2014/03/10

東京大空襲 強く生きようと誓った日

退院した後、子供がなかなか眠ってくれなかった。今から思えば、総胆管結石の腹痛で苦しんでいたのだろう。でも、何かがおかしいと思っていても私には原因がわからない。


ちょうど12年前の今頃、真夜中に、とうとう15分おきに起きて泣くようになっていた。実家に帰ったけれど母も疲れ果て喧嘩になってしまった。逃げるように自宅に帰ってきた。



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いつになったらこの生活が終わるんだろう。ゴールが見えないから不安は増幅していく。いつものように息子に起こされ眠れない夜を過ごしていた。「もうがんばれないかもしれない」そう思っていたーーーー


テレビをつけたら、深夜なのでNHKぐらいしかみる番組がなかった。今日は3月10日か。東京大空襲があったんだ。


東京大空襲 wikipediaより一部抜粋

爆撃による火災の煙は高度1万5000メートルの成層圏にまで達し、秒速100メートル以上という竜巻並みの暴風が吹き荒れ、さながら火山の大噴火を彷彿とさせた。午前2時37分にはアメリカ軍機の退去により空襲警報は解除されたが、想像を絶する大規模な火災は消火作業も満足に行われなかったため10日の夜まで続いた。


この爆撃に先だってアメリカ軍は江戸時代の度重なる大火や関東大震災(1923年)における被害実態を事前に徹底的に検証し、木造住宅の密集する東京の下町が特に火災被害に遭いやすいことをつきとめていた。この成果を上述の爆弾の選定や攻撃目標の決定に反映させたため、東京大空襲の被害地域・規模は関東大震災の延焼地域とほぼ一致し、そして大震災時を大幅に上回っている。


祖母や祖父、父が戦争体験をたまに語っていた。よくある戦争の話、最初はそう思っていた。でも今は一人孤独な夜を過ごしている。私は知らなかった。東京大空襲ってオーブンの中のように熱かったんだ。ある女性の体験に惹きつけられていった。


その女性にはちょうど息子と同じくらいの赤ちゃんがいて、若いご主人と一緒に隅田川に逃げたそうだ。


3月10日はまだまだ冬だ。炎がせまって川に入ったものの、川の水は刺すように冷たい。流れもある。登れる岩があってもすでに人で一杯だ。このまま川にいるしかないかとあきらめかけた時、背中に子どもがいるのを見た人達が隙間をつくってくれたそうだ。


でも、やっと一人分。

ためらう女性にご主人は「私はここにいるから。大丈夫だから行きなさい」と言ったそうだ。女性が子供のために決意し岩に登り、ふと川に目を落とすと悲しそうに見つめるご主人の顔が見えたそうだ。


そのまま女性は眠ってしまったという。


目が覚めた時、すでに太陽がのぼっていた。あたりの様子がはっきりと見えた時、ご主人の姿はそこにはなかった。 目があった時、悲しい目で女性を見つめていたのは、今生の別れを予感していたからだろうか。背中をみるとお子さんはすでに亡くなっていたそうだ。


戦後、女性は震災孤児のために孤児院で懸命に働いたという。


気がつくと私は泣いていた。祖母や父からいくら戦争体験を聞いても泣いたことなどなかったのに。もしも、超低出生体重児の母とならなければ戦争体験がきっとリアルにせまってこなかっただろう。「母親」「子育て」という共通体験が、私の心に訴えかけてくるのだ。


もうダメだと思っていた12年前の今日、私は心に誓った。あの女性より私はがんばっていない。まだまだがんばれる。もっとがんばいけないといけない、と。


その女性の力強く生きる姿に「あなたは私達よりずっと恵まれているのよ。強く生きなさい」と言われた気がしたからだ。










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