FC2ブログ

天国に届くといいなぁ 

自分のすむまちでおきた給食アレルギー死亡事故 できることはないか考えています

0

斎藤貴男さんの『子宮頸がんワクチン事件』が発売されました その2  対立構造を生むもの

斎藤貴男さんの『子宮頸がんワクチン事件』が発売されました の続きせっかく良い本が発売されたから応援したい。私が良いと思った部分を紹介したいと思う。子宮頸がんワクチン事件(2015/04/24)斎藤 貴男商品詳細を見る●「子宮頸がんワクチン副反応原因究明チーム」まず、なんといっても第一章『論争』。HPVVに慎重な立場の西岡久寿樹医師が立ち上げた研究班の豪華な顔ぶれに圧倒された。同時に、誰が、何と、闘っているのかわかる...
0

斎藤貴男さんの『子宮頸がんワクチン事件』が発売されました

数年前にまいた種が、今、少しずつ花を咲かせはじめている。先日の『うつを治したければ医者を疑え』に続き、もう一つ花が咲いた。子宮頸がんワクチン事件(2015/04/24)斎藤 貴男商品詳細を見るジャーナリスト、斎藤貴男さんの『子宮頸がんワクチン事件』が24日、発売された。斎藤さんにお目にかかったのは昨年の夏。斎藤さんは、被害者や医師、そして関係者をもう二年近く取材しておられた。お話をいただいた時、はじめはお断りし...
0

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 終わりに

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その6 の続き『八甲田山雪中行軍遭難資料館』の記録の整理がやっと終わった。途中で後悔するほど大変だった。八甲田ロープウェー株式会社でも、あれは、八甲田ロープウェーの駅の待合室で一人ですわっている時だった。上品なおばさまとお友達が私に話しかけてきた。「私は八甲田ロープウェーの株主なの。ここに株主優待券が一枚あるから、よかったら使って。どうぞ」。私...
0

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その6

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その5 の続き生存者とその後の治療経過生存者の記念写真捜索隊に救助され、青森衛戍(えいじゅ)病院に収容された者は17名でした。そのうち凍傷をまぬがれていたのは倉石大尉、伊藤中尉、長谷川商務総長の3人のみで山口鋠少佐、三浦武雄伍長、高橋房春伍長、小野寺佐平、佐々木正教、紺野市次郎の各二等卒は治療の効なく病院で死亡しました。病床の様子ほかはいずれも重い...
0

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その5

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その4 の続き捜索隊派遣まで連隊本部では帰還予定の24日、まれにみる猛吹雪と寒波で、一行はおそらく田代新湯にとどまっていると予想、念のため田茂木に出迎えの部隊を派遣しました。翌25日になっても雪はおさまらず、40名の部隊を幸畑に置いて炊事の準備を整えて待ちますが一行は姿を現さないので、一部の兵士を田茂木野に派遣しましたが、風雪が勢いを増し、二次遭難の...
0

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その4

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その3 の続き食糧・衛生・服装について(主に遭難した青森第五連隊について)【 食糧について 】行軍隊の運搬隊が引いたソリ14台には食糧として精米一石二斗六升(約227㎏)、缶詰肉三十五貫(約131㎏)、漬物六貫(約23㎏)、清酒二斗(36ℓ)が積まれたという記録が残されています。このほか各自が出発当日の昼食を飯ごうに、また小食として餅三食分6個の携帯が命じられてい...
0

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その3

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その2 の続き(分かり易いよう、遭難した青森第五連隊(神文吉大尉)は赤、無事帰還した弘前第三十一連隊(福島泰蔵大尉)は青にしました)第五連隊の行軍計画当時の世界情勢からロシアを仮想敵国と想定していた陸軍は厳冬期に、八戸平野に侵入した敵に対するために、青森から八甲田山を越えて三本木(現・十和田市周辺)にいたるルートを確保しようと考え、厳寒期の雪中...
0

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その2

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その1 の続き青森第五連隊行軍経路(神文吉大尉 遭難) 弘前第三十一連隊行軍経路(福島泰蔵大尉 無事帰還)時代背景と世界情勢明治28年(1895年)3月、日清戦争が実質的に終結したことに伴い、翌4月に締結された日清講和条約によって、日本は朝鮮国の独立と、遼東半島の割譲、さらに蘇州と杭州の開港を得ました。これに対してロシア、ドイツ、フランスの3国は「アジア...
0

幸畑墓苑・『八甲田山雪中行軍遭難資料館』 悲劇の記録 その1

青森県八甲田山へ その1 雪の八甲田  に書いたように、青森に行ったのは『八甲田山雪中行軍遭難資料館』を訪れるためでもあった。FOUR-SEASONS PARK 八甲田山雪中行軍遭難資料館最近になって夫にきいた。夫が留学でお世話になったのは、カナダ軍と関係の深い研究所だった。留学先で、「雪中行軍の遭難事故についての資料が欲しい」というような依頼があったそうだ。しかし、当時の資料をあたってみたけれど、昔の文献は仮名遣い...
0

『うつを治したければ医者を疑え! 』を読んで その2 処方した薬には最後まで責任を持つ

『うつを治したければ医者を疑え! 』を読んで を書いた日の深夜、午前1時すぎに、メールをいただいた。またまた辛辣な批判コメントかなぁ〜と思ってメールを読んだら、違った。精神科医の先生からの、長いメールだった。うつを治したければ医者を疑え!(2015/04/06)伊藤 隼也、特別取材班 他商品詳細を見る先日、引用させていただいた井原裕医師の言葉には、続きがある。伊藤今後、患者側に必要なのは医師をコンサルタントして、...
My profile

Author : サクラ47

2002年に手のひらにのるほど小さな男の子を出産しました。それから11年。医療と教育がもっと連携できないか試行錯誤してきました。コマーシャリズムとどう付き合うか悩み、一時挫折。もう一度がんばってみようと思うようになり、ブログをはじめました。

プロフィール

Author:サクラ47
2002年に手のひらにのるほど小さな男の子を出産しました。それから11年。医療と教育がもっと連携できないか試行錯誤してきました。コマーシャリズムとどう付き合うか悩み、一時挫折。もう一度がんばってみようと思うようになり、ブログをはじめました。

全記事表示リンク

検索フォーム

カレンダー

03 | 2015/04 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: