2014/06/27

天国に行って謝りたい 座右の銘は『フェア&リーズナブル』

父は味の素が好きだ。お刺身を食べる時など、お醤油にほんの少しいれたりする。鈴木会長のご兄弟は、優秀だから『味の素は頭と健康にいいぞ』といつも言っていた。


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中学生の頃図書館で読んだ本に「化学調味料は体に悪い」と書いてあった。父に 「味の素は化学調味料だから体に悪いんじゃないの」と言ったら喧嘩になってしまった。


それから数日して、父は私に言った。鈴木会長に「娘は『味の素が化学調味料だから体に悪い』と言っています」とわざわざ伝えたそうだ。鈴木会長は「学校の先生は体に悪いと教えるからね」と悲しそうな顔をしておっしゃったそうだ。


まさかご本人に言うなんて。また喧嘩になってしまった。


私は真面目な学生ではないので、就職がなかなか決まらなかった。すると鈴木会長は私を心配し、「うちの会社か兄弟の会社(メルシャン)に入れるといい」とおっしゃったそうだ。


父は「ご迷惑をおかけするので、それはよくありません」と断ったと私に言った。


それを聞いてまた喧嘩になってしまった。「勝手に就職先を決めないで。建設業は談合があるから嫌だ!」すると父は黙ってしまった。


結婚した時にはお祝いをいただいた。


数年後会長は亡くなった。


2007年、『華麗なる一族』が放送された時、鈴木会長のことを思い出した。あの番組をみた時、はじめて私は「間違っていたかもしれない」と思うようになった。一つの会社を大きく成長させる経営者の苦労など、考えたことがなかったからだ。


はじめてのシンポジウムの原稿の「ありがとう」という言葉は、鈴木会長への感謝の気持ちでもある。


その後2010年「兄弟の会社に入れるといい」とおっしゃって下さった、メルシャンの元社長鈴木忠雄氏が亡くなった。


新聞記事を読んだ時、めまいがしそうだった。「お金儲けをする人は悪い人」と心のどこかで思い込んでいたからだ。


昨年アメリカのヨセミテ国立公園を訪れた。ヨセミテの玄関口はワイン産地として世界的に有名な、ナパバレーのぶどう畑が広がる。広大なぶどう畑をぬうように、夫が運転する車はすすんでいった。


私は今も大切にとってある新聞記事を思い出した。


一生懸命生きると、天国にいけるそうだ。だから私はどんなに苦しくても最後まで生き抜いて絶対に天国に行こうと決めている。会長にお目にかかってどうしても伝えたいことがある。


『ごめんなさい』と謝まりたいのだ。


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追想録 世界駆け抜けた気さくな秀才 鈴木忠雄さん (メルシャン元社長) 2010年 10月15日
日経新聞 



世界的なワイン産地、米なパバレー。その中でも有数の名門ワイナリーに育ったメルシャンのマーカム・ウィニヤーズのブドウ畑で10月中旬、従業員たちが日本に向かい黙とうをささげた。ささやいた言葉は「さようならタッド(忠雄)」。飾らない人柄を誰もが慕っていた。


味の素の創業者の一人、鈴木忠治氏の孫。


(中略)


他の会社は一切受けず、味の素に入ったのが1951年。入社前に受験したロータリークラブの援助による留学生制度に合格していたため、1年目の夏から米国シカゴ郊外のノースウエスタン大学に1年間留学、ここで国際感覚に磨きを掛けた。


この時、もう一人、留学生に選ばれたのが元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんだった。


帰国後は総合食品メーカーを標榜(ひょうぼう)する味の素で、米食品メーカーのCPCインターナショナルと合弁で粉末スープ事業を立ち上げたのをはじめ、マヨネーズ事業への参入の旗ふり役も担った。


1970年代後半、苦境に陥っていたブラジル事業の継続、強化を決断、後の海外部門発展の礎を築いた。


副社長の鈴木氏と、社長在任中にコンビを組んだ歌田勝弘さんは「大変な秀才で国際通」と評し「一方で気取らず男にも女にもよくモテた」と話す。


スープ事業進出時には小売店に出かけ「気さくにあいさつしながら商品棚でハタキをかけていた姿を思い出す」と人柄をしのぶ。


「味の素のプリンス」と言われ続け、社長の最有力候補と目されながら87年に三楽(現メルシャン)の社長に転じた時には業界で様々な憶測を呼んだ。


しかし自らは恬淡(てんたん)とし、「酒屋のおやじ」を自称しながらワインを主軸としたメルシャンの事業拡大に力を注ぐ。


ワインを家庭に普及させるため、一本500円の「ボン・マルシェ」発売も指揮。一方で、87年に米ワイナリーのマーカム・ウィニヤーズ、88年に仏ボルドーのシャトー・レイソンを相次いで買収、メルシャンのワインの品質を高め事業のすそ野を広げた。


買収先のワイナリーの従業員には毎年、B 5判の紙3枚程度に家族を含めた近況を書いたクリスマスカードを送る気遣いを忘れなかった。


座右の銘は「フェア&リーズナブル」。


自分に言い聞かせるように常にこの言葉を繰り返していた。



10月12日没、80歳


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