2016/10/26

<大川小訴訟>石巻市と県に14億円賠償命令 先生のいうことを信じてばかりじゃダメ! その2

(※ 2015/03/27に掲載した記事を、再掲載しています)

『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』 を読んでいる。


あのとき、大川小学校で何が起きたのかあのとき、大川小学校で何が起きたのか
(2012/10/24)
池上 正樹、加藤 順子 他

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プロローグを読むと意外なことに著者のお一人、池上正樹氏が取材をはじめたばかりの頃、この悲劇に対する印象はこうだったそうだ。


「学校の教師達も子どもを助けようとして一生懸命だっただろうし、裏山への避難は危険だったからやむを得ず三角地帯に向かったという話を聞いているから、これは想定外の事故であり、誰も責められないのではないか」



ダイヤモンド・オンラインの連載を読むまで私もそうだったし、今でも多くの方が同じように思っておられるのではないだろうか。


ダイヤモンド・オンライン 大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~


しかし、連載を読み進めていくうちに、私が思っていたことが事実と異なることを知る。行政や学校そして教育委員会、さらには文科省の対応も、どこか今の日本という国を象徴しているような気がしてならない。誰も責任をとらない、見て見ぬ振りし、問題を先送りしてしまうなどだ。


3月11日に息子が言っていた。隣のクラスの先生は、大川小学校のあった場所を訪ね、この悲劇の話を皆に話したそうだ。


少しばかり意地悪な気持ちで、息子に私はこう尋ねた。


「それじゃあ亡くなった子ども達はどこで津波に襲われたのか知っている?先生は何ていった?」


「逃げている途中に津波がきたから・・・一生懸命逃げたけれど助からなくて、先生も子ども達も大勢死んじゃったんだよ」


「私もはじめはそう思っていたけれど違うみたいだよ。大川小学校に津波が来るまでの1時間弱のうち、実際に逃げたのは何分ぐらいか先生は教えてくれた?」


「わからない」


「考えてみてよ」


「30分か40分」


「ほとんど逃げていないの。地震がおきて津波がくるまでの50分もの間、校庭にいたんだよ。『早く山に逃げよう』と、先生に言った子供もいたのに、『校庭の方が安全だから』と先生に言われ連れ戻されたという子どももいる。裏山は急で子どもでは登れないのかと思っていたら、大川小学校では、しいたけ栽培を裏山でしていたんだって」


息子は言葉を失っていた。


この日、私が息子に伝えたこと以下のことだ。


●逃げたのは津波が来る1分前

子ども達は50分間も校庭にいて、津波到達の1分前に避難を開始した。津波に襲われたのは校庭。


●子どもの証言 『早く山に逃げよう』と言った

助かった児童が「『先生、早く裏山に逃げよう』と言ったのに、先生に連れ戻された」と証言している。


●裏山でしいたけ栽培をしていた

『裏山は急斜面があって登れない』と私は思い込んでいた。しかし大川小学校の子ども達は2007年頃まで裏山でしいたけ栽培をしており、体育館裏の斜面なら、低学年でも登れることがわかっていた。


●スクールバスが待機していた

大川小学校にはスクールバスがあり、学校前の県道にはスクールバスが待機していた。


●校長先生の対応

校長先生は、皆が必死に捜索している時に、現場にほとんど来ていなかった。


●助かった先生は本当のことを言っていない

学校にいた教職員11人のうち、助かったのは男性教諭1人だけ。しかしその先生は、本当のことを証言していないと思う。

なぜなら、「(先生の言っていることは)違う」という住民の証言が複数あるし、もしも先生の証言が本当だったら、科学的に説明のできない事実が判明しているからだ。(先生が上着のポケットに入れていた携帯電話が、先生の証言通りに津波に巻き込まれて濡れていたら、メールを送ることはできないなど)

先生はおそらく、津波が来る直前に裏山に逃げていて、山の上から津波が学校に押し寄せるところをみていたと思われる。


●報告書には重要な事実が抜け落ちている

教育委員会や学校は、聞き取り調査を録音せずに行い、自分達に不利な内容の証言を報告書に記載しなかった。それどころかメモを破棄してしまった。「先生が山から学校を見ていた」のなら、これらの行政の不自然な行動に説明がつく。


●大川小学校だけが多くの犠牲者を出している

大川小学校のある釜谷地区はこれまで一度も津波が到達した記録がなく、ハザードマップの浸水域からも外されていた。そのため住民の中にも津波がくるとは考えていなかった方が大勢いたそうだ。だから、先生や市に危機意識がなかったとしても仕方がないかもしれない。

しかし、近隣の被災地の小学校では犠牲者が出ていないのに、大川小学校「だけ」が多くの犠牲者を出している。この事実は重い。


●訴えておられるご遺族の中には、教員がおられる

裁判で闘っておられる親御さんの中には教員がおられる。石巻市は都会と違い、何かとしがらみが多い地方都市だ。教員という立場で、学校や教育委員会を訴えるには、余程の理由があるのではないのか。



「なぜ時間があるにも関わらず、逃げられなかったのか」ーーーーーその疑問は本を読み進めるうちに次第に大きくなっていった。亡くなった方々のためにもその原因を明らかにするべきだと思う。それが教育であり、教育者の使命ではないのか。


これは本の冒頭にある、池上さんの言葉だ。


「不思議なことに学校管理下でこれだけ多くの犠牲者を出しながら、行政はその原因に目を向けることなく重く受け止めてきた形跡がない。主体となる学校や市教育委員会などの組織の責任の所在は総括も処分もないまま置き去りにされ、ずっと曖昧にされてきている。それどころか、本来速やかに情報を公表していかなければならない立場の責任を有するはずの当事者たちは、どこかふわふわ楽観的で他人事のように受け止めているとしか思えない」



「隣のクラスの先生は先生だから、学校や先生の悪いことは言わないのかな。


一人だけ助かった先生がいるんだけれど、その先生はどうやら本当のことを言っていないみたいなの。同じ町の人達が何人も、その先生が言っていることは『違う』と証言しているのよ。


教育委員会や市の人達に言わないよう、口止めされているのかもしれない。学校や、先生の責任にされたら困るとか、いろいろ事情があるのかもしれない。


その他にも、市の報告書に書いていることが事実と違う。メモなどの大切な記録が捨てられたりしているの。


でも、大川小学校だけが、学校で大勢の死者を出してしまっているんだよ。大きな地震だから『仕方がない』でいいのかな?


亡くなった子ども達は、本当のことを知って欲しいと思っているじゃない?本当は『早く山に逃げよう』と先生にお願いした子どもが何人かいたのに、大人が黙っていたら言っていないことにされる。先生だって、何人も亡くなってしまったから先生を責めているんじゃないと思う。


そうじゃなくて、本当のことを知ってもらわないと、もし自分だったら『悔しい』と思わない?」


『我が子の死に、意味を持たせて欲しい』と訴えておられるご遺族の気持ちが、私には痛いほど伝わってきた。


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大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは | 大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~ | ダイヤモンド・オンライン より引用


実際に、聞き取り記録や事故報告は、遺族側から、調査の矛盾点の指摘を受けて、変遷を繰り返している。
 

 市教委は、震災から1年以上にわたって、校庭から子どもたちが「避難をした」と説明していた。


 2011年6月4日の説明会では、“避難”開始時刻は、「午後3時25分頃」。それが、2012年1月22日説明会では「午後3時30分頃~」に変わり、1年後の2012年3月18日には「午後3時35分過ぎ」となった。


 遺族の追及によって、実際には避難と言えるような実態ではなく、津波に襲われる1分ほど前に「逃げ始めた」といったほうが正しかったことが分かったのだ。


 校庭から避難をしなかった理由については、裏山に倒木があったためとしていたが、それも「倒木があったと思われる」と、市教委は途中で説明を変えた。


 また、児童が教諭に向かって「山に逃げよう」と言っていたという児童たちの証言が、調書にはひとつもないのに、説明会での指導主事からの説明の中には出てくるという不審な点もある。


 さらに、重要な資料を、長期間公表しなかったという問題もあった。


 唯一生存したA教諭が保護者宛にメッセージを綴ったファックスを、市教委が公開したのは受け取ってから7ヵ月以上も経ってからだった。また、震災から5日後という直後の時期に、当時の柏葉校長から聞き取った被災状況の調書が存在することが、私たちの情報公開請求で分かったのは、震災から1年2ヵ月が過ぎた2012年5月18日だった。


 このように、震災直後に市教委が混乱していた、という理由だけでは説明がつかない重要事項が、疑問の残る形で公文書に残されてきたり、あるいは、ないとおかしいことが、なぜかなかったことにされてきたりした側面がある。



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