2014/10/09

父が残してきたもの

最近、父と言い争いになった過去を何度も思い出す。


「水俣病の救済には、どこで線を引くかが難しいんだよ」


この言葉を聞いた時、自分の父親はなんて冷たいのだと思った。きっとお金儲けしか考えていないからだと思った。


でも、事実は違ったようだ。


数年前、「水俣に来て下さい」とある人から葉書がきたそうだ。父は「どうしてなのかな?」と全くわからないようだった。


きっと、企業人としてではなく、私人として誠実に向き合ってきたのだろう。そうじゃなかったら「あなたに来て欲しいんです」と葉書に書かないと思うのだ。


「労働組合をつくられたら、困っちゃうな」と言ったこともあった。


これを聞いた時も喧嘩になってしまった。利潤追求しか頭にないのだろう、と思ったからだ。


でも、事実は違った。


アルジェリア人質事件があった時「人を大切にする会社」といろいろなところに書いてあった。中には著名人もいらした。特に印象に乗っているのが、NHKのニュース番組に出演した元外交官の言葉だった。黒のネクタイを身につけ、「自分達の仲間が死んだんですよ」と涙ぐんでおっしゃる姿に私も涙した。


「パパも政治家の●さんにお金渡しちゃったかもな」と言ったこともあった。


この言葉を聞いて、私は一年間家に帰らなかった。


アルジェリア軍が突入する直前夫に電話がかかってきた。「人質の中に友だちがいるんだよ」と言ったそうだ。


事件が報道された時私に言っていた。何度か外務省にお願いに行っていたそうだ。「もしもの時には、政府専用機をお願いできませんか」。


いろいろあっても、娘に言ってもどうせわからないと思っていたのかもしれない。そこまで覚悟して私を育ててくれたんだ。


部下の中には障害者手帳を持っておられる方がいるそうだ。「その人を特別扱いしないで指導したけれど、上司は部下の体のことを気遣うべきだ。でも、今の会社はだんだんそういう気遣いがなくなってきている。社員の健康や、家族のことまで考えなくなってきているなあ。大丈夫かな」と言っていた。


最近、私は父の言葉をよく思い出している。人を評価する時に大切なのは「何を言っているか」ではなく「何をしてきたか」だと反省しているからだ。


私はいつも批判するだけだった。文句を言うだけだったら簡単だったのだ。


子宮頸がんワクチンの被害者の方が昨日私に言っていた。


「これまでの薬害裁判では、補償金が入ってもそこで終わりだったようです。しかし、私達は治療体制の充実や生涯にわたる支援体制の充実を目指していこうと考えているんです」


話し合えばわかり合うこともあるはずなのに。もう無理かもしれない。


現地の人の生活に溶け込んで仕事をするのは、想像を絶する困難があったという。言葉も文化も習慣も違う。考えてみれば、ワクチンを推進する人達と、被害者も同じような大きな溝があるのかもしれない。


だから最近、みなとみらいを何度も思い出すのだろう。


父の残してきたものはあまりにも大きい。





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