2015/02/13

旧海軍の脚気の撲滅に尽力した海軍軍医総監『実吉安純』氏の功績

現在日経新聞の朝刊で連載中の『私の履歴書』は、日揮グループ代表の重久吉弘氏だ。


実吉安純 wikipedia より引用

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アルジェリア人質事件の時に、「ドン」あるいは「フィクサー」などと書いてある記事を目にして、びっくりして父に聞いたことがあった。


家には直筆の年賀状が届き、「妻と温泉に行きました」などと書いてあるけれど、と笑っていた。連載がはじまったら、本当に奥様のことばかり出てきて微笑ましく思った。


先週の終わりに、いよいよ日揮の前身「日本揮発油」にさしかかった。このような連載でもない限り、娘の私でも仕事の内容を教えてもらえない。私は朝、新聞を開くのがやっぱり楽しみだ。


書かれているように、私が幼い頃は、本社は丸の内にある古いビルで、一部上場ではなかった。


当時の記憶、懐かしい光景が頭に浮かんでくる。


久重氏が入社した昭和61年当時、創業者である実吉雅郎氏の考えが興味深い。いずれ日本だけでは限界が出てくることを見抜いておられ「海外の仕事をどんどんやって欲しい」とおっしゃったそうだ。


ところで、創業者の実吉雅郎氏のお父様は華族で海軍軍医総監だった実吉安純氏だ。今の慈恵医大の前身である「東京慈恵会医院専門学校」の校長だったそうだ。


日本の華族一覧 wikipedia より引用


国立公文書館でみた2008年の特別展「病と医療」の最後は、旧日本軍と脚気について展示してあった。実吉安純氏は、海軍の脚気の撲滅に尽力されたそうなので感慨深い。


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なぜ、軍で脚気が深刻な問題だったのかといえば、軍事行動全体に影響するから。今、夫が専門にしている「運動生理学」という学問が、軍とのつながりが深いのはこのような理由からだ。大規模な疫学調査を行ってきたのがどこの国でも『軍』であることが多いからだ。


このような疫学調査の積み重ねが、現在の『久山町研究』などに受け継がれてるそうだ。ちなみに夫の大学院時代の指導教官のお一人も、東京大学医学部出身でその後自衛隊で研究をしておられたし、夫が留学先でお世話になったのも軍の関係施設だった。シンポジウムなどに寄付をして下る方の中には、軍の関係者もいらっしゃるのだそうだ。


以外と知られていないが、『軍』には、大規模な疫学調査を発展させてきた、というプラスの側面もある。


国立公文書館で展示してあったのは、脚気の原因がまだ特定されていない時代の論争についてだ。当時の医学界は、古いしきたりも多く、エビデンス重視ではなかったようだ。大規模な疫学調査という考え方は、当時の日本の医学の主流だったドイツ医学でなく、イギリス医学の考え方なのだろうか。そういえば、小児がんの晩期合併症の対策が充実していたのは、イギリスだった。当時からイギリスではこのような考え方が浸透していたのだろうか。


『龍驤艦脚気病調査書』 国立公文書館 デジタルアーカイブ


明治10年代、海軍では毎年兵員の3割前後が脚気を病み、軍事行動全体に支障をきたすことが危惧されました。


なかでも明治15年(1882)12月に出航し、ニュージーランド、南米チリ、ハワイなどを経て翌年9月に戻った練習船「龍驤」で多くの脚気患者が出た事実は(271日間の航海で乗組員376人中169人が脚気になり、うち25人が死亡)海軍首脳幹部に衝撃を与え、海軍軍医大監の高木兼寬らが、「龍驤」脚気病調査委員に任命されます。


脚気の原因が兵員の食物にあると確信した高木は、明治17年2月に遠洋航海に出る軍艦「筑波」の兵食を改良した上で、龍驤艦と同じコースをたどらせ、脚気の食物原因説を証明しようとしました。結果は高木らの予想通りで(乗組員333人中、脚気発症者は16人)、これを機に海軍の兵食改良(麦飯の支給や副食の改善)はようやく軌道に乗り、海軍兵員の脚気は劇的に減少しました。


海軍と対照的だったのが、ベルツらが主張する脚気伝染病説をとっていた陸軍。白米至上主義が根強く、副食の改善や麦飯支給には消極的で、脚気問題は容易に改善されませんでした。その背景にはイギリス医学を範としていた海軍に対して、ドイツ医学を採用していた陸軍および医学界の対抗意識があったと指摘されています。



そこで、wikipediaの『日本の脚気史』を読んでみる。


高木兼寛氏は、日本の疫学の父と呼ばれているそうだ。イギリス医学の特徴は臨床が主体と書いてある。だから退院後の支援が充実しているし、患者さんのほうを向いているのかも。私が疫学調査が好きなことや社会問題を掘り下げて考える理由も、もしかしたらここまで遡るのかな、と興味深く考えた。(もちろん冗談です)


『日本の脚気史』wikipediaより引用


ビタミンの先覚的な業績を挙げたのが海軍軍医の高木兼寛であった。臨床主体のイギリス医学に学んだ高木は、軍艦によって脚気の発生に差があること、また患者が下士官以下の兵員や囚人に多く、士官に少ないことに気づいた。さらに調べた結果、患者数の多少は食物の違いによること、具体的にはたんぱく質と炭水化物の割合の違いによることを発見した。その時点で脚気の原因は、たんぱく質の不足にあり、洋食によってたんぱく質を多くすれば脚気を予防できると判断したという。




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