2014/07/28

企業の社会的責任とは ユージン・スミス氏とチッソそして『フェア&リーズナブル』

またまた怒られてちょっとばかり落ち込んだ。数年前に書いた病院への投書について。「批判だけだといけないよ。この人と何かを一緒にやろうと思わないよ」と言われたのだ。


わかっていても、それではあの時、どうしたらよかったのだろう。被害者が増えていくのを黙ってみていればよかったのだろうか?マスコミには情報がバンバン流れている。週刊誌の記事になったほうがいいのだろうか。私にはどちらがいいのかわからないなぁ。


ユージン・スミス: 水俣に捧げた写真家の1100日

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内容紹介
水俣病を世界に告発した写真家の本格評伝

二十世紀を代表する写真界の巨匠、ユージン・スミス(1918-1978)の代表作であり、人生最後のプロジェクトでもあったのが、写真集『MINAMATA』(1975年)でした。なかでも有名なのが、胎児性水俣病患者の娘をいとおしむように胸に抱く母の姿をとらえた「入浴する智子と母」の一枚です。この写真は世界中に衝撃を与え、水俣の公害の実態を海外に知らしめる役割を果たしました。



ところでチッソの一株運動について記事を書いたらアクセスが集中した。


一株運動で社会的責任を問う 『社長は逃げなかった』


一株運動について思いはいろいろあるけれど、あの当時の日本社会に被害を認知してもらうには、他に方法がなかったんじゃないかな。被害者の一番の苦しみとは、社会の理解がえられないこと。少々過激な方法だけれど今のようにブログを書くなど、個人が情報発信できない時代。国民にわかりやすく伝えるには、他に手段がなかったんじゃないだろうか。


江頭社長については今でも批判が多い。もしも、写真家のユージン・スミス氏の襲撃事件と関係があるのが事実なら‥‥全く共感できない。


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ユージン・スミス wikipediaから一部引用


1961年、日立のPR写真撮影のために来日。

1970年、アイリーン・美緒子・スミスと結婚。ともに、チッソが引き起こした水俣病の汚染の実態を写真に撮り、実際に座り込みなどにも参加するなど、世界にその悲劇を伝えた。

1972年1月、千葉県五井にあるチッソの工場を訪問した際、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が多数派労組に暴行を受ける事件が発生する。スミスもカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う。この事件でスミスは「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と自らの苦しみを語った。その後『ライフ』1972年6月2日号に「排水管からたれながされる死」を発表し、大きな反響を得た。



江頭豊 wikipedia


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「サクラさんは正義感が強い」とある医師がいっていたそうだ。でも、たぶん「正義感」とはちょっと違う。


ネットで「チッソ」や「水俣病」を検索してみればよくわかる。書かれていることがすべてだ。こんな風にいつまでも、いつまでも「悪いことをした」といわれ続ける。


だから被害者をさらに窮地に追い込むようなこと、泣かせるようなことをして欲しくないのだ。そんなことをしたら関係者ばかりでなく、私のように子どもや孫達がどこかで罪悪感を抱えて生きていかなくてはならなくなるかもしれないからだ。そういう私の気持ちを少しでも知って欲しかったのだ。


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企業の社会的責任 wikipediaより一部引用


企業の社会的責任(きぎょうのしゃかいてきせきにん、英語:corporate social responsibility、略称:CSR)とは、企業が利益を追求するだけでなく、組織活動が社会へ与える影響に責任をもち、あらゆるステークホルダー(利害関係者:消費者、投資家等、及び社会全体)からの要求に対して適切な意思決定をすることを指す。 日本では利益を目的としない慈善事業(いわゆる寄付、フィランソロピー、メセナ)と誤解・誤訳されることもある。


企業の経済活動には利害関係者に対して説明責任があり、説明できなければ社会的容認が得られず、信頼のない企業は持続できないとされる。持続可能な社会を目指すためには、企業の意思決定を判断する利害関係者側である消費者の社会的責任(consumer social responsibility) 、市民の社会的責任(citizen social responsibility)が必要不可欠となるといわれる。


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ただ、後藤孝典弁護士のインタビューにある「鈴木竹雄っていう商法の学者が東大にいましてね。法律雑誌に論文を書きまして、『一株運動は邪道だ』と。『会社の社会的責任まで問うのは株主のあるべき姿を越えている』という内容ですね。いまから考えると、彼は一株運動を禁ずるための商法の改正に噛んでいたんです。『冗談じゃない』という反論を法律雑誌に書きました。」


これはどうなんだろうか。


ウィキペディアにある法学者鈴木竹雄氏についての解説には家族・親族の項目がある。一目瞭然だ。鈴木氏の親族は日本の高度成長期を支えた大企業の経営者や政治家ばかりだ。それも官僚出身者が多い。確かに学者としては公平・中立とは言い難い。弁護士に批判されるのも無理はないと思う。


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鈴木竹雄 wikipediaより一部引用

鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 1995年12月9日 )は、日本の商法学者。東京大学名誉教授。

家族・親族

鈴木商店(現味の素)第2代社長の鈴木忠治の三男。鈴木商店創業者の2代目鈴木三郎助は伯父。妻は子爵の井上勝純の娘。

兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。

弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。

娘は日本放送協会報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。慶應義塾大学法学部教授の鈴木千佳子は娘。



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こういう情報だけだと、まるでかばい合いのようだ。護送船団方式のために異論が出ないよう、被害者を泣き寝入りをさせていたように感じてしまう。


けれど‥‥。


もう一度元メルシャン社長の鈴木忠雄氏について書いたブログ記事を掲載しておこう。批判されている経営者が実際にしてきたことはこういうことだったのだ。


薬やワクチンだって同じだ。すすめる時にはお菓子を配ったりするのに。ワクチンを啓発する患者さんにはやさしく接するのに。信じて接種した被害者には何もしないの?と思ってしまうのだ。


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天国に行って謝りたい 座右の銘は『フェア&リーズナブル』


父は味の素が好きだ。お刺身を食べる時など、お醤油にほんの少しいれたりする。鈴木会長のご兄弟は、優秀だから『味の素は頭と健康にいいぞ』といつも言っていた。


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中学生の頃図書館で読んだ本に「化学調味料は体に悪い」と書いてあった。父に 「味の素は化学調味料だから体に悪いんじゃないの」と言ったら喧嘩になってしまった。


それから数日して、父は私に言った。鈴木会長に「娘は『味の素が化学調味料だから体に悪い』と言っています」とわざわざ伝えたそうだ。鈴木会長は「学校の先生は体に悪いと教えるからね」と悲しそうな顔をしておっしゃったそうだ。


まさかご本人に言うなんて。また喧嘩になってしまった。


私は真面目な学生ではないので、就職がなかなか決まらなかった。すると鈴木会長は私を心配し、「うちの会社か兄弟の会社(メルシャン)に入れるといい」とおっしゃったそうだ。


父は「ご迷惑をおかけするので、それはよくありません」と断ったと私に言った。


それを聞いてまた喧嘩になってしまった。「勝手に就職先を決めないで。建設業は談合があるから嫌だ!」すると父は黙ってしまった。


結婚した時にはお祝いをいただいた。


数年後会長は亡くなった。


2007年、『華麗なる一族』が放送された時、鈴木会長のことを思い出した。あの番組をみた時、はじめて私は「間違っていたかもしれない」と思うようになった。一つの会社を大きく成長させる経営者の苦労など、考えたことがなかったからだ。


はじめてのシンポジウムの原稿の「ありがとう」という言葉は、鈴木会長への感謝の気持ちでもある。


その後2010年「兄弟の会社に入れるといい」とおっしゃって下さった、メルシャンの元社長鈴木忠雄氏が亡くなった。


新聞記事を読んだ時、めまいがしそうだった。「お金儲けをする人は悪い人」と心のどこかで思い込んでいたからだ。


昨年アメリカのヨセミテ国立公園を訪れた。ヨセミテの玄関口はワイン産地として世界的に有名な、ナパバレーのぶどう畑が広がる。広大なぶどう畑をぬうように、夫が運転する車はすすんでいった。


私は今も大切にとってある新聞記事を思い出した。


一生懸命生きると、天国にいけるそうだ。だから私はどんなに苦しくても最後まで生き抜いて絶対に天国に行こうと決めている。会長にお目にかかってどうしても伝えたいことがある。


『ごめんなさい』と謝まりたいのだ。


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追想録 世界駆け抜けた気さくな秀才 鈴木忠雄さん (メルシャン元社長) 2010年 10月15日
日経新聞 



世界的なワイン産地、米なナパバレー。その中でも有数の名門ワイナリーに育ったメルシャンのマーカム・ウィニヤーズのブドウ畑で10月中旬、従業員たちが日本に向かい黙とうをささげた。ささやいた言葉は「さようならタッド(忠雄)」。飾らない人柄を誰もが慕っていた。


味の素の創業者の一人、鈴木忠治氏の孫。


(中略)


他の会社は一切受けず、味の素に入ったのが1951年。入社前に受験したロータリークラブの援助による留学生制度に合格していたため、1年目の夏から米国シカゴ郊外のノースウエスタン大学に1年間留学、ここで国際感覚に磨きを掛けた。


この時、もう一人、留学生に選ばれたのが元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんだった。


帰国後は総合食品メーカーを標榜(ひょうぼう)する味の素で、米食品メーカーのCPCインターナショナルと合弁で粉末スープ事業を立ち上げたのをはじめ、マヨネーズ事業への参入の旗ふり役も担った。


1970年代後半、苦境に陥っていたブラジル事業の継続、強化を決断、後の海外部門発展の礎を築いた。


副社長の鈴木氏と、社長在任中にコンビを組んだ歌田勝弘さんは「大変な秀才で国際通」と評し「一方で気取らず男にも女にもよくモテた」と話す。


スープ事業進出時には小売店に出かけ「気さくにあいさつしながら商品棚でハタキをかけていた姿を思い出す」と人柄をしのぶ。


「味の素のプリンス」と言われ続け、社長の最有力候補と目されながら87年に三楽(現メルシャン)の社長に転じた時には業界で様々な憶測を呼んだ。


しかし自らは恬淡(てんたん)とし、「酒屋のおやじ」を自称しながらワインを主軸としたメルシャンの事業拡大に力を注ぐ。


ワインを家庭に普及させるため、一本500円の「ボン・マルシェ」発売も指揮。一方で、87年に米ワイナリーのマーカム・ウィニヤーズ、88年に仏ボルドーのシャトー・レイソンを相次いで買収、メルシャンのワインの品質を高め事業のすそ野を広げた。


買収先のワイナリーの従業員には毎年、B 5判の紙3枚程度に家族を含めた近況を書いたクリスマスカードを送る気遣いを忘れなかった。


座右の銘は「フェア&リーズナブル」。


自分に言い聞かせるように常にこの言葉を繰り返していた。



10月12日没、80歳


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「みかりんのささやき」より転載させていただいた。いつの時代でも被害者の思いは同じではないだろうか。被害者とご家族は何をして欲しいのか、何を求めているのかがよく伝わる文章だと思う。


本日のシンポジウム 指定発言 2014-07-27

本日はシンポジウム「医薬品の安全監視を考える~『子宮頸がんワクチン』被害からの問題提起」において、被害者連絡会代表として指定発言を行いました。


以下がその文です。

 
初めに、子宮頸がんワクチンを中止にし、接種者全員の調査をし、子供たちに今何が起こっているのかを調べること。これを国が行うことが責務です。


 私の娘は、子宮頸がんワクチンサーバリックス接種直後から、体のいびれや痛みが現れ、片腕は真っ赤に腫れ、翌日には入院しました。検査に異常がなくとも、その症状は激烈で、熱や吐き気はもちろん、1から10までの数字すら数えられない、自分の名前や家族がわからない、記憶障害で先ほどのことも覚えていない、睡眠障害で寝ながら体を動かして歩き回り転ぶ、嚥下障害、不随意運動、激しい痛みで歩けない、突然倒れる。症状は40にも及ぶほど。それがが取っ替え引っかえ、または同時にいくつも現れ、地獄のような厳しい生活を余儀なくされました。このワクチンを打つ前まで健康だった娘が、廃人のようになったのです。


 この状況が、私の娘だけに起こっている事だとは到底思えませんでした。



 これは本当に大変なことが起こったと思い、記録しておくことは重要だと考えました。日記のように娘の症状を日々書いていましたが、夫がブログを開設して記録として一般公開するべきだと提案しました。
 

そして、「みかりんのささやき」という私のブログは誕生したのです。


 毎日、娘に起こった出来事を記録としてブログに書くようになりました。「絶対に娘だけにこんな事が起こっているはずはない、ほかにも同じように苦しんでいる人がいるはずだ」毎日そういう思いの中で書いておりました。そして、このワクチンは子供をこんなにまで、ひどい状況にしてしまう。それを多くの人に知ってもらいたかったのです。


全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会が設立したのは去年の三月ですが、その前から既に私のブログには同じような状況に苦しむお嬢さんのお母さん数人から、私のブログにメッセージを寄せていました。


 今事務局長をしている日野市議会議員の池田さんとも、このブログを通して知り合ったのです。


 娘の症状をいくら小さい声が訴えても、それを取り上げてくれるところは当時はありませんでした。厚労省には報告してもらいましたが、その後何かアクションがあったわけではありません。


 ですから、私が、ネットという世界で症状を訴えていたのはとても良かったと思います。私自身、娘のこの症状を治すヒントはないかと、時間があればネットで検索をし、探していました。それが、同じように苦しむ家族や、問題視する医師、救済に手を挙げて奔走してくださる数々の議員さんたちを繋げたのです。


 このブログが多くの人に子宮頸がんワクチンの被害を気付いてもらうきっかけになり、今では子宮頸がんワクチンの副反応は激烈で重篤な被害が多く発生していることが知られるようになってきました。また、被害に遭っているご本人や親御さんたちが辛い日々と改善に向けた取り組みをブログやツイッターで伝えるようになりました。


 これは、患者の声なのです。


 国に届かない患者の生の声を私たちは常に伝え続けてきました。それを拾える国の制度が無い、または機能していなかったからに他ありません。ワクチンの被害は、その症状が一つではありません。多分過去の薬害の被害も同様でしょう。


一度報告したら終わりという制度も間違っています。被害に遭った人の症状を追いかけ、患者の声を安全対策にどう生かすか。それを国が行うべきなのです。


国が法案を通しておすすめし、国民に打たせたものです。


 副反応が出れば、治る道を患者は日々もがきながら溺れるように探しています。国はその溺れかけている患者に手を差し伸べるべきです。副反応は必ず起きるものだと言い、その裏でなかなか救済はしない。特に個人で訴えれば、無視されるでしょう。


 情報を与えずに効果があるという巧みな言葉を使い、いま被害は深刻化しています。患者の生の声に、どうか国は耳を傾けて欲しいと思います。


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