2015/06/08

骨髄移植を乗り換えた同級生 がんの啓発活動への疑問

ゼミで一緒だった同級生が、指導教官だった夫に連絡してきたのはつい最近だった。彼は、仲のいいもう一人のゼミ生でやはり私の同級生と二人で大学にやってきたそうだ。





タイの生命保険会社のコマーシャル。日本のがん保険のコマーシャルのように「お金が大切」などとストレートにいわないことろに好感が持てる。

『しゃべれない父さんでごめんな。他の父親みたいに話すことはできないけれど、お前をとても愛している。それをわかって欲しい』



彼は、私たちが結婚したばかりの頃、就職したアパレル企業のファミリーセールの招待状をいつも私に送ってくれた。ところがある時からプッツリ連絡が途絶えてしまった。「何かあったのかな?元気だといいなぁ」と思っていた。


ところが、今から5年ぐらい前だろうか。ある時から年賀状がまた届くようになった。


でも、一言添えてある文章を読むと何か大きな病気になったようだ。心配になって、夫に連絡するように言ったら、「う〜ん。でも、あまり話したくないかもしれないし」と言う。「そうかしら?話したくないなら、気になるような一言をあえて書くかしら?気づいて欲しいから、わざわざ書いているんじゃないの?」。


いつもここ数年、毎年毎年、彼のことを心配していた。何か伝えたいことがあるから、書いているんだよね?


久しぶりにやってきた彼は、やはり・・・骨髄移植をしたそうだ。今は良い薬が出たときいていたいたけれど、彼はその薬では抑えられないタイプだったそうだ。やっと治療が一段落し、落ち着いてきたから、「先生に会いたい」と訪ねてきたそうだ。もう一人の同級生と一緒に。


なぜ二人一緒かというとーーーー彼は発病する前、もう一人の同級生が代理店をやっている保険に、すすめられ、入っていたため、その保険にずいぶん助けられたという。


だから、闘病していた同級生と、保険の代理店をしている同級生が二人で訪ねてきたというわけだ。


私がブログを書いている理由の一つは心の整理をするためでもある。ずっと考えていた。もう、がんの啓発を、大学でやってもらうのはやめよう、と思っていた。なんだか私は、患者会や、がんの啓発活動がトラウマになってしまった。患者さんは100人いれば100人一人一人違うはず。それなのに声が届くのは、医師や製薬企業に気に入られた一握りの患者さんのような気がしてならない。


斎藤貴男さんが『子宮頸がんワクチン事件』の中で引用している、『ビック・ファーマ』の患者アドボカシー・グループに関する記述から


患者アドボカシー・グループへの支援も、教育を偽装したマーケティングの一つである。単に製薬企業の隠れ蓑に過ぎない患者アドボカシー・グループも多い。


患者たちは、自分の疾患に対する世間の認知を広めるための支援ねっとワークに出会ったと思い混む。しかしそれこそが、実は製薬会社が薬を売り込むための手口なのである。製薬会社がバックにいることを知らない患者アドボカシー・グループの会員もいる。製薬企業は単に教育を援助したいだけなのだと思い込んでいる人もいる。

(中略)

製薬企業はスポンサーとなっていることを概ね隠している。ヘイスティングス・センター(生命倫理シンクタンクの一つ)のトーマス・マレー所長はこれを「倫理的に問題なのは、実際には製薬企業が患者アドボカシー・グループを作っているにもかかわらず、自発的な草の根の組織であるかのように見せかけている点である。こうした欺瞞が実に腹立たしい」と批判している。



がんの患者さんは身近にたくさんいる。その人達をみていると、がんの啓発活動が、患者さんや、そのご家族をのためになっているのかもよくわからない。


だから「もう、やらない」そう決めていた。


夫にそう言ったら、私の気持ちがよくわかるようだ。「そうだな」と頷いてくれた。


でも、同級生がその病になったときいたら、途端に心がグラグラ揺れる。今は落ち着いているといっても、波があるそうだ。体調が悪い時にはやっぱり感染症も心配だという。まだお子さんが小さいのに・・・。


二人の話を聞いた夫が私に教えてくれた。


病気になった同級生は、いろいろな方に助けてもらったそうだ。転職先の社長とか、取引先の人達など。困難に陥るたびに、誰かが手をさしのべてくれたそうだ。


そういえば、夫が私に言っていた。「余命一ヶ月の花嫁」が女性の心をつかんだのは、「恋愛」や「結婚」という若い女性があこがれる、もう一つのストーリーがあるからだよーーーー


同級生の場合は、『友情』や『家族の絆』『情けは人のためならず』など、やはり若い学生の心をつかむ、もう一つのストーリーがあるように思えた。今の学生は、私たち世代と違って子どもを持つことにとても関心がある。


彼は卒業した先輩だ。「一生懸命仕事をしていると、どこかでちゃんとみている人がいて、困った時には助けてくれる。友だちは大切だとか、先輩のために、と感染症の予防にも関心を持ってくれるかもしれないね」と私は言った。私にも苦労した経験があるから少しは彼の気持ちがわかる。お子さんがまだ小さいから、やはり心配だ。


よく考えてみれば、大学には病気や障害を抱えてがんばってい学生もいるし、卒業して、病気になってそれを乗り越えてがんばっている卒業生もいる。大きく広いことをやるよりも、まずは、身近な人のためにできることをしていったほうがいいのかもしれないね。


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脳腫瘍乗り越えたオリドラ1山崎福 プロ初勝利でチーム連敗止めた  スポニチアネックス 2015.6.5


2人にとって初勝利となったウイニングボール。それを手にしたオリックスの捕手・伊藤が「どうしますか?」と2人の顔を見渡した。すると、福良監督代行は「福也に」と指さした。


 5度目の挑戦でつかんだプロ初勝利。ドラフト1位ルーキーの山崎福は照れながら「2個ももらえてうれしいです」と笑った。実は2回にプロ初安打も記録。パ・リーグの投手では珍しく2つの記念球を手に入れた。


 森脇監督が成績不振の責任を取って2日に休養。チームは6連敗中と重苦しいムードの中でマウンドに上がった。「自分自身を追い込みすぎないように、ストライク先行でいきたい」と得意のカーブを駆使して、5回までは1安打無失点。6回に大島に2ランを浴びて降板したが「やっと1勝できてうれしい」と頬を緩めた。


 父・章弘さんは巨人、日本ハムで捕手として計12年間プレーした。山崎福も父の道を目指していたが、中学3年の時に「余命7、8年かもしれない」という脳腫瘍が見つかり、大手術を受けた。手術前日には、札幌ドームで当時日本ハム・ダルビッシュの完封劇を目に焼き付けた。野球をしていること自体が奇跡に近い。日大三から明大を経て、ドラフトで指名された後には、執刀医の沢村豊医師に「プロ野球選手になれました」とすぐに感謝の電話をかけた。両親だけでなく、報告をしたい人はたくさんいた。


 同じ病気に苦しんだ静岡県御殿場市の勝又祐輔君(13)も、そうだ。日大三時代から親交があり、3月29日のデビュー戦となった西武戦(西武プリンス)に招待したが、2回1/3を3失点KO。4月13日に2軍落ちしても、立ち上がれたのは周囲の存在があったから。森脇監督は「素晴らしいアスリートは、何度失敗しても、立ち上がる人のことだ」と声を掛けてくれた。全ての人への恩返しの勝利でもあった。


 現在も1年に1度は検査を受けているという山崎福。ロッカールームではチームメートから拍手を浴びた。「長かったです。でも、これからが大事」。プロ1勝は今後の長い野球人生の始まりでもある。


 ▼山崎福の母路子さん(所沢市の自宅でテレビ観戦)福也らしいテンポがありました。おめでとうとは言いますが、6回の本塁打は失投。ああいうのをなくさないと駄目ですね。


 ◆山崎 福也(やまさき・さちや)1992年(平4)9月9日、埼玉県出身の22歳。小2から野球を始め、向陽中では所沢中央シニアに所属。日大三では3年時にセンバツ準優勝。明大では1年秋にリーグ戦デビュー。通算20勝10敗、防御率2・20。14年ドラフト1位でオリックス入り。父・章弘さんは巨人、日本ハムで捕手として計12年間プレー。1メートル87、88キロ。左投げ左打ち。



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