2015/09/14

厚労省の『拠点病院事業』の問題点  終わりに

厚労省の『拠点病院事業』の問題点 その4 「『がん治療』日本はここまで遅れていた」 「緩和ケア」都道府県でこんなに違う!④ の続き


私が今回、医療ジャーナリストの伊藤隼也さんに、この文春に掲載された「がんの緩和ケア」の特集を引用させて欲しい、とお願いしたのは、2つ理由がある。


1つは、亡くなったがんで亡くなった、医師の友人の命日が近かったこと。
そしてもう1つは、我が国のがん医療をリードする立場にある、ある著名な先生が、「忌憚なきご意見を」と、おっしゃっておられる、ということをある方に教えていただいたから。その先生は、この国のがん医療の改革をひそかに目指しておられるのだそう。


「忌憚なきご意見」ということで、記事で紹介されていた患者さんやご家族のエピソードを知っていただきたいと思った。


厚労省の『拠点病院事業』の問題点 その4 「『がん治療』日本はここまで遅れていた」 「緩和ケア」都道府県でこんなに違う!③


(山梨県中央市の有床診療所「玉穂ふれあい診療所」の長田牧江看護師のお話)


山梨に連れて帰って、亡くなるまでの2週間、理恵さんは母、姉と診療所の露天風呂に入ったり、婚約者と花火を楽しんだり、その年頃の女性と変わらない生活を送ることができた。


「婚約指輪のサイズを何回も直してもらって。最後はピッタリのものをはめて、逝かれました」


この診療所ではルールらしいルールがない。患者たちは思いのまま過ごす。それはすなわち、思いのままに亡くなるということだ。亡くなる直前まで、ここで会社の定例会議を開いた60代の女性社長。「オレの最後は風呂だ、酒だ」と、看護師の付き添いのもおとで酒を飲んで入浴中に亡くなった料理人。自分が入る墓の前で亡くなった男性。診療所からスナックへ通った男性もいる。



私は診療所からスナックへ通った、という男性のエピソードを知って、がんで亡くなった祖父を思い出した。祖父も同じように大学病院をこっそり抜けだし、夜の街で飲んで叱られたことがあったからだ。それも、一度や二度じゃないようで、母が怒っていた・・・。


でも、それは病気じゃない人達の考えなのかもしれない。


なぜなら、私も瀕死の状態に陥ってはじめてわかった。病院という場所は、俗世から隔離されたような別世界だからだ。もう一度、昔のような生活に戻りたいなーーーー。


もう治療法がないのなら、スナックに飲みに出かけたっていいのかもしれない。病院の中に、「病院を抜け出していける!ご近所のスナック情報」というフリーペーパーがあってもいいのかもしれない。


しかし、厚労省をはじめ頭の固い偉い先生方は、こういう意見は即却下に決まっている。


厚労省が考える「拠点病院事業」や「均てん化」が上手くいかないのは、人はそれぞれだから、その一言に尽きると思う。そもそも、医師を頂点とする医療者の考える理想が、私達市民の理想とは限らないのだ。


しかし日本という国は、良くも悪くも劇的な変化をあまり好まない。だから改革を目指しておられる先生に私がお願いすることは2つ。


私の亡くなった友人のご両親のように、ご遺族が参加できる活動なり、場があったらいいな、ということ。そしてもう1つは、特定の患者さんや患者会の意見ではなく、できるだけ様々な人の意見をきいて欲しい。できればフィードバックがあって欲しいということ。その2つをお願いしたい。


すぐに改革はできないと思うから、せめて意見だけでも届いて欲しい。


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