2015/02/01

どうか安らかに

亡くなったジャーナリストの後藤健二さんが、昨年、2014年7月11日に「インデペンデントプレス」に投稿したというコラムを読んだ。


It means “Lost Age” really. これこそ本当に「失われた世代」だ Kenji Goto 2014年7月11日

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なぜ、彼らは死ななくてはならなかったのか?希望の光射す未来と無限の才能を持っていたのに。これから好きな女性ができて、結婚して、子どもを産み、家族を持てる十分な機会があったはずなのに。戦いに疲れ果てた人たちは口々に言う。「死んだ者は幸いだ。もう苦しむ必要はなく、安らかに眠れる。生きている方がよっぽど悲惨で苦しい」と。皮肉だが、本音だ。彼らは兵士でも戦場を取材するジャーナリストでもなかった。外国人と交流して異文化を味わうことを楽しみ、すべての時間を市民のために自分のできることに費やし、自分で思考錯誤しながら技術と得意分野を真っすぐに成長させて行った。

オマールはあの時何歳だったか?革命を信じたお子ちゃまカメラ少年は、いつの間にか生き生きした映像を録る勇敢なカメラマンになっていた。ISISに殺された。

そして、ハムザ。戦争孤児や貧しい家庭1,000世帯に、毎朝パンを届ける慈善団体を切り盛りする天才肌の若者だった。7月10日、空爆の犠牲になった。

彼らは、いつも笑顔でこちらの頼みを聞いてくれた。一緒にお茶を飲み、甘いお菓子を食べた。感謝のしるしに日本製の時計を、コンデジを、プレゼントした。戦時下では、プレゼントできること自体が嬉しいものだ。

世界各地の紛争地帯で、私の仕事を手伝ってくれた人たちが、もう何人亡くなっただろうか?

でも、私はまだ生きている。生きて自国に戻り、「伝える」仕事に集中することができる。

彼らが死ぬなどと真にイメージしたことは正直なかった。

鮮烈に蘇る彼らの優しい笑顔。

ボー然としたところで、「なぜ?」と考えたところで、彼らはもう戻って来ない。

どうか、神様。彼らに安らかなる日々をお与えください。



私はやっぱり思い出してしまう。


アルジェリア軍が突入するという直前、家に電話がかかってきた時のことだ。


父の友人が一人だけ民間機で帰国した日の新聞で、はじめて資源開発の過酷さを知った。娘の私が全く知らないなんて。あまりのことに、その場に座り込んでしまった。


「しかたがない。三者それぞれが、少しずつ痛みをわけたんだ」と私に言っていた。


学生時代友達と海外に旅行に出かけると、現地で働く日本企業の駐在員の方が案内をしてくれた。父が私達を心配して友人や知人にお願いするのだ。


ある時、東南アジアに出かけたら、ある会社の若い駐在員の方が夜の繁華街を案内してくれた。


ところが連れて行ってくれたのは、なぜか女性の性を売りにする店。働いているのは私よりも若い、13歳から18歳ぐらいの女の子達だった。


その店のショーをみて、呆然としていたら、女の子達が大勢まわりに集まってきて「何か頂戴」と私に言う。駐在員の人が飲み物をご馳走すると、とても喜んだ。


これまで信じてきた価値観、善とか悪とかが、全く通用しない世界がそこに広がっていた。


『女性の人権』などと今、正義を振りかざしたところで、どうなるのだろう。もしも彼女達の仕事を奪ってしまったら、支えている家族が路頭に迷ってしまう。私は「彼女達が、せめてエイズにならなければ」と心の中で祈るしかなかった。


手のひらにのるほど小さな息子が産まれ時、東南アジアや中東でみかけた子ども達の姿を思い出した。NICUに足を踏み入れた瞬間、これは先進国だからこそできる医療だと思ったからだ。渡された命のバトンの重さを感じずにはいられなかった。


久々に生きることの意味や「命」について考えている。

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