2015/11/11

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その6

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その5 の続き


● 水俣病の原因はチッソの工場排水ではないのか? 





●昭和31(1956)年11月 


半年後、漁師達がチッソに乗り込んできました。病気の原因は工場排水ではないかと疑う漁師達は、廃水をとめるよう、要求します。


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話し合いには、チッソ側の一員として、細川も同席していました。水俣病の原因について問われた時、細川は答えました。「原因は会社かもしれないし、違うかもしれない」


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話し合いが物別れに終わった後、幹部は細川に詰め寄ります。「『原因は会社かもしれないし』などと、会社が不利になるような不用意な発言は控えなければならない」細川はそう釘を刺されました。


●原因がわからぬまま、増え続ける患者


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その間にも患者は増え続けていました。細川の最初の報告からわずか8ヶ月の間に、54人の患者が確認され17人が亡くなっていました


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●昭和32(1957)年5月 細川率いる社内研究班が組織される


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細川は決意します。「私には医者としての天命がある。そのために原因究明に力を尽くすことは私の使命であり、工場が白か黒か見極めるのは、会社の医師としての責任だ」


昭和32年(1957年)5月、細川率いる社内研究班が組織されました。そこには、原因が工場排水でないとわかれば、会社は潔白だと証明できるという会社の意向もありました。しかしこのことは、会社の一員であり、医師でもある細川の葛藤のはじまりでもありました。


それは、水俣病第一次訴訟判決が下る16年前のことでした。


続く


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