2013/12/04

私にできること

今日は校長先生と面談させていただいた。私にできることとは、とりあえずこのブログを続けていくことなんだと思う。それぐらいがちょうどいいんだろう。


紅葉



毎年ご命日にお花を贈らせていただいているご遺族がいる。もう 15年になる。外科医をしていた友人がいた。風邪だと思っていたのに気づいた時にはすでに末期のがんだった。自分の健康など後回しだったのだろう。私は最後まで諦めきれず、紅葉の下の小さなお堂で手をあわせていた。亡くなる前日私の夢に出てきた。何も言わずに去っていったけれど、言いたいことがあったのだろう。


喪主の挨拶の時にお父様が「10年たっても息子を忘れないで欲しい」と泣いておられた。帰りの新幹線の中で命日にはお花を贈ろうかと考えた。亡くなったことを忘れないというサインになるだろうから・・・


いつも考えて言葉を添えるのだが毎年せつなくなる。子供を失う悲しみはこの世の中で一番辛いという。送られてくる葉書から無念なお気持ちが伝わってくるのだ。


子供が救急搬送された時、「霊安室」と書かれた扉を偶然目にした。生死をわけるのは一体なんなんだろうか。その病院は第三次救急だから亡くなっていく命も多いそうだ。ご遺族はこういった人目につかない裏口から出ていかれるのだろうか。


西洋の高度医療はキリスト教と密接だ。私の仲人の奥様はカナダで牧師をしている。「予期せぬ不幸がおきた時、手術室の中まで入って祈りをささげることもあるのよ。この前、赤ちゃんが亡くなったお母さんに呼ばれて、一緒に泣いてしまったわ」とおっしゃっていた。そのようなケアは日本の医療機関ではできないだろうと羨ましく思った。


見知らぬ人がいきなりあらわれ「あなたのためにケアをさせて」といっても心を開かないだろう。せめて聖路加のように教会でもあればいいんだけど・・・。霊安室の扉を目にした時に、亡くなったお子さんの親御さんの心は彷徨ってしまわないだろうかと思ってしまった。


日本の公立小学校でも英語教育がはじまった。阪神淡路大震災があった時私はカナダにいた。私が日本人だとわかると「ご家族は無事だったの!」などとお店のレジなどでも声をかけてもらった。こういったことが文化として根付いているからちっとも不快でないのだ。私はせっかく英語を勉強するのなら言葉だけじゃなくて、悲しみを共有することを学んで欲しいと思う。


最後に気になったこと。


「退院後の連携も大切だから病院に手紙を書いてみたら」と友人の医師にすすめられた。医療現場にも今のままじゃいけないという危機感が出てきたそうだ。医療が高度化し息子のような子供は増えていくだろうからと。でも何て書いたらいいんだろう・・・教育現場はギリギリの状態だ。第三次救急の先生も一生懸命救命しているんだろうし。悩んでしまった。私一人で悩む問題でもないんだろうけど。学校の先生もそろそろ限界。これ以上お願いしたら、アレルギー死亡事故のような事故につながるかもしれない・・・。


クローズアップ現代 幼い命を守れ ~小児在宅ケア・地域の挑戦~ より引用
田村正徳さん(埼玉医科大学総合医療センター教授)

●医療と福祉の連携は現実的に難しいのか

正直言いますと、われわれ医療者、特に小児救急とかNICUで頑張ってる小児科医は、赤ちゃんの命、お子さんの命を助けるということに今まで全力を投球して、それで日本の新生児医療は、世界一のレベルまで達してるんですけれども、その分だけ社会の福祉のシステムとか、それからそういうお子さんがおうちに帰ったときのお子さんとご家族の生活の問題とか、そういったことが十分分からないままお子さんを帰してしまってるということがあります。

●普及させるためには国レベルのサポートが必要?

厚生省は2012年を在宅医療元年と呼んで、在宅医療のための多職種の連携とか、拠点治療などにずいぶん力を注いでおります。ただ各地域によってかなり温度差がありますので、やっぱり子どもの在宅医療を支えるということは、患者さんや親御さんだけじゃなくて、国全体の子どもや赤ちゃん、それからお母さんの安全保障ということになりますので、やっぱり国がイニシアチブを取って、普及させる活動をすべきだと思います。

●子どもへの社会保障費の割合について

65歳以上の老人に対する国民1人当たりの国民総医療費は、15歳以下の子どもの1人当たりでも10倍ということになっておりますので、ぜひ子どもにもですね、そういう医療費を使って、より安心して住めるような社会を作っていただければと思います。

この問題は子どもに限らず、社会の問題という、そういう視点でもっと関心が広がっていくといいと思います。




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