2015/04/15

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その1

青森県八甲田山へ その1 雪の八甲田  に書いたように、青森に行ったのは『八甲田山雪中行軍遭難資料館』を訪れるためでもあった。


FOUR-SEASONS PARK 八甲田山雪中行軍遭難資料館

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最近になって夫にきいた。夫が留学でお世話になったのは、カナダ軍と関係の深い研究所だった。


留学先で、「雪中行軍の遭難事故についての資料が欲しい」というような依頼があったそうだ。しかし、当時の資料をあたってみたけれど、昔の文献は仮名遣いなどが難しくよくわからなかった、と教えてくれた。


夫は、国語や歴史などがあまり得意でない・・・新田次郎さんの小説を読んでも、軍に関する専門用語は現代の私達になじみがなく難しい。確かに無理だったかもしれない。でも、せっかく雪中行軍の悲劇を海外の研究者に知ってもらうチャンスだったのに・・・。


私が残念に思っていたのは、今の日本で「雪中行軍の悲劇」が国民に正しく理解されていないことだ。それどころか八甲田山というと、「心霊スポット」として有名だ。


私も八甲田山を訪れ、銅像を偶然目にしなければ、興味を持たなかった。多くの兵士が亡くなった恐ろしい場所だから、避けて通らないといけない、というイメージがあったからだ。


今回、青森市の『八甲田山雪中行軍遭難資料館』を訪れてとても良い資料館だと感じた。誰が、何をどうしたから、悲劇が起こったのかが、よくわかるからだ。事故が起きた当時、どのような報道がなされたか、についても展示されていた。


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ほとんど興味がなかった息子でも、10分間の記録映像を、真剣にみていた。とてもよくまとめられているからだ。


私が「良かったな」と思ったのは『八甲田山雪中行軍遭難資料館』が地元では桜の名所になっていることだった。


資料館の後ろは兵隊さんの墓地になっていて、ここに皆眠っている。春になると地元の方々がお花見に訪れるそうだ。私がもしもこの墓地に埋葬されていたら、「心霊スポット」では悲しい。楽しく過ごす人達をみていたいと思う。


先日、ダイアモンド・オンラインで「国連防災会議、大川小保存を卒業生が世界に訴え」を読んだ。大川小学校の卒業生が、後の世に悲劇を伝え欲しいと訴えていた。


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国連防災会議、大川小保存を卒業生が世界に訴え 大津波の惨事「大川小学校」〜揺らぐ真実〜 ダイアモンド・オンライン 【第46回】 2015年3月15日


当時大川小学校5年生の妹が犠牲になった高校2年生の朋佳さんは、こう思いを明かした。


「私はこの震災で大川小に通っていた妹を失い、辛い日々がずっと続きました。私と同じ思いをした人はたくさんいます。家族を失って、ひとりになった人だっています。でもいつか、大川小での出来事を伝える人はいなくなります。私たちが、同じことを繰り返さないために何をすればいいのか。それは、未来のためにあの校舎を残し、地震と津波の恐ろしさや地震が起きたらどうすればいいかなど、いろいろなことを見て感じる場所にすることだと思います。あの校舎は実際に見て、感じることは、映像や写真を見ることよりも明らかに多いはずです。何十年先の未来のために、どうか校舎を残して、昔の綺麗な桜に囲まれた大川小学校に少しでも戻っていけたらと思います」


 当時小学5年生だった只野哲也さんは、「大川小の校舎をもっとたくさんの人に見てもらい、津波や地震の恐ろしさを後世の人々に伝えていくきっかけになってほしい」と世界に向かって訴える。



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『八甲田山雪中行軍遭難資料館』が地元では大切にされ悲劇が語り継がれている。展示資料を見ていたら、大川小学校の悲劇も、このように語り継がれていったらいいだろうな、と思った。


ボランティアの方に丁寧な説明をしていただいた。「資料など、写真にとってください」と言っていただいき、資料館を後にする時には、「ありがとうございました」と言っていただいた。


その姿に、亡くなった兵隊さん達を大切に思っているから、事故を風化させないように努力を続けていることが伝わってきた。


せっかくだから、ブログに記録しておこうと思う。多くの方々にこの資料館を訪れて欲しいと思います。


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卒業生ら大川小校舎保存主張へ…宮城 2015年03月06日 09時00分 読売新聞


津波で児童と教職員84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の卒業生が14日、仙台市で開かれる国連防災世界会議のパブリック・フォーラムで、校舎を遺構として保存するよう訴える。卒業生らが4日、石巻市内で会合を開き、主張する内容について話し合った。


 大川小校舎を巡っては、地元住民らでつくる協議会が、〈1〉校舎全部を保存〈2〉一部を保存〈3〉解体・撤去――の3案を示しているが、震災遺構を巡る県や市の有識者委員会では、遺族感情に配慮して議論の対象外とされた。一方で、卒業した中高生は校舎の保存を求める署名活動を行ってきた。


 卒業生が参加するのは、子供たちが復興に関する意見を世界に向けて発表したり、防災教育について提言したりするために行われる二つのフォーラム。高校3年の佐藤そのみさん(18)は「震災の記憶を風化させないためにも、保存することの必要性を訴えたい」と話している。



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幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その2




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