2015/11/11

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その7

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その6 の続き


松平定知アナウンサー

ゲストの有馬澄雄さん(水俣病研究会 有馬澄雄氏)でいらっしゃいます。


有馬さんは水俣病研究会で、水俣病の社会的背景、歴史などを研究されています。今日ご紹介する細川一という人物は、非常に優秀で真面目な人柄だったということでございます。


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●細川一医師はチッソに感謝をしていた


有馬澄雄さん

会われた方にききますと、目がきらきらして患者さんからも非常によく信頼されているという、非常に心がきれいな先生だったということを、よくきいています。


それから細川先生ご自身は、自分の理想とする医療を実現するために努力するわけですけれども、それを全面的にチッソが支援するという関係で成り立っていました。


先生ご自身はチッソに感謝をしておられた、ということでございます。



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●チッソは日本の化学工業を牽引してきた会社


松平定知アナウンサー

当時の水俣市とチッソの関係ですけれども、非常に不即不離ということでございますね。


有馬澄雄さん

戦前から「技術のチッソ」ということで、日本の化学工業を牽引してきた会社ですよね。だから、日本の国益にマッチして、日本の経済発展を支えた、1つの会社ということですね。水俣市民はそれによって生活が安定しているというような関係にありました。


松平定知アナウンサー

企業城下町として、チッソがあるから市民達も生活できるという、こういう実態があったわけでございますが、こうした環境の中で会社の非を唱えるということは、かなり容易ならざることでございまして。細川一もそうでした。そういう会社の一員であるということで、細川が悩みはじめるのでございます。


続く


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