2015/11/16

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その14

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その13 の続き


●臨床尋問 





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昭和45(1970)年7月 4日、癌研究付属病院(東京)————


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弁護団は裁判長、弁護士がともに入院先の病室に赴き、尋問する臨床尋問を行うことを決めます。しかし細川の体調をかんがみて、病院側からは一度きりの尋問しか許可されませんでした。


この唯一の機会に細川の語る真実とは何か————


●チッソは水俣病の原因が有機水銀と認識しながら、工場排水を流していた


昭和45(1970)年7月 4日午前10時20分細川の臨床尋問がはじまります。細川は実験をはじめた時のことから淡々と話はじめました。


やがて弁護士は排水を与えて発病した猫400号実験について問います。
「発病してから先生、どうなさいましたか?」


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細川は答えました。
「びっくりしました。これはもう、水俣病じゃなかろうかと。これは報告すべきだと考えましたから私が行きました」


弁護士の問いは核心へと向かいます。
「そうしますと、技術部の方も、この猫400号については知っていらっしゃるわけでございますね」


細川は長い間言えなかった一言を口にします。
「ええ」


2時間に及ぶ臨床尋問が終わりました。


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そのわずか3ヶ月後、昭和45(1970)年10月13日細川は息を引き取りました。69歳でした。


●昭和48(1973)年3月 20日 患者側の勝訴


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そしてその時、昭和48(1973)年3月 20日、熊本地方裁判所にて判決が言い渡されます。「チッソは水俣病の原因が有機水銀と認識しながら、工場排水を流していたという過失責任がある」患者側の勝訴でした。


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裁判官は細川の証言について「400号の発症状況を報告するのは極めて自然であり細川に事実を曲げる必要性が毛頭ないこと。それが意味する重大性から細川の記憶違いはない」と断定していました。


水俣病と向き合ってきた細川が、最期にやっと語ることのできた真実。それが患者勝訴の決め手をなったのです。


続く


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