2015/11/19

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その16

その時歴史が動いた『わが会社に非あり ~水俣病と向き合った医師の葛藤~』その15 の続き


●今も続く患者の苦悩


第一次訴訟の勝訴から現在まで、患者達はチッソ、そして国や県を相手取り多くの裁判を争ってきました。


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しかし水俣病は今も新たな問題を生み続けています。


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国の認定基準でたとえ症状が出ていても、国が定めた2つ以上の症状を満たさなければ、水俣病とは認められません。そして国は、この認定基準を見直そうとはしていません。患者が増えるとチッソの補償額が膨大になり、補償制度そのものの存続が危うくなるからだと考えられています。病に苦しみながら、認定を請求している患者はおよそ6800人にのぼっています。


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水俣市では水俣病について多くの人に知ってもらいたいと、15年前に資料館が造られました。見学者は水俣病はなぜ起こったのか、なぜ、今のその問題が終わっていないのかを学んでいます。ここでは水俣病を背負って生きている患者や家族が、自らの体験を語っています。


●細川先生は本当の人間だった よう言わったったい


第一次訴訟の原告の一人、浜本二徳さんです。浜本さんは細川の証言の重みを今も感じています。


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「細川先生の証言がなかったら、患者は惨めだったと思います。細川先生は医師で人間なんですけれども、ああ、本当の人間だったね。よう言わったったい」


●細川一が残した言葉 「人命は生産より優先するということを、企業全体に要望する」


日本が経済成長という名の下に躍進していた時代、そこに生きた細川は孤独に水俣病と向き合ってきました。その末にたどり着いた言葉の直筆のメモがあります。


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「人命は生産より優先するということを、企業全体に要望する」


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〜完〜

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