2015/01/19

超低出生体重児の育児 NHKの放送から生まれた広がり

このブログはいつのまにか『未熟児(超低出生体重児)の虐待』で有名になったようだ。書いてから一年もたっていないのに、どうしてなのかな?と不思議に思っていたら・・・。先日教えてもらって「人は一人で生きているんじゃない」と感謝した。


超低出生体重児と虐待

日本トラウマティック・ストレス学会に伝えたいこと 私が地上に出た日 育児支援と人権と

天国の近藤彰さんへ届け!


私の活動を学会で取り上げて下さった社会学者の方が、私の手記を学生さんに読んでもらうという授業を続けて下さっていたそうだ。その時に、2013年に放送された、「NHKクローズアップ現代『幼い命を守れ―小児在宅ケア・地域の挑戦』」を学生さんにみせ、皆さんに考えてもらっているそうだ。すっかり忘れていたけれど、「この番組を見て下さい!」とお願いしたのは私だった。そういえば、『先天性風疹症候群の動画も見て下さい』とお願いした記憶がある。有り難いな。


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NHKクローズアップ現代『幼い命を守れ―小児在宅ケア・地域の挑戦』 2013年5月28日


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退院してまもなく2年。

現在は週に5日、看護師の訪問を受けていますが、気が休まることはありません。親子そろって家に籠もりがちになる暮らしの中で、医療的な問題に加え、最近では子どもの成長に対する不安が募るようになったといいます。

前島志保さん

「退院さえ出来ればいいと思ってたんですけど、いざ家に帰って来ると違うんですね、やっぱり。成長していく段階で、子ども同士の遊びって必要だと思うので、それが全くないとなるとどうなるのかなっていう。将来社会に出ていけるのかなっていう。」



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学生さん達は、医療や福祉の専門職になるために勉強をしている。将来、看護師、理学療法士、作業療法士などを目指し勉強しておられるそうだ。


もともと医療や福祉に興味があって進学したのに、教育現場では、主に高齢者の事例を取り上げているから、ショックを受ける方もおられるそうだ。「現在の医療の進歩に追い付いていない地域の現状や福祉の現状があること、医療と福祉の壁を知って、ショックを受けている学生も少なくありません」とメールに記されていた。


そうだよね。その方も、この番組をみた時に、私が言っていることが本当だとわかり、やはり涙ぐんだそうだから・・・。


夫が私に言っていた。「授業をする時にいつも思う。私立の大学だから、多い時に200人以上の学生が教室に集まる。この中には、必ず重い障害や病気を抱えた子どもの親になる学生がいるはずだ。自分が超低出生体重児の親になったから、『なってからでは遅いんだ』と気づいて欲しいと思って講義をしている」


同じような気持ちで講義をして下さる教育者が増えていくのは嬉しい。


ブログに何度か書いたように、私が世の中に訴えようと思ったきっかけの一つは、2007年に放送されたNHKの福祉ネットワーク『超低出生体重児 母親の悩みにどう応えるか?』だった。この番組では、退院後の社会的支援が不足していることにあまり触れておらず、母親個人の問題と捉えているような感じがしたからだ。


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NHKの福祉ネットワーク「超低出生体重児 母親の悩みにどう応えるか?」2007年4月16日


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かつては生まれてきた命が救えるかどうか危ぶまれたのですが、医学の進歩により、ここ10年ほどで超低出生体重児の約8割が助かるようになりました。


しかし、NICUを出ると超低出生体重児の親には大きな苦労が待ち受けています。思うように進まない成長、いつ病気になるかわからない不安。しかし、一般的な体重の赤ちゃんと違い、超低出生体重児のデータはまだ少なく、医師もこの先どのように成長するか見通しを示す事が出来ません。普通の子どもなら「ささやかなこと」で片付けられることも、「命にかかわること」になるのではと、気の休まるときはありません。



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その後、私が願ってきたような母親の悩みに焦点があてられた番組『幼い命を守れ―小児在宅ケア・地域の挑戦』が放送されたのは、2013年。当事者の悩みが世に出るまでには長い時間がかかる。


精神医療を追求すると、バッシングがあるけれど、考えて欲しい。もし、報道してくれなかったら、学生さんも知ってショックを受けたという、『医療と福祉の壁』が、「個人の問題」だとされていたのだ。社会に問うべき問題までもが埋もれてしまうのだ。


だから私は2011年に雑誌『SAPIO』がつけたセンセーショナルな見出し『うつで病院に行くと殺される』(ジャーナリスト伊藤隼也さんとSAPIO取材班の方々の記事)は、結果的には必要だったと思っている。そうじゃないと、いつまでたっても前にすすんでいかないからだ。



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『超低出生体重児 母親の悩みにどう応えるか?』の内容は今でもNHKのサイトで紹介されている。私が気になったのは、書き込まれたコメントだった。


NHKの方は気づいておられたのだろか。


「ありがとうございます」「元気になりました」というコメントの中に「支えが欲しい」という切実な声がある。それも書いておられるのは、元看護師のお母さんだ。私にはどんな気持ちで書き込んだのかがわかるから胸が一杯になった。


私も三人目の子が704グラム生まれてきました。一応看護師していたこともあり、家族に心配させたくなくて、誰にも不安を話せません。病院の看護師や医師にも、忙しそうで、話せず保健センターの保健婦は、まったく頼りになりません。時々育児不安におそわれて涙とまりません。サポートしてくださるなにかが、日本全国どこにでもあればとおもいます。


こういう声こそ救いあげていかないと結局変わらない。『母親の悩みに応えるといっても、これでは意味がないじゃない』と思っていた。


しかし、元NHKプロディサーの津田正夫さんに教えていただいた『テレビジャーナリズムの現在―市民との共生は可能か』には、現場の苦悩が記されていた。放送しても取り上げた瞬間で終わってしまう。一つ一つの放送に、どれだけの力があるのだろうかーーーーー


この本を読んでどんな気持ちで報道関係者が報道してきたのかが伝わった。NHKも気づいているけれど、どうやって社会に広げていったらいいか模索していたようだ。


私がNHKの報道番組をたびたび引用させていただくのは「せっかく良い番組をつくったのに、埋もれさせていくのはもったいないな」という気持ちがあるからだ。特に、『クローズアップ現代』をはじめ、文字おこししてくれる番組が多い。ここからまた、何か別のつながりができそうだといつも考える。


このブログは一つの実験になるだろうか。


ある精神科医の先生にお目にかかった時に自己紹介をしたら、「私、サクラさんのことを知っているの。実はブログを読んでいたのよ」と教えていただいてびっくりしたことがある。友人の医師は、「ランキングに参加しなくても、グーグルからたどり着くんじゃないですか?」と言っていた。


数年たったら、講義を受けた学生さん達は現場に出ていく。お母さん達を支えてくれるかもしれない。


今年、私はまたその社会学者の方の研究に協力させていただくことにした。これからどこにつながるかわからないけれど、さらに広がるといいな。


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医療ジャーナリズムには『人権意識』が不可欠である より一部引用


『テレビジャーナリズムの現在―市民との共生は可能か』 第三章生活情報番組から見たテレビ 3 求められる医療ジャーナリズム より一部引用


現代における医療の急激な進歩は、医療者と患者との関係を大きく変きた。それに伴って医療情報のあり方やその質と量、マス・メディアの果たす役割も変わってきた。医師の指示どおりに治療を受けて、病気やケガを治していた時代では医師は上位に立つ絶対的な存在だった。


ところが医療に進歩に伴い、成人病、慢性疾患、遺伝病などが、医療界の大きな課題になった現代では、医師は絶対者として君臨し意志決定をする当事者とはいえなくなってきた。


人間の生と死が医療技術の進歩によって人間の手で操作できるようになり、患者の生き方、人生観、価値観によって求められる医療が異なる時代に入ったのである。


そこで医療情報は単なるニュースやトピックスだけではカバーしきれなくなっている。脳死と臓器移植、安楽死、ガンの告知、体外受精、人工授精や代理母などの不妊治療、胎児診断、遺伝子情報など、人間や生命をどうとらえるかにより、意見が真っ向から対立するような医療問題が数多く出現してきた。


ここにはテレビジャーナリズムが取り組むべき課題がたくさんある。エイズ報道で日本のマスメディアがセンセーショナリズムに支配されて右往左往しただけの苦い経験を省みるなら、本来の医療ジャーナリズムというべき分野が未開拓だったといわざるをえない。


医療問題に取り組むには専門知識は必須である。しかしそれだけでは足りない。患者となる市民の側にたって医療を見ていく視点と人権意識が不可欠である。そして医療が政治や経済と深い結びつきで動いていることもおさえなければならない。



(中略)


(医療ジャーナリズムのあり方を考えるきっかけは1980年代の「富士見産婦人科病院事件」。当時の医師達の姿勢は、たとえ医療内容に問題があるとしても素人のマスコミに批判はさせない、という強圧的なものだった。さらに1986年 の慶応大学医学部『男女産み分け法』が確立され、その倫理問題が議論になった。)


「テレビが取り上げる問題としては大きすぎるテーマだ」と言われてゴーサインが出ず、番組は実現しなかった。翌年の産み分け問題は、NHK のスクープとして大々的に報道されたが、一時情報としてパーコール法の解説をし「問われる倫理問題」に関する識者のコメントをふっただけのものに終わっていた。


すでに臨床例もあり、その技術を選択している人びともいる以上、具体的なケースを取材した医療の進歩が市民にどのような問題をつきつけることになるのか、それを「福音」として喜んでいいのか、疑問を投げかけるのかについて議論をするべきだと思う。


しかしそのような取り上げ方の番組は見当たらなかった。こうした一連のことは医療情報を取り上げる意味と役割について、テレビ・メディア内部で位置づけがされてこなかったためだと思う。医療問題が社会問題だという認識が不十分なのだ。


※ここから先は私がまとめた内容
(医療報道を考えるために、勉強を続けた。その中で出てきた疑問)


医療を受ける市民の側からの議論があまりにもなされていないことを痛感した。それは何故か。大きくわけて以下の三つが考えられる。


  • 最先端の情報がわかりやすく翻訳されて市民に提供されていないため、難解に感じられて「素人」が口を挟みにくい。


  • 医師達の側に市民の側で議論されるべきという認識がなく、医療内容はあくまでも医者と個別の患者の間で決めることだと考える人が多い。


  • これからの問題を考える時の思想や哲学、人間観、倫理観といったものが未成熟なため、討論すること自体が極めて難しいこと。



そこで「おはようジャーナル」という番組で市民が参加して考える討論番組をつくった。


やがて、がんの告知、エイズ、愛する人を亡くした悲嘆(グリーフ)問題へと広がっていく。はじめにとりあげたのは、胎児診断と障害児の生きる権利の問題と体外受精や人工授精などの不妊治療における倫理問題だった。医師や患者などの当事者が意見を述べた。


1970年代から、欧米では生命倫理(バイオエシックス)についての討論番組がたくさんつくられていた。是非を問うのではなく、視聴者が「自分だったらどうするか」を考える内容だ。このような番組は、アメリカにおける患者の権利意識の高まり、自己決定権やインフォームドコンセントの確立のために重要な役割を果たした。


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