2015/11/09

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その3

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その2 の続き


●水俣市はチッソの企業城下町


当時の水俣市の人口、およそ5万人のうち、チッソに勤める人は、4千人いました。関連会社も含めると、市の就業人口のおよそ半分がチッソに関係していました。さらに水俣市の税収の半分以上がチッソからもたらされていました。水俣市は、まさにチッソの企業城下町でした。


●チッソ付属病院院長細川一医師 


当時、水俣市にあった唯一の総合病院も、チッソの付属病院でした。


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医師や従業員もチッソの社員で、その給料から社宅まですべて会社が面倒をみていました。


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院長は細川一54 歳。細川はチッソと関係のない患者も分け隔てなく、受け入れ、信頼をえていました。医師、細川の想いです。


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「院長室を造る費用があったら、診療室や病室を一つでも増やして欲しい」


続く


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