2014/10/16

『一年半待て』 そして運命は大きく動き出す!

私が投げたボールが反響をよんでいるそうだ。最近知り合った方が私の経歴を知ると、たいてい驚かれる。もしもその道のプロフェッショナルを唸らせたのなら、「情熱」だと思っている。


2014-10-14-2.jpg



『一年半待て』という松本清張の小説がある。


働かない夫を計画的に殺し、執行猶予と保険金を手に入れるストーリーだった。『一年半待て』とは、それだけの時間、夫の暴力に悩む「かわいそうな妻」を演じ世論を味方につければ、法律上罪に問われることがない。お金も手に入るし、好きな男性と一緒になれる、という意味だったと思う。


※    ※    ※



一年半待て wikipedia より一分引用

生命保険の勧誘員である須村さと子は、夫・要吉を殺した罪で捕まった。かねてからの要吉の乱暴・怠惰が報道されると、世間のさと子への同情が集まった。

婦人評論家の高森たき子は、「日本の家庭における夫の横暴」「日本の家族制度の悪習」を批判し、評論家仲間を動員して減刑嘆願書を提出するなど行動、結局、さと子は執行猶予の判決を得た。「社会正義」に満足する高森の前に、ある日、ひとりの男が現われるが……。



※    ※    ※



一事不再理 wikipediaより一部引用


一事不再理(いちじふさいり)とは、ある刑事事件の裁判について、確定した判決がある場合には、その事件について再度、実体審理をすることは許さないとする刑事訴訟法上の原則。根拠は憲法39条とされ、刑事訴訟法337条、338条、340条に具体例がみられる。


※    ※    ※



連絡をいただき、私の頭の中には、この『一年半待て』という小説がぱっと浮かんだ。半年、一年たったらどんな未来が待っているのだろう、と想像したからだ。


以前、ブログを読んだある人に、「もう少し易しく書いたら?」と言われたことがあった。


私がブログをはじめたのは、大学時代落ちこぼれだったからだ。その人に言ったことがある。「きちんとかけなかった論文を完成させるつもりで、ブログをかいているのよ」


あの頃は、自分の足で歩いているという実感がわかなかった。だから瀕死の状態に陥り、手術台に寝かされた時、もし手術が成功し元気になったら、しっかり生きないと私は駄目になると思ったのだ。


子供が小さくて、社会に還元できることが少ないけれど、それでも形にしようとがんばってきた。


昨年、ある社会学者の方に学会で私の経験を発表していただいた。


それなりに反響はあったけれど、同時に限界も感じた。どんな経験であれ、個人の経験はやはり個人の経験でしかないからだ。


次の課題は、私の経験をどうやって社会に還元させていくのか、活かしていくのか、だと思った。


私は小学生の頃、「社会」の授業が大好きだった。「社会学」とは「社会」を発展させたような学問だ。けれど清張の小説のように、一つのテーマを社会問題化させ、改善を促すような展開にはなかなかならない。問題提起しても、そこで終わってしまう。


私は清張の小説で、はじめて人が人を裁くことの難しさを知った。『冤罪』や『人権』そして『報道』に関心を持ったのは、彼の小説のおかげだと思っている。


なぜ、清張は様々なテーマを、社会問題化させることができたのだろう。


社会学者の方にきいたことがある。「松本清張は学者としての訓練をうけてない。私達は大学院で学者として訓練を受けるうちに、どうしても平らに慣らされてしまう。だから、学者ではない松本清張のほうが発想が斬新。小説をかく才能もあったから世の中に広く提起できたんじゃないのかな」とおっしゃっていた。


私には小説を書く才能はない。社会に広く問題提起し、実際に動かしていくには他に方法がないのかな?


ふと、「ブログ」って面白いかもしれないと思った。匿名だったら自由に書ける。


ちょうど一年前だった。


それが、一年たって、ここまでドラマチックな展開をみせるなんて。


今、私はまるで松本清張の小説の中に生きているようだ。






コメント

非公開コメント