2014/01/17

遺族の気持ちも様々

私が気になっているご遺族の報道があった。昨年、ご遺族の気持ちも様々だと思ったのはこのお母様がたびたび取り上げられていたからだ。


会社の対応にどこか満足できない場合、残されたご遺族はどうやってやりきれなさを伝えればいいんだろう。求めているのは「真実」であり「心のケア」や「寄り添う気持ち」というわけではないんだろうと思う。


私は、まわりの風景にまったく溶け込んでいない、人工的なプラントがあまり好きではなかった。砂漠の中に忽然とあらわれる光景はどこか異様じゃなかと思ってきた。


でも、たまに「砂漠の真ん中にあるプラントが好き」という理由で働きたいという学生もいると聞いたことがある。「海外の現場では子供の目が輝いている」という亡くなった息子さんの言葉にその話を思い出した。一度あのような過酷な現場で働くと、惹きつけられるものがあるのだろうか。


昔は好きな光景じゃなかったのに、ふとした瞬間に砂漠の中のプラントを思い出すことがある。どんなところで働いて会社を大きくしていったんだろう。もし平和だったら、私も行ってみたいな、と思う。


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アルジェリア人質事件1年:愛息の最期教えて 解明進まず、募る母の思い/横浜 2014年1月16日 神奈川新聞社

日本人10人が犠牲になったアルジェリア人質事件の発生から16日で1年がたつ。息子はなぜ死ななければならなかったのか-。派遣社員として日揮(横浜市西区)のプラント建設に当たっていた長男内藤文司郎さん=享年(44)=を失った母さよ子さん(70)=愛知県豊橋市=の時間は、止まったままだ。

 もしも、事件当日の予定だった帰国の出発がずれこまなければ。なぜ、日本人が襲撃に巻き込まれたのか。

 頭から離れない「もしも」と「なぜ」。思いはめぐり、決まって一つに集約される。

 「ブンは、何のために命を落としたんでしょうか」

 文司郎さんが使っていた部屋に置かれた仏壇の前、さよ子さんが声を震わせた。

 帰国したら、44回目の誕生日を祝って家族で温泉に行く予定だった。「楽しみにしてるよ」。事件5日前の昨年1月11日の電話が最後の会話になった。

 事件当日の朝、作業員用の食堂前で大柄な日本人が銃撃された。生存者の証言として日揮から聞いた。ガス田運営会社の一つ、ノルウェーのスタトイル社による報告書にも似た記述があった。

 それが息子かどうか定かではない。

 「世の中には知らない方が幸せなこともある。でも、これは違う。私は文司郎を撃った犯人だって知りたい。あの子だってそう。小さいころから『なんで、なんで』と口癖のように聞いてくる子だった。あやふやなことが嫌いだった」

 日揮からは頻繁に連絡がある。保険金のこと、一周忌のこと。「寄り添おうとはしてくれる。でも本当に必要なことは違う」。捜査に当たる神奈川県警からも「捜査中なので」と詳細は伝わってこない。混乱を極めた異国での事件の解明が容易でないことは理解していても、知りたい。

 なぜ息子が海外の現場を飛び回っていたのかなら分かる。東京の人材派遣会社に登録し、ドバイやアフガニスタンで道路や空港の建設に携わり、アルジェリアに行ったのも初めてではなかった。心配する母に言った。

 「日本だと工事は『うるさい』と邪険にされるけど、向こうでは、子どもたちが目をキラキラさせて『何ができるの』って集まってくる。『これができたら、すごい便利になるね』って喜んでくれるんだよ」

 在りし日の息子の記憶をたどり、気づくと自宅近くの線路に歩み寄っていた。そんなことが何度かあった。

 「私はいつでも、ブンちゃんのそばに行ってやりたいと思っている。それなのにできないんです」

 ふと考える。東日本大震災でわが子を失った親たちは、その現実にどう向き合ってきたのか、と。「1年がたつけど、私はまったく前に進めない。けれど文司郎は『お母さんは残っておって、事件が明らかになるまでは、こっちに来ないでいいよ』って言ってくれている。それが、あの子のためなんだと言い聞かせ、何とか暮らしています」



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