2015/05/21

第4回 自死遺族等の権利保護シンポジウム その2  『いじめ』による自死が、個人や家庭の問題にすり替えられる!

第4回 自死遺族等の権利保護シンポジウム その1  野田正彰先生に直談判! の続き


●青森県立八戸工業高校 男子生徒の自殺裁判


第二部は、法律の専門家による講演。それぞれの抱えている自死遺族の裁判の争点や、自殺(自死)に至った原因、自死遺族が何に悩んでいるか、などを話して下さった。


左から斎藤司法書士 大熊弁護士 細川弁護士 和泉弁護士


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斎藤司法書士は、第一部で野田正彰先生が痛烈に批判しておられた、静岡県富士市の自殺防止対策、「富士モデル」を推進する立場だったそうだ。まずはじめに謝罪の言葉からはじまった。


斎藤司法書士が関わってこられたのは、ある県の県立高校で起きたいじめ自殺事件だったそうだ。(斎藤司法書士は『ある県の県立高校』としかおっしゃっていない)ちょうど私も、息子の中学生活のことで悩んでいたこともあり、興味深くお話をきいた。


あの「大川小学校の悲劇」を取材しておられた加藤順子氏のヤフー個人ニュースに詳しいことが書いてあった。生徒が亡くなった直後に行われた、アンケートの内容を遺族に知らせないなど、ここでもまた、不都合な真実が隠蔽されている。


「先生がいじめていた」いじめの存在示唆するアンケート見つかる 07年の青森県立高生自殺で Yahoo!個人ニュース 加藤順子

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斎藤司法書士のお話では、この高校では、「絶対に部活に入らないといけない」という決まりがあったそうだ。不幸なことに、いじめがあったのは部活だったため、自死した男子生徒は、「部活から逃げられない」というようなメールを遺し命をたったそうだ。


ちなみに、亡くなった男子生徒は、高校に入学する以前は、すぐ近くにある中学の運動部に所属しており、人気者だったそうだ。そういう経緯があるにも関わらず、彼は高校に入学して一ヶ月半ほどで死んでしまう。


これでは、ご遺族でなくても「彼を死に追いやる何かが、高校にあったはず」と思うだろう。


●7年半隠蔽されたアンケート


しかし学校や教育委員会は情報を公開しようとしない。いじめがあったことも当初は否定したという。仕方がなくご遺族は県を相手に訴訟に踏み切った。


一審では、学校側の証人として教師が出廷し、「いじめはない」と訴え、ご遺族の側からは生徒が証人となり「いじめがあった」と証言したそうだ。裁判所が認めたのは、教師の「いじめがない」という証言だったため、ご遺族の請求は棄却されたそうだ。


ご遺族は諦めきれず、現在、高裁で争っているそうだ。ところが、裁判の中で県に情報開示請求したところ、なんと、今まで「ない」とされていたアンケート調査結果が急に出てきたそうだ。


この自殺(自死)問題をみていても、自殺防止対策として、「スクールカウンセラーを配置すればいい」という文科省の指導には疑問がわく。カウンセラーに話をきいてもらったり、精神科や心療内科に行ったところで彼の苦痛を取り除くことは難しいし、学校の「部活は強制」という姿勢をとめることはできないからだ。むしろ、個人の「こころの問題」にすり替えられ、学校の体質が永遠に変わらないじゃないか。


本当にいじめや、いじめによる自殺(自死)をなくしたいのなら、法務局の人権相談窓口の対応などを、もっときちんとして欲しいし、それよりも、自殺(自死)があった学校と教育委員会に、情報開示を義務づけたほうが効果があると思う。


教育者であり、スポーツの指導者として長年活動してきた夫に「部活に絶対に入らないといけないなんて、そんなおかしな決まりがあるの?」と尋ねると、絶句していた。


斎藤司法書士は、「どうして自死遺族が、いじめがあったことや、いじめと自死との因果関係を立証しないといけないんでしょうか?」と繰り返しおっしゃっていた。


私も同感だ。だって、学校には、子どもの命を守る義務がある。因果関係があろうとなかろうと、生徒が自ら命をたったのに、死について全く考えないのだろうか。それで教育といえるのだろうか。


最後に斎藤司法書士のお話に何度か出てきた大津でおきたいじめ事件について、野田正彰先生の『うつに非ず』に興味深い記述があったので引用させていただく。


加藤さんの記事によると、青森県立八戸工業高校男子生徒の裁判の次回弁論は、7月2日だそうだ。これまで学校側がいじめの存在自体を否定したいたことから、ネットでもじょじょに注目が集まっている。だから最後に、スクールカウンセラーの問題点などについて、記しておこうと思う。


●スクールカウンセラーは誰の味方なのか


先日、私の息子も、同じように家からお金を持ち出し、ミニカーや雑誌を買っていたことがわかった。しかし、私は息子を『発達障害』だと全く思わない。新しい環境に慣れようとがんばっている息子が、彼なりに発していたSOSだと理解した。


超低出生体重児(未熟児)の『いじめ』問題


私は、野田先生の講演とご著書を読んで、超低出生体重児と母親に関する調査報告書に対する違和感がどこからくるのかわかった気がした。私が求めている調査は、野田先生が紹介していた「新潟県東頸城松之山町の自殺防止対策」のような調査だと思ったからだ。今まで目にしてきた報告書には、家族の歴史や文化が抜け落ちている。


第4回 自死遺族等の権利保護シンポジウム その1  野田正彰先生に直談判!


ある新生児科医は、私にこういったことがある。「私も心理センターの診断は疑問に思いますが、お母さんの中にはとりあえず診断名がつき、『ホッとした』という方がいるんです」。


しかし『発達障害』とは、母親を安心させるためにあるわけではない。


子どもの一生を左右する、重大なことにも関わらず、子どもの自己決定権など、子どもの人権には全く触れていないことは問題だと思う。子どもの人権は一体誰が守るのだろうか。医療者をはじめ、『専門家』と呼ばれる方々には、そろそろ真剣に考えていただきたい。


野田正彰著 『うつに非ず』 第4章 疾病化 社会問題を個人の病気にすり替えるより一部引用


●子育てに自責的な親たち


なぜ発達障害のラベル張りが浸透したのか。


少なくない親たちが、「自分のこどもには問題があるのではないか、それはこどもの育て方が原因でないか」と不安を抱いている。他人から指摘される以上に、自分自身を責めている人がいる。そのため、子どもに精神医学的な疾病名がつくと、「病気なのだから仕方がない」と安心し、早期に治療するように言われて少し落ち着いた気持ちにある。


これはトリックに他ならない。日本では発達障害とは脳機能の障害と法律に書かれているのに、発達障害だからと言われて安心するのはおかしくないか。脳機能の障害は、脳の器質的、遺伝的な原因を仮定している。そんな仮説を安易に認めてよいのか。


早期の治療をすれば全ての病気がよくなるわけではない。問題の多い早期介入も少なくない。

(中略)

幸福感についての国際比較調査では、日本の子どもは他国の子どもより極めて低い。しかも、思春期を過ぎるとさらに幸せに思えなくなっている。こんな子ども時代を生きることが幸せなのか、子どもにこんな日々を強いている私たちに責任はないのか。


近年では、何もかも発達障害と片づけられる傾向にあるが、子どもが問題行動をする時には家庭、学校、地域社会に問題があることが多い。もちろん、家庭といっても親のみに責任があるのではない。親がおかれている苦しい状況、子どもの見方は、この社会と文化が作り出したものである。異なった社会なら、子どもがこのような精神状態になるのか、こんな行動をとるのか、考えてみるとわかるだろう。


●いじめを発達障害にすり替える専門家


(略)

2011年10月、滋賀県大津市で中学2年生の中学男子生徒が自殺した事件でも、疾病化が登場する。彼はいじめる生徒から何度となく家のお金を盗ってくるように脅されていた。


父親が気づいて息子に問いただすと、ゲーム機やゲームソフトを買うのに使ったと言うだけで、大半のお金の使い道は分からなかった。


困った父親が児童相談所に電話すると、「繰り返しお金を盗るのは、軽い発達障害の見方ができる」と言われた。ショックを受けた父親がそれを息子に話すと、彼は「病気扱いするのか」と激しく反発し、朝まで帰って来なかったという。


自殺から1年3ヶ月後にようやく、「いじめが要因となって自殺した」という市の第三者委員会による報告書が出された。市の報告書は、男子生徒の自殺直後に教育委員会が派遣したスクールカウンセラーが関係者のカウンセリングを行い、この生徒の家庭環境に問題があるような助言をしていたと記している。


また、市の推薦で調査委員会の委員に内定し、遺族側から個人情報を漏らしたとして批判され辞任した臨床心理士に対して、「厳密な調査もせずに家庭環境に虐待があったというストーリー作りに荷担したという疑いが沸いた」とも指摘している。


臨床心理士やスクールカウンセラー、児童相談所は、学校で行われているすさまじい虐待を、発達障害や家庭の心理的問題にすり替えて止まない。

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