2015/03/23

地下鉄サリン事件から20年  村上春樹さんと勝俣範之先生をつなぐもの

3月20日、地下鉄サリン事件について書いたら、書いた私がびっくりするほどアクセスしていただいた。


地下鉄サリン事件の被害者です ー 村上さんのところ / 村上春樹 期間限定サイト


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事件のその後について、重要な情報をネットで見つけたので補足しておこう。


一つ目は、『アンダーグラウンド』をかいた村上春樹さんが、期間限定のサイトを開設しておられ、そこで被害者の方の意見が取りあげられたこと。二つ目は、私がこのブログをはじめたきっかけを与えてくれた勝俣範之先生がサリンサバイバーであったということだ。


まず一つ目の被害者の方の相談について。


被害者の方がおっしゃっていられることは、私が小さく産まれた子どもの支援に求めてきたことと似ている。


被害者の方がお願いしなかったら、私が村上さんにお願いしたいくらいだ。私は一度実名で手記を書いたことがあったけれど、訴えはじめたきっかけは村上さんの『アンダーグランド』だった。


超低出生体重児の育児 NHKの放送から生まれた広がり

『報道』と『インターネット』の力 マイナスの経験をプラスに変える


当事者の声を集めれば、サリンの被害と思われる共通の訴えがあることに気づく。短期的なものでは「目がチカチカする」「視界が狭くなる」「寒気がする」「鼻水がとまらない」「咳き込む」など。ある程度時間がたってからだと「疲れやすくなる」「記憶力の低下」などだ。これらすべてが私には「心」の問題、PTSDだとは思えなかった。


サリン事件後『こころのケア』ばかり注目されたけれど、危惧していた通り、サリンによる後遺症の研究や医療的支援はおざなりにされてしまったようだ。当事者同士でつながる場がないことも切実な問題だと思う。


もしも、サリンによる後遺症までもが、個人のこころの問題にされていたのなら、被害者の方は救われないだろう。


著作権の問題も頭をかすめたが、期間限定サイトということで、まもなく閉鎖されてしまう。しかし被害者の方にとったら一生に関わる切実な問題。すでに長い月日が流れてしまった。20年という大きな節目が過ぎたら、人々の関心が薄れていくかもしれない。医療関係者の方々に、被害者の切実な声が届いて欲しいと思い一部転載させていただきます。是非、多くの皆様にアクセスして読んでいただけたら、と思います。


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地下鉄サリン事件の被害者です ー 村上さんのところ/村上春樹 期間限定サイト より一部引用


病院でさまざまな検査をしても何もわからないまま同じ症状を繰り返していたころは、心身ともにつらい時期でしたが、有機リン中毒という古くて新しい中毒の問題だとわかってからは、気持ちのうえで楽になりました。ただし、医療の面では、PTSDばかりが強調され、有機リン中毒は無視される現状に不安を感じます。


サリンの発がん性は不明とされていますが、私は4年前にがんを患っています。それは特殊な例なのか、そうではないのかもわかりません。有機リン中毒で生殖障害が起きることは、動物実験では明らかになっているそうですが、サリンの被害者はどうだったのか、そんなことも気になります。


20年を経た今なら、比較的容易に調べられると思いますが、被害者同士をつなぐ場はなく、関心をもつ研究者もいないようです。20年目のアンケートでたずねられたのはPTSDのことばかりでした。私は、自分が経験してきたような言葉になりにくい身体症状が気になります。


あれから20年目の自分の状況を、村上さんにご報告したいと思っていたときに、「村上さんのところ」が開設されると知り、相談させていただくことにしました。『アンダーグラウンド』に登場した人や他の被害者たちは、今どうなのか気になります。村上さんから呼びかけていただくことはできませんか。



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二つ目は、勝俣範之先生のブログ。


ツイッターやブログを書いておられる医師は多いけれど、最近はあまり読むことがなくなってしまった。例えば「抗がん剤は効かない」と主張する近藤誠医師を批判する医師は多い。しかし、中には『近藤誠』と呼び捨てにしておられる方も。


人の心を通過する時には、無意識の許可がいるものだ。いくら科学的に正しいことでも、人生の先輩に向かって呼び捨てなんて・・・。私の心はいつしか、彼らの言葉を受け付けなくなってしまった。もう見たくない、聞きたくない、知りたくない、と思ってしまうのだ。


でも勝俣先生は特別。同じように近藤医師を批判していても、「本当に患者さんを思うあまり、一生懸命なんだろうな」と思えるのだ。なぜ、勝俣先生の言葉は私の心にストレートに飛び込んでくるのか、不思議に思っていた。


やはり、勝俣先生ご自身が壮絶な経験をされていたそうだ。


私も前置胎盤で出血が止まらず、不安な夜をすごした。その時に、勝俣先生と同じように看護師さんが神様のように思えたし、がんで亡くなった医師の友人のことを思い出して泣いた。お葬式の時に、医局の先輩が泣きながら悼辞を読んでおられた。彼は昼間、スタッフを気遣い笑顔を絶やさなかったそうだ。


けれど、私は恐怖で眠れぬ夜を過ごした時に気づいた。私は末期のがんではないからまだ可能性がある。それなのに、これほどの恐怖が襲ってくるなんて。彼は・・・夜一人の病室できっと地獄だったに違いない。死への恐怖と闘っていたのだろう。


勝俣先生のブログを読んだ時に、彼を思い出してやはり涙がこぼれてきた。


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僕はサリンサバイバー 2015年3月18日 腫瘍内科 医勝俣範之のブログ より一部引用


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真っ暗な天井を眺めていたら、本当に恐くなりました。このまま自分の体が消滅してしまうことが恐怖でした。
その日はほとんど眠れませんでした。


夜には、看護師さんが定期的に巡回してきてくださるのですが、それが本当に癒しを与えてくれました。
「どうですか?」
という単純な言葉ですが、この優しく語りかけてくれる言葉に、患者さんは本当に癒やされるのだということを知りました。
看護師さんが、血圧を測り、検温をし、出て行こうとするときに、「もっとずっといてほしい」と思いました。


私は、がんの診療医であり、私が入院した同じ部屋で患者さんを何人も見送ってきました。
この部屋に入院した患者さんも、自分と同じような思いをしているのだとしたら、がん患者さんたちは、もっと長い間入院して、毎日この恐怖と闘っているのだと思ったら、涙が出てきました。


自分は、病気と闘う患者さんたちの心を少しでも理解しようとしてきたのか?
明日をも知れないがん患者さんの気持ちに少しでも寄り添おうとする気持ちはあったのか?
自分は、その患者さんたちを少しでも癒すことができたのだろうか?



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村上さんは被害者の方への回答に「『アンダーグラウンド』だけはいつ読んでも思わずどこかで涙が出てきます」と書いておられた。私にも村上さんがそういう気持ちを込めおられることが伝わる。だから、20年たっても、被害者のことを忘れないのだ。


私は「こころの専門家」と言い合いになった時に、こう言ったことがある。


「あなたの言葉は私の心に響かない」。


目の前にすわっていた「こころの専門家」は、私がそう言った時に、はじめて悲しそうな顔をしていた。悲しいという感情があったなんて。


村上さんの回答と勝俣先生のブログを読んで、あの時のことを思い出している。


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村上春樹氏 地下鉄サリン事件被害者の相談に答える 2015年03月21日 夕刊アメーバニュース 


地下鉄サリン事件発生からちょうど20年となる3月20日に、村上春樹氏の期間限定公式サイト「村上さんのところ」で地下鉄サリン事件の被害者からの質問が掲載された。


 投稿者は60歳の女性。当時、事件に遭遇するも、症状は軽いほうだと思っていたという。しかし、その後、原因不明の様々な症状が出てきたという。


 そして、事件から15年後、犯罪被害者給付金を受けるにあたって、当時のカルテを取り寄せたところ「有機リン中毒」と書かれていたことが判明。さらに、北里研究所病院で改めて検査を受けると、「中枢神経機能障害」と診断されたという。


 つまり、本人がそれだと自覚しないまま、サリン中毒の後遺症がいまなお続いているということなのだが、投稿者は「医療の面では、PTSDばかりが強調され、有機リン中毒は無視される現状に不安を感じます」と訴えている。また、サリン中毒がその後の人体にどう影響を与えるかに関心を持つ研究者が少ないという現状についても危惧しているという。


 そんな投稿者に対し、村上氏は、


「サリン事件について、被害者のみなさんの身体状況について、医学的に立体的に研究する機関のようなものがきっと必要なんでしょうね。それについての調査研究をしている民間団体もあるようですが、そういうことは国がきちんと窓口を作り、系統立ててやるべきだことだろうと僕は思います。医学的資料としても、将来的に大切な意味を持つことですし。被告人たちを裁判にかけ、刑事罰を与えてそれで一件落着、みたいになってしまうのがいちばんまずいですね」


 と回答。医学的な研究を国家レベルで進めるべきだと主張している。


 村上春樹氏といえば、地下鉄サリン事件の被害者やその関係者を取材した『アンダーグラウンド』をいう著作があるが、この作品だけは自作の中で唯一「いつ読んでも思わずどこかで涙が出て」くるのだという。


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病人と聞きホームに降りた後… サリン被害の医師が告白 朝日新聞デジタル 3月20日(金)


《20年経った今、当時のことについて記しておきたいと思います》


 オウム真理教による無差別テロ「地下鉄サリン事件」から20年。日本医科大武蔵小杉病院(川崎市)の腫瘍(しゅよう)内科医、勝俣範之さん(51)は今月、ブログで被害体験を初めて詳しくつづった。《我々はこの事件を忘れてはいけないし、あのようなテロを許してはならない》


 あの朝、地下鉄日比谷線に乗ったのは偶然だった。勤務先は当時の国立がんセンター中央病院(東京都中央区)。前夜に千葉県の病院で臨時の宿直をした。そこからの出勤途中、八丁堀駅で「病人がいます」という車内放送があり、救護しようとホームに降りた。


 人だかりの中心に、口から泡を吹いて倒れている女性がいた。人工呼吸、心臓マッサージ。だがその間も、次々と20人近くが倒れていく。「臭いもしないし、音も煙も無い。とにかく大変な事態だ、と」


 15分後、救急隊に引き継ごうとした時、立ち上がれなかった。視界がみるみる暗くなる。勤務先に救急搬送され、「毒物が原因だと思う。調べてくれ」と同僚に言ったのを覚えている。


 その日の午後、報道で「サリン」を知り、8カ月の長男を抱いて駆けつけた妻に「もしものことがあったら、子どもを頼む」と言った。夜、一人きりの病室で死の恐怖におびえた。症状は治まるのか。後遺症は?――。神様に祈った。


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