2014/02/14

小さく生まれた子供を社会でどう支えるか「その4」 産まれた日

小さく生まれたた子供を社会でどう支えるか「その3」 超低出生体重児の育児とは の続き

[産まれた時のこと]


ニューズウィーク日本版・新0歳からの教育 2001年4月1日
p.61 「小さな命を技術が救う」

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2002年7月だった。私は妊娠22週の時に、前置胎盤による出血で家の近くにある病院に入院していた。ついこの間、妊娠しているということがわかり喜んでいたら、出血・・・。


分娩予約をしようと訪れた病院で、「今すぐ入院しないとダメです!あなたみたいな人はね、私の勤務先の大学病院だったら、絶対安静なんですよ」」とはじめて会ったばかりの産婦人科の先生に怒られてしまった。看護師さんには「出血しているなら座って待ってなくていいのに!」と驚かれてしまった。


なんとか安静を保っていたものの二週間後の深夜再び出血してしまった。副院長先生が何時間も受け入れ先を探し、設立されたばかりの区内にある大きな病院に受け入れが決まった。副院長先生が誰よりも大喜びしていた。


救急搬送されたのは翌日のお昼過ぎだった。搬送先の病院までの通りは交通量のわりに道幅が狭く、いつも渋滞している。心細くて救急車の窓から通りを見た時にどこまでも続く車の長い列が見えた。私のために停車してくれているのだ。その中には、時間に追われ仕事をしなくてはいけないバスや宅配便、大型輸送車もあった。まさに命のリレーだ。私はあの光景を生涯忘れることはないだろう。


転院後も少量の出血は続いた。 転院して数日後、子宮口を縛る手術を予定していたが手術をはじめた途端、出血が止まらなくなり、そのまま緊急帝王切開手術となった。その病院が設立されてはじめての24週の緊急帝王切開手術ということで放送が入り手術室にはスタッフがどんどん集まってくる。


24週というのはマラソンでいえば折り返し地点だ。妹が差し入れたニューズウィーク日本版の特集には、「1000グラム以下の赤ちゃんは高度先端医療で救命できるようになった。しかし、予後はまだよくわからない。在胎24週あれば、深刻な障害を残さず順調に育つ可能性があるかもしれない」と書かれているだけだった。


お腹の子供はどうなるのだろう?私の人生もがらりと変わるかもしれない。私は『 命をつないでいただいたという感謝の気持ち』と、『 坂道を転がり落ちるように悪い方へ来てしまったという絶望感』と、二つの気持ちの間で激しく揺れた。


夫がつくっていたグラフ 息子の体重の記録
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その日の午後5時過ぎ、800グラムのほどの息子が産まれた。未熟児網膜症をはじめいくつも問題を抱えていたが、4ヶ月間ほどNICU(新生児集中治療室)に入院した後、なんとか退院となった。


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小さく生まれた子供を社会でどう支えるか「その5」 一人になった退院の日

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