い出す。


今になって思うと、父の言葉はその通りだと思う。「話し合い」「熟議」と言っていたはずなのに。救命された患者が救えなかった『いのち』のための活動だったはず。ブレていったのは私なの?


自分に賛同する者はマスコミに出すという「アメ」を、批判する者には「無視」というムチを、という戦略に私は心が離れてしまった。以前は立場が違う者同士、話し合いましょうという雰囲気があったはずだ。


私は官僚には大変お世話になった。だから官僚を、(人前で)あからさまに批判してはいけない。


たとえ相手が右翼や暴力団に所属していたとしても、その中に正当な批判があるのなら、真摯に耳を傾け対応しなければならない。


今の世の中で『あの政治家は●党だから』『あの人は●という宗教団体に所属しているから』などといっていたら、何もできない。そもそも、政党や宗教団体に所属して活動するような人だから、志を持ち、様々な社会問題に関心があるともいえるのだ。


若い政治家の中には、熱心な人が必ずいる。そういう人を探し出してお願いしてみるといい。



アルジェリア人質事件が起きた時、真摯に対応する広報の方の記者会見をみた。記者会見をしていたのはかつて父の部下だった方だそうだ。


ナショナルセンターと厚労省にはいろいろと言いたいこともあった。自分を見失うほど辛い目にもあった。しかしどんなにヒドい組織だったとしても命を救ってもらったことには感謝をしなければならない。はじめてのシンポジウムの原稿でナショナルセンターに「ありがとうございます」という言葉を使ったのは感謝の気持ちを伝えず、批判するのは人として間違っていると思ったからだ。


考えてみれば、私が今、元気で暮らしているのはやっぱり父のいう通り、お世話になった官僚のおかげ、だと思っている。


鈴木竹雄 wikipediaより一部抜粋


鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 1995年12月9日 )は、日本の商法学者。東京大学名誉教授。

【 家族・親族 】

鈴木商店(現味の素)第2代社長の鈴木忠治の三男。鈴木商店創業者の2代目鈴木三郎助は伯父。妻は子爵の井上勝純の娘。


兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。


弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。


娘は日本放送協会報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。慶應義塾大学法学部教授の鈴木千佳子は娘。



父は亡くなった鈴木会長には大変よくしていただいた、といつも私に言っている。


鈴木会長は『味の素』の創業者ゆかりの方だ。ご実家が商家だから会長だけでなく、ご兄弟は皆さん大変腰のひくい方だったそうだ。父に「(弟や兄が)いつもお世話になっています」と挨拶をして下さったそうだ。


今でこそ日揮はグローバル企業といわれるようになったけれど私が幼い頃は中小企業だった。グローバル企業へと成長したのは父が私に言っていたようなところにあるのかもしれない。


自分とは異なる意見、批判にこそ耳を傾ける。それができなければ、私は世界は目指せないと思っている。











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