2015/11/09

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その2

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その1 の続き


●『その時』歴史が動いた 昭和48(1973年)3月20日 第一次水俣病訴訟で、患者側が勝訴した日


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松平定知アナウンサー

『その時』歴史が動いた、今日は、細川一という人物をご紹介しようと思います。細川一は、水俣病をはじめに発見したお医者さんでございます。


水俣病といいますのは、今日では『公害病の原点』とも言われていますけれども、日本の高度経済成長の時期に影で生まれた病でございます。


細川一という人物は、その水俣病を生み出した会社の付属病院の院長という立場でございました。要するに、現場の真っ只中にいたわけですね。彼は多くの患者さんと接します。その患者さん達の診察に当たる一方で、この水俣病の原因は何だったんだと研究し始める訳でございます。


やがて真実が明らかになってきた、そのことを会社側に報告いたします。しかし会社側は、それを隠蔽する動きをするわけですね。そして彼も、会社側の付属病院の院長ですから、彼も発言するのをやめる。


しかし、一人の人間にかえった場合、そのことが本当に正しかったのかと彼の葛藤が始まる訳でございます。


さあ、今日のその時は、昭和48(1973年)3月20日といたしました。これは第一次水俣病訴訟で、患者側が勝訴した日でございますが、この影には、非常に重要な、そして歴史を動かした細川の証言があった、といわているのでございますけれども、今日の番組はまず、水俣病が起こった、その時代背景から、話をおこしていきたいと思います。


●水俣病が発生した時代背景


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もはや戦後ではない経済白書が記した昭和31年、日本の都市部では経済発展がもたらした反映の喜びを享受しはじめていました。


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その豊かな暮らしを支えた一つが、重化学工業です。


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熊本県の最南端にある水俣市、当時、日本の経済発展を担っていた化学会社があります。


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新日本窒素肥料株式会社、のちのチッソです。


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チッソは主に、人々の生活に不可欠となっていたビニール製品の原料を生産していました。


続く


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