2014/02/26

私と水俣病 罪悪感を抱えて生きていくということ

今日は子宮けいがんワクチンの副反応を検討する会議がある。先日の報道ステーションでは、原因はよくわからないが脳に何らかの影響があるかもしれないと伝えていた。昨年の12月25日の信濃毎日では「末梢交換神経に異常か」とあったが。


報道ステーション "子宮頸がんワクチン 復活か" とじさん @toji_ による TV 画面 キャプチャ。 togetterまとめ


sivadさんがツイッターで紹介していた津田敏秀氏の『医学者は公害事件で何をしてきたのか』をたまたま読んで苦い記憶が蘇ってきた。水俣病について書かれている。それも新潟での第二水俣病へと拡大しつつある当時の様子だ。この本は今は絶版になっているようだ。残念だな。



医学者は公害事件で何をしてきたのか医学者は公害事件で何をしてきたのか
(2004/06/29)
津田 敏秀

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水俣病における感覚障害が、末梢神経障害でなく中枢神経の障害に由来すると認めてしまうと、被害が甚大で国も昭和電工も困るから認めるわけにはいけない、ということが書いてある。そういう理由で第二水俣病を食い止められなかったとは知らなかった。


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第第二水俣病 wikipediaから一部引用

第二水俣病(だいにみなまたびょう)とは、昭和電工の廃液によって引き起こされた、1965年(昭和40年)に確認された四大公害病のひとつ。熊本県の水俣病と同様の症状が確認されたためにこの名がある。新潟県阿賀野川下流域で患者が発生した事から「新潟水俣病」や「阿賀野川有機水銀中毒」とも呼ばれる。


四大公害では最も発生は遅かったが、訴訟は最も早く提起された。その後、未認定患者による第二次訴訟、2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決を受けて2007年に提起された第三次訴訟と、主なものだけで3つの裁判が起こされている。


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小学校の国語の教科書には、わが子が水俣病で苦しむ母親の詩が掲載されていた。妊娠中、有機水銀化合物で汚染されているとは知らず「お腹の子どものため」と桜エビをせっせと食べていたそうだ。出産後も母乳が良く出るからと。「どうして私はあの時」と、後悔しても仕切れない苦しさを表現しているのだ。確か、「喉をチロチロならし」というような独特な言い回しがあったはず。


学校の先生は国やチッソをことさら非難するようなことは言わなかったが、「国やチッソは何てひどいことをしているんだ」と教室の誰もが思っただろう。私もその一人だった。


チッソの弁護士と親しく仕事をしてきたことを聞かされた時、目の前が本当に真っ暗になった。チッソだけでなく昭和電工ともつながっているんだろうか。これが私を苦しめてきた重い十字架だった。娘が「悪いことをしている」と思い込むのも無理はないと思うのだ。


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鈴木竹雄 wikipediaから一部引用

日本の商法学者。東京大学名誉教授。

家族・親族

鈴木商店(現味の素)第2代社長の鈴木忠治の三男。鈴木商店創業者の2代目鈴木三郎助は伯父。

妻は子爵の井上勝純の娘。兄に三楽オーシャン(現メルシャン)社長・会長を務めた鈴木三千代や、工学博士で昭和電線電纜会長を務めた鈴木松雄。

弟に通商産業省重工業局長等や日揮会長を務めた鈴木義雄や、経済同友会副代表幹事や昭和電工社長・会長を務めた鈴木治雄、三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現・三菱自動車工業)社長を務めた鈴木正雄、大蔵省国際金融局長や国際通貨基金理事等を務めた鈴木秀雄がいる。

娘は日本放送協会報道局長やパリ日本文化会館初代館長等を務めた磯村尚徳の妻。慶應義塾大学法学部教授の鈴木千佳子は娘。


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私が亡くなった方のために何かしたいと思ったのは、瀕死の状態から救命された、ということだけが理由ではない。本当は出産した日、手術室の中で私は天罰が下ったと思った。「人生ってよくできているんだなぁ。やっぱり神様はよく見ているんだ」と思ったのだ。


夫は私が無謀なことにチャレンジしようとした時、とめなかった。罪悪感を感じるのは当たり前だと、応援してくれた。たぶん友人の医師もそうなんだろうと思っている。


私のためにコラムを書いてくれたある新聞社の元論説委員も、私が罪悪感を持っていることがよくわかるから書いてくれたんだろう。「日本の不幸は失敗が前提の世の中でないことだ」と教えてくれた。


科学には失敗がつきものなのに、学校教育などではなぜか楽しさばかり教える。日本の科学教育のこのような姿勢はおかしいのではないかと思っていたそうだ。その通りだと思った。はやぶさが帰還した時、ノーベル賞をとった時だけ国民は大騒ぎするように思うからだ。ネズミの実験が成功しただけで、すぐに人に応用できるかのように報道するマスメディア。


そのかげで、振り落とされていく科学者がどれだけいるか。やりたい研究があっても、研究費など簡単に獲得できない。それでも目指したいと思う人だけが到達できるのだ。失敗があるのが当たり前なのに安心・安全ばかり伝えていけば、事故を想定した訓練などできないだろう。


いざ事故が起きた時に世論の猛反発を受けるのも当たり前だ。猛反発されることがわかるから企業や役所も、不祥事が起きた時に隠蔽しようとするのではないだろうか。そもそも安心・安全を求めリスクを引き受けようとしてこなった私達市民にも問題がないだろうか。私もお願いばかりしてきたような気がする。


こうして「どうしてこんなことになるんですか」と疑問を直接ぶつけられるようになったのだ。だから、罪悪感を持つこと事態悪いことではない。罪悪感をプラスの方向に変えていけばいいのだ。


子宮頸がんワクチンのキャンペーンがはじまった時、きっと今に同じことが起きると思った。「人の善意や、やり切れない気持ちを、薬やワクチンの普及に利用しないで下さい」と喧嘩になってしまった。


ある報道関係者が、推進してきた中心的な立場の先生がとても後悔しているということを私に教えて下さった。その方は私が心を痛めていることを知って、わざわざ電話をかけてきてくれたのだ。「嫌いになったらだめだよ」と言っていた。


弁護士に「利益相反を徹底してからものを言え」と言われたら何も言い返せないだろう。少なくとも私が娘だったら罪悪感を感じるだろう。もちろん報道の仕方、批判する側にだって責任はあるだろう。それでもやっぱり私はお金を受け取ることはよくないと思うのだ。


父はお金を受け取ることにはとても慎重だった。それがどうしてなのか今になってよくわかるのだ。きっと、自分の会社の技術に誇りを持っていたからだろう。


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『医学者は公害事件で何をしてきたのか』津田敏秀 p107

クリスチャンである椿氏は、冒頭に引用したように「神に誓って」とまで言いながら、新潟では、新潟水俣病の斉藤恒医師と次のような会話をかわしている。(『 新潟水俣病』斉藤恒著、毎日新聞社)。


汚染の事実がはっきりして、四肢の感覚障害があれば認定しても良いのではないか、と言う私の質問に対し、椿教授は、「斉藤君、君のいうことはわかる、それは今まで認定されているよりもっとピラミッドの底辺まで認定しろということだろう。しかし、そうなったら昭和電工や国はやっていけるだろうか?」といわれた。


私は驚いて、「椿先生ともあろう人からそんな言葉を聞くとは思わなかった。それは政治的に医学を歪めることではないですか」と言うと、椿教授は「でもねー」と言って黙ってしまった。


この会話は『 ジュリスト』という法律雑誌において「神に誓って」とまで主張したことが、本音と異なることを示している。椿氏は新潟大学医学部教授から東京都老人総合センター院長になるが、その後体調を崩し、水俣病事件の学者の主役は井形氏のみになっていく。この「交代」の背景には、椿氏が水俣病における感覚障害が、末梢神経障害でなく中枢神経の障害に由来するということを主張しはじめていた関係もあるかもしれない。感覚障害が中枢神経由来のものとなれば、昭和五二年判断条件やこれまでの「認定作業」の全面的見直しにつながりかねない恐れもあったからだ。


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ワクチンというものは、このようなキャンペーンをよしとするものなのか。ワクチンが次々開発されているが、そのたびに同じようなキャンペーンを繰り返すのだろうか。何が被害者やご家族、支援する方々を本気にさせたのか。怒りに火をつけたのか。おしすすめた方々は振り返るべきだろう。


そして、被害者のお嬢さん達が「産まれてきてよかった」と思えるようにするのだって、すすめた方々の責任ではないだろうか。


この前、集会に参加したのは、どうすれば泣いている女の子達が、少しでも笑ってくれるようになるか考えるためだ。彼女達が「産まれてきてよかった」と思えるにはどうすればいいのか、私に何ができるのかを考えていこうと思っている。


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絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート  第62回 「子宮頸がんワクチンを考える 第2回 その費用は誰が負担すべきか」配信日:2010-07-28 より一部抜粋

(略)

【予防接種法の改正は要注目 子宮頸がんワクチンが目玉】

私が注目しているのは予防接種法の改正で、論点は子宮頸がん予防ワクチンの取り扱いです。


6月16日の配信で、このワクチンが医学研究の画期的産物であることを紹介しました。長期成績や副作用の詳細については、今後の検証が必要ですが、既に100カ国以上が承認し、多くの専門家が期待を寄せています。


子宮頸がん予防ワクチンの普及を阻害しているのは、5万円程度を要する高額な接種費用です。この費用を誰が負担すべきか、決着がついていません。


私個人としては、命に直結する医療行為は公費で負担すべきであり、子どもを対象とする予防接種の優先順位は高いと考えています。


子宮頸がん予防ワクチン接種の公費助成推進委員会】


この議論に大きな影響を与えたのが、「子宮頸がん予防ワクチン接種の公費助成推進委員会」です。昨年から議論をはじめ、様々な活動を行っています。共同代表は、女優で子宮頸がん経験者の仁科亜季子さんと、国立がんセンター中央病院院長(当時、現癌研究会顧問)の土屋了介医師です。


(略)

この会は、ワクチン接種費用の公費助成を国に求めるための署名活動を展開し、7月21日に厚労大臣に5万2千筆あまりの署名を届けました。署名の数としては多くはありませんが、国民へ与えた影響力は絶大なものがありました。


【どうやったら国民に伝わるか:仁科明子さんの場合】


その理由は、共同代表の仁科亜季子さん、土屋了介医師が世論形成との仕組みを熟知し、上手くリードしたからです。


まず、仁科亜季子さんです。彼女は1972年にデビューした往年のお嬢様女優です。1970年代、多くの映画で活躍しました。例えば、1977年に公開されヒットした『悪魔の手鞠唄』ではヒロインの大空ゆかり役を演じています。しかしながら、1979年に結婚後、芸能界を引退。1991年に子宮頸がんを発症し、克服しました。その後、1999年に芸能界に復帰しましたが、往年の人気を回復するには至りませんでした。


仁科さんは、今回のキャンペーンを通じ、患者の立場を貫きました。世論に最大の影響力があるのはマスメディアです。社会の木鐸と自称するマスメディアは、弱者の視点から勧善懲悪で単純なストーリーを作ることを好みます。言わば「水戸黄門」の世界です。もっとも、単純化しなければ売れないわけで、これはメディアだけの責任ではありません。今回、仁科さんは患者という弱者を演じることで、メディアの好む絵を作りました。


彼女の凄いところは、今回のキャンペーンを活かして、女優として復活したことです。例えば、新聞への露出が大幅に増えました。2008年まで、大手新聞五紙に彼女の名前が掲載されるのは毎年10回程度で、子宮がん関係は2回くらいでした。露出に変化が生じたのは、子宮頸がん予防ワクチンが発売された2009年です。13の記事に掲載され、12ががん関係でした。2010年は約半年間で26回の記事があり、15回ががん関係です。毎週、何らかの記事が出ていることになります。また、2010年に入り、がんに関する記事も、それ以外の記事も大幅に増えています。


仁科さんは、子宮頸がんを梃子に飛躍した女優とみなすことが可能です。近いうち、仁科亜季子さん主演のドラマや映画が出来るかもしれません。


【女優たちが続いた】

今回のキャンペーンで目立ったのは、彼女のフォロワーが出現したことです。例えば、歌手の森昌子さんは、6月18日の産経新聞で闘病体験を語りました。22日には朝日新聞で女優の洞口依子さんが続きます。お二人とも、自分自身の経験をさらけだし、一般人のとは迫力が違いました。流石、歌手・女優です。


そして、もっとも影響力のあるフォロワーは、参議院選挙に当選した三原じゅん子さんでした。彼女も子宮頸がん経験者です。彼女の訴えはワイドショーなどで繰り返し報道され、新聞を読まない若者たちが問題を認識するきっかけになりました。


今回のケースが面白いのは、中年から壮年の女優にとって、病気体験が再売り出しのきっかけになったことです。団塊の世代ががん年齢に達し、彼らの共感を得たのでしょう。女優にとっても明白なメリットがあったため、協調関係が維持できました。


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