2017/05/23

超低出生体重児の退院後の支援と訴訟リスク 『医療観察法国賠訴訟 傍聴のお願い』を読んで

●「医療的な治療の可能性がないのに」精神科病院に収容された?


明日、24日、東京地裁で「医療観察法国賠訴訟」が行われるそうだ。

◇  ◇  ◇
医療観察法国賠訴訟 傍聴のお願い 医療扶助・人権ネットワーク 
2017-5-23-1.png
◇  ◇  ◇

超低出生体重児を育てている親としては大変興味深い裁判だ。


なぜなら原告は精神遅滞と広汎性発達障害という診断を受けている方で、「医療的な治療の可能性がないのに」精神科病院に収容されたと国家賠償請求しているからだ。


●超低出生体重児の退院後の支援と訴訟リスク

周産期医療に関わる医療者はよく考えたほうがいいと思う。


超出生体重児の発達のムラを「発達障害」だとする捉え方が主流になるとしたら、私は将来、裁判も増えていくんじゃないかと思っている。子どもに自己決定権があるように思えないし。


ためしに、私の考えをどう思うか知り合いに尋ねたら、「そうだよね」と皆頷いていた。中には「日曜日にNHKが放送した『発達障害~解明される未知の世界~』で言っていたことの方が正しいよ」と教えてくれる人まで。


NHKスペシャルの「発達障害」特集に反響「すごく共感できた」 2017年5月22日 17時30分 livedoorニュース


専門家の報告書には、24週以下の子供たちは、予後が悪いというようなことが書かれているけれど、発達検診からドロップアウトした子ども達の中には上手く成長したお子さんもいるでしょう?それこそ不妊治療の有無から調査し、大規模で正確な数字を出さないとなんともいえないよ。


●まるで『宗教』のよう

息子に限っていえば、発達検診医の「早期発見・早期介入」というはじめに「介入」ありきの考え方は間違いだと思う。なぜなら、まだどうなるかわからないのに、いつも遅れを指摘したら、不安をかきたてるだけし、早期に訓練すればいいというものでもなかったからだ。夫が主張してきたように、「子どもにはそれぞれタイミングがあり、適切な時期まで待たないといけない」が正しいだろう。


超出生体重児の発達のムラを「発達障害」だとすると、息子のような子どもも「発達障害」になるんだろう。でもそれは本当に良いことなの?チェックリストをみても息子に当てはまる項目はほとんどないのに、「診断のつかない発達障害もあるんです」って、なんだそれ!?という感じ。「(子どもと親が)生活がしづらい、育てづらいと感じるなら『発達障害』」ということになると、これはもう『宗教』というしかない!


私が国立成育医療研究センターに手紙を送った理由 

「早産・低出生体重児のより良い発達を支援するために」を読んで 「後遺症なき生存」への違和感


●精神医療の被害者のために登壇する児童精神科医や臨床心理士

私はそういう考えにはついていけないけれど、それでもすすめていくというのなら、将来、訴えられるリスクは覚悟したほうがいいと思う。


なぜならこの裁判に限らず、精神医療の被害を訴える方は増えているからだ。各地で行われる支援団体が主催する勉強会はどこも盛況だ。それも数年前までは、被害者と支援者だけだったが、最近は精神科医も普通に参加するようになった。つまり支援者自身も、今までの支援に疑問を持って声を上げ始めているのだ。

◇  ◇  ◇
公認心理師は「発達障害」をどこに導くか 公開 · 主催者: 臨床心理学déconstruction

2017-5-23-2.png
◆パネリスト(50音順)
門眞一郎さん (児童精神科医)
酒木 保さん (臨床心理士・宇部フロンティア大学)
高木俊介さん (精神科医・ACT-K)
中川 聡さん (全国オルタナティブ協議会)

◆発題要旨
門 眞一郎  (児童精神科医・京都市児童福祉センター)
「 発達障害における薬物療法の位置」
 発達障害に対する薬物療法の位置は、「障害」を医学モデルで考えるか社会モデルで考えるかで大いに違ってくる。
 発達障害は、「生まれつき脳の一部の機能に障害がある」という表現がよくされる(e.g.厚労省ホームページ)が、それは医学モデルによる考え方である。
 社会モデルで考えれば、いわゆる発達障害とは、生まれつき多数派とは異なる脳機能のタイプ(脳の情報処理の仕方)が、環境(社会)との関係の中で生じる事態であり、社会的障壁のために、日常生活又は社会生活に制限を受けている状態と考えられる。つまり、社会の側の対応次第で「障害」になったり、「個性(特性)」にどどまったりする。そのことを説明するために、自閉(症)スペクトラムのダイナミック氷山モデルを提案する。
◇  ◇  ◇


●超低出生体重児は、社会にもまれて成長する それは本当に子どもの障害なのか?

被害を訴える当事者の中には「親に精神科に連れていかれた」という人たちが少なくなかった。そういう人たちが必ず口にするのは「親は僕(私)を病気や障害だと決めつけていたけれど、悪いのは親のほうだ」だ。


このブログを読んでくださっている方の中には、私と同じような未熟児の親御さんもいることだろう。我が子は「発達障害なのか」と悩んでいて見つけてくれたのかもしれない。


私は息子のような未熟児(医療的なケアを日常的に必要としない)は、医療的な支援から、徐々に社会的な支援へと移していくべきだと考え、実行してきた。


未熟児に限らず、子どもは社会的な経験を重ねて成長していく。でも、ある日突然未熟児の親になると、頭でわかっていても不安で一杯の毎日で、視野がどうしても狭くなってしまう。


私は未熟児の成長とは、例えるならこのブログのような感じだと思う。


私のブログは「超低出生体重児」の関連ワードで検索すると、上位に表示される。でもそれはたまたまそうなっただけで、はじめから狙って書いていたわけじゃない。


私がブログをはじめたのは出産後、10年以上経ってからだった。「超低出生体重児」が産まれて数年間は、育児に悩んでいたため私の関心は周産期医療にあった。もし出産直後からブログをはじめていたら、育児ブログだっただろう。


しかし息子の成長とともに、私の視野も広がっていった。そのためブログの話題は医療以外のことが多い。(例えば「八甲田山 雪中行軍遭難資料館」「一畑電車 京王線」「アルジェリア人質事件」「唐茄子屋政談」など)


つまり、「超低出生体重児」について書いた過去の記事は、長い時間をかけ上位に表示されるようになったのだ。それこそ、「八甲田山の雪中行軍遭難資料館」「アルジェリア人質事件」に興味を持った方々がアクセスして下さったおかげで、上位に表示されているのかもしれない。


未熟児の発達だって同じだと思う。「これをしたから」というものではなく、たくさんの社会経験を通してじょじょに成長していくんじゃないのかな?私はそう考えているから、医療や医療者にいつまでも頼らず、あるところから自立していくべきなんだと思っている。


というわけで、私は友人の医師が私に言ったように「障害にするのは、最後の手段にすべき」という考え方を支持したい。

コメント

非公開コメント