2015/04/01

『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』 を読んで その2

『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』 を読んで その1 の続き


私にはどうしても気になったことがあった。助かったA先生の心の問題だ。


ご遺族が、A先生に証言を求めても主治医の判断で実現しないのだという。


津波襲来直前まで何人もの人影が校庭に 間一髪で生還した地域住民が目撃した大川小の姿 | 大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~ | ダイアモンドオンライン | 池上正樹 [ジャーナリスト] 【第10回】 2012年9月12日


「主治医の面会許可が出ない」
A教諭の取材を拒む市教委の意図


 A教諭の当日の行動に対し、遺族も含めて誰も責めているわけではない。ただ、ここに来て、証言に事実の間違いや齟齬があることがわかってきている。教諭にはプロの教育者としてもう一度、冷静に振り返れるようになったところで証言し直してほしい。


 私たちは、市教委を通じて取材を申し込んでいるが、「通院先の主治医から面会の許可が出ない」ことなどを理由に、A教諭からの説明を聞けずにいる。


 市教委によれば、主治医は、遺族からの質問書をA教諭に渡さなかった。それどころか、教諭の上司である校長や教頭、市教委にも面会させてもらえないという。これが本当なら、医師としての越権行為ではないのか。厚労省に問い合わせると、そのような医師の対応は聞いたことがないと驚いていた。


 市教委が、なぜ主治医に抗議しないのか、まったくもって不思議である。主治医自身が出てきて、この間の経緯の説明もない。市教委は、教諭の診断名も通院している病院名も公表を拒否しているため、主治医が面会を拒んでいる事実が本当かどうかすら、確認できない異常な事態が続いている。


 私たちが情報開示請求したところ、今年9月3日までの間に、市教委が上司にあたる学校長、教頭も含め、休職中の教諭の主治医とやり取りしたのは、昨年11月、今年5月、7月の3回のみ。その内容は、ほとんど黒字で塗りつぶされている。



PTSDという概念は、ベトナム戦争の帰還兵が大きなトラウマを抱えていたことが社会問題化し、うまれたといわれている。ベトナム戦争は、アメリカ国内で必ずしも受け入れられていた戦いではなかった。世界規模で反戦運動も盛り上がり、アメリカ社会には帰還兵を受け入れる温かさがなかったのかもしれない。


PTSDには、政治的な意味合いも濃いのだと思う。


このA先生の証言を巡って、A先生に真実を語らせようとしない教育委員会の対応は、残酷ではないかと思った。「A先生が真実を言っていない」ということは、いずれ明らかになるだろう。市民の証言やいくつかの事実から、ほぼ断定できるのではないかと思う。


『PTSDには、政治的な意味合いがある』ということが頭をかすめた。まさに、このA先生は、心の問題を政治的に利用されているんじゃないと思ってしまったからだ。


ある地方都市では、海に近い土地の地価が大幅に下落したそうだ。今まで一度も津波の被害を受けたことがないのに地価が下落したのは、大川小学校の悲劇と全く無関係ではないそうだ。この悲劇が社会に与えた影響はそれほど大きいのだそうだ。


これから先の日本で、東日本大震災を語る時、大川小学校の悲劇はきっと避けて通れないと思う。


だからこそ大惨事を引き起こした原因を明らかにし、公文書として残し、後世に教訓を伝えて欲しい。亡くなった方々の死を無駄にしないために、冷静に振り返ることが必要だと思う。


しかし、このままでは公文書に記載されるのは、事実と異なる内容になってしまう。ご遺族の「子ども達の死に意味を持たせたい」という切実な願いが私にはよくわかる。


私はA先生のことも気がかりだ。助かったのはA先生だけだ。もしもA先生が真実を語れないのなら、これほど残酷で不幸なことがあるのだろうかと思うからだ。このままではベトナム戦争の帰還兵よりも、もっと孤独になってしまわないだろうか。


数年前、夏の林間学校の保護者向けの説明会で、担任の先生が言っていた。


「お子さんを無事に家に帰すことが、教員の仕事です」。


なにげなく担任の先生がいった言葉が、いつまでも心に残っている。勉強を教えるよりも、子ども達の命を守ることのほうが、大切だと気づいたからだ。


大川小学校の悲劇に対する教員の評価は、厳しい。


A 先生は教員だ。子どもを無事に帰せなかったことに関しては、謝罪したい、お詫びしたいという気持ちがきっとあるだろう。本来であれば、A先生の『こころのケア』とは、本当のことを話せるようにすることだと思う。


私は教員の妻だ。このままでは、A先生もきっと救われないんじゃないかと心が痛んだ。


それにしてもーーーーーー


A 先生に対しても、ご遺族に対しても、教育委員会の考える「こころのケア」とは教育委員会にとって都合がよいもののようだ。私には「こころのケア」が隠蔽工作の一環として思えてならない。不都合な真実を、個人のこころの問題にすり替えてはいけないと思う。


『こころのケア』は誰のためにあるのか  大川小学校の悲劇


私は助かった先生にも、生きていることに意味を持って欲しいと思う。亡くなった方々も、そう思って天国でみておられるのではないだろうか。



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