2014/10/01

嵐の前の静けさ

自分が掴んでいる情報と、ネットをかけめぐる情報にはあまりも隔たりがある。こんなことは初めてだ。


思い切って、確かめることにした。


数ヶ月前、私はAさんからきいた情報をBさんに伝えていた。 週刊誌などには書かれていないけれど、インパクトのある情報だ。


Bさんに電話をしたところ、ある情報を教えてくれた。政府の要職についておられた政治家との雑談の中で、私が伝えたことが本当なのか、今何が起きているのかたずねたそうだ。


Bさんは、その通りだったと言っていた。やはり想像していた通り、政治家も官僚も皆知っているそうだ。これがなぜ漏れないのか考えると・・・暗い気持ちになる。来年になったら、どんな景色が広がっているんだろう?


Bさんに教えていただいた情報とアドバイスを今度はAさんに伝えた。するとAさんは、この問題のカギになりそうなことを教えてくれた。


そしてその後もう一人、Cさんにも意見をきいた。


Cさんは、ある人のことを心配していた。もしも、その人が自分がやってきたことに自信がないなら、今のうちにこの問題から退場した方がいいと言っていた。理由を尋ねたら、ある裁判で訴えられた「専門家」が、いつしか廃人のようになってしまったから、だそう。


その人は、口では「自分は正しい」と主張しても、心まではごまかせなかったのだ。心は正直だ。Cさんは、裁判でなくても、「批判にさらされる」ということは、それだけ心に負担になるんだ、と私に教えてくれた。


私も同じことを思っていた。


その人は本当に「専門家」として、批判にさらされる覚悟があるのだろうか。Cさんは、精神的にも耐えられると思っていないようだ。


私には心残りがある。私が病院に要望書を出した時、Cさんがいっていた「専門家」のように、元主治医は精神的に追い込まれたそうだ。たった一通の要望書が人を追い詰めてしまう怖さを知った。


「時に正論は人を追い詰めるものです」と友人に言われたことがあった。誤りを指摘すると激高するのは、それが正しいと心では気づいているから。


頭では理解できても、私も一杯一杯だった。


あの時どうすればよかったのか、他にどんな方法があったのか、今でも時々考えている。同じことにならなければいいな、と思う。










コメント

非公開コメント