2015/07/17

医療ジャーナリスト 伊藤隼也さんについて その1

先日、医療ジャーナリストの伊藤隼也さんの「認知症予防のための簡単レッスン20」が朝日新聞で紹介されていたから購入した。ざっと目を通していたら、これまでのことが頭に浮かんできた。伊藤さんに出会ってからのことだ。


久しぶりにブログを書こうと思いたった。


認知症予防のための簡単レッスン20 - 文藝春秋BOOKS

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いまや65歳以上の4人に1人、約800万人が認知症およびその予備軍とされ、患者数は激増している。ひとたび認知症となれば、本人は徘徊や失禁等で日常生活に大きな支障をきたすばかりか、介護する家族には金銭、精神、肉体面で多大な負担がのしかかります。


では、認知症にならないために、どうすればいいのでしょうか?


じつは食事や運動など日頃の生活習慣に気をつけるだけで、認知症リスクは劇的に減らせることがわかってきました。とくに有効なのは、有酸素運動と脳内記憶の喚起を組み合わせた「デュアルタスク」と呼ばれるトレーニングです。さらに、常識を覆す「脳にいい植物油、わるい植物油」もわかってきました。


本書は最新医学研究が発見した認知症予防のノウハウを凝縮して一挙公開。テストや図解も豊富で、見てすぐわかります。まさに認知症予防のバイブルです。



これから日本には認知症の患者さんが爆発的に増えるそうだ。この前、友人の医師が私に言っていた。彼は四国地方にある大学病院に勤務している。「だいたい僕の病院に、患者さんになってやってくるお年寄りは畑仕事をしていても、ほとんど歩いていません。万歩計をつけてもらうと、一日1000歩とか1500歩とかなんですよ。田舎よりも、東京のお年寄りのほうが歩いていると思います」。


運動生理学者の夫も隣で頷いていた。家にはスポーツクラブにおいてあるようなエアロバイクがある。私が買って欲しいとお願いして買ってもらったものだ。だから「エアロバイクでもあればいいのにね」と私が言ったら、「お年寄りの場合は単に体を動かすよりも、とにかく外に出ることが大事なんだ」と教えてくれた。


伊藤さんの本を読んで「お年寄りが外に出ないといけない」という理由がよくわかった。



●「認知症予防のための簡単レッスン20」と「うつを治したければ医者を疑え!」


ふと、伊藤さんがかいた「うつを治したければ医者を疑え!」のあとがきが頭に浮かんだ。伊藤さんがこうして認知症について熱心に取材されたのは、きっと亡くなったお父様のことを考えておられるからだろうと思ったからだ。


「うつを治したければ医者を疑え!」 あとがき 伊藤隼也


実は当初、『SAPIO』の大型連載で精神医療を取りあげることには逡巡がありました。


僕は94年に父親を亡くしました。老人性の抑うつ状態にあった父親は精神科を受診しました。父や母は必ず治ると信じていました。ところが、通院を重ねるごとに状態は悪くなり、そのまま死を迎えたのです。「気分が落ち込んでいる」と精神科を受診した結果、「死」に至るという現実がどうしても納得できませんでした。


そのことが発端となり、僕は医療ジャーナリストとして活動を始め、医療分野の問題点を多角的に取材するようになりました。


しかし精神医療の問題だけには、他分野に比べ、積極的に立ち入ることができませんでした。つらい過去に遺族として正面から向き合うことができなかったからです。


この本を世の中に出すことが出来たのは、取材に協力してくれた方々のおかげです。とくに被害者となったご本人やご家族が、つらい経験と対峙して過去を語ってくれたことで、本書は多くの体験談を折り込んで、精神医療の実態に迫ることが出来ました。


また、現在の精神医療に危機感を抱く現場の精神科医や研究者による情報提供・取材協力がなければ、本書の論旨は成り立ちませんでした。立ちはだかる多くの難題に僕と共に果敢に挑んでくれた取材班にも深く感謝いたします。


本書は、「これ以上、新たな被害者を生みだしてはならない」、「自分がしたつらい経験を他人に味合わせたくない」という、精神医療の関係者や体験者の強い思いが込められた書籍です。約20年前に父親を亡くしたぼくにとっても、医療ジャーナリストとしての責任を果たす、感慨深い一冊となりました。


社会は効率を際限まで求め、多様性を認めるゆとりを失っています。その結果個人にしわ寄せがいき、大きなストレスを抱えている人は少なくありません。本書に取りあげた悲劇は誰にでも起こり得ることです。私達は解決策を模索しなければなりません。


本書が生きづらさを抱える多くの人にとって、そして私達の社会にとって、深い闇を照らす一筋の光となることを切に願っています。


15年3月



●ご遺族の悲しみ 大きな岩のような悲しみはやがてポケットの中の小石に変わる


「うつを治したければ医者を疑え!」が世に出たきっかけを作ったのは、私かもしれない。私は私自身が、伊藤さんのような、(医療において)不幸な結果になられた方々を支援するための募金活動、「周産期医療の崩壊をくい止める会」の活動に関わってきた。だから、あとがきを読んだ時「よかった」と思った。


そして、あるご遺族に紹介していただいた「ラビット・ホール」という映画を思い出した。この映画のテーマは「グリーフケア(Grief care)」だ。私は遺族ではないから伊藤さんの悲しみや苦しみを想像するしかない。伊藤さんの歩んでこられた長い年月にも、同じような苦労があったのだろうと思う。





先月レセプトの開示請求をしたばかりだ。今までしようと思っても、なかなか勇気がなくて、実行にうつすまで3年という年月が必要だった。今でも開示請求をするには様々な困難がある。それでも私が医療機関にカルテやレセプトの開示請求ができるようになったのは、伊藤さんのような方々が活動してきたからだ。


でもーーーー


ネットで『伊藤隼也』と検索すると、これでもか、というほど沢山の悪口を目にする。根拠のない憶測も多いし噂話が真実のように書かれていたり。伊藤さんの人格を否定するような言葉も見当たる。


よく目にするのはこのような意見。



「父親が亡くなったのは医療事故だと裁判をしたけれど一審で負けた。だからその恨みから、煽るような批判記事ばかり書くようになった」


「医療不信を煽って儲けている」


「女優やモデルなど、女性の性を商品化するような写真をとっていたのに、いつのまにか医療ジャーナリストを名乗っている」



●伊藤さんに取材を受けた被害者の中で、伊藤さんを悪くいう人をきいたことがない


私は伊藤さんをよく知っているから、こういった書き込みを目にするたびに悲しい気持ちになる。


なぜなら「現場を取材しない」も「マトモな医師達から相手にされていない」も事実ではないからだ。私や夫の共通の知りあいの医師をはじめ、日本を代表するような名医とよばれる先生方と仲が良いことを知っている。


それに、伊藤さんに取材を受けた被害者の中で、伊藤さんを悪くいう人を私はきいたことがない。


伊藤さんが仕事をしておられる週刊誌やテレビは、ニュース性や特ダネ性を重視するので、よく取材対象とトラブルを起こす。被害者は覚悟して取材を受けるものの、出版社や局の事情で内容に制約を受けたり、掲載や放送が見送られることも度々ある。TV取材の場合は、放映された映像が被害者の意図とずれることも。にも関わらず、伊藤さんを悪くいう人はほとんどいないのだ。



私も言葉が少々キツいと思うことはある。けれどもそれは、悲惨な状況にある被害者を、素早く救済するためだと思っている。


でも、ふと立ち止まって考える。


伊藤さんご本人だけでなく、書き込みを目にするご家族は一体どんなお気持ちになるだろうか・・・


「認知症の予防レッスン」を手にとって、久しぶりにブログを更新しようと思ったのは、「うつを治したければ医者を疑え」のあとがきが浮かんだからだ。伊藤さんについて書いたら私もまた悪口を書かれるかもしれないけれど、それでもいいか・・・。


伊藤さんへの心ない書き込みは、そのまま私達被害者への差別や偏見へとつながっていくから。


(次回に続く)