2014/01/08

悲しみに寄り添うということ

こねこのななこちゃんが歌になりました。しばらく一番上に掲載します。

ちょっと ちがう(こねこ ななこ)

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東京新聞に掲載されたお母さんの言葉

「クラスのみんなも娘の急死がショックだったと思う。歌で心が癒やされるなら、うれしい」と母親は友だちのことをおもんぱかる。そのクラスメートたちも来春には小学校を卒業する。「それまでに、にしむらさんと一緒に歌える機会ができたら、親としてもうれしいですけど」と話している。


息子にななこちゃんの歌をきかせたらすぐに気に入って「わたしはみんなとちょっとちがう〜」と歌っていた。


東京新聞の記事を読んだ時、私は数年前に朝日新聞に掲載された「上智大生殺害事件」のその後をおった特集を思い出していた。ちょうど亡くなった方のために活動をはじめた時期だったので心に残っている。被害者のご家族は、お嬢さんの同級生とずっと交流を続けているとかかれていた。同級生の女性は娘のように接してくれるから心が癒やされるとあった。検索したら昨年の毎日新聞にも掲載されていた。


アレルギー事故で死亡したお友達の同級生も、お家に時々遊びに行くみたい。みんなでななこちゃんの歌を歌うそうだ。私にはその気持ちがよくわかる。外科医をしている友人が突然がんで亡くなった時、やっぱり同じように東北の実家まで行ってしまったからだ。悲しみを共有できるのはこの世でご遺族しかいないと思ったのだ。あの時、お母さんは私が訪ねた理由を一生懸命話したら、泣いてしまった。


私がカウンセリングや心のケアを受け入れられないのは、こうした人と人とのつながりとは違うからだ。


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忘れない:「未解決」を歩く 上智大生殺害事件 17年、今も大切な親友 毎日新聞 2013年09月07日 東京夕刊

 ◇やっと「穏やかな悲しみ」に

 1996年9月、東京都葛飾区の自宅で上智大4年の小林順子さん(当時21歳)が殺害された事件は未解決のまま、9日で17年。大学でいつも一緒だった2人の女性は、社会人になり結婚しても、順子さんの両親に会いに行く。2人にとって順子さんは今も大切な親友だ。【喜浦遊】

 昨年9月、順子さんが眠る文京区の寺の一角に笑い声が響いた。毎年の法要には友人ら約20人が参加する。墓参りを終えると両親を囲み、思い出話に花が咲いた。父賢二さん(67)は「生きていれば、順子もこんなにすてきなレディーになっていたのかも」と目を細める。

 「いい場だな」。いずれも東京都の会社員のユミさん(39)=仮名=とサエさん(38)=同=は思う。事件直後はそんな心境ではなかった。

 事件前日。順子さんは電話でユミさんに言った。

 「ユミが事故で死んだら、私はそのドライバーを許さない。胸ぐらつかんで『私のユミを返せ』って言う」

 深夜の長電話で感傷的になっていただけかもしれない。でも、翌日に事件を知ったユミさんはその言葉を反すうした。知っている全てを警察に話すと決め、四六時中、事件を思い出しては泣いた。

 サエさんは葬儀で花の手配をするなど慌ただしく過ごした。しかし、殺害の事実を受け入れることはできなかった。お骨を拾いながら号泣するユミさんの肩を抱いて励ましたという。「泣かなくていい。これは全部うそだから。おはなしだから」

 他の友人の気遣いにも反発した。

 友人に誘われて飲みに行くと、順子さんの席とお酒が用意されていることがあった。今なら、特に仲の良かった2人への配慮と理解できるが、当時は分からなかった。

 友人から「もっと私たちを頼って」と言われると、いら立った。「一体何をしてくれるの?」

   ◇   ◇

 2人は今年も法要に参加する。事件で高ぶった気持ちは年々、「穏やかな悲しみ」に変わっていった。「気持ちの変遷はうまく説明できない」とユミさんは言う。もう順子さんのことを常には考えない。それは自然なことだと思う。

 2年前に結婚したサエさんは昨年、夫と事件現場に行き、その足で小林家を訪ねた。初顔合わせを両親はとても喜んだという。

 交際中、写真の順子さんを夫に「紹介」したことがある。「こういう友達がいます」。過去形は、使わなかった。

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 ■ことば

 ◇上智大生殺害事件

 1996年9月9日午後4時半ごろ、東京都葛飾区柴又3の自宅で、上智大4年、小林順子さん(当時21歳)が首などを刃物で刺されて殺された。自宅はその後放火され、全焼した。情報提供は警視庁亀有署捜査本部(03・3607・9051)。

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