2015/04/22

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その5

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その4 の続き


捜索隊派遣まで


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連隊本部では帰還予定の24日、まれにみる猛吹雪と寒波で、一行はおそらく田代新湯にとどまっていると予想、念のため田茂木に出迎えの部隊を派遣しました。


翌25日になっても雪はおさまらず、40名の部隊を幸畑に置いて炊事の準備を整えて待ちますが一行は姿を現さないので、一部の兵士を田茂木野に派遣しましたが、風雪が勢いを増し、二次遭難の恐れも出てきました。


夜10時になっても行軍隊が帰還しないため津川連隊長は、田代新湯からの帰途大雪のために迷っているのではないか、あるいは田代新湯から動けずにいるのではないかと考え、救連隊を編成し田代へ向け派遣することを決定しました。


【 後藤伍長発見!】


後藤房之助伍長

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26 日午前5時40分、救援隊60名が幸畑へ向け出発しました。


幸畑で地元の村民27人を案内人に雇って田茂木野に到着して捜索にあたろうとしますが、あまりの風雪で案内人が前進中止を訴え、仕方がなく田茂木野に引き返しました。


27日午前6 時に再び田茂木野を出発した救援隊は、午前10時に大滝平を通過しようとしたとき、雪の中で立ったまま動かない兵士を発見しました。目を見開いたまま気を失い、仮死状態だった後藤房之助伍長でした。


救援隊の村上軍医が救急処置を施して蘇生した後藤伍長の口から、近くに神成大尉がいて、他の大部分の兵士は後方に散在していることを告げられました。


周辺で神成大尉と及川伍長の遺体を発見しますが、悪天候によってやっとのことで後藤伍長だけを運搬しました。


そして彼の話から部隊の悲惨な状況が判明して、大規模な捜索隊の編成派遣が決定しました。


捜索計画と規模の編成


【 捜索計画 】


津川連隊長

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1月27日午後7時、津川連隊長は事態の重大さを考えて、


●連隊は総力をあげて捜索救護にあたること

●田茂木野に捜索隊本部を置き、遭難地に捜索救護隊の屯所を設けること

●屯営から避難地の間に数多くのしょう所を設け後方支援を確実にすること

●電線を架設して通信を円滑にすること



という捜索救護の要項を示しました。


捜索規模の変遷


【 第一期(1月28日〜2月2 日) 】

歩兵第五連隊により約1.100人で捜索救援が始められました。


【 第二期(2月2日〜2月9日) 】

歩兵第三十一連隊、工兵第八大隊、輜重兵(しちょうへい)第八大隊、砲兵第八連隊からの応援があり、約2000人で捜索救護が継続されました。


【 第三期(2月9日〜2月18日) 】

当初から捜索に参加している歩兵第五連隊の将兵を休養させるため、歩兵第三十一連隊の将兵と交代させ、捜索救援隊は約1,100人で行われました。


【 第四期(2月18日〜3月7日)】

捜索が急峻な駒込川以外は、数回にわたり捜索をして成果があがっていること、捜索開始から通常の軍隊としての教育を全廃していることから、今後の教育上の観点から必要な工兵・輜重兵しちょうへい)を残してそれぞれの隊に復帰させ、歩兵第五連隊が独力で捜索することとなり、捜索救援隊は約500人に縮小しました。


【 第五期(3月7日〜4月23日)】

新兵教育を行う必要から捜索部隊の規模を縮小し2,3年兵による捜索部隊(約150人)を2隊変成して交互に捜索にあたりました。


【 第六期(4月23日〜5月17日 】

軍隊における重要な教育期間にあたるため、捜索隊長を生存者の胃石倉大尉とし、各中隊10人で捜索隊を編成し捜索を継続しました。


【 第七期(5月17日〜5月28日 】

樹木・雑草が生い茂る時期となり捜索が困難となるため、第五連隊の各大隊が交代で捜索にあたり、28 日に最後の遺体を発見し大規模な捜索を終了しました。


以後、14 人により残りの武器・装具の捜索が行われ、6月20日に全捜索を終了しました。


捜索態勢


遭難地の図

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連隊長は生死の間を彷徨う二百人の戦友を捜索救護するには十分な人手と設備、資金が必要で、これが不足すると捜索隊にも危害が及ぶことになるので、営内に庶務部、幸畑にその支部を置いて、必需品の調達にあたらせました。


さらに田茂木野に捜索隊本部と貨物を設けて捜索救護の指揮を統括、食事と医療の面を支援させました。


また田茂木野から避難地の間に第15〜第8、塩澤、高島、本多、高橋、鳴沢などの銷所設置して、雪道の開設や除雪にあたらせ、物資の運搬、情報伝達の中継所としました。


第八銷所全景

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各銷所の通信を円滑にするため、工兵第八大隊により臨時電信隊が編成され、青森電信局、屯営、田茂木野、各銷所間に電線を仮設し、各所に臨時の電信所を開設しました。


幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その6



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