2017/05/14

「早産・低出生体重児のより良い発達を支援するために」を読んで 「後遺症なき生存」への違和感

●超・極低出生体重児は、正期産児に比べ、顕著に発達予後が悪い

早産・低体重児の発達のムラは『発達障害』という考え方がどこからくるのか調べているうちに、ある報告書をみつけた。早産・低出生体重児の病態と障害の関係と、早期から適切な発達支援を行っていくための指標や課題についての研究報告だ。

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ベビーサイエンス ターゲット論文 「早産・低出生体重児のより良い発達を支援するために」

低出生体重 児の発達予後として、精神遅滞と脳性麻痺以外の発達障害も発生率が高いことがわかってきた。代表的 な発達障害には、広汎性発達障害(自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群)、注意欠陥/多動性障 害、学習障害などがある(発達障害の区分として、法令・行政上では発達障害支援法において知的障害 や脳性麻痺が除かれている)。超・極低出生体重児と正常体重で出生した新生児の注意欠陥/多動性障害、 学習障害の発生率をまとめたものを表2 [8-19]に示す。超・極低出生体重児は,正期産児に比べ,顕著 に発達予後が悪いことがわかる。また、NICUに入院した児に広汎性発達障害の発生率が高いこともわかってきている[20-22]。ただし、超・極低出生体重児と正期産児では、同じ発達障害でも行動上の特質や程度に違いがある可能性が高い[23]。

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●私の最終目標は子どもを自立させること

私はこの報告書を読んでいくつかの違和感を覚えた。真っ先に考えたのは「キャッチアップ」の捉え方だ。夫は教科書や論文などに記載されている年齢よりも、本当はもっと遅いだろうし、個人差も大きいだろうと言っていた。


私もそう思う。


そもそも今までだって、息子をもっと速く走らせようとすればできただろうし、勉強だって、できただろう。でもそうしなかったのは、子どもは親の所有物じゃないからだ。子どもはいつか親から自立しないといけない。だから「やらせてできる」じゃダメなんだと思ってきた


超低出生体重児には自然や人との触れ合い(社会経験)も大切なんだよ。私たちは息子が小さい頃あちこち出かけた。新田次郎さんの「八甲田山死の彷徨」を読んだのは、幼い頃からスキーをしていて、冬の寒さを知っているからだろう。


●私の孫は何度も自殺未遂を繰り返し、今は大学病院のベッドで眠ったまま…

私はこの報告書に限らず、超低出生体重児の長期予後に関する論文などを読むたびに、精神医療の被害者の勉強会に参加した時のことを思い出す。参加者の中に、お子さんのことで悩んでいる方が多いからだ。例えば、「中学受験をして有名校に進学したのに、引きこもりになってしまった。精神科にかかっても、薬が増えていくだけで、先が全くみえません」という親御さん。お子さんはご両親を恨んでいるそうで、会話が全くないという。また、お孫さんが何度も自殺未遂を繰り返し、ある大学病院の児童精神科で、昏睡状態という年配の男性の話には、会場が静まり返った。


超低出生体重児はメディアでは、「小さく産まれても大きく育つ」みたいに伝えられているけれど、実際はずいぶん違うみたい。こういう報告書を読んだ親が不安になり、子どもが追い詰められたらどうするんだろう!?もともと超低出生体重児は、虐待されやすいと指摘されているのに矛盾を感じる。


ただ(報告書を読んだ)私の率直な感想は「育てたことがない人たちの意見」だった。「じゃあ、どうすればいいのか」という解決策や子どもの自己決定権などにほとんど触れていないから。


●周産期医療では、子どもの人権についてきちんと議論されてきたのか

超低出生体重児の長期予後に関する大規模な調査をするなら、本当は不妊治療の有無だって取り込まないないといけないんだと思っている。ただ、周産期医療では高度生殖医療の議論などをみても、親の考えが優先されがち。子どもの人権については、これまできちんと議論されているとは思えなかった。中には産まれたお子さんに治療について教えない親御さんもいるようだけれど、これから遺伝子の時代になるといわれている。「子どもの知る権利」が認められるようになると、混乱するんじゃないかと思っている。


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2011年2月9日 第2回小児がん専門委員会議事録 【参考人意見聴取】2 医療における子どもの権利等について 増子参考人のご発言を一部引用

(※ 増子孝徳氏は日弁連の人権擁護委員会の医療部会に所属し、人権擁護活動をしていらした弁護士で、尚かつ、お子さんが小児がんの経験者だそうです)

増子参考人

医療における子供の権利もしくは人権ということで、あえて申し上げなければならないのには一つ理由がございまして。皆さん患者の権利とかあるいは子供の権利というふうに切り分けますと、それぞれきちっとした専門家といいますか、日ごろ活動している方がたくさんいらしていろいろな主張がなされているわけでございます。


しかしながら、これが子供さんであるということになりますとちょっと状況が変わってくると。それはなぜかといいますと、まず患者の権利といいますのはいろいろありますけれども、メインはやはり自己決定権を中心としたものでございます。ところが、子供であるからというようなことが理由となって、説明もいいかげんであったり、ましてやご本人さんの決定を得るというふうなことがなかなかなされないという傾向がございます。


それから、子供ということですと、ご案内のように子どもの権利条約ものがありまして、成長発達権を中心としたもろもろの子供の権利というものが定めされておりますけれども。再三指摘されているように、入院中であるから、あるいは患者なんだから、病気なんだからということでいろいろな制約があるわけでございます。


そういった中で、遊びへの参加ですとか、教育への参加というものが顕著に制限されていると言っていいかと思います。こういったことはしばしば問題として指摘されながらも、これが人権であるという認識にまでなかなか至らないものですから、ついつい後退していくという傾向があろうかと思います。


そこで、この二つをきちんと見据えて、医療を受ける子供、つまり患者でありかつ子供であるという、こういう二重に弱い立場に着目をして、医療における子供の人権もしくは権利という考え方をきちっと認識する必要があるだろうというふうに思っております。

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●「かもしれない」で、人生が大きく変わってしまう可能性がある 

また『発達障害』に関しても疑問が残る。超低出生体重児を救命するのは、自然の摂理に逆らうことでもある。脳になんらかの影響が出るだろうということまでは理解できる。でもその先がよくわからない。子ども達の発達がゆっくりなことを、「いわゆる診断名のつかない超・極低出生体重児」「同じ発達障害でも 早産・低出生体重児は正期産児と行動上の特質や程度に違いを持っている可能性が高いため」と結論付けようとする理由だ。発達がゆっくりで勉強ができないと、なんだかこれからは「発達障害」になってしまうみたい。


専門家が想定している支援とは、特別支援学級や特別支援学校での教育かもしれないけれど、超低出生体重児が必ずしも適切な教育が受けられるとは限らない。まだ実態が解明されていないのに、「かもしれない」で決めてしまうと、子どもの人生を変えてしまう大きく可能性があるよね。先ほどの増子弁護士がおっしゃっていた子どもの権利条約の「成長発達権」が阻害されてしまうんじゃない?私は24週以下の子ども達の中に、時間をかけて教育すれば、伸びていく子どもが、専門家が考える以上にいるんじゃないかと思っているけれど。。



●早期介入・早期支援にも弊害がある

最近、ある研究者が私に言っていた。「私のところに発達障害だという学生がきた。小さい頃から親御さんが熱心で、訓練や療育を受けてきたそうだ。でも、なんだかマニュアルに書いてあることをそのまま受け答えるするような感じで、コミュニケーションがぎこちない。結局、就職はできなかった。あの学生をみていると、今の支援がいいのかよくわからない」





専門家といわれる人たちの報告書を読むといつも思う。物事には、光があれば影もある。早期介入と支援の弊害に目を向けようとしないのはなぜなんだろう。


●「後遺症なき生存」は、形を変えた優生学のよう

この報告書を読んだ感想を一言でまとめると、「日本の周産期医療は一度立ち止まって、考えたほうがいいんじゃないか」だった。周産期医療が目指してきた「後遺症なき生存」が、なんだか形を変えた優生学のように思えてしまったからだ。

コメント

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息子が退院してきて忙しい日々を送っています。
毎日、ネットの未熟児の報告書や発達障がいのページを見ながら、息子の成長と比較してしまいます。
期待と不安…、悩み続ける育児は精神的な負担となっています。

病院の関係者は、子どもの入院における
発達や成長への影響はないと言うけれど、
私は絶対そんなことないと思うのです。
NICUから退院して1年間と少しになりますが、入院ばかりで半年程しか自宅で過ごしていないのです。
健常児でも環境の変化の影響を受けると思われるのに、入院して身体的拘束をされる子どもが影響なく育つのか?

毎日不安で、誰を頼りにすべきかも分からず
ただ自分で調べて自分が信用できると感じたことを実践しています。
以前sakuraさんのおっしゃっていた通り、
諦めかけていた時に、子どもが急にぐんと成長する時があるのを感じました。
諦めず、前に進む…それしかないと思いました。

息子が発達障がいと正直診断されたくない気持ちはあります。診断されてしまうと、発達障がいなら仕方ないと諦めた気持ちになりたくないのです。
息子の発達を見ながら、教えることに必死になってしまいます。それはやってはいけないと分かっているけれど…。

ごく最近、気付いたのは、息子が積極性が低いということです。自分がやりたい!みたいな気持ちが低いために、出来ない部分もあることを気付きました。やってみたら出来るんだよ!を示すために、大人のやることを一緒に手を取って、いろいろやってみたりしました。
すると、こちらに関心を向けることが増え、自分がやりたいと手を伸ばす頻度が増えたのです。

日々アセスメントし、PDCAをまわすような気分です。
教えずとも育った上の子とは違い、下の子に関しては何がこの子に足りないのか?を考えます。
入院生活で遅れをとるのは仕方ないけれど、それを自宅にいる短期間で伸ばすのは、なんだかプレッシャーにも感じます。
また入院してしまう前に、これは出来るようになって欲しい…と必死になります。必死になり、またイライラしたりして、本当に気持ちに余裕はありません。

sakuraさんのように、私も
息子を自立させ、社会に出ていけるよう立派に育てていかなければ…!と毎日思います。

Re: タイトルなし

コメントをありがとうございます。

やっぱり上のお子さんとは違いますか?上のお子さんが一番の刺激になると思います。もう少し大きくなったら、お菓子の取り合いをしたりして、お子さんは分数などを覚えるようになるんじゃないのかな?私の息子は一人っ子なので、羨ましいです。時計などがわかるようになるのも息子よりも早いかもしれませんね。もう少し大きくなったら、上のお子さんにお願いして、意識して働きかけてもらってもいいかもしれません。(例えば、「3時になったら、このケーキを半分にして食べようね」と約束する、など)

私も、報告書に書いてあることの半分は真実だと思います。ただ、発達の遅れがどこからくるのか詳細なデータがないのに、「発達障害」にしてしまうことに違和感を覚えます。

なんだかそうしたいみたいですね。

「発達障害」にしようという流れは、専門家の危機意識の表れのような気もするんです。未熟児がたくさん救命されて親は皆、悩んでいる。まじかでみていて何かしようと思うけれど、どうしていいかわからない。

それで「(よくわからないけれど)発達障害にてみましょうか」ということなのかな、と思いました。

実は、友人の小児科医がある時、私に教えてくれたことがあるんです。私も知っていた著名な医師についてです。「内緒だけれど、●先生は、うつ病になったんだよ」

私は聞いて、ビックリしましたが、納得しました。

なので、救命している医師も、悩んでいるんじゃないかと思います。

ただ、すべての遅れを発達障害にするのは、私は時期尚早だと思うし、発達の遅れが顕著な小学校の低学年までは、学校に行かない日を認めてもらって、家庭学習をさせてもらうなどの工夫をすれば、いろいろな面で負担が軽減できるんじゃないかと思ってきました。

今は数学の勉強をみていても、できることがどんどん増えていくんです。「負担を軽減したほうがいい」と提言する専門家は私の知る限りいませんでした。それはたぶん医療者が中心となって、未熟児の教育問題を考えてしまうから。教育の専門家がいないからじゃないかと思いました。

息子は、そういう方法で伸ばしてきました。専門家のいうことは、もう、あまり当てはまらなくなりました。

まあ、それでも専門家は「今までにない『発達障害』」だというのかもしれませんが。

ただ、教育面で工夫もせずに、「同じ発達障害でも行動上の特質や程度に違いがある可能性が高い」というまとめ方は、本当に子どものためになるのか、正直「なんだそれは」と思っています。