2015/04/24

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 終わりに

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その6 の続き


『八甲田山雪中行軍遭難資料館』の記録の整理がやっと終わった。途中で後悔するほど大変だった。


八甲田ロープウェー株式会社

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でも、あれは、八甲田ロープウェーの駅の待合室で一人ですわっている時だった。上品なおばさまとお友達が私に話しかけてきた。


「私は八甲田ロープウェーの株主なの。ここに株主優待券が一枚あるから、よかったら使って。どうぞ」。


私はびっくりしてしまった。ロープウェーは高価な乗り物だ。周りには私の他にもお客さんも何人かいるし・・・。


すると隣にいた男性が私にこういう。「僕たちもどうですか?と言っていただいたけれど、皆シーズン券を持っているんだよ。せっかくだから使ったら?」。


結局、有り難く使わせていただくことにした。


本当は、コースの途中で転んで「助けて〜」と叫んで、すぐ後ろにいた男性に両板をはずしてもらったばかり・・・。怖くなって「もう二度と行きたくない」と思ってすわっていたのだ。


でも、再びチャレンジすることに。もしいただかなかったら、二度と滑らなかったかもしれない。


今度はさっきとは違うコースを滑った。


すると、ちっとも怖くなくて「ああ良かったな」と思った。せっかく青森まできたのに、帰ってしまうところだった。


だから、何かお礼ができたらいいな、と考えた。


八甲田ホテルについて書いたら、アクセス数が結構あった。


青森県八甲田山へ その3 『酸ヶ湯温泉』と『八甲田ホテル』


ホテルを選ぶ時に、個人の旅行記のほうが参考になる。私も、大きな旅行会社のサイトでなく、一般のお客さんのブログの写真などをみて、宿泊先を決めている。なぜなら、ホテルのサイトなどに掲載されている写真はプロがとっているから、実際よりもよくみえることがあるからだ。行ってみると、がっかりすることも。


八甲田山は夏も冬も自然が豊かでとてもよいところだ。もう一度絶対に行ってみたいと思う。その八甲田山を訪れた人が必ず立ち寄るのは、このロープウェーだと思う。待合室では高倉健さんの映画を流しているし、撮影の時の写真も展示してある。


『八甲田山雪中行軍の遭難事故』から学ぶことは今でもたくさんある。


軍隊という組織は、上官の命令には従わないといけない。遭難した神成大尉の悲劇は、今の官僚制度など、大きな組織が背負う運命に通じるものがある。組織に属してお仕事をしている方がみたら、胸に迫るものがあるのかもしれない。


息子のような子供がみたら怖いかもしれないけれど、私の歳になると、また違った感情がわき起こる。


無事帰還した福島大尉も、再び戦地に赴き40歳という若さで戦死してしまったからだ。結婚したのが37歳だから、結婚生活はたったの3年間。


幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その6

明治36年(1903)10月に山形補正第三十二連隊第十中隊長として山形に転任し、翌年10月に日露戦争に出征しました。明治38年(1905)1月28日、「黒講台の会戦」にて、降りしきる雪の中、指揮中に敵の砲弾を頭に受け壮烈な戦死を遂げました。40歳でした。

福島大尉は、同日付で陸軍少佐に昇進し、十六位に叙され、勲四等・功五級を受けました。



好きで死んでいくわけではない。


青森の地元の方は、「ソリなんて、猛吹雪の八甲田山では無謀だ。雪山を知らなすぎる」と今でもおっしゃる。しかし、当時のロシアの脅威を考えれば、戦争を想定した訓練という発想は、必ずしも無謀ではなく、むしろ必然だったように思う。


それではどうすればよかったのだろうか。


私には戦争という紛争解決手段に、そもそも限界を感じている。福島大尉のような日本の未来を背負うべき優秀な人材が、結局は戦場でちっていかなければならないからだ。


実際に当時の記録を目にすると、軍人さん達一人一人の想いが、伝わってくるようだ。命の重みを感じずにはいられない。


ぜひ、多くの方に、『八甲田山雪中行軍遭難資料館』にも足を伸ばしていただければ、と思います。

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